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出立と殿下の来訪

「……ん。」


 天蓋越しに感じた暖かい光に、揺蕩っていた意識が浮上する。一拍間を置いてから目を開き数度瞬きをすると、重たい体をすっと起こした。昨晩なかなか眠りにつけなかった体は更なる睡眠を欲していたが、頭ははっきりとしている。


 まだ朝も早い時間、簡単に身支度を済ませると自室を出て主庭の一画へと向かった。約1年半前、ルークお兄様が突然現れたパーゴラだ。

 そのとき目の前に広がっていたのはコスモスと紅葉だったが、今はネモフィラと菫が咲いている。よく行く中庭とは別にここを散歩コースの一つにしていたら、庭師達が季節毎に植える花の希望を尋ねてくれるようになったのだ。その心遣いに感謝しつつ、遠慮なく好みの花を伝えている。


 ベンチに座って自室の本棚から持ってきたノートを久しぶりに暫く眺めていると、背後から近づいてくる足音がした。


「ミーティアお嬢様、おはようございます。今朝はこちらでしたか。」


 予想していた人物に声をかけられて、もうそんな時間かと少し驚く。そんなに集中して読んでいたわけではないが、随分長い間それを見つめていたらしい。眠りが浅かったこともそうだが、やはり緊張しているのだろうか。


「おはよう、ソフィー。ごめんなさい、探させてしまったかしら。」


「大丈夫ですよ、まっすぐ来ましたから。お嬢様は大事な日や特別な日の朝は中庭ではなくこちらにいらっしゃることが多いので。」


 そうだったかな。言われてみればそんな気もする。プライベート空間であるはずの中庭よりも、こちらの景色の方がなんだか落ち着くのだ。以前は悩んだ時にが多かったが、ルークお兄様と過ごしてからは緊張した時や気合いを入れたい時にも訪れるようになった。前世に近い景色がどうというよりも、その時の記憶が私に力を与えてくれるから。


「ふふ、そうかも。ありがとう、そんなところまで見ていてくれるのね。……ねえソフィー、楽しかった?」


「え、ええ。1週間もお休みを頂いて、本当に感謝しております。」


 頬を染めてはにかんだソフィーはとても幸せそうなオーラを纏っていた。


 実はこの1週間ソフィーは休みを取って新婚旅行に行っていたのだ。1年間の交際の後に男爵様に認められて婚約し、私の入学を前に結婚した。


 貴族令嬢にしては結婚が遅かったこと、貴族と平民の身分差婚であることを理由に結婚式は挙げないと決めていた二人の為に、旅行前には公爵家内でささやかなパーティーを開いた。フランツのご両親や男爵家の方々はもちろん、公爵家の使用人達も皆参加してくれたことで、ささやかと言いつつもかなり賑やかな会にはなったが。後はヤン力作の特大ウェディングケーキが印象的だった。


「それならよかったわ。でも本当にいいの?遠くないとはいえ、結婚早々に離れ離れだなんて。せっかく使用人棟でも家族用のお部屋に移ったのに。」


「お嬢様、何と仰られましてもこれだけは譲れませんよ。フランツも分かってくれていますし、ギードのように定期的に公爵邸と行き来することもできますから。」


 ソフィーは今日から学園寮で私と一緒に暮らすことになっている。新婚の二人を引き離すのはと何度かやんわり説得したのだが、絶対ついていくの一点張りで意志を曲げなかったのだ。

 申し訳なさは募るがやはりソフィーがいてくれるのは嬉しいのでこちらも強くは出られない。こうなったら二人のお休みを調整して出来るだけフランツと過ごせるようにしよう。


 その後ソフィーに急かされた私は朝食を食べた後、荷物の最終チェックと身支度で慌ただしい時を過ごした。一通りの準備を済ませると、私は一度姿見の前に立った。


 シュテルン学園の制服は胸元で切り替えのあるワンピースドレスだ。

 ぴったりとした上半身とは反対に、ミモレ丈のスカートは腰の辺りからふわっと広がっている。男性の制服に合わせた色合いで、上は白、切り替え部分から下はネイビーブルー、スカートは白、そして裾の部分に黒の細いレースが装飾されている。リボンは自由なので日替わりだが、今日は髪色に合わせた淡いピンクが用意されていた。


 記憶にある通りの制服。大人可愛いといった雰囲気で好みの格好だが……。


「これは太れないなぁ……」


 どうしてこんなに体型が出やすいように作ったのか。幸いミーティアの体は華奢だが、少しでも太ればすぐに分かるだろう。胸元もやや寂しい。ローザフィア様を思い出すとかなり落ち込む。

 これはほどほどに身長がある人の方が似合う制服だ。まさにニーナのような。


 なるほど、ヒロインのための制服だと思えば諦めもつく。私は一つ溜息をこぼすと、両親の待つサロンに向かった。


 今日はお父様もお母様も朝からずっと屋敷にいてくれて、準備を済ませた私と一緒に過ごし別れを惜しんでくれる。

 お兄様ほど忙しい身でもないので時々は帰ってくるつもりだが、次がいつになるか分からない。子供達が二人とも家を出るのだ。お兄様が来年には卒業して戻ってくるとはいえ、やはり寂しいのだろう。


 両親が私を挟んだ状態でソファーに座って暫く和やかに歓談していたのだが、途中から何故かお父様が心配症を発病させた。


「ティア、学園は広いから迷子には気をつけて。学びの場ではあるが、勉強は程々に。普段頑張りすぎているんだから。公爵令嬢に無礼を働く人間はそういないだろうが、警戒は怠らないこと。特に男性には注意するようにね。寂しくなったらいつでも屋敷に帰ってくるんだよ。それから……」


 泣きそうな顔で私の手を握ったまま捲し立てるお父様に困惑する。

 お父様がこんな風になるのは初めてだ。2年前はお兄様を止めようとしていたのに。分かりましたと返事をしてもクドクドと繰り返されて困り果てていると、お母様が仕方がなさそうに笑ってそれを止めた。


「リアム、そのくらいで止めましょう。仕方ないわ、ティアちゃん。ティアちゃんが心配だからというよりも自分が寂しいだけなのよ。小言を言うことで抑えようとするなんてウィルそっくりだわ。やっぱり親子ね。」


「……ウィルほど酷くはないぞ。」


 なるほど。お父様は普段細かく言ったりしないのに何故と思っていたら、寂しさの表れだったらしい。拗ねたようなそのお顔は確かにギードに諫められた時のお兄様にそっくりだった。

 そんなお父様を見てお母様と一緒にクスクス笑っていると、少し慌てた様子の執事長がお父様に何事かを告げた。


「……?」


 何だかこの状況に既視感があるような。


「それは本当か?……ティア、第二皇子殿下がこちらにいらっしゃっているそうだ。二人とも、急いで玄関ホールに行こう。」


「え、アルが?分かりましたわ。」


 そうか、ウィルお兄様の出立日と同じ展開なんだ。でもアルが一人で訪ねてくるなんて珍しい。いつもルークお兄様と一緒でないと来ないのに。


  ◇◇


「ようこそお越しくださいました、アルドリック第二皇子殿下。」


 2年前と同じように、使用人も総出でお出迎えをする。毎度の事ながら、この広い邸内のあちこちに散らばっていた使用人達が短時間でホールに集合できるのはすごいと思う。


「あ、ああ。公爵、急にすまなかった。兄上もいないし私用だから使用人は解散させてくれ。」


 アルは大袈裟な歓迎を嫌う。ルークお兄様が一緒の時ならまだしも、自分一人でこの数に囲まれるのは耐えられないのだろう。嫌そうな顔が隠し切れていない。今までアルだけで訪問することはなかったから、こちらもいつも通りの対応になってしまった。


 その言葉を受けてすぐお父様が使用人を解散させている横で、私は久しぶりに会うアルの姿を驚愕の眼差しで見つめていた。


 15歳のアルは可愛らしさを残しつつも男性らしく精悍な顔立ちになり、男性用の太めのリボンタイと皇室の紋章が入った飾りがよく似合っている。飾りはきっとルークお兄様とお揃いだろう。仲の良い兄弟だ。でも、そんなことよりも。


 ……身長伸びてる。


 成長期なのだから当たり前だ。でも夏に皇城で会った時にはここまで差はついていなかった。


 私だってこの数ヶ月でそれなりに成長したのに。身長も胸も、ゲームのミーティアより育っている……と思う。だが元々ミーティアの身長は平均以下の設定。中身のおかげか多少変わったとはいえまだ全然平均に届いていないのだ。


 お兄様達に比べるとアルは低い方だが、それでも私との差は歴然だ。ゲームで知っていたとはいえ、同い年の幼馴染相手にこれは何だか悔しい。ただでさえ先程鏡を見て落ち込んだばかりなのに。


 アルはアルで惚けたように私を無言で見つめていたが、暫くして私の不機嫌な様子に気付いたらしく近づいて声をかけてきた。


「久しぶりに会うのに何でそんなムッとした顔をしてるんだ。突然来たから怒ってんのか?」


「……何でそんなに身長伸びてるの。」


「は?」


 八つ当たりのように発した低めの声に一瞬眉を顰めたアルは、少しの間の後私が何を言いたいのか理解したらしくニヤニヤと笑った。そしてわざとらしく私の頭に手を置いて、ポンポンと叩く。


「おまえが縮んだんじゃないのか?」


「……。」


 あまりにもイラッとしたので、頭に置かれた手をべしっと少し乱暴に払いのけた。

 アルの憎まれ口は大抵優しさの裏返しか、ルークお兄様を巡っての嫉妬からくる反発だと分かっているが、単純に私を揶揄うのも楽しんでいるのではないかと思う。


「冗談だよ。おまえも見ない間に大分変わったな。中身は変わってないようで安心したが。あと、その。……制服よく似合ってる。」


 最後の台詞には照れたようで顔を背けて小声になっていたが、しっかり聞こえた。そう優しく言われると怒りが続かないではないか。そもそも八つ当たりなのだけれど。

 中身は変わってないという部分に物申したくはあったが子供のような対応が恥ずかしくなってきたので、こちらも軽く目を逸らしてお礼を言うに留めた。


「アルもとても似合っているわ。それで今日はどうしたの?珍しいわね、一人で来るなんて。」


 公爵家と皇族の入寮順は最後。今年は対象が2人しかいない上に男子寮と女子寮で分かれる私達の出発タイミングが合うのは当然だ。きっと早めに出て学園に向かう途中で寄り道してくれたのだろう。どうせなら一緒に行こうということだろうか。

 しかしお兄様の時はルークお兄様が迎えに来て一緒の馬車に乗っていったが、婚約者でもない私達がそれをすると目立ってしまう。


「別に。通り道だったからちょっと顔を見に寄ってみただけだ。不器用なおまえは何かきっかけがないと出発できないかと思ってな。」


「あ……。」


 両親の寂しそうな顔に引き摺られて出発時刻が近づいても動きにくくなっていたのを予想されていたようだ。どこまでも優しいアルに完全に毒気が抜かれ、落ち込んだ気持ちが浮上した。


「ありがとう、アル。一緒には行けないけれど、すぐに出発して後ろから付いていくわ。時間が合うのだもの、偶々馬車が並んでしまってもそれは仕方がないわよね。」


 悪戯っぽく微笑んでみせると、アルも楽しげに笑い返してきた。その笑顔に背中を押された気がして、そのまま両親にお別れの挨拶をする。


「お父様、お母様。行ってまいりますわ。お手紙も書きますし、落ち着いたらまた帰ってきますね。先程のお言葉にはしっかり気をつけますから、どうかあまりご心配なさらないでください。」


「ああ。首を長くして待っているよ。行ってきなさい。」


「いってらっしゃい、ティアちゃん。体には気をつけて。ソフィーも、ティアちゃんをどうか宜しくね。」


「畏まりました。お嬢様を誠心誠意お守り致します。」


 アルがいるおかげか、お父様も落ち着いてくれたようだ。さすがに皇族の前で泣き出したりは宰相として出来ないのだろう。二人はそれぞれ一度私を抱き締めた後、馬車が出発して見えなくなるまでずっと見送ってくれた。


 下位貴族の入寮は早朝。ヒロインが校門に立ったところがスタートなのだから、既にゲームは始まっているはずだ。オープニングのスチルが見られなかったのは残念だが、当日はチュートリアルだけで何かが起こるわけでもない。今日は邪魔をしないようニーナには会わず、明日以降に備えておくことにしよう。


 小さくなっていく屋敷を眺めながら、私はひっそりと決意を固めるのだった。


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