お嬢様の奔走と兄の社交デビュー (3)
※後半はソフィー視点です。
公爵邸に帰ってランチを食べた後、お兄様は夜会の準備に入った。
男性は女性ほど支度に時間をかけないが、それでも初めての夜会だ。やることは多いとギードを筆頭に使用人達が張り切っている。
そしてその隙に私は事前に計画していた、あることを決行したのだった。
「え、お嬢様。これはいったい……?」
ソフィーに渡したのは、お母様に急遽用意してもらった総レースのワンピースドレス。明るすぎないライトブルーは清楚美人のソフィーによく似合うはずだ。それにスカート部分の生地がとても軽いので、歩くとふわふわと揺れて可愛さも兼ね備えている。
「これに今すぐ着替えて。質問は後でね!」
ソフィーを衣装部屋に押し込み、有無を言わさず着替えさせる。彼女が着替えて出てくると、今度はドレッサー前に座らせた。
ヘアアレンジとメイクを施していく。ソフィーのようなプロと同じようになんて到底できないが、これでも元専門学生。手間をあまりかけずお洒落に見える方法の研究は欠かさなかった。淡々と髪を巻いていく私に、ソフィーは驚きを隠せない様子だ。
スカートに合わせ毛先がふわっとなるようなハーフアップにすると、生花で飾り付けていく。メイクは控えめに、でも明るい色で。最後に優しく仄かに甘い香水を吹き掛けて完成。
「できたわ!凝ったものでなくてごめんなさい。靴はこれを履いて、一緒に中庭に行きましょう。」
薄いピンクベージュのヒールを渡し、転ばない程度に引っ張っていく。他の使用人はお兄様の部屋に集まっているし、それ以外にもお母様に協力してもらって廊下ですれ違ったりしないようにしてあるのだ。
そうして中庭のガゼボに到着すると、長椅子に並んで座る。陽が暖かく、そよ風が春の華やかな香りを運んでくる。誰にも邪魔されない場所として都合がよかったが、雰囲気的にも正解だったようだ。
「ごめんねソフィー。強行手段だったわね。」
「いえ、そんな。それはいいのですが……。お嬢様、ヘアアレンジやメイクなんてできたのですね。とても驚きました。」
「え、えっと。普段してもらってたのを何となく覚えていたの。見よう見まねなのよ。それでねソフィー。着飾った貴女は今侍女ではなく、ひとりの女性よ。その姿、誰に一番に見てもらいたいと思う?」
「え……。それは。その。」
先程からずっと当惑していたソフィーの顔が、じわじわと赤くなっていく。はっきりとした返事はなかったが、それでかまわなかった。
「もし違っていたらごめんなさい。貴女は自分が彼より年上だからって意固地になっているのではなくて?」
「……っ!!」
「でもね、彼はそれも引っくるめて全部のソフィーが好きなんだと思うわ。私もそうだもの。しっかり者で姉のように優しく見守ってくれて、でも素直になれない可愛らしさも持っている、そんなソフィーが私は好きよ。でも今日だけはそのドレスの甘さにつられてもいいんじゃないかしら。」
そこまで言うと、長椅子から私は立ち上がった。
「男爵様から伝言よ。『会ってみて判断するから、好きなら連れてこい。』」
座ったままのソフィーが息を呑む音が聞こえた。私が立ち上がっても動かないのは珍しい。
「それとね、私は公爵令嬢よ。嫁ぎ先は少なくとも伯爵家以上の身分の男性になるでしょう。専属侍女と料理人、どちらも連れていきたいわ。無理にとは言わないけどね。」
言いたいことは全部言った。後はふたり次第で、もしダメだったらどちらかに責められる覚悟もできている。
「10分後、ここに彼が来るわ。会いたくないならそれまでにここから離れてちょうだい。それから1時間はふたりとも休憩よ。私は厨房にいるわね。」
最後にソフィーを軽く抱き締め、精一杯の応援の気持ちを込めて微笑みかける。どうか素直に伝えられますように。
そのまま振り返らずそこを離れた私は、今度は中庭近くの扉前で待機していたフランツに笑いかけた。華美すぎない盛装がよく似合っている。
「お嬢様、親父にここにいるよう申し付けられましたが、これは一体……?」
「中庭のガゼボに行ってみて。道なりに進んだら奥にあるから。もし誰かいたら、お話相手になってあげてちょうだい。」
宜しくね、と背中を押して中庭に向かわせる。それを見送ってから、私は厨房に向かった。
中に入ると、そわそわしたヤン師匠に出迎えられた。ふたりの様子が気になっているようで、こちらまで気が逸りそうになるが、1時間以内にやっておかないといけないことがある。
「さあ、始めるわよ。今日もよろしくお願いね、ヤン師匠。」
私はふたりが戻ってくるまでの間、お兄様のデビュー祝いと平行して、もうひとつのお祝いのためのスイーツの準備をするのだった。
◇◇
いつからお嬢様はあんな強引な方になったのだろう。最近のお嬢様にはよく驚かされてばかりだ。
愛らしくて優しくて、気遣い屋のお嬢様。公爵家の血筋らしく優秀で特別な瞳を持つ御方。でも彼女は能力はあってもどこか頼りなく、他人に対し人一倍警戒心が強く臆病なのに、それが一度解けると人懐っこくて危なっかしい。
ずっと見守ってさしあげないとと思っていた。だけど、先程の彼女の表情はまるで。
「あの……?」
かさっという音とともに、後ろから声を掛けられる。間違いない、ずっと昔から聴いてきた優しい彼の声だ。反射的に座ったまま振り向くと、戸惑いの色を含んでいた彼の目はみるみる見開かれていった。
「ソフィー……?どうしたの、そんな格好で。あ、いやとても似合っているよ。着飾ったソフィーなんて初めて見た。僕はお嬢様に言われて来たんだけどー……あ、お話相手ってそういうことかな。僕に気を遣ってくれたんだろうな。」
後半は俯いてぼそぼそと呟くように言っていたが、不思議とよく聞こえた。どうやらお嬢様はここに誰がいるかまでは言わず、お話相手になってと送り出したらしい。
顔を上げた彼は、私に向かっていつものようにふわっと笑いかける。そう、いつものように。数ヵ月冷たく接してきた私に対して、何度もその笑顔を向けてくれた。
「隣、いい?」
ドクンっと胸が跳ねるのを無理やり押さえ込んで頷く。今すぐ逃げ出したくなるが、お嬢様が与えてくれた猶予時間にここを離れられなかった時点で私の負けなのだから。
彼はお嬢様が座っていた場所より少し遠くに、私から距離を開けて腰かけた。その距離の遠さと見慣れない服のせいで、いつも彼から感じていた温かいスープの香りが消えていて、より一層落ち着かなくなる。
「ははっ、そんな綺麗な格好のソフィーが隣にいたらやっぱり緊張するな。すごくご令嬢って感じがするし。」
「……私はいつものお仕着せの方が好きよ。」
抑揚のない声で可愛げのないことしか言えない自分にうんざりする。
やはり年上で意地っ張りな、誰かのお世話をすることしか能がない私を好きだなんて間違いではないのか。お嬢様はああ言ってくださったけど、男性はお嬢様のような、新人侍女のカミラのような、素直で可愛らしい女性を好むものではないのか。
だけど彼は、そうだと思ったと笑っただけだった。
「僕はいつも、お仕着せのソフィーに助けられてきた。子供の頃、寡黙な親父に野菜の皮剥きばかりさせられて、手に切り傷いっぱい作って泣いていた僕の手当てをしてくれた。頑張っても褒められもしない料理を嫌いになりかけた僕に
『フランツの料理はとても温かくて優しい味がする』と笑って褒めてくれた。
『厨房でのお父さんの行動を観察してみて。その温かさが貴方とよく似ているわ』と言葉が足りない親父の行動の優しさも教えてくれた。
だから僕は、料理が自分にとってなくてはならない大切なものだと知ることができたんだ。」
懐かしそうに目を細めながら忘れかけていた思い出話を語られて、なんだか恥ずかしくなってくる。弟として接していたあの頃はそんな素直に言えていたのか。
「ソフィーはいつだって大切な女の子だった。でもお嬢様のことが大好きな君はいつか離れていってしまう。それが分かっていたから告白したんだ。お嬢様がここを出るまでまだ5年はある。それまでに男を磨いて、ちょっとずつ意識してくれればいいなって。僕は君の隣で料理ができればそれでいいんだ。だから、そんな辛そうな顔で無理に諦めさせようとしないでよ。」
意識なんて、とっくにしてるのに。そんな眉を下げて悲しそうな顔で笑わないで。弟としか見られないと彼に告げたのは私なのに、知られていないことに悔しくなってくる。
彼は、お嬢様についていきたい私ごと受け入れてくれると言っているのだ。その気持ちに答えなければいけないのに、言葉が出ない自分がもどかしい。早く早くと焦り、意地っ張りな自分は消えてしまえと追い払おうとする。
思わずスカートを握りしめてしまい、薄い生地のそれは手の中で簡単にシワになる。すぐに手入れをしなければ、と場違いなことを考え――
『今日だけはそのドレスの甘さにつられてもいいんじゃないかしら。』
『彼は全部のソフィーが好きなんだと思うわ。』
そうか。変えなくてもいいんだ。私は私のままでも。ただ少し、この香水の仄かな香りに引かれるように足を一歩踏み出せばいいだけ。
先程の彼女の笑顔はまるで――
「……また食べたいわ。」
「え……?」
「温かくて優しい、貴方の料理。」
「も、もちろん!いつだって作るよ。」
本当に嬉しそうに顔を緩ませる彼につられて、もう一歩。遅れてついてきた、ふわっと揺れるスカートのように甘く。
「これからも、どんな場所でも。――貴方の隣で。」
幼い頃私を導いてくれていた、姉のようだったから。




