3話
数年前、日本で一世を風靡した乙女ゲームがあった。
そのゲームのタイトルは『ラビリンス・オブ・ファンタジア』。
直訳すれば『空想の迷宮』だけれど、正直名前の意味はよくわからない。私は英語が苦手だった。ギリシャ語はさっぱりだし、数学はもっと苦手だった。……よく大学生やってたな!?
……話がそれてしまった。とにかく、どうやらこの世界はその乙女ゲーム、通称ラビファンの世界であるようなのである。
何故そんなことに気がついたかというと、それは、この私がラビファンの大ファンだったからに他ならない。
ラビファンの大まかなストーリーは、平凡な町娘だった(ただし超絶かわいい)主人公が、ひょんなことから貴族が集まる学校に入学し、そこで数多いる攻略対象の中からたった1人と絆を深め、最終的に結ばれる、というような王道のものだ。しかし、美麗なスチルと程よいゲームシステム、そして各対象との個別ルートが素晴らしいと、その王道乙女ゲームは大人気になった。
そんなラビファンを私に貸してくれたのは、乙女ゲームが大好きな中学時代からの友人だった。
『せっかくだから語ろうよ!絶対押しできるって!!』と鼻息荒く力説する友人にありがたくゲームを貸してもらい(ちなみに友人は全てのルートを3日でクリアしていた。レベルが違う)生まれてはじめての乙女ゲームをプレイした。
そして、そこで初めて恋をした。
恋という言葉が適切なのかはわからない。が、とにかくなんかそういう感情だった。
齢15だった私は、ゲームの中の人間に初めて恋をして、そしてゲームの外の人間であるが故に初めて失恋したのだ。
しかししかし。だがしかし、攻略はできる!主人公ちゃんと必ず結ばせる!!
そう意気込んでゲームを必死でプレイした。
____そして、推しと主人公が結ばれることはついになかった。バッドエンドだったとか選択肢を間違えただとか、そういう問題ではない。もっとシンプルな理由だ。
私の推しは、攻略対象キャラではなかった。
それだけではなく、もっと言えば、推しは、グッズ化されるとかストーリーが追加されるとか、ファンディスクで攻略対象になるだとか、そういうことすらない。所謂"モブキャラ"だったのである。それも、攻略法を教えてくれる主人公の親友だとか、主人公のクラスメイトだとか、そんな感じのポジションでもなんでもない、正真正銘のモブキャラだ。
私の最推し、ノア君。
とあるアニメ雑誌にそのゲームを作ったチームの人たちの座談会が掲載された時、私は彼が平民の出であるが故に名字がないことを初めて知った。ついでに、彼の名前を初めて知った。
要は、そのくらい設定がなかったキャラなのだ。製作者の方々は、その特集で『彼はノアっていう名前なんですよ。平民の出だから姓名がないんです』『え、俺初耳なんだけどそれ』『うん、ぶっちゃけ今考えた』という会話をしている。しかも、悲しいかなそれは、"製作者に質問しよう!"というコーナーに私が投稿したハガキを面白がって読んでくださったからなのだ。『あの(とても長い推しの説明)のプロフィールを教えてください!!』と血の涙を流しながら筆で書いたのが効いたらしい。しかし、後にも先にも、彼について明かされた真実はそれだけだ。他のキャラはもっと細かい設定や過去の話が語られたり、書籍化されていたりするのに。世界はもっとモブに優しくなるべきだ!それを推す人間にも!!
……まぁ、実際のところ、彼がゲームに登場する回数はたったの2回。各キャラの個別ルートに入ってからは一瞬も出てこないのだ。
具体的にどこに登場するのかと言われると、一度目は物語の始まり。主人公が転向初日に校門付近で躓いて転んでしまい、攻略対象である生徒会の面々に出会うシーン、いわゆる"出会いイベント"のスチル。主人公や生徒会の様子を遠巻きに見ている何人かの1人として右端から2人目に描かれている。この時には顔はない。影になっていて見えない。
2回目は、町の中。これは物語の中盤で、なんと彼は一言だけ言葉を話している。
『はい、どうぞ』
それは、主人公が誰の個別ルートに入るかということを確認するためのイベントである風まつりでの出来事だ。
"好きな人と2人で行くと何かがおこる"というジンクスがまことしとやかにささやかれているお祭りで、その時期になるまでにに1番好感度の高い相手と2人で出かけていくという仕様になっている。親切設計だと友人は喜んでいたが、私はもっと喜んでいた。発狂した。
何故って、もう見ることができないと思っていた推しがなんと話したのだから!!しかも、それは、主人公に向けて言われる言葉だ。彼は、何故かはわからないけど、お祭りの屋台で売り子をしていた。そのシーンを初めて見たとき、プレイしながら『なんて羨ましい!!!主人公もっと喜べ!!!今すぐ祝砲を用意しろ!!!』と手を叩いた事を覚えている。そこで初めて彼が金縁のモノクルをつけていることが判明した。相変わらず、顔は影でなかったけど……証明仕事しろ!!
主人公がどのルートに入っても、お祭りで何かを買うことは確定している。(それもまた選択肢だからだ)
そして、毎回彼はその言葉を言う。攻略対象は全部で6人だから、つまり、6回もそのシーンが見られるのだ。もう、狂喜乱舞だ。きっとこれで皆ノア君に落ちるに違いない。そうすればもっと出番が増えて、グッズ化、さらにはストーリー……!と私の心は薔薇色だった。……もちろん、取らぬ狸の皮算用だったわけだけど。
とにかく、私はその二つのシーンのノア君を見たいが故に全てのルートをクリアしたのだ。話題になっているだけあって、ストーリーは面白かったし、結果として作品そのもののファンになった。とは言っても、やはり最推しはノア君だったわけだが。
そうして私はこのゲームに詳しくなった、というわけだ。だから、目覚めてから初めて自分の姿を鏡で見た時は、本当に衝撃を受けた。
_______だって私は、ノア君よりもずっとずっと登場頻度の高いキャラクターの見た目をしていたのだから。
くすんだ金色の長い髪。蒼い瞳。驚きで固まっている綺麗な顔。トレードマークのクリスタルのネックレス。
初めて鏡で見た自分の姿は、フィリア=リル=クラネリアそのものだった。
ゲームの中に出てきた人間そのものだった。
ゲームの中で一番の嫌われ者そのものだった。
要するに________絵に描いたように典型的な"悪役令嬢"である、フィリア=リル=クラネリアの姿そのものだった。