39話
気がついた時、私は石の床の上に立っていた。倒れていたわけでも、座っていたわけでもない。ただ、ぽん、とスイッチが入ったかのように意識が戻ったのだ。
「……っ」
慌てて周りを見渡す。そこにはもう、青いドームの空はないし、草原も青い花もない。黒髪の男の子の姿もない。そして、急に飛び出したその場所は、どこかの庭のような風景の場所だった。石畳の小道と何やら草がたくさん生えた花壇。柵で囲まれた面積は大きくはないが、後ろには感じの良い家がある。
「……ここ……どこ!?」
同じく横に立っていたアリスちゃんと顔を見合わせる。そこは、全くもって見覚えのない庭だった。……早くノアくん達を助けに行かなきゃいけないのに、なんだって前途多難過ぎる。あの男の子、確かに個々は地上__だけれども!
せめて行き先を言っておいてくれ__!と恨みがましく思ってぐぎぎ、とうなっていると、
「リオ!」
ガラン、と何かが転がる大きな音と共に叫び声が聞こえた。びくっ、として声の方角を見る。そこには、石の小道に転がった木桶と焦った表情の一人の妙齢の女性がいた。エプロン姿の女性はぽかんとそちらを見る私達二人を見て大きく息を吐き、その体から力が抜ける。続いて、キッとこちらを睨みつけてきた。
「__あなたたち、どなた?ここは、私の家よ」
「あ、あの、私達は___」
急に飛ばされてきました、というのは純然たる事実だけれど、不法侵入に間違いはない。どう言おうか、と一瞬悩んで、そのまま言えば良いと言う結論に至る。
「私達は、誘拐犯から逃げてきたんです!__お願いします、手を貸していただけませんか?」
「ゆ、誘拐犯?あなたたち、何を言って__」
「勝手に入った上に不躾で申し訳ありません、ですが、お願いします、命に関わることなんです!」
お願いします!と頭を下げる。最初は困惑していた女性も、私達の鬼気迫る様子に何かを感じてくれたのだろうか。ひとまず中へどうぞ、と私達を家の中へと誘った。
♢ ♢ ♢
家の中は非常にこぢんまりとした、けれど木のぬくもりを感じる暖かい家だった。家に通された私達は、どうぞ、と促されるままに椅子に座る。
「落ち着く為にも、まずは話を聞きましょう。私はヴィオレ。庭でとれたハーブを使って薬屋を営んでいるわ。……それで、あなたたちは?一体どうしてここに来たの?」
「ヴィオレさん。まずは、突然の訪問を許していただきありがとうございます。私はフィリア。彼女はアリス。私達は、天使の家の者です」
「天使の家……?それは、あの孤児院のことかしら」
「はい。私達は、そこから逃げてきたんです」
これこれこういう経緯で、とありのままを女性__ヴィオレさんに話す。ただし、あの不思議な空間と急にここに飛ばされたという事実は伏せた。話が嘘っぽくなってしまうのではないかと危惧したからだ。逃げ込んだ地下道がこの家の側に繋がっていた、という体にして話をすれば、彼女は「確かに天使の家からなら距離的にも不自然ではないわね……」とつぶやいた。そして、私の目をじっと見つめる。穴が開くのではないか、というくらい見つめられた後、1つうなずくと、
「わかったわ。あなたたちのことを信じる。ただ、この家には電話がないの。その代わり、うちの馬を貸してあげるわ。それで騎士様達の詰め所へ連れて行ってあげる。___ちょっと待っていて」
そう言うと、彼女は立ち上がって部屋から出て行く。少しして、馬のいななきが聞こえてきた。すぐに女性が戻ってきて、そして扉の外から声をかけてくれる。
「用意が出来たわ。急いで行きましょう!」
♢ ♢ ♢
「しっかり捕まっていて!行くわよ!」
そう言って女性が馬の腹を蹴れば、風のような早さで一気に馬が駆け出す。すごい速度だ。ヴィオレさんの後ろにアリスちゃんを抱え込むようにしっかりと捕まる。あらかじめ舌をかむといけないから話さないように、と言われていたが、その意味がよくわかった。
馬は駆け、十数分ほどで城の騎士が駐在する、所謂警察のようなところにやってきた。彼女はすぐに私とアリスちゃんを抱えて下ろすと、「行って!」と言う。
「ありがとう!」
と言って、私は詰め所へと飛び込んだのだった。
♢ ♢ ♢
騎士達の行動は素早かった。すぐさま彼らは馬を走らせ、天使の家までたどりつくとその中をくまなく探索した。結論から言うと、委員長もシスターも、子供達も無事だった。縛られ、眠らされてはいたが誰も命に別状はないという。ただ、黒服達は既に去った後だった。テトルの話によrと、あの後アリスちゃんがいないことに気がついた黒服達はすぐに孤児院を出たらしい。
でも。
「ノア兄ちゃん、連れて行かれちまった____」
泣きじゃくるテトルが告げたのは、ノアくんが黒服達に誘拐された、ということだった。
孤児院には手紙が残されていた。
『この勇敢な少年を助けたければ、逃げた娘を使いによこせ。被検体03__貴様らがアリスと呼ぶものと交換だ』
妙に几帳面な字で簡潔に書かれたのは、そんな言葉だった。




