(6) 新米皇女はふたり旅
「いい天気だね~」
緑の髪の魔法使いは、お茶の入ったグラスを持ったまま、そうつぶやいた。
「そうだなぁ」
赤い髪の戦士は、同じような姿勢で、そう答えた。
街道脇の茶店の表に置いてあるテーブルで、クオンとファナールは、のんびりとお茶を飲みながら休んでいる。
ふたりの格好はいかにも冒険者ふうだが、のんびりとした雰囲気がたっぷりと充満していて、冒険旅行というより、観光旅行に見えないこともない。
クオンは相変わらず戦闘スタイルだし、ファナールはいかにも魔法使いという出で立ちだ。モンスターに出会ったら、ふたりがかりでぶちのめすので、預金集めも、最近はずいぶんはかどっている。そのため、出張旅費やら手当てやらが、銀行からたっぷり送金されてくるので、路銀に困ることはない。優雅なものである。冒険の旅って、もっとシビアなものだと思っていたのだが。
「そういえばさ、今朝のニュースでやってたんだけどね、このあたりに、渡り魚が来るかもだって」
そう言いながら、ファナールが、左手の人差し指で、くるくると円を描いてみせる。この円が「このあたり」をあらわしているらしい。
「ニュース?」
「魔法協会が魔法で放送してるやつよ。普通の人には受信できないけどね」
それを聞いてクオンは思った。魔法使いの世界というのは、まだまだ奥が深いようだ。目の前にいる小さな魔法使いも、抜けてるわりに、妙に大きな野望を持ってるし。
「今、何か考えたでしょ?」
「魔法使いって、すごいなぁって」
一瞬の沈黙。
「それより渡り魚よ! あたし、一回見たいと思ってたの」
「そもそも、なんなんだよ。その渡り魚って」
「知らない?」
クオンは、聞いたことがなかった。
「うん。聞いたこともないよ」
ファナールは、ぐいと胸をはって、
「それでは、教えて差し上げましょう! 渡り魚とは!」
そこで一呼吸。自慢げに、
「渡り魚っていうのは、渡り鳥みたいな魚なのよ」
「なんか、珍しくなさそうだけど?」
「それが陸の上の空を渡っていくって言っても?」
「ええっ?」
静かだった。風もない。鳥の声も聞こえない。静寂があたりを支配している。
「いよいよね」
クオンとファナールは、瓜畑の真中に立っている。よく見ると、たくさんの瓜が、ほんのりと黄色く色づき始めていた。もう少しで収穫が始まるというところだろう。
「ほんとにだいじょうぶか? 村の人たち、みんな避難しちゃったけど」
クオンが、不安げにファナールに話しかける。
渡り魚を見るべく、予想進路の方にやってきたのだが、いかにも魔法使いなファナールの格好を見た農家の人たちから、瓜畑を守って欲しいと依頼されたのだ。ファナールは、おもしろがってその依頼を受けてしまった。
「たぶんだいじょうぶよ。ただし、魔導力が切れて意識をなくしちゃったら、あたしを引っぱって脱出してね」
「おいおい」
いったいどういう状況なんだろう。ちょっと想像できない。
「クオンには水の女神の加護があるのよ。だいじょうぶ!」
「実感ないけどなぁ」
水の女神といえば、ナイベル。クオンからすれば、なんだかヘンな女の子という認識しかない。加護なんてありそうに思えないのだ。
クオンは不思議そうな顔をしていたが、
「おい。聞こえてきたぞ。この音がそうだろ?」
ごごおおおおおおおおおおお
遠くから、地鳴りのような低音が響いてくる。
「来た来た!」
地平線が大きく盛り上がったと思うと、ぐんぐんこちらに近づいて来た。
「守るべきものある故に水よ! 汝、その務めを果たせ! ビシャーガ!」
ファナールの呪文詠唱が終わると、ファナールの右手から、水の膜のようなものがぐんぐん広がっていく。水の膜は、ふたりだけでなく、瓜畑を大きくおおっていった。
「へぇ、すごいな」
クオンが感嘆していると、ついに巨大な津波が襲いかかってきた!
「こっ、これのどこが魚なんだよっ!」
驚くクオンに、ファナールは平然と、
「水の中に泳いでるでしょ?」
言われてみると、津波の中に、たくさんの魚がいる。
「ひゃあ。渡り魚って、じぶんたちが渡るために、水をいっしょに持ってくるのか!」
なんともはや、迷惑な生態である。
津波はまだ続いている。クオンの質問に答えず、ファナールは、無言で魔導力を放出しつづけた。クオンがちらっと見ると、苦しそうな顔に、だんだんと汗が浮かんでいる。やはり、かなりキツイのだろう。
「いやぁ、助かりましたわ。うちの村の瓜は全く塩水をかぶっとりません。たいしたもんですなぁ」
村の長老は、そう言ってクオンに頭を下げた。
そう。あの魚たちが持ってくる水は、海水なのである。こんなものをかぶったら、畑はただでは済まない。魔法使いたちは、こういう時、最高に尊敬される。
「お礼に、畑1枚ぶんの瓜を全部差し上げますわ」
「いっ!?」
クオンは絶句した。もらえるのはうれしいが、旅の途中でそんなもんをもらっても、どうしようもない。
丁重にお断りして、クオンはふたたび旅に出た。
さて、すでにお気づきの方もいらっしゃると思う。瓜畑を守った主な功労者であるはずのファナールは、なぜここにいないのか? どこにいったのか?
実はこの時、ファナールは、クオンの背中の大きな袋の中に入っていた。ピンク色のふにょふにょした姿で、ぐっすり寝こんでいたのである。
渡り魚の津波が通りすぎた直後、ファナールの体は、「ぽんっ」という音とともに、メイジスライムに変化してしまったのだ。
「どうなってるんだよ。オイ」
「スラ」
「スラじゃわかんないよ!」
「スラスラ」
「スラスラでもわからないってば」
ふたりは、というか、ひとりと1匹は、バルカ市という、けっこう大きな街の宿屋に入った。ひとり料金なので、安くてすむからメリットはあるのだが。
前にかけた変化の魔法の後遺症らしいが、なにしろファナールは「スラ」しか言えないから、説明ができない。
ともかく、まず寝てから考えよう、とクオンが提案すると、ファナールも「スラ」と言って賛成……したのだと思う。たぶん。
翌朝。
クオンは、足の方がなんだか重いなぁ、と思いながら目を覚ました。
「うわっ」
足の上あたりで、女の子が寝ていた。ピンク色の服を着たまま、マントも付けたまま、あお向けの姿勢でくーかくーかと寝息をたてていたのである。
たしかに、夕べ、メイジスライムの姿で、足元あたりにいた記憶はあるのだが・・・
「いつのまにか、戻ったんだ?」
そのままでは足がしびれそうだったので、クオンは上半身だけ起きあがって、ファナールの頭をぽんぽんと叩いた。
起きない。
しかたないので、足をファナールの体の下から引き抜く。どさっとベッドの上に落ちるが、ファナールはまだ起きない。
バルカ市の大食い大会と言えば、最近は観光客にも知られてきているはずなんだが。と、バルカ市大食い大会実行委員のひとりは、大会受付窓口で、クオンとファナールに説明していた。
一種のお祭りなので、参加すれば、勝負は別にして、事実上タダで食べ放題だそうだ。この話にファナールが飛びついた。
「そういうことなら、あたし、自信あるんだ。特に、今なら、いくらでも行けそうだもん!」
「お、参加するかい。じゃあ、まずクラス別の予選だ。15歳以下の女の子クラスで挑戦してくれ」
「クオンはどうすんの?」
「ボクはいいよ。食べるのは自信ないし」
「でも、クオンって、女の子としちゃ、たくさん食べる方じゃん」
「ボクは男だってば」
ファナールは苦笑いして、それを受け流す。いつものことだからだ。
「はいはい。じゃあ、あたしだけ、た~っぷり食べてくるわ」
ふたりは、受付をすませた後、会場の案内書をもらって、予選会場に向かった。
「結局、魔導力が回復すれば、もとに戻れるってことか」と、クオン。
ファナールは苦笑いで答える。
「たぶんね。こんな現象、聞いたことないけど」
ファナールは、魔導力が尽きた瞬間にメイジスライムの姿になり、一晩寝て、魔導力が少し回復したところで、人間の姿に戻れた。魔導力が切れている間だけ、メイジスライムになってしまうということだ。いつまでこれが続くのはわからないが。
「ともかく、いい機会だから、食べまくっちゃうよ。そうすれば魔導力も早く回復するしね」
大食い大会に参加するつもりになったのには、そういう目的もあるのだ。
「う~ん。これはすごいかも」
なにしろ、この会場は、15歳以下の女の子たちのみである。クオンは、あからさまにいやそうな顔をしている。クオンだって15歳の女の子なのだが、本人は自分が男だと信じて疑わないので、こういう場所は、ちょっと苦手だ。
巨大な円卓を、女の子が数十人囲んでいる。円卓の上には、すごい数のパン。食べやすいようにか、丸くて小さい。女の子達の外に、審判係が立っている。こちらは、ちょっと年上の女性たちである。
「がんばれー!」
「腹こわしてもいいから食いまくれー!」
「骨は拾ってやるぞー!」
無責任な声援が飛んでいる。出場者の友人たちだろう、声援を飛ばしているのも、多くは同じ年頃の女の子達だ。
「それでは!ただいまから、予選第1回戦を開始します!」
大食い大会が始まって、すでに1週間が経過している。
いよいよ最終予選。ここまで勝ち残った8人と、前回のこのクラスの優勝者が戦うのだ。ファナールは、恐るべきことに、ここまで勝ちあがってきていた。魔法使いおそるべし。魔導力を回復させるという目的は、とっくに果たしているのだが、ここまで来れば、後には退けないと言ってがんばっている。
「さぁ、いよいよ最終予選だ! しかしこのクラスは厳しいぞ! なんといっても、前回大会の本選で、男性陣を全滅させたこの人に、勝たないといけないのですからっ!」
司会者が紹介すると、豪華な衣装を着た少女がひとり、天幕の中から現れた。
「前回15歳以下女性部門優勝!そして堂々の総合優勝!ベルナイさんだ~っ!!」
アイドル系の顔立ちに、流れる水色のロングヘア。この場が大食い大会ではなくて、アイドルのオーディションではないかとも思わせてしまう。
それを見たクオンはその場でずっこけていた。その少女は、よく知っている顔だったのだ。
しかし、クオンのずっこけとは無関係に、戦いは始まった。
今回は、パンではなく、炊いたご飯を丸く握ったもの、つまり「おにぎり」が、大量に置いてある。このあたりでは米を食べる習慣はないから、わざわざこの大会のために取り寄せたらしい。
それにしても、ファナールの食べっぷりはすごい。クオンは、魔法を使っているのかと疑ったが、そうではないらしい。ファナールによると、魔法使いの胃腸のつくりは、そもそも一般の人とは違うのだそうだ。しかし、相手が悪い。いかにファナールが大食らいでも、相手が悪すぎる。
前回優勝者は、ちょっとペースを落とそうと思ったのか、一息入れている。すでにファナールを含めた8人のペースを大幅に上回っていた。
「その余裕が命取りになるのよ!」
おにぎりをほお張りながら、ファナールは宣言した。ご飯粒が飛び散る。
「あら。そういうことなら、わたくしもがんばらなくちゃいけませんわ」
にっこり微笑んで、お握りを両手につかむと、前回優勝者は、それを一気に口に放りこんだ。
「総合優勝は、前回に引き続き、ベルナイさんだ~っ!」
表彰式の会場に、クオンとファナールは来ていた。
「どう考えても卑怯だよな」
「でも、あれが、水の女神様ねぇ。なんだか、イメージが違うなぁ」
そう。ベルナイとは真っ赤なうそ。彼女こそ、水の女神、ナイベルその人だったのである。神様が、人間の大食い大会に出てくるというのは、なんとも卑怯な話だ。
「あら、勇者さま、おひさしぶりですわっ」
表彰式も終わって、参加者や観戦者たちがぞろぞろと散り始めた頃、ベルナイ、もといナイベルが、ニコニコ笑顔で、クオンに声をかけてきた。
「こういうとこに出てきていいのか?」
「だってぇ、勇者さまってば、最近、ぜんぜん洞窟に入ってきてくださらないんですもん」
握り締めたこぶしをぶんぶん振って、ナイベルは苦情を言う。
そういえばそうだ。最近、わざわざ洞窟に入ってまでモンスターを探す必要がなくなったせいだ。
「でも、前回の優勝者だっていうじゃないか。前回って、最近じゃないぞ」
「うっ」
ナイベルが言葉に詰まった。
「それに、年齢。ほんとは何歳なんだよ」
クオンがたたみかけると、
「い、いじわるっ! 女の子に歳を聞くなんてぇ~! 勇者様のいじわる~っ!! うわぁ~~~ん」
泣きながら、ナイベルは走り去ってしまった。この女神様は、こういうパターンが好きなのか?ちなみに、ナイベルは神様としては若い方だが、少なくても100年は生きているはずだということを追記しておく。
ぼう然としているクオンの横で、ファナールが、ぼそっと言う。
「あれでも、いちおう、あたしのご先祖様のカタキの子なのよね。なんか、気が抜けるわぁ」