最後の攻略対象者
「ではミーティア様、これで失礼致します!」
「ええ、またお会いしましょう。」
スキップしそうな足取りで去っていく姿をぼんやり眺めながらふっと息を零す。
最近下位貴族の令嬢令息に話しかけられることが増えた。理由は分からないが、自惚れでなければ彼らは私を崇拝の対象としているようなのだ。
悪意も媚びもないその瞳にはどうしても勝てず、ついつい求められるがままに話し込んでしまう。そういう人達はニーナのことを悪く言ったりもしない。しかし偶像化による称賛は、打算に塗れた諂いと同じくらい疲弊する。
漸く解放されたことに安堵しその足で図書館に向かった。その途中、離れた位置に数名の男女とニーナを見つけて立ち止まる。
その様子が異様に思え近づいていくと、中心の男性のみがニーナに話しかけていて、隣にいる令嬢達はそれを歓迎していないことが分かった。先程からしきりに彼の興味を引こうとしているからだ。
ニーナ以外後ろ姿しか見えないが、あの男性の髪色ってまさか。
……間違いなさそうだ。困っている様子のニーナを放ってはおけないけれど、彼は唯一この学園で私が気軽に話しかけられない相手。彼のことはレオン様以上に知らない。苦手意識が強くて出会いイベントさえ飛ばしてしまったのだ。最近のごたごたで存在すら忘れていた。
これがイベントだとしたら、手を出さない方が良いのかもしれない。そもそも彼相手では割って入るのも不躾になってしまう。身を隠して一応危険がないかだけ見守っていようか。
そんな風に思考を巡らせながら眺めている私にニーナが気づいたようだ。ここで立ち去るのも心証が悪いと思い迷っていると、彼女は私に何かを伝えようとしているのか焦った表情で首を横に振り口パクをしている。
き・た・ら・だ・め。来たら駄目……?来なくていい、ではなく。
よく分からないが私が行くのは好ましくないようなので大人しく下がることにする。しかし頷き返したところで彼女の様子に気づいた彼が振り向いてしまった。バチッとぶつかった視線に逃げるタイミングを失いその場で礼を取る。声をかけられなければこのまま立ち去れるだろう。
だがそんな私の希望は彼の手招きによって打ち砕かれた。そうなるともう彼の方に従うしかない。ニーナを無視していた令嬢達は身分が上の私が来るのを見て諦めたのか、それぞれ礼を取り離れていった。
会話が聞こえる位置まで近づいたとき、彼はいなくなった令嬢達を気にする様子もなくニーナに問いかけた。
「彼女はニーナ嬢の友人かい?親しげに合図を送っていたからつい呼んでしまったよ。」
「……はい。大切な友人ですわ。」
既に自己紹介は終えているみたいだ。顔色が良くないのはそのせいかな。でもルークお兄様にはそんなことなかったはずだけど。私は彼女の隣に立つと、覚悟を決めて彼と相対した。
隣国、フルラージュ王国の王太子で最後の攻略対象者。お兄様達と同学年で、昨年秋から帝国に留学している。
王族の特徴であるディープグリーンの長髪に、ヴァイオレットの瞳。華やかな甘い顔立ちで、目の下のホクロと蠱惑的な唇が印象的。匂い立つような色香を常時纏った彼は女性慣れした翻弄タイプで、いつもその傍らに女性を侍らせている。花のような微笑みと甘い声に引き寄せられる令嬢が後を絶たないのだ。
今回の帝国への留学も自国の令嬢に飽きたからだと噂されている。さすがに一国の王太子がそんな理由で留学を決めることなどあり得ないと思うが、女好きの噂が広まるような軽い男性は苦手で敬遠してしまう。今も目の前に立つと一層感じる妖しさに逃げ出しそうになる足を令嬢モードで耐え忍ぶ。
「お呼び頂き光栄にございます、王太子殿下。」
カーテシーで挨拶をし、そのまま名乗ることはせず彼からのお言葉を待った。隣国フルラージュでは王族に許しを得ないで名を告げるのは不敬だとされているからだ。
「……驚いた。この学園でその作法を守ってくれる人は少なくてね。ぜひ君の名前を教えてくれる?」
帝国では身分の低い方が先に名乗る習慣があるため学園ではそちらを適用する人が多いのだろう。それに令嬢だけでなく令息までもが彼の色香に魅了されて、作法を気にする余裕なんて失ってしまいそうだもの。
そういえばこの糖度の高い声、どこかで聞いたことがあるような。疑問が湧いたが前世でだろうと深く考えず、許しを得たので顔を上げた。
「はい。私はシュテルンブルーメ公爵家長女、ミーティア・レニャ・フォン・シュテルンブルーメと申します。どうかお見知りおきください。」
「ああ、君があの有名なお姫様だね。天使のような容姿と高い教養。ふふ、噂以上だった。ってあれ……?」
甘く微笑んでいた彼がふと何かに気づいたように思案げになり、まじまじと顔を見つめられる。酷く居心地が悪い気分になったが王太子相手では避けることも出来ず困惑したまま立ち尽くした。
どこかで顔を合わせたことでもあっただろうか。しかしお茶会さえ殆ど出席しない私が彼と接点などあるはずもない。学園に入ってからすれ違ったりした覚えもない。
初対面の女性を観察する癖でもあるのかと思い横目でニーナに視線を向けると、何故か緊張と不安が浮かんだ表情を彼に向けていた。彼女の懸念も理解できないまま視線を戻すと、今度は彼が何かを確認するようにニーナを一度見て「そういうことか……」と呟いた。一人で納得していないで説明してほしい。
だがそんな落ち着かない感情は次の瞬間、名状しがたい恐怖へと変わった。自身の色香を最大限まで高めた妖艶な笑みを浮かべ捕食者の目を細めた彼に狙いを定められたと思うのは考えすぎだろうか。
「やっと君の名前が聞けて嬉しいよ。僕はシルヴァン・オルタンシア・ド・フルラージュ。シルヴァンと呼んでくれ。」
やっと……?
私の名前なんてとっくに知っていたようだけど。顔と名前が一致していなかったような口振りだ。
「シルヴァン殿下、失礼ですがどこかでお目にかかりましたでしょうか。」
「君と会ったのは名も無き平民だ。眠りの世界へ誘う歌声に魅入られた、美しい女性を花にも宝石にも例えられないほど無知で気の利かない男。記憶の片隅にくらい置いていてくれたら嬉しいのだけど。」
『君を例えられるくらいの花も宝石も僕は知らない。』
『名前くらい教えて頂きたいが、次の楽しみに取っておくとしよう。』
「……あ!」
令嬢としてあるまじき声を上げてしまって慌てて口を押さえる。
半年以上前にクルトと過ごした公園で声をかけてきたナルシスト男。え、私は殿下に対して露骨に警戒してしまったのか。護衛が牽制しなくて本当に良かった。
しかし発言から考えれば間違いないけれど、あの時の彼と目の前の殿下が同一人物に見えなくて信じられずにマナーも忘れて凝視してしまう。それでも殿下は嬉しそうに微笑むと、思い出してくれた?と尋ねた。
「ですがあの男性は茶髪で瞳もグレーでしたし、目元のホクロだってありませんでしたわ。それにあの時はまだ留学される前で……」
「ふふ、素直な人だね。僕はこれであの時の女性が君だと確信できたわけだけど。」
悪戯っぽく笑われて羞恥で顔が赤くなるのが分かった。深く問わずに誤魔化せばよかった。知りませんと通しておけば関わらずに済んだかもしれないのに。
「あれはお忍び歩き用のウィッグとカラーコンタクトさ。ホクロなんて化粧で消せる。その上眼鏡をかければ大分印象が変わるだろう?留学前に一度街を見てみたくて。」
「……そうだったのですね。」
この世界にウィッグやカラコンが存在するとは。魔法ならともかく物理的な変装では見破るのも難しい。まさか王族が他国の平民向けの公園にいるなんて誰も思わないではないか。
「君は友人の色を纏っていたんだね。あの時の女性と同じ髪色のニーナ嬢を見て声をかけたら寝ていた男の子と顔が瓜二つだったから、3人姉弟かと思って彼女に尋ねていたところだったんだ。」
あの時のことはニーナに注意喚起として話していた。来たら駄目だと合図してくれたのは殿下から聞いてすぐ私のことだと分かったからだろう。彼女の気遣いを無下にしてしまった。
「こちらもお忍びでしたので、姉弟姉妹になりきって楽しんでいたのですわ。あの時は殿下だと知らずご無礼を致しました。」
「ご令嬢方の遊戯中に声をかけた男が無粋なのだから気にしないで。ああそうだ、それなら埋め合わせに君のデビュタントの夜会で一曲踊ってくれるかい?」
「まあ、お戯れを。殿下でしたら」
「シルヴァンだよ、ミーティア。殿下はいらない。」
「……シルヴァン様でしたら他にいくらでも美しい花をお選び頂けるでしょう。」
笑っていない目で訂正されたので仕方なく言い直した。どうしてニーナはニーナ嬢なのに私は呼び捨てにされているのか。それに王太子と踊ったりしたら注目の的じゃないか。国中の貴族が集まる場なのだから人の数も学園の比ではない。……エスコートがウィルお兄様の時点で今更な気もするが。
「君は相変わらずつれないね。でも残念。僕は花より美しい存在を見つけてしまったんだ。それじゃ、楽しみにしているよ。」
「……!」
殿下は私の手を取って見せつけるように上目でキスを落とした。初めて受けたその貴族の挨拶とあまりの色香にくらくらする。立場上美男子には慣れているつもりだが、こんな風に女性扱いされたことなどなかった。動揺を隠せない私を見て楽しそうに目を細め、満足した様子で優雅に去っていった。
「ティア、大丈夫……?ごめんなさい、ティアが来る前に私が何とか誤魔化せたらよかったのだけど。」
「ニーナのせいじゃないわ。殿下は私の顔を見てすぐ気づかれたようだから遅かれ早かれこうなっていたと思うの。」
「あの方、随分ティアにご執心の様子だったけど……ティアは乗り気じゃないのよね?ウィルフリード様やルーカス殿下にご相談してみる?」
「いくらお兄様達でも隣国の王太子殿下のお誘いを無下にすることはできないわ。それにただの戯れですぐに飽きるわよ。いつもたくさんのご令嬢を連れ歩いていらっしゃるそうだから。」
きっとお忍び風の令嬢が公園で歌っているのが珍しかったのだ。ダンスの一曲くらいは諦めるしかない。運動は苦手だが幸いダンスは重点的に練習しているので恥をかくことはないだろう。……多分。




