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3 涙のキャンディ

 それは、夕焼けが綺麗な秋の日のことでした。


 私はその日、重い心を抱えて歩いていました。

 塾へ行くつもりで家を出たのですけど、とても勉強する気分ではありませんでした。

(……ピイ)

 ほやほやした、薄茶色の点々が散った黄色い毛に包まれた小さなヒヨコ。

 孵卵器(ふらんき)であたためた、チャボの卵から生まれたヒヨコ。

(ピイ……ピイ……)

 クラスのみんなで孵卵器の水を変えたり、転卵(てんらん)したりして見守ってきたヒヨコ。

 卵の殻を破り、びしょ濡れの羽をばたつかせながらピイと鳴いたので『ピイ』と名付けられたヒヨコ。

 でもピイは、名付けた次の日にあっけなく死んでしまいました。


 クラスのみんなで、校庭の隅にあるいちょうの木の下にピイのなきがらを埋めました。

 深めに穴を掘り、ピイのなきがらをそこへ置き、静かに土をかぶせました。

 ピイに土をかぶせながら、クラスの女の子はほとんどみんな泣いていました。

 しゃくりあげて泣いている子もいましたし、むっと押し黙ったまま目に涙をためている子もいました。

 でも私は泣けなかったのです。

 乾いた目を見開いて、私はピイのお墓に土をかぶせました。


 悲しかったのに。苦しくて、泣きたい気持ちだったのに。

 何故か涙は出てきてくれなかったのです。

 ひょっとして私は、お葬式で泣くことも出来ないひとでなしなのでしょうか?

 思った瞬間、胸が冷たくこわばりました。


 ピイを埋めたお昼休み以来、私の胸は重くふさいだままです。

 あの場で泣けなかった私の心から、力なく穴の底に横たわる小さなヒヨコの姿が消えません。

 他の子たちのように、ピイは天国で幸せに暮らしているよねなんて、簡単に言うことなど出来ません。

 涙の残る顔でそんなことを言い合っているみんなが、別の星の住人のような気がしました。

 ……いえ。

 別の星の住人は、多分私の方でしょう。



 夕映えの町を、私は歩いていました。

 塾へ行くつもりで家を出ましたが、とても勉強をする気分になれません。

 ため息をつきながら、わざと遠回りの道を選んでのろのろと歩きます。

 『塾へ行く』という言い訳で、ただ町を歩きたかったのだと後で思いました。


 何故か呼ばれたような気がし、私は足を止めました。

 目を上げると、そこに今まで見たこともないお店がありました。

 ほんのりと甘い香りがただよってきます。

 引き寄せられるように私は、店の中へ入ってしまいました。


 童話なんかに出てくる古い時代の水がめを思わせる、大きくて太いガラスびんがいくつか、入り口正面の棚に整然と並んでいるのがまず目につきました。

 びんの半分強くらいに、大きめのビー玉くらいのきれいな丸いものが詰まっています。

 飴色の光に満たされた、それほど広くない店内にはガラスびんが乗った棚の他は、大きな藤のバスケットが乗ったテーブルが三つほどありました。

 そしてそれぞれのバスケットにはたくさんのお菓子が、半透明のきれいなセロファン紙にくるまれ、入っていました。

「いらっしゃいませ」

 不意に柔らかい声が聞こえてきて、私は少し驚きました。


 そこにはいつの間にか、おばあさんがいました。

 地味な黒っぽいワンピースに白い木綿のエプロンをつけている、真っ白な髪をきちんと結い上げた上品そうなおばあさんです。

「いらっしゃいませ、お嬢さん。何がご入用ですか?」

 優しい声でとても丁寧にそう訊かれ、私は少しうろたえました。

 十歳の子供に大人のお客さんと同じように丁寧に接するお店の人なんて、私は初めて出会いました。

「あ、いえ。あの……」

 もごもご言いながら目を泳がせ……とある一角で目が留まりました。

 大きなガラスびんに入っている、すきとおった群青色の丸いもの。

 大粒のキャンディなのだと、そこで私は初めて気付きました。

「『涙のキャンディ』、ですか?」

 私の視線をたどり、少し困ったようにおばあさんは言いました。

「悪くはありませんけど。でもお嬢さんくらいお若い方は、『涙のキャンディ』は少しきついかもしれませんよ?これは、泣きたくても泣けない可哀相な大人がなめて、泣くのを助けてもらう為のキャンディです。心を癒すのなら他のキャンディは如何ですか?『水のせせらぎ』や『若葉の葉ずれ』、『遠い日の夕焼け空』などがおすすめ……」

「『涙のキャンディ』を下さい!」

 おばあさんの言葉をさえぎり、私は叫ぶようにそう言いました。

 『泣きたくても泣けない』という言葉に、私はハッとしたのです。

 そう。

 私が今、何もする気にならないくらい苦しいのは、泣きたいのに泣けないから。

 クラスメートの女の子たちのように思い切り泣ければ、きっと私の心は軽くなります。

 ちゃんとピイを悼んで、天国で幸せになってねと言えます。

「『涙のキャンディ』を下さい。いくらですか?」


 しばらく渋っていましたが、おばあさんは軽くため息をつき、ちょっといいお菓子屋さんで売っている、一番小さい生チョコレートの箱……くらいの値段を言いました。

 大きめのビー玉くらいのキャンディひとつにしては高価だなと、正直内心ひるみましたが、買わない選択肢はありません。

 財布の隅にしまい込んでいたお札を一枚、私は差し出します。

 おばあさんはびんのふたを開け、やはり群青色の半透明のセロファン紙にキャンディをひとつ乗せ、くるくる巻いて両端をねじりました。

 そしてそれを、おつりと一緒に私へ差し出します。

「ありがとうございました」

 少し困ったようなおばあさんの笑顔を見た気はしますが、その後のことはあまりちゃんと覚えていません。

 次に我に返った時、私は、右手に群青色のセロファン紙に包まれたキャンディを持って、ぼうっと夕闇の中に立っていました。



 公園のベンチに座り、私はおそるおそるセロファン紙を開きます。

 すきとおった群青色のキャンディは強いミントの香りがしました。

 今更ながら『泣きたくても泣けない』人の為の『涙のキャンディ』、なんて不思議なものが、少し怖くなってきました。

 でも後には引けません、胸の重苦しさは変わらないのですから。

 思い切って口に入れます。

 苦いくらいきついミントの香りが鼻に抜け……た途端、キャンディは淡雪のように跡形もなく消えました。

 アッと思った瞬間、私の両眼から涙がふき出してきました。

 『ふき出した』としか言いようのない、とんでもない量の涙が後から後から流れ出てくるのです。

 あわててポケットからハンカチを引っ張り出して目を押さえましたが、瞬くうちにぐしょぐしょになってしまいました。

 鼻水まで出てくるのであわててポケットティッシュを出し、目と鼻を押さえます。でも、こちらもすぐ空になってしまいました。


 ひとしきり泣いた後、私は茫然と夕闇の空を見上げました。


 胸の重苦しさは楽になりました。

 でもそこにあったはずの大切なものまで流れ出たような虚しさは、一体何故でしょう。


 いつの間にか空も町も、深い群青色に染まっていました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 読み始めました(*´Д`*) 泣く事によって、人は悲しみを薄めていくのかもしれないですね。 涙を流して悲しみを浄化させるのも、悲しみを心の奥に留めておこうとするのも、どちらも真摯な送り方…
[良い点] いいお話です。 泣きたいのに泣けない。 本当に大切なものを失ってしまった時、人は泣けないんですよね。 泣ける日が来るまで待った方がいい・・・。ということはあるものですよね。 [一言] 同じ…
[良い点] 悲しみ方は人それぞれですからね。 きっと天国に行ってる、なんていうのは、諦められているからこそ出る言葉。 もしもその命を惜しんでいるのなら、そうはいえないと思います。
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