嫉妬
一人になるとまた囲まれてしまったので、考え事をする暇もなく挨拶回りに奔走した。忙しそうなお兄様達や同級生と話していたニーナと合流することもなく、貴族の顔と名前をひたすら頭に叩き込む。ルークお兄様やシルヴァン様との関係を詮索してくる人も多かったが何とかかわした。
途中でレオン様が「お困り事はありませんか」と心配そうに声をかけてくれたので大丈夫だと答え、遠慮がちなダンスのお誘いに快諾した。
その後はディアナ様達からご家族の紹介を受けてしまったが、私がさり気なく会話を切り上げようとすると、皇族王族と続けて踊っていたのを見て望み薄だと感じていたのか名残惜しそうにしながらも引いてくれた。
「疲れたな……」
気苦労の連続で疲労がピークに達したのを感じ、一度風に当たることにした。なるべく人目につかないようこっそりバルコニーに出る。
春の陽気をそのまま薄めたように穏やかでひんやりとした風が心地良い。誰もいないことに安堵して、手すりに軽く寄りかかり深く溜息を零しながら空を見上げた。けれど会場の明かりに隠されて星がよく見えず、それ以上眺める気にもなれなくて目を閉じる。
『皇室と公爵家に直接申し込むことにするよ。』
『友好国の王太子妃ともなれば皆が納得する。』
浮かぶのはシルヴァン様の言葉。彼が国を通して婚約の申し入れをしてしまったら、余程の理由がない限り受けざるを得なくなる。そして今の私にそんなものは存在しない。それを分かっているからこそ彼は私を本気で口説こうとはせず、手っ取り早く確実な手段を取ることにしたのだろう。
いくらお父様が恋愛結婚をさせたいと思ってくれていても、皇室から命じられれば抗えない。ルークお兄様の婚約者候補にする以外の方法が見つかった皇室が受け入れてしまえば――。
諦めるしかないのだろうか。
「いい気なものね。」
暗闇の中に落ちていく思考から引き上げたのは、皮肉なことに憎悪に満ちた冷たい声。扉が開いたことにも気づけなかった自分に嘆息しつつ後ろを向くと、赤いドレスを振り乱して高いヒールをカツカツ鳴らしながら近づいてくるローザフィア様の姿があった。
「……ご機嫌よう、ローザフィア様。」
「貴女、さすがに調子に乗りすぎていませんこと?婚約者候補である私を差し置いてルーカス殿下と一番に踊った挙げ句、王太子殿下とまでご一緒するなんて。男性を誑かすことに長けているのかしら。」
……一番?
『いいのですか?貴方は今日まだ一度も。』
あ。すっかり忘れていた。ルークお兄様はあの時まだローザフィア様と踊っていなかったのだ。親戚を祝う口実があったとしても彼女が気分を害するのは当然で、申し訳なく思う。とはいえルークお兄様のこともシルヴァン様のことも、誘われた側の私に言われても困るという気持ちも大きい。彼らの行動を私が謝罪するのは彼らを否定することと同義。
「本日は社交デビューの為の夜会。代表としてお祝いしてくださったのです。誑かすなどという仰りようは殿下方に失礼ですわ。」
「事実でしょう!ちやほやされてへらへら笑って。何がミーツシリーズよ。人を雇って考えさせて功績を自分のものにするなんて最低ね。」
蔑んだ目を向けてくるローザフィア様は言い掛かりをつけたいのか本気でそう思い込んでいるのか分からない。
「そんな事実はありません。すべて私と商会のご子息の二人でアイデア出しをしております。」
「ふん、家の力を使えばどうとでも言えるでしょう。そういえば商会の平民と学園でよく話しているらしいわね。高貴な公爵令嬢が聞いて呆れるわ。下賤な男にまで色目を使うなんて。それにあの男、飄々として胡散臭いし如何にも悪巧みをしていそうだわ。貴女、利用されているのではなくて?」
見下すように笑った彼女に初めて強く苛立った。
カイが下賤?悪巧み?
初めて私を対等だと言ってくれた人。穴だらけのアイデアを形にすべく力を尽くしてくれた。商会とは関係ないのに、私の目標と真剣に向き合って忠告してくれた。
そんな彼が私を利用しているって?
何も知らないくせに。疲弊しきった頭が怒りで煮え滾りそうになるのを残った理性で必死に冷却させる。けれどそんな私を月が嘲笑っている気がして。湧き上がってくるどす黒いもので胸の奥が張り裂けそうになり、衝動を止められない。
「証拠はおありですか。皇帝陛下を支え、国と民を守るお役目を担う将来の皇后になられる皇太子妃候補が、罪無き平民を愚弄するなどあってはならないことです。発言には責任が伴うお立場でしょう。今すぐ訂正してくださいませ!」
どうして、こんな彼女が。
「なっ!何を偉そうに、分かったようなことを!生意気なのよ!!」
血相を変えて激高した彼女は右手を振り上げた。ギラギラと目を光らせて怒りに震える彼女を睨み返していた私は反応が遅れてしまう。反射神経が鈍い自覚はある。スローモーションのように迫ってくる平手に、顔を背け目をぎゅっと瞑ることしかできない。
次の瞬間に訪れるパンッ!と響く音と頬への衝撃を覚悟した。せめて腫れてしまうほど強くなければいいと願いながら。
だが、いつまで経ってもそれはやって来ない。代わりに聞こえたのは抑揚のない冷ややかな声。
「態度を改めた方がいいと言わなかったか。」
この場の熱を冷ますようなそのトーンに目をそっと開くと、彼女の振り上げた手を横から掴むフェリクス様がいた。突然音もなく現れた彼に驚愕しているローザフィア様とは違い、私は彼がどうして、どうやってここにいるのかを何となく察する。扉は一度も開かなかったから。
「貴方、どこから……!離しなさいよ!」
「最初からここにいたが?」
それがどうしたとでも言いたげにとんでもないことを告げた彼は、さして力を入れていない手を離した。
認識阻害を使って人が多い会場からバルコニーに逃げていたらしい。皇城でその魔法は犯罪にならないのかな。大抵の場所に入り込めてしまいそう。間者や暗殺者だと疑われても知らないぞ。
「皇城の夜会で問題を起こすのはまずいんじゃないのか。」
「……っ。もういいわ。」
不快そうに唇を噛み締めたローザフィア様は踵を返して会場に戻っていった。その姿を感情の読めない瞳で見つめている彼に視線を向ける。
すべて聞かれていた。盗み聞きのような形だが、助けられたこともあってか不思議と怒りは湧いてこない。あるのは行き場のなくなったドロドロとした感情と後悔、それと羞恥だけ。
「止めてくださってありがとうございました、フェリクス様。本当に助かりました。腫れた顔では会場に戻れませんもの。」
「気にするところはそこなのか。手を上げられそうになったことに腹は立たないのか。」
「怒りで我を忘れ煽ってしまったのは私ですから。」
ご心配ありがとう、ですが問題はありませんのでとでも流すべきだった。候補の件を持ち出して言い返せばああなるのも予測できた。自分の立場も忘れて偉そうに言ってしまうなんてレオン様に八つ当たりしたときと同じだ。
「君は人のことだと怒るんだな。以前俺に意見した時もそうだった。ユングフラウ嬢と同じく商会子息のことも余程大切らしい。」
「……そんな綺麗なものではありません。」
カイを馬鹿にされて冷静さを失ったのは事実だけど、私が抱いたのはもっと醜い感情。彼女の努力を踏みにじるような最低のもの。
――平民を下賤だと吐き捨てるような女性が、ルークお兄様の婚約者候補で未来の皇后なんて。私には今その道が閉ざされかけているのにどうして彼女だけが。
くだらない、汚れた嫉妬。
「元気がないな。教会で会ったときと同じ、苦しそうな顔をしている。」
フェリクス様は何もない空間に手を伸ばすと、静かに魔法を発動させた。手から発せられた金色の光が眩しくて目を細めると、次の瞬間には数種類のケーキが載せられたお皿とフォークが現れる。よく見るとそれはこの夜会会場に用意されているものだった。
しゅ、収納魔法……。突然見せられた高度な魔法にぽかんとしてしまう。媒体も使わず収納できるなんてこの国に何人いるか。片手を超えたらいい方だろう。そもそも何故ケーキをわざわざ仕舞っておく必要が。
「食え。ここのケーキだ、保存したのは先程だし変なものは入っていない。」
「え、えと。私に?いいのですか、フェリクス様がこちらで食べるためのものでは。」
「君は甘いものが好きだと聞いた。会場で疲れている様子だったからな。機会があれば渡そうと思っていた。」
照れた風でもなく真顔でそんなことを言われて驚く。彼の周りにはお兄様達もニーナもいるのだから知られていることは別に不思議でもない。だが前回詰め寄って偉そうなことを言ってしまったのに、会場での私を見ていてくれて。話す機会があるかも分からないのに好きな物を用意してくれるなんて。
やっぱり優しい人だ。
差し出されたそのお皿を受け取る。シルヴァン様に言われたばかりだが、彼に警戒など必要ない。チョロいと言われてもかまわない。
「嬉しいです。ありがとうございます。」
せめて今この時だけは、落ち込むのは止めよう。自分に出来る精一杯の笑顔を向けてお礼を言う。
その後は心なしか穏やかな表情になってくれた彼と暫し歓談しながらケーキを頂いた。姿が見えないと心配して私を探しに来たウィルお兄様に見つかって、彼と二人きりでいたことを叱られるまで。




