あなたをボコりますわ、実力で。
そして、いよいよ待ちに待ったデビューパーティー当日。
やはりというべきか、前世のときの記憶と同じく、日程や参加者は何一つ変わっていない。やり直しているというより、未来を知っている感覚に襲われる。
前世の当時の私にとって、これが人生最初の社交界デビューであり、同時に最初で最後のチャンスだったかもしれない。――いや、今のは語弊があるわね。女神様によって十五歳に戻っているから、厳密に言えば二度目、かな?
「わぁ、大勢の殿方ががが……ッ! なんだかすごく緊張しますわ……」
私の隣に、高級なドレスに身を包んだ前世の私の親友――今も親友だけどね――ダリアン・ドゥ・ファイブライズ候爵令嬢があわあわしながら、落ち着かなくキョロキョロしている。
若干パニックになっているようだけれど、前の記憶がある私は知っている、彼女はこのパーティーの後、婚約者見つけたと喜んで報告してくる。安心させるように、私は彼女に優しく語りかける。
「大丈夫、ダリアン、今日の貴女はとても可愛いですわ。自分に自信を持ちなさい」
「そう、なのかな……? ううん……そうよね。そうですよね。……ありがとう、ございます。ティエラ……様」
うっかり私のことを、ちゃん付けで呼びそうになっているダリアンはぐっと堪えて、言葉を強引に飲み込んだ。
あらあら、十五歳に戻ってきても、その癖は治ってないのね。うふふ、なんだか微笑ましいわ。
幼馴染で親友のダリアンは、年齢が同じということもあり、プライベートでは私のことを、ついついティエラちゃんと呼ぶ癖がある。
前の時でも、ランツェアイル家が没落していく中、彼女はなんとかしようと国王に請願したが、結局聞き入れてもらえなかった。
私は友人に恵まれている、そこだけが、孤独な人生の中で唯一の救いわね。
自分を落ち着かせようと私から離れ、飲み物を取りに行ったダリアン。遠くで彼女と会場の様子を眺めながら、
(ふふ、ふふふ……不幸だった私とは今日でさようなら、ですわ。さあ、ウェルカム幸せな私)
と、ウキウキ臨戦態勢を取る。
幸せになる条件は極めてシンプルで簡単。話しかけられて、相槌を打ち、会話を盛り上げる。それだけだ。
幸い、前世このパーティーで、突っ立っているだけにもかかわらず、かなりの殿方から話しかけられていたので、その心配は不要ね。第一関門、クリアだわ。
(さあ、さあ。私はここにいますわ。記憶が正しければ、最初の殿方がそろそろ登場する時間だわ)
前のときと同じ位置につき、今か今かと待つ。
と、その時だった。青年の柔らかい声が、私の鼓膜をくすぐる。
「やぁ、初めまして」
(来ましたわ!!! 未来の夫を仕留めるよ、ティエラ)
内心の私は獲物がかかったことに思わずガッツポーズしてしまい、大声を上げる。だがその興奮を一切表に出さずに、微笑みを浮かべたまま私は返事する。
「――えぇ、初めまして……私、ティエラ・ド・ランツェアイルと申します、よろしくお願いしますわ。コルト公爵令息アルトス・ド・コルト様」
一字一句を流暢に読み上げ、返事しながらゆっくりと見上げる。
私の目の前に彼――コルト公爵のご令息、アルトス・ド・コルトが立っていた。海原のように揺蕩う金髪、新緑の生命力を思わせるエメラルドの瞳、少年の幼さはまだ残るものの、整った顔立ちは将来の可能性をはっきりと感じさせる。
というか私、この子将来の顔を知っているわ、だって、彼は親友のダリアンの夫だ…………もの……? ――ダリアンの夫!?
「ゴホッ! ゲホ、ゲホ……!」
そこに思い至り、咳き込む。
「ど、どうした?……大丈夫?」
いきなり咳き込む私を、アルトスは心配そうに見つめながら声をかけるが、それに答える余裕はない。ゲホゲホ激しく咳き込みながら、ちらっと横目でアルトスを見る。
――なんで私に声をかけるのよ。アルトス、あなた、ダリアンの夫でしょう!? 彼女に声をかけなさい!
――と、心の中でツッコもうとした瞬間、私の全身に電撃が走り、一つの仮説が脳裏をよぎった。
私はこのパーティーでアルトスに声をかけられた。
最初に声をかけるのは、アルトスだった。
だが私は緊張してしまい、うまく言葉が出ない。
黙っていると、アルトスは苦笑を浮かべてどこかへ行ってしまった。
そして、パーティーの後、婚約者見つけたと報告するダリアン……点と点が繋がり、一つの結論が導き出される。
――”ここでアルトスに返事をしたら、ダリアンの未来が変わってしまう”。
瞬時、脳裏に前世の記憶が走馬灯のように駆け巡る。
結婚式で幸せそうに笑う二人。
子供が生まれ、号泣する二人。
成長したその子に慕われる私。
ランツェアイルが没落していく中で、ダリアンとアルトスは最後まで国王様に私のために頑張り、訴えていた。孤独な人生の中で、それは私の大切な宝物だった。
それを自分の幸せのために、奪うことは――。
私は――顔を上げ、アルトスに笑顔を見せた。
「ああ、良かった」
安心したのか、彼は胸を撫で下ろした。
「……」
「突然咳するから、心配したな。何か飲み物取ってこようか」
優しく尋ねてくるアルトス。相変わらず優しいのね、全く変わっていないわ。
だが私は彼の提案に口を開くことなく、ひたすら笑顔を浮かべるだけだった。
「……」
「そうだ、お腹減ってないか?」
「……」
「……ティエラ? 気分悪いの? もしかして」
「……」
「あの?……」
話しかけても、私は無言のまま笑顔を浮かべているだけ。
自分になにか落ち度があるんじゃないかと疑うアルトスだったが、押しても引いても反応を変えない私を見て、彼は諦めて、私の傍から離れた。
去っていくアルトスの背中を見つめながら、心の中で彼に謝る。
(ごめん。この方法しか思いつかなかったわ。アルトス。私が返事をしたら、未来が変わってしまうかもしれない。あなたとダリアンの幸せな未来が)
同時に私は考える。
先のは、アルトスに限った話ではない。この会場にいる殿方は二十人。令嬢の人数も私を含めて二十人。その二十人の殿方の婚約相手は、同じくここにいる十八人の令嬢。
それはつまり、いくら私が頑張ろうにも、すでに多くの殿方は結ばれている状態。迂闊に手を出すと、未来が変わってしまう恐れがあり――何よりここにいるみんなとは全員、最低でも顔見知り。未来を知ってしまっている”今の私”は、そのすでに決まった未来を変えることは、できない。
まあ、それで諦めたなんて言ってないけど。すでに結ばれているならば、残りの二人にアタックすればいいだけの話。ティエラちゃん賢い、やった。
というわけで、私は残りの二人の姿を探し、見回す。
私の記憶が正しければ、このパーティーに参加していて、なおかつ後に婚約の話を聞いた覚えはない二人――子爵令息のバルドロ・ルゥ・ファルシスアと男爵令息のエリック・カイザー。
外は夜の帳が下り、会場はまさに宴もたけなわな状態に突入し、あちこちで歓談に興じ、意気投合している令息令嬢が続出している状態だった。
二人の姿を探し、辺りを見回す、ついでにちらっとダリアンの様子を窺う。
アルトスが彼女に接近し、話しかけているのを確認し、ホッと胸を撫で下ろす。良かった。きっとうまくいくわ、ダリアン。
心の中でエールを贈り、視線は人垣をかき分け、ようやくターゲットの一人を捉えた。
(――見つけたわ。子爵令息のバルドロ・ルゥ・ファルシスア)
だがバルドロの姿を見た瞬間、真っ先に脳裏に浮かんだのは、前途多難の四文字。
歓談に興じる他の令息と違い、バルドロは人があまり来ない壁際の椅子に一人ぽつんと座り、うつむいて本を読んでいた。
本の世界に没頭しているその様子は、話しかけるな雰囲気を出している。
――この人に声をかけるの? ハードル高くない?
事前に想定していた状況は、あくまで話しかけられたらどう返答するか、それについてのプランであり、自分から話しかけることは完全に想定外だった。本音を言えば、幸せにはなりたいが、やはり殿方にリードしてほしかったわ。
(まあ、他の選択肢はないわね。ティエラ、幸せになるのよ)
と、自分を奮い立たせ、バルドロにゆっくりと近づいていく。
公爵令嬢と子爵令息の婚約なんて、もし本当に成立したら父様が卒倒してしまいそうだけれど、この際幸せになることを優先するわ。
とはいえ、自ら話しかけるのは躊躇われるし、何より淑女にあるまじき行為であり、矜持に反すると思います。
なので、私が考えた作戦は―バルドロの注意を引いて、彼に声をかけさせる作戦。我ながら妙案ですわ。
そう決めた私は優雅に歩を進め、うつむいて本を読んでいるバルドロの前を通り、横目でちらっと彼の様子を窺う。が、
「……」
うつむいているせいなのか、それとも本に集中しすぎているせいなのか、バルドロは目の前の私に気づくことなく、静かにページを捲った。
……ま、まあ。きっと本が面白すぎたのさ。決して私に興味がないわけではありませんよ。えぇ、きっとそうよ。
通り過ぎた私はそのままターンし、再びゆっくりと近づき、彼の前を通ろうとする。
だが同じ過ちは犯さない、今度はわざと小さく、だけれど注意を引けるくらいの音量で、彼の前で咳払いする。
「……コホン」
さあ、どうだ? 偶然通りかかったように装い、自然な振る舞いで立ち止まり、ちらっと薄目を開けで彼の様子を窺う。
これできっと彼の注意は――あ、駄目だ、相変わらず本を見ていて、全然こっち見てなかったわ。もう挫けそう。
(え、えぇい。まだまだだわ。ファイト、ティエラ。これでも駄目なら、次は――)
私は数秒逡巡してから、彼の隣の椅子に腰を下ろした。
――これでどう? 勝利を確信した笑みを薄らと浮かべ、横目でちらっと彼を窺った。流石にすぐ隣なら、どんなに本に夢中でも、気付かざるを得な――って、全く気付いてないよ! この人。
思わず自分はそんなに魅力ないのかと疑い始める。
「……コホン。コホン。……コホン!」
諦めることなく、注意を引くようにわざとバルドロの隣で咳払いを連発。我ながらいささか不自然ではあるが、やむを得ません。ちらっと、横目で彼の様子を――
「……」
はい、無言。
バルドロは隣の私に気遣うことなく、ページを静かにめくり、本を読み耽っている。
そうですか、そういう態度ですか。
というかさ、そもそもこの人、私の存在に気づいている? もしもーし?
隣に座りながら、若干恨みのこもった視線をバルドロに向けていると、突然バルドロの手から本がいきなり取り上げられて、
「――お前な、そりゃないぜ」
見かねたような呆れた声で、一人の男がバルドロに言う。
私と、本を取られたバルドロは一斉に声の主へと向いた。
「僕の本を返してよ、エリック」
声を上げ手を伸ばし、本を取り返そうとするバルドロ。
その男――エリック・カイザーは私の視線に気づくとお茶目にウインクし、得意げに笑っていた。
「バルドロ、隣見なよ。レディへの気遣いが足りないぜ」
「隣……?」
エリックが軽くバルドロを窘め、隣を見ろと促す。彼にそう言われ、バルドロはようやく顔を隣――私の方へと向けてきた。
迫りくる視線に慌てて取り繕い、ニコリと笑みを浮かべ、話しかけられるのを待つ。
が、バルドロは私をちらっと興味なさそうに一瞥するだけで、すぐ視線をエリック・カイザーに戻した。
「見た。エリック、僕の本を返して」
「……お前な、はあ……。駄目だ、ここに来て一人で本読んで、寂しすぎるぜ。ほら、レディの話し相手になってあげな。ごめん、こいつはこういうやつなんだ」
そのバルドロの反応に呆れ、エリックは大きくため息をつき、私に片目でウインクしながら謝ってきた。
「嫌だ、そもそも参加したくないのに、無理やり連れてこられたんだ、僕は」
バルドロは栗色の髪を揺らして、エリックに抗議の声を上げる。そのいかにも本が似合いそうな文学少年の見た目は、全力でデビューパーティーに興味ないと主張している。
少年よ、手遅れになってからでは遅い。経験者の忠告だ。まあ、前世では特に関わりはないので、結局バルドロは結婚できたどうかは知らない。
なおも手を伸ばし、エリックから本を取り返そうとするバルドロ、それをヒョイヒョイと躱すエリック。
二人から仲良い友達特有の気兼ねなさを感じ、私は思わずクスっと笑いを漏らし、エリックに尋ねた。
「お二人、仲良いんですね」
バルドロの攻撃を躱しながら、エリックは私に、
「ああ、五歳からの付き合いだ。こいつの趣味と言えば、本とフィレくらいだな。この本だって、フィレの本だしな。十五歳にもなって、どうしたものかね」
とため息をつきながら説明する。その隙に、バルドロはジャンプし、一気にエリックの手から本を奪い返した。
「もう僕のこと、ほっといてよ」
席に座り直し、本を再び開き、読み始めるバルドロ。その様子を、肩を竦めながらエリックは諦めたかのように見ている。
だが私は――口元に優しい笑みを浮かべ、バルドロに、
「フィレが好きなんですね」
と、確かめるように尋ねる。
案の定――バルドロはビクッと小さく震え、私の方へと顔を上げ、
「……お前、フィレできるの?」
と、疑いの目を向けてくる。
――食いついた。内心では小さくガッツポーズをし、ニヤリと笑みを浮かべる。
フィレ。それはかなり昔からある遊技の一つ。盤上に様々な駒を並べ、勝負を競う。
ルールは至ってシンプル、自分のターンになったら駒を動かし、相手の駒を全部か、もしくは王様を倒せば勝利。
以前は王族や貴族の嗜みとして有名だったが、最近では富裕層の平民も興味を持ち始め、大会が開かれている。
もちろん前世の私も大会に何度か参加した事があり、その度優勝の栄冠を手に入れている。
バルドロ半信半疑の表情で私を見つめている。
エリックも思わぬ展開に興味を示し、ことの成り行きを見守っている。
二人の視線を受け、私は恥ずかしそうにしながら――。
「えぇ、少々嗜んでおりまして」
と、微笑んで答えた。
少々どころか、前世ではフィレの女神の二つ名で呼ばれておりますわ。
「おぉ、すげぇ。女なのに」
目を輝かせて、バルドロは素直に感想を言う。余計な一言ですわ。
まあ、昔よりは広まったとはいえ、女性でフィレ嗜んでいる人はあまりいないのも事実。
「僕、フィレ持ってきたよ? 一緒にやろう」
先までの態度はどこへ行ったのやら、バルドロはウキウキと盤をテーブルに置き、一緒に遊ぼうと誘ってきた。
「えぇ、喜んで」
ニコリと、笑顔で返事する。――えぇ、喜んで、徹底的に貴方をボコりますわ。
正直に言うと、彼の態度に少々カチンと頭にきて、なので折角の機会だし、フィレで友好関係を深めようと思う。実力で。完膚なきまでに。
チェスのようなものです。