3 漆黒の魔物
「母さんっ!」
勢いよく扉を開ける。
「母さん、大変だっ!」
眠そうに寝室からでてきた母さんは、おれを――正確には、おれが抱える魔物を見るなり、真剣な顔つきに変わった。
「クラウド、お母さんは救急箱を取ってくるから、その子をベッドまでお願い」
「わかった! って、暴れるな! 傷が開くぞ!」
警戒心が強いのか、暴れる小さな魔物をどうにかしてベッドに運ぶ。
「いってぇ……噛みつくは引っ掻くわ……」
「ぐるるるるる……!」
「大丈夫、おれは敵じゃない」
そうなだめようとするが、魔物は牙を剥きだしにして威嚇してくる。
だがそれも一瞬のことで、ふらりと足がもつれたと思いきや、ベッドに倒れこんでしまった。
「お、おい!」
「がぶ」
「いでぇっ!」
手を伸ばしたら噛みつかれた。
「指から血が……まあ、安心しろ。母さんは魔物専門の看護師だから、すぐに手当てしてくれる」
その時、バン、とドアが開いた。
「おまたせ! あとはお母さんに任せなさい!」
◇
あれから一時間が経過した。
母さんに言われて無理矢理風呂に入らされた後、おれはリビングで手当てが終わるのを待っていた。
ガチャ。
「! 母さん、あいつの容体は!?」
「しっ、クラウド。今は眠ってる。応急処置はしたから、ひとまずは大丈夫よ。まだ完全に安心とは言えないけどね」
「そう、か……」
よかった。
だが、にしても――
「あの魔物は、なんだ? 図鑑でも見たことがねえ」
「うん……それなんだけど」
母さんは言葉を一旦切ると、顎に手をやった。
「たぶん、あの子はフェンリルの幼体だと思う」
「フェンリルって、SSランクの伝説の魔物か?」
「そう。でも伝説といっても、フェンリルは実際に氷の大陸に存在するわ。個体数が少なくて発見され辛いから、伝説とされているだけで」
「それは本で読んだから知ってる。けどフェンリルってのは、白銀の毛並みが特徴じゃねーのか? あいつは黒い毛並みだ」
「うん……でも見たところ、その他の特徴はほぼ一致していた。たぶん、あの子はフェンリルの変異体よ」
伝説の魔物フェンリル……その変異体か。
「そんなヤツが怪我を負って、この町に迷い込んだ、と。穏やかじゃねーな」
「ええ。……私たちは知ってはいけないものを知ってしまったのかもしれないわね」
「どういうことだよ?」
なんでもないわ、と母さんは頭を振った。
「あなたも疲れたでしょう。夜に黙って外に出掛けたことは怒らないであげるから、もう寝なさい」
「あー……悪かったとは思ってる。その……ごめん」
「許すのは今回だけよ。おやすみなさい、クラウド」
「ああ、おやすみ」
……しっかし、失格者認定された日にSSランクの伝説の魔物に出会うとはな。
こいつは一体どういう巡り合わせなんだ? なあ、神様よ。
◇
翌日から、おれとチビフェンリルの格闘の日々がはじまった。
というのも、日中は母さんが仕事に出掛けているため、おれが基本的にフェンリルの面倒を見ているのだが――
「がぶ!」
「いって! 包帯巻きなおしてやってるだけだろ!」
その一、おれが何をしようにも噛みつく。
「ぐるるるるる!」
「まだ何もしてねーだろ!」
その二、おれの姿を見るだけで威嚇する。
「……ぷいっ」
「飯を食え!」
その三、おれが作った飯は食べない。
……といった調子で大変も大変。
毎日のように噛まれ引っ掻かれ、傷が増えるばかりだ。
あと、たまに火を吐くんだが、これも危ないったらありゃしない。
そう――伝説上のフェンリルは氷を吐くが、変異体だからだろう、このチビフェンリルは火を吐くのだ。
そんなかんなで、文字通り手を焼いてるわけだ。
そして今日も――
「おい、今日こそおれの飯を食ってもらうぞ!」
「がるるるるる!」
こいつ……意地でも食わないつもりか。
「ちくしょう、負けてられるか! このっ!」
捕まえようと飛び掛かるが、華麗に躱され、おれは顔を床に打ち付けた。
「いってぇ……」
「きゅうん♪」
チビフェンリルが机の上から見下ろしている。
ちくしょう、完全に嘲笑ってやがる。
「な、舐めやがって……おい、お前! おれの何が気に喰わねーんだ!」
おれの問いには答えず、チビフェンリルはおれが作った餌の皿に近付くと、火を吐いた。
一瞬で消し炭になる餌。
おれはキレた。
「てめー……子供だからって我慢してたが、もう許さねぇ! 今日という日はしつけてやるぜ!」
「きゅう?」
こてん、と首を傾げるチビフェンリル。
可愛い……だが許さん!
「おれと勝負だ!」
飛び掛かる。
が、避けられ、火を吐かれる。
「あっちぃ!」
「きゅううん♪」
ぶちっ。
「どりゃああぁぁっ!」
全力の飛び込み。
「きゅ、きゅう!」
「ようやく捕まえたぞ、悪ガキ!」
暴れるチビフェンリルと、身動きを封じこめるおれ。
なんか昔の自分を思い出すな。
おれもよくいたずらをして大人たちに叱られてたっけ。
「よし、これでようやく……」
と、その時だった。
「クラウド? いるのー?」
今の声は、ソフィアか。
まずい。チビフェンリルがうちにいることはまだ誰にも言ってない。
こんな明らかに曰く付きの魔物なんて飼っていたら、どんな難癖をつけられるか分かったもんじゃないからだ。特にダック神官や町長には絶対にバレたくない。
ソフィアなら大丈夫だろうか……いや、無理に危険を侵す必要は――
「って、今は暴れるなよ! とりあえずこっちの部屋に――」
「きゅう!」
ぼう、と火を吹かれた。
「あっちぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
「ど、どうしたのクラウド!?」
ガチャ!
「「あ」」
◇
「…………そんなことが。大変だったね。ちなみにこの子、おばさんの言うことは聞くの?」
「ある程度はな。女好きとは、とんだエロガキだよな」
「? 何言ってんの、あの子、女の子だよ?」
「へ、そうなのか!?」
き、気付かなかった。
思えば、世話をしなきゃって強迫観念にかられて、あいつのこと、まともに知ろうともしてなかった。
魔物と仲良くなるには、まず相手のことを深く知るべし。すっかり基本を忘れてたな。
「それに、ほら。あたしのことも嫌ってるみたいだし……」
「ぐるるる……」
ほんとうだ。母さんには気を許してるからてっきり女性だったら誰にでも懐くのかと思ってたが。
「はぁ……おれもまだまだだな。ところで、ソフィアはそいつとはどうなんだ?」
ソフィアの膝に乗っている魔物を見やる。
鋭い眼光。背中の両翼。しなやかな鱗。硬い爪。
まだ小さいが、紛れもない――ドラゴンだ。
あの日、おれが”契約の儀”でFランクの判定が下った後、ソフィアは最高のSランクと判定され、伝説のドラゴンを召喚するという偉業をやってのけたのだ。
羨ましくないと言ったらウソになる。
だが、一緒に育ってきた友達だからこそ、おめでとうという気持ちも本心から来るものだ。
「レックスとは上手くやってるよ」
「レックスっていうのか……なあ、撫でてもいいかな? ドラゴンなんて滅多にお目に掛かれるもんじゃないし」
「うん、全然いいよ。レックスも、いいよね?」
「がう!」
「ほんとか!?」
まさかドラゴンを撫でられる日が来ようとは……
「そーっと……」
「ガブッ!」
「なんで!?」
噛まれた! しかも力つっよ!
「えっ、ど、どうしたのレックス! 離しなさい! ご、ごめんねクラウド、大丈夫だった?」
「き、気にするな……ったく、最近は魔物に噛まれてばかりだ」
「魔物に好かれやすいクラウドだから大丈夫だと思ったのに……ほんとにごめんね?」
気にするな、と片手で制した後、おれはレックスのとある行動に気付いた。
「……そういうことか」
「何がそういうことなの?」
「レックスの目線の先に注目」
「目線の先…………あ」
そこにいるのは、チビフェンリル。
「レックスは雄だろ? つまり、あのチビに一目惚れしたってわけだ」
「えー……そ、そうなのレックス?」
「がう!」
「やっぱりな」
だからおれがチビフェンリルの主人だと思って、嫉妬して、間接的に嫌ってるんだろう。おれは別に主人てわけじゃないんだけどなぁ。
と、不意にソフィアがぱん、と両手を合わせた。
「良いこと考えた! この子たちをバトルさせようよ!」






