34話
クラネリア家が立ち上げ、全面プロデュースしている孤児院、天使の家はこの国にある孤児院の中でも指折りの敷地と設備を誇っている。明るく開放的な建物は、子供達が生活する全ての部屋に太陽の光が行き渡るように設計されていて、中でも大食堂は優しい太陽光が天井から美しく降り注ぐ。大きなテーブルと、たくさんの椅子に座る子供達。彼ら彼女らの目の前にはふんわりと湯気を立てるお皿が置いてある。
「天にまします我らが父君よ。今日という日の恵に最大の感謝と敬愛を」
テーブルの一番端、所謂お誕生日席に座ったこの孤児院の院長先生、かつノア君のおじいさまが代表して祈りの言葉を捧げる。私を含む子供達は、手をきちんと胸元に組んで目を閉じ、静かに祈りを思い浮かべる。
「それでは、いただきます」
「「いただきまーす!!!」」
院長先生の声に続いて皆元気よく挨拶をし、そして一斉に目の前のパンケーキに皆が取りかかった。「うんめー!バターうっめー!!」「メープルシロップは?」「あーそれ僕のブルーベリージャムだぞ!!」と、あちこちから様々な声がこだまする。
笑顔があふれる穏やかで楽しい午後のおやつの風景。そんな幸せな光景の中で一人、戦場の兵士よろしくパンケーキを睨みつけている私は浮いているどころか不審人物以外の何者でもないだろう。だがしかし。しかし、だ。
目の前のお皿に置かれた二枚重ねのぽてっとした丸いパンケーキ。ほわほわと白い湯気を立て、きつね色の生地の上をとろりととろけた金色のバターが滑り落ちていく。雑誌やレシピ本のおやつ特集で紹介されるようなパンケーキ。けれど、そこにはお金では絶対に買えないとんでもない価値があると断言する。だって、だってだ。
(ノアくんが焼いてくれたパンケーキ……っ!!)
ここが誰もいない自室であれば私は狂喜乱舞しソーラン節を一人踊り、太鼓を鳴らして神棚に飾ってあがめ奉るだろう。そのくらい尊い物体。否、パンケーキ。大勢の人の目があるから今すぐ宴を始めたい気持ちを自重して、ゆっくりと慎重に脇に置かれたナイフとフォークを手に取り、震える手でその表面に近づける。ふに、と柔らかい感触が伝わって、そこで急にもどかしくなって思い切ってナイフを入れる。弾力があって柔らかい生地を八つに切り分け、その上から陶器の器に入ったシュガーシロップをまんべんなくかけ、しみこませる。ここまで来ると食欲が勝って、ゆっくりと八等分した一つを突き刺して口に運び、大きく開けて、
「~~~~~っ」
優しい甘さと柔らかい食感。バターの塩気も相まって、えもいわれぬ、これは極上の三時のおやつ…………!!!!
あまりのおいしさに頬に手を当ててもだえていると、前にいたテトルが「どうだ俺たちが作ったパンケーキは!」と言う。全力でうなずきながら「とっってもおいしい!!テトル、アリスちゃん、本当にすごいわ!!パンケーキの生地って混ぜるの意外と難しいのに!!」と絶賛すると、テトルは鼻高々にふんぞり返り、アリスちゃんは恥ずかしそうに少しだけ微笑んだ。可愛いなぁこの二人。
そんなことを思いながらもっきゅもっきゅとパンケーキを頬張っていると、「口にあった、かな」という声が聞こえた。この声は!とばっと横を見ると、年少組の手伝いを終えたらしいノアくんがかたりと椅子を引いて横に座ったところだった。そういえば隣の席が一つ空いていると思っていたが、急に父様に呼び出されて「パンケーキーーーーー!!!」と叫びながら泣く泣く帰っていった兄様の席だとばかり思っていた。まさかまさかの急な推しとの接近にひゅっと息を吞む。
「え、あ、あった、あったよ!!ノアくん、すごいわね。こんなに綺麗にパンケーキは焼けないわ」
「ふふ、ありがとう。フィリアちゃんこそ、生地にマヨネーズを入れるとこんなにふわふわになるなんて、知らなかったよ」
前世にとった杵柄だ。(ややこしいので兄様の手柄にしてるけど)パンケーキにマヨネーズを加えるとカリふわっとしたひと味違う食感になる。最初は半信半疑だったが、好評だったようで良かった。
「兄様が隣国で習ってきた技だったの。本当か怪しかったけど、おうちでやったみたら思いのほかおいしくて、我が家では時々やっているの」
「そうなんだ!レオンお兄ちゃん、物知りだよねぇ、羨ましいな。僕もいつか外国に行ってみたいなぁ」
「ノアくんなら行けるわよ、きっと!絶対に!」
「そうかな。……そうだといいな」
むしろ私が連れてくわいと頭の中で足長おじさん計画を立てていた、その時だった。
『きゃあああああああああああ!!!!!』
女性の悲鳴が響き渡った。急すぎる出来事に、騒がしかった食堂がしん、と静まりかえる。しかしそれは一瞬のことで、すぐに食堂はざわめきはじめた。「え、何!?」「今の、シスターの声じゃなかった?」「怖いよーー!!」ざわめきは徐々に大きくなっていく。かくいう私も、なんだか鬼気迫る叫びに動揺して、固まっていた。院長先生が「皆、静かに!落ち着いてここで待っていてください!」と呼びかけながら立ち上がり、こちらへとやってきた。
「おじいちゃん、今の」
「ノアはここにいて、皆を見ていてくれ。私が見てくる」
「わかった、気をつけて」
不安そうにしながらもしっかりとうなずいてノアくんが院長先生を見送る。
「……何かしら」
「ネズミとか、虫とか……そんな感じのものが出たのかも。シスター、そういうの苦手だから……」
流石に院長先生一人の声では抑えきることができなかった子供達をなだめながら報告を待つ。こういうときは孤児院では年長に当たるテトルは頼もしい。「きっとネズミだぜ、それか油虫。きっとシスター、ひっくり返ってミルクの瓶を落としちまったんだ!」などと軽口を叩きながらも皆の笑いを誘っていた。
少しだけ和んだ空気の中で、しかし、一人だけ元気のない子を見つけて声をかける。
「アリスちゃん、大丈夫?怖くなっちゃった?大丈夫、きっとすぐに院長先生が……」
けれど、アリスちゃんの顔色は優れない。真っ青だし、少し震えている。空調が適温であることを考えると、まさかまさか卵アレルギーや油アレルギー!?マヨネーズ駄目だった!?と別の症状を心配して尋ねると、ゆるゆると首を振って、そして耳を塞いだ。いよいよ様子がおかしいと感じてノアくんを呼ぼうとした、その時。
バキン!!!とものすごい音を立てて大食堂のドアが吹き飛んだ。
「は」
吹き飛ばされたドアの向こうから出てきたのは、黒いものに覆われた足。明らかに院長先生ではないその様子に鳥肌が立つ。
「こんにちはいたいけで愚図で何もできない哀れで無力なお子様たち。
_____死にたくなかったらおとなしくしな」
ガァン!!と。天井に向けて無造作に発射された銃弾が、轟音を立てた。




