転校生の彼女は私のことを○○と言った。
彼女は病室にいた。
彼女に意識はなく、酸素マスクを着け横たわっている。
父は丸椅子に腰掛け彼女の手を握る。
見守る医者と看護師。その後ろには親戚の姿。
心電図の音だけが静かに響く。
酸素マスクが呼吸によって曇る。
この二つが彼女はまだ生きていると告げる唯一の証。
窓際には花瓶。一輪の花が活けられている。
その横には、丁寧に畳まれた一枚のハンカチと小さな額に入った写真。
写真には一人の女性が写っている。歳は二十代半ばくらいだろうか。
父は写真を見ながらつぶやく。
「どうかこの子を……救ってくれ」
しかし無情にも医者は言った。
彼女がもし目覚めなければ……今夜が山でしょう。と。
****
小さな町。なんの変哲もない小さな町。
大きな山が一つあり川が流れる。そのふもとにある小さな町。
そんな町の住宅街を走る少女がいた。
セーラー服に身を包み鞄を片手に走る。
後頭部で一束に縛った茶色い髪を揺らし走る。
少女の名前は清水穂乃花。今日から高校二年生である。
新学期早々に寝坊をした穂乃花は、遅刻の危機を逃れるため必死に走る。
住宅街を抜け大きな街道に出た。
街道は桜の並木道となっていて春の訪れを知らせる。
登校中の生徒の群に無事混じった穂乃花は、散った桜の花びらを踏みながら途中のコンビニエンスストアを目指す。
コンビニに着くと、中で涼みながら手鏡を出し、顔に張り付いた髪の毛を指でつまむ。
コンビニ内は真新しい制服に身を包んだ生徒も多い。
そんな中一人の男子が穂乃花に声を掛けた。
「わり。待ったか?」
その声で穂乃花は手鏡をしまい笑顔で彼の方を向く。
「ううん。今来たとこ。寝坊しちゃってさー、すっごい走ってきたの」
「まあ、お前らしいな」
二人は今日から始まる新学期への期待を話しながら適当に買い物をする。
彼の名前は上賀茂卓哉。
黒髪で長身。穂乃花とは顔一つ程差がある。イケメンというほどではないが整った顔立ち。
穂乃花とは中学校からの友達である。小学校も同じではあったが、当時は絡むこともなく名前と顔を知っている程度だった。
コンビニを出た二人は、登校中の生徒の群に交じり再び桜並木を進む。
ここをまっすぐ行くと、二人の通う高校がある。
****
校舎二階に着いた二人は、階段前の大きな掲示板と睨めっこをしている。
他の生徒もみな同じく鋭い眼差しで掲示板を見る。
周りでは歓喜の声や残念がっている声が飛び交う。
穂乃花は卓哉に訊く。
「あった?」
「いいや、まだ見つけてない」
「ちゃんと探してる? AとBには無い」
「んー、Dにはねーな」
その掲示板はクラス替えの生徒名簿である。AからDまでの四クラス分の名簿。
毎年の楽しみでもあり恐怖でもある。
「ってことはさ?」
「ああ」
二人の表情は喜びに変わる。
「Cだ」
「Cだな」
穂乃花は思わず卓哉に抱き着いた。
「おい」
卓哉のその声で穂乃花はすぐに離れる。
「ご、ごめん!」
穂乃花は下を向き顔を赤らめた。
鞄を両手で下げながらくるりと回りC組の教室へ向かう。
狭い歩幅で卓哉を待つかのように進む。
卓哉は肩から鞄を下げ左手をポケットに入れながら後を追う。
この時穂乃花は飛び跳ねたいほど嬉しかった。
去年は違うクラスだった卓哉。
穂乃花は恋をしていた。卓哉と友達になってからずっと。
今年こそは告白する。そう心に秘めている。
「早くしないと置いてくぞー! 卓哉ー」
「お、おい」
その声で卓哉は少し歩幅を広げた。
教室に入り新たな席で朝のホームルームを待つ。
出席番号順に決められた席。
卓哉は廊下側の列後ろから二番目。穂乃花はその隣の列一番後ろ。卓哉の左後ろの席である。
穂乃花は席も近いと喜ぶ。
しかし、一つふと気になることもあった。
穂乃花の右隣りの席に生徒がいないのだ。
それ以外の席は皆着席し、落ち着きがないながらも担任が来てホームルームが始まるのを待っている。
すでに八時半を過ぎ、遅刻となる時間。
そんな穂乃花をよそに教室の扉ががらりと開き先生が入ってくる。
「お。皆きちんと席についているな。今年の二年は優等生揃いか?」
先生はそう言いながら教壇に立った。
「私はC組担任の杉山です。去年物理とってたやつは知ってるな。まあ一年間よろしく頼むわ」
と、黒板に名前を書きながら挨拶をした。
「それと転校生を紹介する」
この一言で教室内が騒がしくなる。
そして穂乃花は気づいた。
転校生は絶対私の隣の席だ。と。
白髪交じりでボサボサの頭に大きめの眼鏡。
白いワイシャツに紺のニットベストを着た担任杉山は、教壇で転校生を呼んだ。
「上賀茂。入ってきてくれ」
その瞬間卓哉は声を上げた。
「はい! お、俺ですか?」
一瞬クラスが騒然とする。
「ああ、そういえば君も上賀茂だったね」
杉山は少し笑いながら名簿を確認した。
卓哉の反応は違っていない。
この小さな町で『上賀茂』といえば卓哉の家しかないからだ。
穂乃花はそんな卓哉に声を掛ける。
「ねー。私聞いてないけど。同じ苗字ってことは『親戚』でしょ? なんで教えてくれなかったのさ」
卓哉はきょとんとした顔でただ首を横に振った。
そんな二人をよそに、転校生の上賀茂は教室に入ってくる。
クラスの男子が騒ぎ出す中、上賀茂は会釈をし自己紹介を始める。
「上賀茂花です。よろしくお願いします」
か細く透き通るような声だった。
凛としていながらもあどけない顔立ち。背もさほど高くなく華奢なのが腕を見て分かる。
クラスがしんと静まる。
教室の開けられた窓から入ってくる風の音。
隣のクラスの声。
皆上賀茂の次の言葉を待つ。
しかし、それ以上彼女から言葉は出てこなかった。
「ん、もういいのか? 趣味とかそういうのは言わんのか?」
杉山の問いに対してはただ首を横に振った。
「そうか。席は一番後ろの空いてる席だ」
花はゆっくりと自分の席についた。
ホームルームと全校集会も終わり、皆教室で帰りの準備をしていく。
穂乃花は隣で静かに鞄の整理をしている花に声を掛けた。
その声に卓哉も反応し、座ったまま体を向ける。
「ねーねー上賀茂さん。私清水穂乃花。よろしくね」
花は穂乃花の名前を聞いてびくりと肩を揺らした。
「ほ、ほのか……さん?」
花は穂乃花の顔をまじまじと見つめ、手で口を押えた。
目には涙が浮かんでいるようにも見える。
「上賀茂さん?」
穂乃花は花の反応を見て戸惑う。卓哉も眉を下げ不安げな表情になる。
「ご、ごめん! 私なんかしちゃったかな。ごめん」
穂乃花は慌てて謝る。しかし、何かをしたような覚えはない。
「すみません。何でもないです。気にしないでください」
花はそう言って、逃げるように教室を後にした。
****
花が帰ってしまい、穂乃花と卓哉は桜並木を歩く。
「私なんか悪いことしたかな。顔が怖かったとかかなー」
穂乃花はがくりと肩を落としながら歩く。
「それはないだろ。いつも通りの笑顔だったと思うけど」
卓哉は頭上の桜を見ながら歩く。
「本当に知らないの? 苗字的に絶対親戚じゃん!」
「何度も言ってるだろ、ほんとに知らない。一応帰ったら親には聞いてみるけどさ。それに、俺の苗字はこの辺りでは珍しいけど、他のとこには沢山いるだろ」
「確かにそうだけどさー」
次の日。その次の日と穂乃花は花に逃げられるように避けられた。
穂乃花は心底傷心していた。
新学期卓哉と同じクラスになれて嬉しかった。席も近い。
でも花には嫌われている。
すべてがいい方向には進んでいなかった。
卓哉の親曰く、親戚にも花という子はいないと伝えられた。
しかし新学期の穂乃花は違った。
こんなことで傷心していては卓哉に告白など出来るわけがない。と。
二週間を過ぎたある日。
一時限目は現国。穂乃花は机から教科書を出し授業の準備をしていると、少し慌てた様子の花が目に入った。
花は机の中を覗きこんだかと思うと、すぐさま横にかけてある鞄を開ける。
これを二三度繰り返した後、何かを諦めたかのように顔を上げた。
そして穂乃花と目が合った。
花はすぐに下を向いた。
穂乃花は分かっていた。花が何をしていたのかを。
「上賀茂さん。机、くっつけようか?」
花は肩をびくりとし、少しの沈黙の後首を縦に振った。
花は現国の教科書を忘れたのだ。
机を隣り合わせに付けた頃チャイムが鳴り、先生が入ってきた。
そして授業は進んでいく。
穂乃花は決心をし、自分のルーズリーフに文字を書いた。
『私の事嫌い?』
すっとその紙を差し出した。
すると花は固まったまま首を横に振った。
穂乃花は何故こんな事をしたのか。
それは単純に放っておけなかったから。花は友達を作れずにいた。
クラスのみんなも最初は花に近づき話しかけていたが、花は口下手なのか話も続かず、しまいには誰も話さなくなっていたからだ。
穂乃花は続ける。
『私と友達になって下さい』
花は戸惑いながらもペンを持つ右手を動かした。
下に二文字書く。
そこには『うん』と、そう書かれていた。
****
花は穂乃花から逃げることはなくなった。
相変わらず話は続かないが、穂乃花は話好きなのもあって一方的にではあるが、一緒にいることは増えた。
ご飯何食べたとか、ドラマ面白かったとか。そんなことを話す穂乃花にただ相槌を打つ花。
最初は嫌なのかとも思われたが、花は時折相槌を打ちながら笑顔になった。しかし、何故か涙ぐむようなこともあった。
こんな日々が続き六月に入った。
気温も高くなり、桜並木は深緑を彩る。
穂乃花は体育着に着替えるため花と更衣室にいた。
「今日も暑いねー。てか花ちゃん胸おっきくない? なんでなの!」
「ううん、そんなことない」
花は顔を赤らめながら手で胸を隠す。
「もう羨ましいなー。そんな体細いのにー。私なんてアイス食べ過ぎたのかお腹のお肉がさあ……」
「ううん、そんなことない」
花は穂乃花のお腹をぽんぽんと触る。
体育館に移動し授業が始まる。
内容はバスケットボール。クーラーの無い体育館はとても暑い。
授業も半ばに差し掛かった時、どさりと大きな音が響いた。
その音はボールを地面に突く音でもなく、ジャンプの着地の音でもない。
生徒の一人が声を上げた。
「上賀茂さん!」
試合中だった穂乃花もそれに気づく。
目をやると、そこには花の倒れた姿。
「花ちゃん!」
穂乃花や先生が駆け寄ると、花はすぐに起き上がった。
「大丈夫。ちょっと眩暈がしただけ、だから」
「花ちゃん! 大丈夫なわけないじゃん! 今倒れたんだよ!」
先生は花の顔や首筋を触る。
「熱い。熱中症かもしれない。靴脱がせるわね。誰か濡らしたタオルを持ってきて。それと清水さん、保健室に連れて行くの手伝ってちょうだい」
日も傾き始めた保健室。
そこにはベッドに横になり目を閉じている花。
その横には体育着のままの穂乃花。
その二人以外はいない。
穂乃花は花が心配で残りの授業をサボってそばにいた。
花の症状は軽く、少し休めばよくなるとのこと。
花が起きた時に新しいスポーツドリンクを飲ませるため、自販機に向かおうと穂乃花は立ち上がる。
「どこに行くの?」
花が起きたらしく、穂乃花を呼び止めた。
「花ちゃん。目が覚めた? 具合悪いところない?」
「うん。大丈夫」
穂乃花は安堵の表情を浮かべる。
「よかった。今飲み物買ってくるね」
「待って」
穂乃花はベッドの横に腰を下ろした。
「手を……握ってほしい」
穂乃花は不思議に思ったが笑顔で花の手を握った。
すると、花は目を閉じたまま一筋の涙を流した。
****
八月に入った。明日から夏休みである。
皆帰宅し、外では部活動の音が聞こえるC組の教室。
そこに穂乃花、卓哉、花の三人がいた。
「そんな……」
穂乃花は悲しい顔で肩を落とした。
卓哉も同じく顔をしかめる。
花は二人にこう言ったのだ。
また引っ越すことになった。八月明けには転校する。と。
「どこに引っ越すの? 遊びに行くよ?」
穂乃花は涙を堪えながら訊く。
しかし、花はただ首を横に振るだけだった。
その帰り道。
急に雨が降り出した。
三人は急いで近くのバス停まで走り雨宿りをする。
卓哉は犬のように体を振って雨を落とす。花はただ真っすぐに向かい側を見ている。
穂乃花は小さなハンカチを出し花に差し出す。
そのハンカチを見た花は何故か顔をしかめた。
そんな花をよそに、穂乃花はそのハンカチで花の肩や顔を拭きハンカチを渡した。
「濡れたままだと風邪ひいちゃうから。そのハンカチはあげるね」
淡い黄色のハンカチ。小さな花の刺繍を隅に飾られたどこにでもあるようなハンカチ。
「ありがとう」
花は小さくつぶやいた。
卓哉が提案する。
「バスで帰ろうか。結構本降りになってきたし」
これを聞いた二人は首を縦に振る。
そしてバスが到着し、足早に卓哉は乗り込む。穂乃花もそれに続き、手すりに手を掛けた。
『ドアが閉まりまーす』
穂乃花は一つだけ開いている席を見つけ花を呼んだ。
「花ちゃんここに座りなよ」
しかし返事がない。
バスが走りだし車内が揺れる。
車内を見渡しても花の姿はない。
「あ」
卓哉が窓の外を見ながら声を上げた。
視線の先には花の姿。バス停に立ったままの花の姿があった。
「え? なんで」
二人は意味も分からず呆ける。
「花ちゃん家って別方向だったのかな?」
「さあ」
お互いに花の住所は知らない。
一緒に帰ったこともあったが、いつも最後まで一緒だったので、穂乃花は自分の家の先に花の家があると思っていた。
しばらくの沈黙の後穂乃花は口を開く。
「夏祭り。三人で行かない? それでさ、私たちの秘密の場所教えてあげようよ!」
左手をポケットに入れたまま卓哉は返事する。
「秘密の場所って裏山のか?」
「うん! あそこは花火がきれいに見える私たちの特等席じゃん。花ちゃんにも教えてあげたいの」
「そうだな。この町の思い出になる。いいと思う」
「決まりだね」
****
祭りの日。
意外にも花は穂乃花の誘いに二つ返事で了承した。
穂乃花は来てくれるかどうかが不安であったが、余計な心配だったようだ。
あの日何故バスに乗らなかったのかは分からないままではあったが。
三人の待ち合わせ場所は並木道にあるいつものコンビニ。
並木道を高校とは反対に進むと神社がある。
そこに屋台が並ぶ。この町では一番大きな祭りであり、隣町からも大勢人がやってくる。
穂乃花は浴衣に身を包み二人を待つ。
すぐに卓哉はやってきた。
「わり。待ったか?」
「ううん。今来たとこ」
「花は?」
「ちょうど来たみたい」
セーラー服の花が二人の前にやってくる。
「花ちゃん。なんで制服なの?」
穂乃花は驚きの表情を隠せない。
「学生手帳に書いてあったから。外出時は制服着用って」
「んもー! 真面目過ぎー花ちゃんは!」
そんなやり取りを笑いながら見つめる卓哉。
他愛もない穂乃花の話を二人は聞きながら出店の方へと向かう。
境内に着くと溢れんばかりの人で賑わっている。
そんな中、少し先を歩く穂乃花の袖を花は引いた。
卓哉も気付き足を止める。
「どうしたの? 花ちゃん」
花は袖を掴んだまま離さない。
少しの沈黙の後口を開く。
「お願いがあるの」
穂乃花と卓哉は見合わせる。
「お願い? 何?」
「あのね。……手を繋いでほしい」
穂乃花は笑顔で花の左手を握る。
それを見た卓哉はまた前を向き歩みを進めようとした。
「た……たくやも。こっちの手繋いで欲しい」
花は右手を差し出した。
卓哉は困惑した様子で穂乃花を見た。
穂乃花も戸惑いの表情を浮かべたが、卓哉に目で合図をする。
卓哉は照れくさそうにしながらも花の手を取った。
すると、花は今まで見たことがない顔でほほ笑んだ。
周りから見ると一風変わった三人は、思い思いに出店を楽しんだ。
穂乃花は花にお面を買ってあげたり。
卓哉は金魚すくいで取った金魚を花にあげたり。
三人で一つのたこ焼きを食べたり。
花はくじで引いたカエルのおもちゃを卓哉にあげたり。
買ったばかりのリンゴ飴を落としてしまった穂乃花の頭を花が撫でたり。
三人は祭りを楽しんだ。
****
境内のベンチで休む三人。
穂乃花は時計を確認した。二十分もすれば花火の時間。
卓哉も察してか穂乃花の顔を見た。
この境内の裏山に二人の秘密の場所がある。
今から向かえばちょうど花火の時間に間に合う。
穂乃花が立ち上がろうとすると、花が口を開いた。
「今日は本当にありがとう。それとね。もう一つお願いがあるの」
穂乃花は何かを聞こうとしたが、花に手を引かれた。同じく卓哉も。
「ついてきて」
花はそう言って二人を引き、歩みを進める。
神社の横を通り、獣道に入っていく。
穂乃花は少し驚いていた。
いつもより強引な花に驚いたのではない。
花が突き進んで行くこの道。
これは、穂乃花と卓哉しか知らない道。
花はどんどん進んでいく。
そして少し開けた場所に出た。
町の夜景が目に飛び込んでくる。下には境内が見える。
「ついた。……三人でね。一度ここに来てみたかったの」
花は二人に背を向けたまま言った。
穂乃花は卓哉に聞こえるように小さくつぶやいた。
「ここって」
「ああ。俺たちの秘密の場所」
「なんで花ちゃんが知ってるんだろう」
「分からん」
戸惑う二人を他所に、一筋の光が空に昇った。
そして、上空に大きく花開く。
「きれい」
花はつぶやいた。そしてその場に腰を下ろす。
二人もその両隣に腰を下ろした。
「小さいころお父さんによく連れてきてもらったの。でね、よくここでお母さんのお話して貰ったんだ」
二人は静かに花の話を聞く。
「ここは、パパとママの大切な場所なんだって教えてくれた。お父さんはここで告白されたんだって。お母さんに」
花火の明かりが三人を照らし、風が木々を揺らす。
言葉に詰まったのか花はただ花火を眺めている。
「よし! それじゃここをもっと大切な場所にしよう!」
穂乃花はそう言って急に立ち上がる。
そして足元から小石を拾いこの場所で一番大きな木の側に立つ。
「この場所に私たち三人がいたことを記しておこう」
そして、木に小石でがりがりと『穂乃花』という文字を刻んだ。
卓哉も刻み、花も同じく刻む。
すると花は涙を流した。
「私。もう行かなくちゃ」
何処にと穂乃花が聞く前に、花は木を背にして二人に面と向かう。
「今日は本当に楽しかった」
穂乃花は叫んだ。
「――生きて!」
なぜそう叫んだのかは分からない。
でも、そう言ってあげなきゃいけない気がした。
「うん。会えて……良かった。それじゃね。ありがとう。お母さん、お父さん」
花はそう告げると走って行ってしまった。
****
しばらく花を探したが見つかる気配は無かった。
秘密の場所の木の下で二人息を切らしながら花火を眺める。
最後の花の言動。二人は疑問に思っていたが大して気にはしていなかった。
元々少し変わった子だったからだろう。
息が整い穂乃花は口を開いた。
「卓哉」
「ん?」
花火の音が響きまた静寂が訪れ暗くなる。
「好き」
暗い中すぐ隣にいた卓哉と目が合う。
「俺も好きだ」
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彼女は病室にいた。事故に遭い約五か月ほど意識不明の状態。
先ほど容体が急変し、皆駆け付けた。
彼女は酸素マスクを着け横たわっている。
父は丸椅子に腰掛け彼女の手を握る。
見守る医者と看護師。その後ろには親戚の姿。
心電図の音だけが静かに響く。
酸素マスクが呼吸によって曇る。
この二つが彼女はまだ生きていると告げる唯一の証。
窓際には花瓶。一輪の花が活けられている。
その横には、丁寧に畳まれた一枚のハンカチと小さな額に入った写真。
写真には母親の穂乃花が写っている。歳は二十代半ばくらいだろうか。
父卓哉は写真を見ながらつぶやく。
「穂乃花。どうか花を……救ってくれ」
しかし無情にも医者は言った。
彼女がもし目覚めなければ……今夜が山でしょう。と。
親戚の一人が涙を流しながら、卓哉に聞こえないようにつぶやく。
「十五年前に穂乃花さんが亡くなって、花ちゃんまで……」
すると意識の無いはずの花が卓哉の手を握り返した。
「花!」
花は弱々しくも目を開けた。
医者は驚き駆け寄る。
「お父さん。私ね……お母さんに会えたよ。……すごい可愛かった」
卓哉は手を握ったまま涙を流す。しかし、顔は笑顔を崩さない。
「そうか……そうか……」
「一緒に祭りに行ったの。秘密の場所も三人で……花火、綺麗だったよ」
「うん……」
「お母さんに生きてって言われたから……生きなきゃって」
「うん……ありがとう穂乃花。ありがとう」
一か月後。
花と卓哉は秘密の場所に来ていた。
腰を下ろし、いつものように母穂乃花の話をする。
大きな雲が青い空を流れ、風が木々を揺らす。
二人は母の話をする。
名前の刻まれた大きな木の下で。