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41話

 私は、フィリア=リル=クラネリアという人間について全てを理解しているわけではない。


 しょっちゅう現れては攻略の邪魔をし、当て馬になる、ラビファンの鼻つまみ者。そのくらいの認識しかもっていない。


 けれど、実際にフィリアになってわかったことが一つある。それは、この子の負けん気が強い、ということだ。


 日本で暮らしていた私は、どちらかと言えば争いが嫌いでなるべく人ともめないことを意識して行動していた。それは、単純に問題が起きるのが面倒くさかったからだ。しかし、このフィリアは違う。この子は、わがままで、頑固で、手のつけられないような正確の子ではあるけれど___折れない、心の強さを持っていた。つまり、鋼のようなメンタルの持ち主だったのである。現に、フィリアとして暮らし始めてからは傷つく、ということを経験したことがない。そのくらいの心持ちがなければ悪役令嬢など務まらないのかもしれない。


 __今は、その心の強さがとてもありがたい。


 そうっとそうっと、カーペットが敷かれた廊下を歩く。慣れ親しんだ廊下でも、人に見つかってはいけないとなると緊張もひとしおだった。私は今、遠乗りやピクニックに行くとき用の動きやすい服を着ている。髪をポニーテールにまとめて、キャスケットの中に入れて深くかぶった。普段はドレスなのでセシルに手伝ってもらわないと不可能だが、流石に普通の服は一人で着られる。背中のリュックに入っているのはライトや小ぶりの金槌など。どこで調達してきたのかと言われれば、庭師のウィルさんにこっそり借りてきた。彼は単に工作に使うものだと考えているだろう。


 普段は使わない階段を音を立てないように降りる。こちらの階段は厨房や使用人休憩室などに使われているので、お手伝いをしている私はともかく、お母様やお父様はあまり訪れない。それらをこえた先に、庭に出るための裏口があるのだ。万が一にもセシルやエドウィンさん達に見つかる分けにはいかない。ほの明るい光をともす使用人休憩室を細心の注意を払って通り過ぎ、どうにか誰にも見つからずに庭へ出ることができた。最後にそっと木で出来た扉を閉めて、ほうっと息を吐き出した。__どうにか誰にもバレずに庭まで出ることができた。


 ここまで来たら後は庭の外れに行くだけだ。レンガの壁から流れ落ちる水が小さな泉を作っているその場所は、私のお気に入りでもあるのだが__今回は和みに行くのではない。そこに、あるものを用意したのだ。


♢ ♢ ♢


 三日月が輝く空の下で、うっすらとライトアップされた泉がさらさらと音を立てる。その傍ら、泉の上に張り出した木のベランダの上にそれはあった。それは、大きな魔方陣で、特殊なインクで描かれている。その中心に立って呪文を唱えれば、魔力が流れて望む場所に連れて行ってもらえるという優れものだ。この家に帰ってきた時、日本で得た知識を元に作成しておいた。ラビファンのミニゲームもモードの中には指やタッチペンで魔方陣を描いて魔法を発動させるものがあった。見よう見まねではあるが、形としては正しいはず。


 後は、魔力を流すだけだ。そうすれば、私は__


 そう思ってスッと息を吸い込む。手をかざして、呪文を唱えようと、したところで、



 「フィリア!」



 という声と共に、ぎゅっと腕を捕まれた。


 「っ、」

 「何してるんだ!」


 叫びにひゅっと息を吞み、手を掴んだ人間を見れば、そこには見知った顔があった。


 「離して兄様!私、行かなきゃ!」

 「駄目だ!何考えてるんだよ、危険すぎる!」

 「ノアくんはもっと危険なのよ!?ごちゃごちゃ言っている場合じゃないじゃない!」


 そこにいたのは、息を切らしたレオン兄様だった。必死の形相で私の腕を掴むがこちらも必死だ。ノアくんの___



 「推しの危機に黙っているなんて、そんなのできるわけがない!」



 私の全力の叫び声に、あっけにとられた兄様が「お、おし?」と困惑したようにつぶやく。その隙を見逃さずに一気に魔方陣に魔力を……魔力を___



 流し込もうとして、はたと気がつく。我に返る。


 

 ……魔力って、どうやって流し込むのかしら?



 よくよく考えれば、私がやっていたのはタッチペンで魔方陣を書くところまでだ。そこから先は、ゲームが勝手にやってくれていた。しかも、割とガバガバ判定の魔方陣でもオッケーが出ていた。つまり、これが正しいという保証はないし、これが正しく機能する保証もない。それに、重大なことに気がついた。


 よくよく考えると、私はまだ魔力に目覚めていない。


 魔法は、魔力に目覚めない都使えない設定だったはずだ。つまり、私はこの魔方陣を使えない。


 その事実に気がついた時、同時に己の愚かさも悟る。なんてことだ。私の力ではノアくんを助けることはできないのか。


 気づいた瞬間、何かが切れた。鼻の奥がつん、となって自分の瞳が潤むのがわかる。pろり、と一粒落ちれば後は簡単だった。留まることを知らない涙が次々とこぼれ落ちていく。


 「フィリア、」

 

 私がもっともっと早く助けを呼べていたら、私があの時逃げなければ、すぐに行動できていたら。たらればは私を苦しめる。私のせいでノアくんが捕まったのだ、という思いが私を掴んで離してくれない。それなのに私ではノアくんを助けてあげられない。辛くて悲しくて、ふがいなくて情けなくて、申し訳なくて潰れそうで、涙があとから後から溢れて止まらない。声を上げて、目元を押さえて、本当に子供のように泣きじゃくる私を、兄様はそっと抱きしめてよしよし、と頭をなでてくれる。


 「ノアくん、死んじゃったらどうしよう」

 「大丈夫、絶対大丈夫だよ」

 「アリスちゃん、連れて行かれたらどうしよう。皆が泣いたらどうしよう。ノアくん、泣いてたらどうしよう。私のせいだ」

 「フィリアのせいじゃないよ。大丈夫だよ。絶対に、大丈夫だから。俺が嘘ついたことあるか?」

 「ない……」

 「な?だから、きっと大丈夫。大丈夫だから」


 合計20歳以上が、とかいわれても仕方ないと思うけれど、仕方ないじゃないか。今の私は7歳の子供なんだから。


 そう自分に言い訳をして、兄様にすがりついて思い切り泣いてしまった。兄様は何も言わずに、ずっと私が泣き止むまで付き合ってくれた。


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