42話
「ごめんなさい。迷惑をかけてしまって」
グスグスと鼻をすする。まだ目が若干腫れぼったい。いつの間に用意してくれたのか、冷たいタオルでそっと目元を拭う。申し訳なくなってそういえば、兄様は柔らかく微笑んで首を振った。
「迷惑なんて思ったことないよ。いつだかの真夏のイチゴのケーキに比べれば、全然」
そんなこともあったものだ。あの時はこの季節にイチゴはないと言われて泣き叫んだ記憶がある。それを見て困った兄様が、代わりにイチゴジャムのビクトリアケーキを作ってくれたのだ。他の使用人が何を言っても泣き止まなかった私は、兄様が作ってくれたそれを食べて機嫌を直した。
「……その節は、本当にすみませんでした」
「あはは、あれはあれで楽しかったよ」
からからと兄様は笑うが、こちらとしては赤面ものだ。同時に、本当にこの家の、フィリアの家族はフィリアに甘いのだなと再認識する。私自信すぐに調子に乗ってしまう節があるから、あまり甘えすぎないようにしなければ……。
戒めを胸に刻んだところで私は改めて兄様に問う。
「ところで兄様、何故私がここにいることにお気づきになられたの?」
「ん?……あー、俺、眠れなくてたまたまバルコニーにいたんだよ。そしたらやけに怪しい挙動の人間が見えたから、ちょっと気になって」
確かに、兄様の部屋は二階の庭側の角にある。なるほどなぁ、と納得しかけて、あれ?と疑問が頭に浮かぶ。そして、自分がたどってきた道筋を考えた。私は、裏口から出て、こっそり庭の端のこの場所までやってきた。万一にも誰かにバレないように、慎重に壁にくっついて___
__くっついて?
ざわ、と心の一部がざらつく。そうだ、私は壁に沿うようにここまでやってきた。そして、兄様はバルコニーからそれを見ていた__違う。
我が家のバルコニーは、庭に張り出して作られている。そのため、真下である壁は見えない。しかも、兄様の部屋は角部屋だ。つまり、私がたどった裏口からのルートだと、私の姿は見えないのではないだろうか?
おそるおそる兄様の方を向く。どこからどう見たっていつもの兄様だ。でも、何か、何かおかしい。兄様が私に嘘を__ついたことはない。ケーキの思い出も、家族しか知らない話だ。なのに、兄様の話には違和感がある。……ということは、これはつまり、
「……兄様」
「ん?」
「貴方____本当に兄様?」
ざわ、と、それまで全く吹いていなかった風が辺りを抜けて、さわさわと葉を揺らす。兄様は___無言だった。私の問いに対して、うっすらと微笑んだだけだ。代わりに、私へと顔を向けて言う。
「君は、本当にフィリア?」
「……え」
「オレちゃんが知ってるフィリア=リル=クラネリアは君みたいな子じゃなかったよ。もっと欲に素直で、わがままで、手がつけられなくて___そして、とっても“美味しそう”だった。ねぇ。__君、誰?」
ぐわっと。表現するのであればそんな具合に、兄様の背中からどす黒いもやが広がった。もやはどんどんと広がり、驚きに固まる私の前で段々と人の形になっていく。
「……っ」
あんぐりと口を開けて私はその様を見ていた。動こうにも動けなかった。棒立ちになってその光景を見ている私の目の前で、もやは完全に人の形を取る。……いや、厳密に言うと、人ではないのだろうが__そこに立っていたのは、ネオングリーンの瞳に浅黒い肌、全身真っ黒な衣装で背中に翼が生えている__
「ハジメマシテ、お嬢様。__あれ?驚き過ぎて声も出なくなっちゃった?だったら__」
驚く、なんてものじゃない。だって、私はその人__その人外?を見たことがあるし、なんなら結構良く知っている。
「貴方___エナジーじゃない!!何でここにいるの!?」
思わず指を指して叫んでしまう。何故って、ゲームシナリオ的に彼がここにいるのはおかしいのだ。この人外、いや、悪魔は驚くべきことにラビファンの登場人物。それも、シナリオ道理なら彼は確か___
「貴方、エリオットくんにとりついてる悪魔でしょう!?なんで兄様にとりついてるの!?」
どーゆーことなのー!という私の小さい悲鳴が響いた。
 




