お兄様の出立日
ついにお兄様の出立日がやってきた。今日は朝から屋敷中が慌ただしい。
唐突な全寮制への移行ではあったが、在校生は昨日までに入寮を終えているらしく、今日は新入生だけだ。その中でも順番があるようで、下位貴族は朝も早い時間から荷物を運び始めないといけない。公爵家や皇族は午後からようやく開始し、お茶の時間が始まるまでに終了するそうだ。
学園は皇都内にあるが中心地から少し離れている。
とはいえ昨年度まで余程遠方でない限りは、皆屋敷から通学していたのだから遠いという程でもない。予定が空けば週末の度に帰ろうと考える人も多いだろう。
多くの使用人が馬車の用意や荷物の最終確認をしている前庭の噴水の側で、私はお兄様の準備が終わるのをそわそわしながら待っていた。
両親と一緒にサロンにいることもできたが、とても座っていられる気がしなかったのだ。寂しいのはもちろんだが、それ以上にシュテルン学園の制服を着たお兄様が見られると思うと全く落ち着かない。
「うふふ、ミーティアお嬢様。今朝まではあんなに寂しそうになさっていたのに、そんなにそわそわなさって。余程若様の制服姿が楽しみなのですね。」
「ええ、だってとても素敵だと思うわ。ウィルお兄様は格好いいもの。」
公爵邸正面にある大きな噴水前をうろうろとしていたのを立ち止まり、両手を合わせて叩きながらソフィーを見上げる。
「そうでございますね。若様は御当主様に似て秀麗でいらっしゃいます。」
「お兄様、学園でもおモテになるでしょうね。デビュタントももうすぐだもの。きっとたくさんの人とダンスするでしょうに、私とは公式の場では2年後までお預けよ。それにそれまでにご婚約者ができたら、ファーストダンスの機会もなくなってしまうわ。」
ゲームのストーリー上それはないのは分かっているが、安心はできない。どちらにしても私のデビュタントまでは着飾ったお兄様の踊っている姿を見ることはできないのだ。
ぷぅっと顔を膨らませていると、背後から突然誰かに頬をつつかれた。
「僕のお姫様は嬉しいことを言ってくれるね。安心して。ティアのデビュタントのエスコートは必ず僕がするつもりだからね。それまで婚約するつもりは全くないよ。だからその可愛い頬を仕舞って。」
「ウィルお兄様!」
振り返ってすぐ目に飛び込んできたお兄様の姿は、少し幼いし身長もまだ伸びきっていないが、それ以外はゲームのウィルフリードそのものだった。
白に近いグレーのシャツ、光沢のあるネイビーブルーのベストの上には、肩や襟、縁などに金が入った白のモーニングコート。それに漆黒のトラウザーズを合わせることで、全体的に華美すぎず、洗練された印象を受ける。首元に巻かれているのは少しだけレースのついたクラバットだ。確か規定がないタイやピンなどの飾りで、皆それぞれ個性を出していた気がする。
「お兄様、制服とってもよく似合っているわ!絵姿に残して飾りたいくらい。エスコートのお約束は嬉しいけど、こんなに素敵なお兄様を独占してしまうのは申し訳ないわ。お兄様の恋の邪魔をしたいわけじゃないのよ。」
「分かっているよ。でも僕はティア以上に可愛くて大事な子なんて見つけられる気がしないからね。」
「本当にウィルフリード様は、呆れるくらいミーティアお嬢様のことばかりですよ。これではご婚約なんていつになることやら。本日は学園生活への期待が高まる大切な日のはずなのに、お部屋ではお嬢様と離れたくないとしょげるか、お嬢様の制服のご感想を気にするか。シスコンも大概になさりませんと、せっかくのイケメンも台無しです。」
「……うるさいギード。余計なことを言うな。」
後ろに控えていたギードは大きく溜息を吐き、やれやれといった仕草をする。
実はギードはわりと辛辣だったりする。それもお兄様相手に限り。
幼い頃から私のことで暴走するお兄様を、その都度抑えてきたからだろうか。そしてお兄様もそんなギードだからこそ信頼して学園にも同行させるのだ。
「ギード、お兄様をよろしくね。お兄様は優秀だから心配なんていらないでしょうけれど、お兄様にとってギードの支えは大きいと思うわ。」
ギードの手を両手でとってぎゅっと握りながら目を見つめると、ギードはとても嬉しそうに破顔した。しかしすぐに意地悪そうな顔をお兄様に向けた後、芝居がかった仕草で大きく一礼する。
「お任せください、ミーティアお嬢様。ウィルフリード様が立派な公爵家跡取りになられるよう、私が全身全霊をかけてお支えします。さしあたっての私の任務は、側近の仕事を放り出して週末毎に公爵邸に帰ろうとするウィルフリード様の捕獲ですね。」
やはりギードはお兄様をからかうのが大好きなのだ。きっとそうは言いつつも、何回かに一度は帰宅の手助けをしながらお兄様の暴走のコントロールをするのだろう。
お兄様はそんなギードを恨めしそうに睨むと、いつものように私の頭を撫でる。
「随分大人びた事を言うようになったんだね、ティア。あまりギードを調子に乗らすな。」
その後サロンに移動し出発時間まで学園について歓談していると、途中からお兄様の心配症が発病した。
「ティア、朝の散歩をするときは足元に気をつけるんだよ。最近勉強も随分頑張っているようだけど、根を詰めすぎないようにしてね。危険な魔法の練習はしたらいけないよ。あとこの前からよくやり取りしているフライハルト商会のカイ殿とは決してふたりきりにはならないように。夜は夜更かしせず早めに寝ること。何かあったらすぐに呼んでね。それから……」
「あーーウィル。もうそのくらいで止めたらどうだ。そんなに心配しなくても、ティアはこの1ヶ月で大分しっかりしてきたじゃないか。体力も少しついてきて転ばなくなったし、商会に新作のアイデア出しまでしているんだぞ。」
「だからこそですよ父上。行動範囲が増えると危険も増すでしょう。用心するに越したことはないんです。」
お父様が止めようとしてもお兄様はクドクドと繰り返すし、一家揃ったこの場ではさすがにギードも口を出さない。お母様はそんな2人を見て、仕方がないわねぇと笑っているだけだ。
こういうときのお兄様は私が素直に頷いていても長い。
心配は嬉しいが、カイの件など身に覚えのあることもあり耳が痛いので何とか話をそらせないかと思っていると、少し焦った様子の執事長がお父様に何事かを告げた。
「それは本当か?……ウィル、皇太子殿下が学園に向かう前にわざわざこちらに来てくださったそうだ。急いで皆で玄関ホールへ行こう。」
「殿下が?分かりました。」




