(7) 新米皇女は絶体絶命
草原。と言っても草ばかりというわけではない。木も生えていれば、少しは岩山のようなものもある。しかし、大きな森や林はなかった。ひたすら草原が続いているのだ。その中に、地面が露出した部分が細長く続いている部分がある。かなり昔に造られた街道だった。その道を、クオンとファナールは歩いて来ている。
いま、ふたりの前には、砦のようなものがあった。ふたりは、これが何か知っていたわけではない。こんなところになにがあるのだろうと、好奇心で近寄ってみただけだ。なにしろ見渡す限りの草原なので、これぐらい大きな建造物は、かなり遠くからでも目立つのだ。
基本的には、木造だ。外には木の柵が並んでいる。中には、いくつかの木造の建物が並んでいるのが見える。柵の所々に番所のようなものがあり、警戒の兵士が立っていた。もちろん、これはモンスターが侵入してくるのを警戒してのものだろう。
「なにものだ?」
クオンたちは、当然のごとく、見張りの数人の兵士から質される。
兵士の鎧を見ると、太陽と月の紋章が小さく入っていた。クオンの鎧にも同じ模様が入っていたのだが、面倒なことになるのを避けるため、今は消してある。
この紋章を使うのは、太陽帝国とそこから分裂した国々だ。帝国本体は、もはや、エリオン3世とクオンの親子だけ。だから、帝国の弟分であるリトアイザン王国の兵士であろうと、見当がつく。
「冒険の旅をしているのものです。ぼくはクオンで、こちらはファナールと言います」
隠す必要もないだろうと判断し、クオンは、丁寧に答えた。この時代、他の国の情報はほとんど伝わらないから、クオンという名前で皇女を思い出す人など、まず、いない。
「戦士と魔法使いか、今時、こんなところまで、たったふたりで来るとは、見上げたものだ。冒険のパーティなら、魔法剣士を加えて3人がいいと思うがな」
見張りの隊長らしい年配の男が自分の感想を交えて言う。
「いや、隊長、戦士と魔法使いと僧侶と勇者で4人がベストですよ」
マニアックな意見交換をしているが、それはどうでもよい。
「この砦は、どちらのものなのですか?」
クオンの問いに、
「アストベール帝国の血を継ぐ、リトアイザン王国のアルダール姫様がいらっしゃる」
やはり、リトアイザン王国の兵だったのだ。しかし、アルダール姫というのは・?
ともかく、リトアイザンならば、クオンから見れば遠い親戚だ。リトアイザン王国は、アストベール帝国が滅びた後に皇帝の弟によって建国された国だ。ただ、タンバート王国との行き来はまったくと言っていいほどないので、クオンは、アルダール姫の名前すら聞いたことがなかった。ビフォレス王国のニルゼン王子が遠距離をひんぱんに往復しているのは、この時代では非常に珍しいことなのだ。
「すごいじゃん。姫様が軍隊を指揮してるの?」
ファナールがそのことに驚いてみせると、
「姫様は、伝説の『白き光の皇女』だ。姫様が率いてくだされば、わが軍は無敵なのだよ」
自慢げに、隊長は胸をそらした。
「おお、旅の冒険者と聞いたが、まだお若いではないですか。その若さで、モンスターたちにひけを取らないとは、すばらしいですわね」
旅のものに会ってみたいと言うアルダール姫の願いで、クオンとファナールは連れてこられた。クオンはしぶったが、食べ放題のご馳走を用意すると言う兵士の言葉に、ファナールが飛びついたのである。
彼らが向き合っている部屋は、正式な会見用の部屋ではなく、姫の私室らしい。食事の用意されたテーブルを囲んでいるかたちだ。見知らぬ旅人をここまで歓待すると言うのも、気さくなお姫様だ。
「どちらから、来られたのですか?」
旅の冒険者に対しても、お姫様は、こんな丁寧な口調を崩さない。
「タンバート王国です」
クオンが答える。
「わがリトアイザン王国からは南のほうにある国ですね。皇帝陛下が亡命されていると聞いたことがあります」
アルダール姫は、金色の縫い取りのついた、白いドレスをまとっている。年齢は、クオンよりはちょっと上といったところだろう。背もクオンより高そうだ。長い栗色の髪が、背中に流れている。同じアストベール皇室の血を引いていても、髪の色はクオンほど赤くない。顔立ちは、美人と言っていい。きりっとした目が印象的だ。
「わがリトアイザン王国は、アストベール帝国から分裂した国ですが、王家は、タンバートにいらっしゃる皇家の次に位置する家柄です。そこにわたしは生まれました。ご存知ですか? バルトウィックの予言書を?」
クオンは知っていた。ところが、クオンが「はい」と答えるより早く、ファナールが聞いてしまう。
「なんですか?『ばんばん食って』って」
「ぜんぜん違う!」
クオンの突っ込みはともかく、説明しておく必要があるだろう。いにしえの大予言者バルトウィックは、自らの書に、こう記したのだ。
「いつか、皇帝の末裔に皇女が生まれる。皇帝の末裔に初めてあらわれる皇女は、白き光をまとい、自らの命と引き換えに、世界の安らぎを得るだろう」
皇帝の子孫には、一度も皇女は生まれなかった。リトアイザン王家などの分家も含めても、生まれるのは、なぜか、ひたすら男の子ばかりだった。それが、かえってこの予言に真実味を与えたことは否めない。
タンバート城の図書室にあったから、クオンもこの予言書は読んでいる。クオンは、勉強はきらいだが、読書は好きだ。読む本が片寄ってはいるが。
もっとも、予言は知っていても、クオンは、自分が皇子であると信じて疑わないので、自分には関係ないと思っている。
しかし今、目の前に、予言された皇女がいるのだ。「皇帝の末裔に初めてあらわれる皇女」だ。
クオンが皇女であるとしても、アルダール姫の方が年が上だから、初めてあらわれる皇女というと、このアルダール姫のことなのだろう。アルダール姫は16歳ということだった。
「白き光の皇女」は、世界の平和と引き換えに、自らの命を失うのだ。なんと悲劇的な運命だろう。アルダール姫は、そのことを微塵も感じさせないが、達観しているのだろうか。
結局、クオンとファナールは、アルダール姫の砦に泊めてもらうことにした。食事とお風呂を用意するといった言葉ににファナールがつられたのが主な要因だった。
風呂は、こんな砦の中とは思えないぐらい大きな物で、ファナールはクオンに一緒に入ろうと誘ったのだが、クオンはきっぱり断った。クオンとしては、自分は男だと思っているので、女の子と一緒に風呂なんてとんでもない!ということらしい。しかし、男と一緒になら入るのかというと、そうでもないらしい。複雑な心境のようだ。
で、クオンは、ファナールがあがった後に、ひとりでのんびり湯船につかっていた。
天井も高い、広さもかなりのものである。真ん中に岩があって、そこのてっぺんから、お湯が湧き出していた。聞くところによると、このような浴室が複数あるそうだ。そのうち、ここは普段は使っていない浴室らしい。それを貸してくれたわけだ。
「極楽極楽。このお湯、温泉だよなぁ。ひょっとして、ここって、砦になる前は、温泉宿かなにかだったのかな」
クオンの推定は、ご名答だった。ここは、昔、アオユ温泉という、有名な温泉があったところだ。このあたりにモンスターが増えてきて温泉宿が廃業した時に、リトアイザン王国が格安で買い取ったのだ。だから、軍隊駐留地というわりに、風呂や宿泊施設は妙にしっかりしている。クオンとファナールが泊めてもらう部屋も、その名残の部屋だったらしい。
ちなみに、ここの湯は、思いっきり白濁している。クオンは、それも気に入っていた。なにしろ、見たくないものが、ほとんど見えない。目を下にやっても、せいぜい胸のあたりまでしか見えない。
男だって、太ってりゃ、このぐらい胸がふくれてるやつはいるよな。
などと、つまらないことを考えて、自分をなぐさめている。たしかに、クオンの胸のふくらみというのは、その程度のものなのかもしれないが。
そう思うと、今度はなぜか、ちょっと空しくなってしまった。複雑な心境らしい。
「ま、いっか。そろそろあがろっと」
あまり深くものごとを考えないのが、クオンの長所だ。短所だという意見もあるが、それは置いておく。
すっかり茹だったクオンが、ざばっと湯から出たとき、突然、シャッという音がして、浴室の入り口のカーテンが開いた。
「しまった。まだ誰かいたの?」
そう慌てた声を出したのは、長い栗色の髪の、若い男である。男にしては、ちょっと声のトーンが高かったが。
ちなみに、クオンもその男も、素っ裸で向かい合っていると言う、なんとも悲惨な状況。距離はせいぜい5メートルというところか。どちらも硬直してしまって、前を隠すこともしていない。ふたりはそのまま、一呼吸ほど、ぼう然と向き合っていたが、先に動いたのは、男の方だった。
「し、失礼っ」
そう言って、くるりと後ろを向いて、カーテンの後ろに逃げ込んだ。そして、しゃっ、とカーテンを引きなおす。
「ご、ごめんなさい。まさか人が入ってるとは思わなくて!」と、カーテンの後ろから声がする。
クオンの方も、ぱくぱくと口を動かして、なにか言おうとするのだが、なにを言っていいのかわからない。なにしろ、素っ裸を見られている。この状況で「ぼくは男だ!」と主張しても意味がないだろうし。
そして、だんだん冷静になってくると、ふたりとも、ある疑問を持った。当然なのだが、相手がいったい誰なのかということ。
クオンは、わずかの間しか見ていなかったとはいえ、その男の顔は、ある人と瓜二つだった。昼間、じっくり見ることができた顔だ。
一方、男の方は、ろくにクオンの顔を見ていなかった。昼間会った人物と同一人物だと気付かなかったのも無理はない。
「あ、あのっ、ひょっとして、リトアイザンの王家の方、ですか?」
クオンは、勇気をふりしぼって聞いてみた。その男は、どう見ても、昼間会ったアルダール姫にそっくりだったのだ。
男はしばらく返答に詰まっていた。
「そうね。ここでごまかしてもしょうがないわ」
よく聞いていると、男であるにもかかわらず、女言葉を話している。トーンも高いので、声だけ聞いていると、女性に聞こえなくもない。
「ごまかすって?」
クオンがそう聞き返すと、
「わたしは、アルダール姫本人よ」
衝撃の告白! アルダール姫は男だった! じゃなくって。男だから、そもそも姫ではなくて、王子様だった! ええい、ややこしいぞ。
バッとカーテンが乱暴に開けられた。アルダール姫、いや、正確にはアルダール王子か。彼は、寝巻きのような軽装で、手には抜き身の剣を持っていた。
「申し訳ないけど、秘密を知られたからには、死んでいただくわ」
「ち、ちょっと待て!」
湯船の中をあとじさるクオン。もちろん、身を守る剣はここにはない。部屋に置いて来てしまった。
「王国の中でも、知るものの少ない秘事。ごめんなさいね。いさぎよく死んでちょうだい」
目がマジである。でも、クオンとしては、こんなことで殺されてはたまらない。じりっじりっと湯船に近づいてくるアルダール王子からなんとか逃れようと、湯船の中を後退していく。
「ちょっと、おい、やめてくれ」
クオン、絶体絶命!主人公が、こんなバカバカしい理由で殺されてしまうのか? 思いっきり強いモンスターとかならまだしも、こんなのはいやだーーー!
その時だった。
すかーーーーーーん!
そんな音とともに、アルダールは、剣を持ったまま、前のめりに倒れた。
からん
という音をたてて、タライが転がった。これがアルダールの後ろから飛んで来て、後頭部を直撃したらしい。
「だいじょうぶ?」
そう言いながらアルダールの後ろから出てきたのは、ファナールだった。
「ごめんなさい」と、アルダールは素直に頭を下げた。
ここは、クオンとファナールに割り当てられた部屋だ。あの後、目を覚ましたアルダールは、ファナールに魔法で脅されて、ここに連れてこられた。持っていた剣は、クオンが取り上げてしまっている。
しょげかえったアルダールを見て、クオンは、なんだかかわいそうになってしまったらしく、
「いいよ。結局なにもなかったんだし」
「クオン、そういうことじゃダメよ。こういう優位は最大限に活かさないと」
ファナールは魔法の杖をぽんぽんと叩きながら、じろりとアルダールを見る。
「優位?」
「そう。これだけの軍隊を持つ人間の弱みを握ったのよ。これを使わない手はないでしょ」
ファナールは、にやにや笑っている。なにしろ、夢は世界征服なのだそうだから、たしかにこの軍隊は魅力だろう。
「それに、『白き光の皇女』って肩書きも魅力よね。世界征服には、そういうのも必要だし」
堂々とファナールは言ってのける。
「そんな肩書き、別にいらないと思うけどなぁ」
クオンがそう言うと、アルダールが色をなして、
「そんな肩書きとはなによっ!そのために、わたしがどれだけ苦労したかわかるっ?」
「苦労して女装してたんだよね」
あっさりと、ファナールが言う。それに対して、アルダールは言葉を返せない。
「なにか、目的があるんじゃないのか?」
クオンが、かばうように、そう尋ねる。
「目的。そう言えるのかどうか……」
ボソッと、つぶやくアルダールだった。