翻弄される (2)
「はい、どうぞ。」
道すがら給仕から受け取ったグラスを手渡される。そのシュワシュワした黄金色の中身を見て、受け取るのを躊躇した。
「どうしたの?」
「その、お兄様からお酒禁止令が出されていて。」
「ああ、そういうこと。これはノンアルだから大丈夫だよ。踊り疲れたレディを酔わせたりしないさ。」
シルヴァン様の言葉に安心しお礼を言って頂戴した。ダンスで喉が渇いていたのでそのまま杯を傾ける。疲れた体に炭酸の程良い刺激が染み渡って気持ちがいい。
コクコクと嚥下していく私を眺めた彼はふっと吹き出した。堪え切れないと言わんばかりに頬を吊り上げてクスクスと笑い続ける。嫌な笑い方ではなかったがそんな反応をされた理由が分からず小首を傾げて彼を見つめる。
「君は警戒心があるのかないのかよく分からないな。初めて会った時にはあんなに身構えていたのに、大丈夫と言われただけでこうやって男から受け取った飲み物を平気で飲むんだから。」
「え」
ひょっとしてノンアルというのは嘘だったのだろうか。慌ててグラスの中身を観察したり匂いを嗅いでみたりしたがよく分からない。そもそもお酒に触れたことがないのだから当然だった。
「何もしてないよ、間違いなくただのノンアルカクテル。でも今後は気をつけて。嘘をついて酒を飲ませたり睡眠薬を入れたりする男もいるからね。社交界に出た今の君は猛獣の巣に飛び込んだ子猫のようだ。政治的にではなく、男女の意味でね。」
「はい、御忠告感謝致します。」
ウィルお兄様に鈍感と言われたばかりの私は、以前ニーナにも警戒心の有無について笑われたことがあるのを思い出し更に落ち込んだ。
「とはいえナイト達が許さないだろうけど。――君の素性が分かってから色々と調べさせて貰ったよ。」
甘さを取り払った声とその内容に緊張が走り、これからが本題だと気を引き締めた。彼が今日私に近づいたのは歌う令嬢に興味を持ったからだけではないのだとその言葉で理解する。
「帝国一の貴族、シュテルンブルーメ公爵家の令嬢。跡取り以外には顕れないはずの星眼を持つ第二子。家族からは過保護なほど大事にされ隠されるように育ち、皇室からも寵愛されている。皇太子は君を妹のように可愛がり、第二皇子は幼馴染。元々それなりに優秀ではあったがここ2年でかなり力をつけ今では学年1位。商会についてはダンスの時に話した通り。ここまで異存はない?」
「……ええ、特にありませんわ。」
よくもまあこの短期間で調べたな。王太子の権限を持ってすれば簡単だったとは思うが、彼はダンス中ミーツシリーズの詳細まで述べて見せた。元々優秀だったというのは反論したいが、学年1位は事実なのだからそこは問題ではないだろう。彼が言いたいのは何故そんな私が皇太子妃候補ではないのかについてだ。
「容姿も能力も何もかも、君がフォルモント公爵令嬢に劣るとは思えないな。政治的バランスは確かに難しいけど、今の情勢では公爵家のどちらから選んでもそう変わらない。フォルモント公爵は野心家ではない。娘を皇后にと推しているのは公爵とは不仲の夫人だ。その意味で、彼女でなくともフォルモント家と皇室の繋がりが絶たれることはないだろう。わざわざ候補を幼少時から彼女一人に絞る必要はない。」
「コメント出来かねます。私は仔細を知りませんし、恐縮ですが気軽にお話できる内容ではございません。」
フォルモント公爵様が野心家でないなど初めて知った。幼い頃皇城で挨拶したことはあるがそれだけで、ゲームでも公爵様は名前しか出てこなかった。各領地についてや主立った貴族については学んだが、人となりは書類では判断できない。
シルヴァン様がどういう理由で他国の事情に興味を持たれたのか分からない以上、私から話せることは何もない。話題がタイムリーだったからついてきてしまったが。
「構わないよ、聞いてほしいだけだから。」
彼は自分が持っていたグラスをぐっと呷った。喉仏が上下する艶めかしい姿を冷静な目で見つめる。彼が話している内容はすべてルークお兄様の言う“事情”に繋がるのだと感じつつも、彼がその答えを持っているとは到底思えなかった。政治的なバランスや公爵家の問題でないのなら当事者の私だってお手上げ状態だ。そんな事情があっても私が今候補になると言っただけで叶うという意味も。
「そこで思ったんだ。問題は周りではなく君自身ではないかとね。」
「どういう意味でしょう。先程のお話では私には十分能力があると。」
「能力や資格の問題ではなく、君の特異性の話かな。君の星眼。皇室からの贔屓具合と隠されて育った事実。そして何よりも、僕は君が特別な存在である証をこの目で見た。嬉しかったよ、僕と同じような君に会えて。」
「はい?」
喜色満面な様子で告げられた彼の言葉に思わず眉が寄る。
あまり意識したことはなかったが、確かに公爵家第二子の私が持つ星眼は特異と言えるかもしれない。でも前世を知る身としては遺伝ってそういうこともあるよね、としか思えない。皇室からの贔屓の異常性は度々感じていたことだけど、それはきっと親戚だからだ。
彼は一体何を見たというのだろう。特別な存在はニーナであって私ではないのに。僕と同じようなという言葉も引っかかる。
「ふふ、ここまでにしておこう。君は知らないようだしね。言いたかったのは、こうやって君が皇太子妃候補ではないことを確認したくなるほどに君に惚れ込んだということなんだ。」
「恐れながら、口説き文句としては0点ですわ。」
「だが正攻法では信じてくれないだろう?どうも君は僕を徒に女性に声をかける男だと思っているみたいだし。」
「……」
そこは反論できなかったので沈黙で押し通した。美しい言葉で愛を囁かれてもただの気まぐれで誰にでも言っているのだからと聞き流すのは想像に難くない。
「知っているかい?貴族達の間で、君が皇太子妃候補ではないことに疑問の声が高まりつつあるのを。フォルモント公爵令嬢の評判が落ち、君の人気が上がれば上がるほどそれは大きくなっている。まあ中には君を候補に上げることで自分達の娘もあわよくばと考えている連中もいるだろうけど。皇室が抑えられなくなるのも時間の問題だ。今日彼と君がダンスを踊ったのは軽率としか言いようがない。」
「……っ!」
彼との会話中冷静だった部分ががらっと崩れ落ち瞠目した。
まさか、ルークお兄様からこのタイミングで提案されたのは。女性として見てくれたからではなく、避けられたくなかったからでもなく、貴族達のそんな声を食い止めるために?
グラスを持つ手が震えて、落としそうになるのをもう片方の手で支える。それに気づいた彼が私から空いたグラスを受け取り給仕を呼んで手渡した。それをぼんやり眺めることしか出来ない。給仕が離れるのを確認した彼は茫然とした私にひとつの提案をした。
「その声を抑えるには、僕と婚約するのが一番だと思わないかい?友好国の王太子妃ともなれば皆が納得する。この国の皇室は君を持て余しているようだしね。君のその能力、容姿、カリスマ性、すべてが王太子妃向きだ。」
ルークお兄様に婚約者候補の打診をされたことを知らない彼には、皇室が私の扱いに困っているように見えている。
見えている?それが事実ではないのか。事情とやらのせいか親戚のよしみからか、ルークお兄様曰く候補になることについて私の意思を重要視しているらしい皇室が私に手を焼いていないとどうして言える。彼の言葉には謎の説得力があった。
考えれば考えるほどその通りではないかと思えてきて瞳を揺らしていると、彼は冗談には思えない真剣な声色で私の空いた心の隙間に愛を吹き込んだ。
「しかしそんなことよりも僕はただの男として君自身が欲しい。君の澄んだ歌声と人を思いやる美しい心、令嬢の仮面に隠されていても時折現れるその素直な本質が愛しい。」
この方は本当に私自身を見てくれるのだろうか。勘違いしている特異性に魅せられただけ、もしくは政略結婚の相手として皇室に贔屓されている公爵令嬢が欲しいだけということもある。
でも、それでいいのでは?私は公爵家の役に立ちたかった。友好国の王太子妃ならば十分その役目を果たせる。ニーナのルートをひとつ潰してしまうことにはなるが、彼女は彼に惹かれている様子は全くなかった。婚約してしまえばローザフィア様やルークお兄様の邪魔になることもない。
そこまで考えて私は首を振った。いいや、そんな考えで婚約を決めるなんて間違っている。逃げ出すように遠方に嫁ぐなど、ウィルお兄様のこともきっと傷つけてしまう。取り付かれたように彼の言葉に従ってしまいそうになるのを必死で堪えた。
「お気持ちは嬉しく思います。ですが、婚約は私の一存で決められることではありませんわ。」
これが精一杯。王太子殿下の求婚を断るなんて何か理由がなければ出来ない。
「分かった、それなら皇室と公爵家に直接申し込むことにするよ。」
彼は目の奥を光らせ、相手を狂わせそうなほどの妖艶な笑みを浮かべる。不穏な言葉を残し返事を聞くこともなく、私の手の甲に挨拶のキスをした後その場を離れていった。




