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ルークお兄様の変化

明けましておめでとうございます!


 お兄様は夜会が始まって以降、いつにも増して私に男性が近づくのを警戒している。そんな中で女好きと噂のあの方にダンスのお誘いを受けたなんて言ったらどうなるか。相手が相手だから、この場で名を明らかにするのはまずい。説明するとなるとあの公園での出来事も含まれるので時間もかかる。


 困ってしまい誤魔化すようににこっと笑ってみせると、言い逃れをするつもりだと思ったらしいお兄様が私のすぐ目の前まで移動した。腰を少し下げ私と視線を合わせると、子供に言い聞かせるような優しく穏やかな口調で「ティア」と呼ばれる。それがあまりにも恐ろしくて「ひっ!」と小さく声にならない悲鳴を上げてしまう。


「何を隠しているの?怒らないから話してみて。」


 それは絶対に怒る前振りだ。別に最初は隠すつもりだったわけではない。言う必要がないと思っていただけで。


 頭の中で言い訳をしつつも、決して逃がさないという意思を宿した自分と同じ色の瞳に正面から見つめられて体が縮こまる。

 


 そんな時、遠くから小さなざわめきが流れるように近づいてきた。私達に話しかける機会を窺っていた周囲の人々が道を譲るように避けていく。それを見て誰か身分の高い人が来たらしいと判断する。天の助けだろうか。当事者という最悪のパターンではないことを祈る。


 現れたのは殿下は殿下でも皇太子殿下の方だった。これ幸いとニーナを促してそちらを向く。ウィルお兄様も公の場で皇太子を無視するわけにもいかず、同じように体の向きを変えた。後で話して貰うからね、という言葉は聞かなかったことにしよう。


「ウィル、ティア。ニーナ嬢も一緒だったか。」


「ええ。」


「ご機嫌よう、皇太子殿下。」


「お声掛けに感謝申し上げます。」


 挨拶は初めに済ませてあるがこの場では丁寧に応対する。注目は開始時から浴びているが、皇族との会話となるとそれが何倍にも膨れ上がるためいつものように馴れ馴れしくすることはできない。とはいえ気を張っているのは私だけのようで、ウィルお兄様はあまり変わらない。


「二人とも。改めてになるが、デビューおめでとう。」


 柔らかい表情でお祝いの言葉を告げたルークお兄様に、周りがざわついた。あの殿下が、笑ったぞ、と囁き合う声が聞こえる。


 そういえば彼は無表情なことが多いのだっけ。それを忘れるくらい様々な顔を見せてくれていることに嬉しくなり、同時に胸が締め付けられた。


「ウィル。ティアを借りていいか。」


「殿下……そんな気はしていましたが。いいのですか?貴方は今日まだ一度も。」


「はとこを祝って何が悪い。」


「はあ。仕方がありません。」


 ……?二人が何の話をしているか理解できない。ルークお兄様にどこかへ連れて行かれるらしいということは察したが、パートナーと一緒では駄目なのか。先程まで私を守るようにくっついていたウィルお兄様があっさり引いたというのも不可解だ。


 小首を傾げて彼らを見つめていると、ウィルお兄様の許可を取ったルークお兄様が私に一歩近づいて手を差し出した。


「俺と踊っていただけますか?」


「!」


 ルークお兄様らしいシンプルな言葉と、初めて使われた丁寧語のギャップ。何より彼からダンスのお誘いを受けたという事実に動揺を隠せない。かあっと顔が真っ赤になるのが分かった。


 パートナーが隣にいる女性をダンスに誘う場合はまずその相手に許可を取る手順がある。先程の会話はそういうことだったのだ。


 考えてみれば、何もおかしいことはない。はとこのお祝いでダンスを踊るくらい不思議でもなんでもないのだから。彼は妹分の成長を喜んでくれている。驚くべきは、こうなることに考えが及ばなかった自分だ。結果的に不意打ちとなり自分で自分の首を絞めてしまった。


「……ティア?」


 訝しげなウィルお兄様の声にはっとする。早く答えなければ。顔が赤い時点で動揺しているのはバレバレかもしれないが、これ以上醜態を晒すことはできない。


 覚悟を決めて、差し出された大きな手に自分の手を重ねた。


「……はい、喜んで。」


 浮かれていた私は、ウィルお兄様が言った“今日まだ一度も”という言葉を失念してしまっていた。



  ◇◇



 フロアの中央に立ち、前奏の間に組み合い彼の背中に片手を添えた。近付くのは初めてではないのに、その広い肩に驚く。男性なのだと改めて意識をしてしまい酷く落ち着かない。


 おろおろと周りを見渡すと、かなりの注目を浴びていることに気付いた。フロアにいるのは私達だけではないが、皆皇太子に遠慮しているのか中央から離れた位置に立っている。これなら普通に話していても会話が聞かれる心配はなさそうだ。


「緊張しているのか。」


「え、ええ。まだ慣れないの。それに身長が合わないから踊りにくいかもしれないわ。」


 この震えは公式の場でのダンスがまだ2度目だからということにしておく。今日はデビュタントに合わせてスローテンポの曲が多いはずだが、こんな調子でまともに踊れるだろうか。低身長のせいでルークお兄様に負担がかかってしまうのは心苦しいが、今回ばかりはよかったとも思う。顔が近づきすぎないでいられるから。


「心配するな。力を抜いて身を任せていればいい。いくらでもフォローしてやれる自信はあるからな。」


 その強気な台詞に少しムッとしてしまう。一部の単語に反応してしまう悪い癖は変わっていないらしい。


「大丈夫、ちゃんと踊れるわ。」


「そうか。ではお手並み拝見といこう。」


 愉しげに目を細めるルークお兄様が言い終えた瞬間、前奏が終わった。同時に足を一歩踏み出し、ゆっくりと音楽に乗る。彼のステップに合わせ体を揺らしくるり、くるりと弧を描いていく。すべてを委ねるのではなく、あくまでも自分の意思で寄り添うように。観客からほうっと感嘆の溜息が聞こえた。


 どうだと言わんばかりの挑戦的な顔で彼を見やれば、酷く上機嫌に喉を揺らしながら笑っていて。少年のような珍しい表情に毒気を抜かれてしまう。そんな風に笑うのはずるい。


「あの転んで泣いていた少女が、随分成長したものだ。」


「いつの話をしてるのよ。私はもう小さな子供じゃないわ!」


 懐かしそうな声色で昔のことを言われ不満に思う。そういうことは忘れてほしい。


「ああ。――本当にそうだな。」


 笑みを消し、感情が読み取れない表情で見つめられる。先程から彼は何だかおかしい。


 学園で見るような皇太子然とした態度は消え去り、素を出してくれているとは思う。けれど公爵邸に遊びに来ていた時と同じかと言われるとそれも何だか違う気がする。いつものルークお兄様ならば反抗した私を宥めるように同意するはずだ。仕方のない子供を見るような慈愛の眼差しで。


 彼の何かが変わった。私の知らない間に。ヒロインと出会ったから?妹よりも気にかけたい子ができてしまったから、私の方はもう守らなくても大丈夫だと確認したかった?


 その事実に思い当たり陰々滅々とした気分になる。庇護を必要としないと思ってもらえたなら万々歳じゃないか。そのために行動してきたのだから。カイの言う辿り着きたい場所がまだ見つかっていなくても、自立したい気持ちに変わりはない。


 晴れない気持ちを振り払うようにターンを決める。わざとリードに逆らうような動きにも彼は難なく合わせてくれた。



「ティア。最近俺を避けているだろう。」


「……!」


 少しの沈黙の後告げられたルークお兄様の言葉は疑問系ではなく、それが事実だと確信を持っているようだった。気付かれない程度にしたつもりだったけれど、やはり察しのいい彼にはバレてしまっていた。


 ステップが止まりそうになったのを今度は彼に支えられる。背中に回された腕が私をぐいっと誘導し、もう一方の組んだ片手にもぎゅっと力が加わった。


「気付いたのは試験後くらいからだ。ニーナ嬢とはよくすれ違うのに、そこにおまえはいない。偶々かと思っていたが、周りに聞けば二人はよく一緒にいるという。ウィルもアルもレオンも、フェリクスでさえ二人、もしくはティア一人の時でも姿を見かけるらしい。ならば避けている対象は俺以外あり得まい。」


 彼の動きは分かりやすい。周りにいる人達の会話から居場所が判明することが多いからだ。たとえすれ違ってしまいそうになっても近くに来ればざわめきや黄色い声で気付く。その度に私は色々と理由をつけ、一人でその場を離れていた。


 彼の反応が怖くて顔が見れず、目を伏せる。きっと理由を尋ねられるのだろう。だが説明できるはずもない。


「ローザフィア嬢のせいか?」


「え?」


 何と言い訳しようかと考えていたところに、思い掛けない人の名を出されて思わず顔を上げた。見えた彼の瞳からは愛惜と沈痛が読み取れて、傷つけてしまったと後悔に苛まれる。


「不正疑惑騒動があったからな。ローザフィア嬢はティアを目の敵にしている。その要因には俺のことも含まれるだろう。彼女をこれ以上刺激しないよう、俺と距離を取ろうとしたのではないのか。」


 避けていると気付かれたのが試験後でよかった。本当の理由には全く思い当たっていない様子の彼を見てほっとする。しかしこのまま黙っていればローザフィア様のせいになってしまうだろう。


「違うわ!その……、婚約者候補でもない私が学園でもルークお兄様と親しげにするのは誤解を招きかねないし、ローザフィア様にも悪いと思ったのよ。」


 罪悪感を持ちたくないのに他に上手い口実も思い付かなくて、どうにか言い替えることしかできなかった。


 これではローザフィア様が原因だと言っているようなものだ。実際その気持ちが全くないわけではない。今の私がルークお兄様の傍にいるのは、ローザフィア様のこともニーナのことも裏切ってしまっているような気がして。


「ティア。今、想い人はいるか。」


「い、いないわ。」


 突然の話題変更に驚く暇もなく、気付けばその問いに言葉を返していた。


 想い人なんていない。この気持ちに名前はない。――だからこれは嘘じゃない。


「それなら。おまえが俺の婚約者候補になれば、もう避けたりしないか。」


「…………え?」


 冗談には見えない真剣な顔でそんなことを言われ、頭が真っ白になった。単調なステップしか踏めなくなった私を、彼はターンで上手くリードしてくれる。ダンスに集中できていないのにちゃんと踊れているのは彼のおかげ。


「ど、どうしたのルークお兄様。まさか本気じゃないわよね?だってそんな話今までされたこともないわ。皇室も公爵家もそんなつもりはないのでしょう?」


 厳密には2年前皇帝陛下から一度だけ話題に出されたことはあるけれど、それだけだ。


「今まで話がなかったのには事情がある。さっきの言葉は本気だが、皇室はおまえに無理強いするつもりはない。もちろん俺も。だがティアが望んでくれるならいつでも婚約者候補になれる。考えてみてほしい。」


 曲が終わった。礼をする間にもルークお兄様の言葉が頭の中でぐるぐると踊っている。


 ルークお兄様は何を考えているの。まさか私に避けられるのが嫌だからという理由だけで婚約者候補にするつもり?

 事情って何なの。多くの令嬢が彼の婚約者候補になりたいと願う中、私はたった一言「なる」というだけで叶うとでもいうのか。


 放心状態の私をルークお兄様が半ば引っ張るようにエスコートし、ウィルお兄様とニーナの元に連れて行ってくれた。


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