執務室の出来事 (2) ※ルーカス視点
「なんだあれ、こええ。もしかしてティア、ウィルがああなるの分かってて俺を止めてたのか?俺まずったかな……。」
ゆっくり俺の隣に位置を戻しながら後頭部を手で掻くアルは、この後苦労するであろうティアを思い浮かべ申し訳なさそうな顔を浮かべる。
しかしそれは一瞬のことで、切り替えるように首を一度横に振ると今度は珍しくやけに真剣な瞳で俺を見つめた。心からティアを案じているようなその表情がやけに大人びていて、少し胸がざわりとする。
「なあ、兄上。俺あの女がまくし立ててるの見た時、ティアは怯えて震えてると思ってたんだ。ティアはああいう悪意にも慣れてないはずだ。助けに入ってやらないとって頃合いを見計らってたんだ。
けどあの女の言葉をまるで言われて当然かのように受け止めてさ。それがやけに冷静に見えて。でも俺に聞かれてたって分かったら顔を真っ青にして座り込んで。俺のいつもの軽口で気が抜けたのかやっと涙ぐむくらいだ。傷つかなかったわけじゃないんだろ。なのに大丈夫だって笑ってて。
強くなったって言ったらそうかもしれないけど……どこか思い詰めてるというか、肩の力が入りすぎてるって感じがした。」
思い詰めてる、か。ひと月前も駄目なところがあったら教えてくれなんて頼まれたな。随分大人っぽい事を言うようになったのだなと思っただけだったが、思い返してみればあれもどこか切羽詰まったような様子だった。
「分かった。ティアのことは俺が気にかけておく。――それにしてもアル、珍しくティアに優しいな。久しぶりに会って惚れでもしたか?」
昔からアルはティアの世話をやきながらもどこか反発する態度を取っていた。好きな子に意地悪したくなる心境なのかと思い聞いてみたことはあったがそうではないと否定する。だがそれが本当なのか照れ隠しなのかは分からなかったし、昔と今では違うかもしれない。
そう尋ねると、アルは顔を真っ赤にして否定した。
「そんなんじゃない!ただ俺の幼馴染が自信なさげで嫌だっただけだ。――それより兄上こそ、ティアのこと何とも思ってないのか?ティアは別に兄上の妹じゃない。身分的にも別にティアが皇太子妃になったっていいんだ。本当にあのフォルモント公爵令嬢と婚約するつもりなの!?俺は大事な兄上があんな女と結婚して欲しくない!」
ゴンっと執務机を叩いたアルの右手にはかなりの力が入っているらしく、ぎりぎりと音がなる。
アルがローザフィア嬢を嫌っていて婚約に反対なのは知っていた。だがそれを口に出せる立場ではないと必死に抑えていたことも。それでも今こんな風に言い出したのは実際に現場を間近で見たからだろう。
だがアルがまさか、ティアを引き合いに出してくるとは。アルは知らないことだが、ティアを皇太子妃に縛り付けることはできない。ティアが望めばその限りではないが、権力に固執しないティアがそれを望む理由はない。
ティアが妹でないのはもちろん分かっている。しかし誰より見守ってやらないといけない子なのは確かなのだ。それには妹として傍にいるのが一番だし、側近の妹なのだからそれが自然だと思っていた。だから初めて会ったとき可愛らしいティアを見て嬉しかったのだ。
「ティアを政略結婚で皇太子妃にすることはできない。これはティアが幼い頃から皇室と二大公爵家で決定していることだ。ティアがなれない以上、身分的にも能力的にも問題がなく、家の力が強いローザフィア嬢が婚約者になるのは必然だ。おまけに彼女は母上の姪だ。すでに彼女は皇太子妃教育を受けている。性格に問題がないとは言わないが、まだ何かの大きな問題を起こしたわけではない。」
「それってティアが望めば問題ないってことだろ!?兄上がもしティアを好きになれたら、ティアを口説いて恋愛結婚にすればいい!それにティアじゃなくても、兄上が好きになった人ならきっと――。」
「アル。俺は恋愛など分からない。期待しないでくれ。それに好きになれたとして、その女性が身分的に釣り合わなかったらどうする。俺は母上のような人を作るのはごめんだ。」
「……っ!ごめん、兄上……。」
「いや、おまえが謝ることではない。ローザフィア嬢がおまえやティアに手を出さないようこちらも気を付けておく。それと皇太子妃教育として貴族や平民への接し方を学ばせるようそれとなく母上にも頼んでおくよ。」
なるべく安心させるように穏やかにそう言ってやると、落ち込んだ様子で部屋から退出していった。
――アルには悪いことを言ってしまった。
母上は政略結婚で皇后となった。
決して望んでいたわけではなく、打診された当初は渋っていたと聞いている。だが元々父上と友人関係にあった母上は、父上と皇妃殿下が愛し合っているのを知っていた。元々自分の能力を活かす場を探していた母上は悩んだ末、ふたりのためにも皇后になる決心をしたのだという。そうして国にも、父上や皇妃殿下にも、そしてその息子にも尽くし続けた。
母上が自ら決心し、父上に提案したことだ。アルが悪いわけでも、もちろん皇妃殿下が悪いわけでもない。父上も愛した人と添い遂げたかっただけだろう。皇妃殿下を愛したのは母上との婚約の打診前だから、不誠実だったわけでもない。実際父上は精一杯母上を皇后として遇し、尊重している。母上もそれに応え、素晴らしい皇后となった。
だが、だからといって母上が強い人だったわけではないのだ。愛されない結婚に悩み、皇妃殿下やアルの待遇を申し訳なく思い、日々を頼りなく寂しく感じていたことを俺は知っている。そして皇妃殿下も公の場にもお茶会にもほとんど出られず、アルは継承権問題を抱え現在も苦労している。
決して推奨されていなかった重婚制度を使い、これで得られたものとはなんだ。人を愛した結果、皆が複雑な状況に身を置いているではないか。
皇太子が恋愛などするものではない。政略結婚で確かな身分の令嬢と寄り添い、後々愛せるよう努力できればそれで良い。愛する気持ちが結局分からなくとも、皇后のみを重んじ愛しているかのように振る舞えれば母上のように寂しい思いをさせることもないだろう。
アルの気持ちはありがたいが、今の俺に恋愛など到底叶わないであろうな。ティアと俺との結婚を勧めるアルが、結局ティアのことを本当はどう思っているかも分からないようでは。
ああでも、あの時レオンの気持ちだけは俺にもはっきり分かったな。人が恋に落ちる瞬間とは、あのようなものなのか。少し羨ましいと思うのは、先程の会話に影響されているのだろうか。
ティアももうすぐ年頃の女性だ。これから数多くの男が彼女に注目し、恋に落ちることだろう。ウィルのことを考えると簡単にはいかないだろうが、ティアには望む相手と添い遂げてもらいたい。アルでもレオンでも、他の男でもかまわない。
俺にとっても皇室にとっても、おそらく国にとっても大事なティアを幸せにしてくれるのならば。
俺はいつの間にか見上げていた窓の外の星空から目をそらすと、明日のためにも残りの書類に専念するのだった。
ゲーム内ではシュテルンブルーメ公爵の許可が下りず、皇后のお茶会でティアが悪役令嬢と出会うことはありません。
悪役令嬢のティアに対する暴言を、アルが学園入学前に聞くこともありません。




