(3) 新米皇女はスライムと仲良し
主人公、クオンは、いきなり大きな問題に直面していた。
タンバート城から少し西のほうにいったところに、あまり大きくない森がある。日帰りできる距離だし、何よりスライムがたくさん住んでいるので、クオンは、仕事(預金集め)として、よくここに来ていた。お得意さま(ぜんぶスライム)も多いらしい。
クオンがここに来るのは、約1ヵ月ぶりだった。ということは皇子様から皇女様に変わってしまってからは、初めてということになる。そして、以前には思いもつかなかった難題があることに気付いてしまった。
当たり前の話だが、森の中にはトイレがない。
笑ってはいけない。クオンにとっては深刻な悩みなのだ。何しろお城育ち、お坊ちゃん育ち。ひとりで外に出るようにから、立ちションができるようになるまでにも、相当の艱難辛苦があったらしい。ましてや、屋外でズボンをおろしてしゃがむなんて、とんでもない!
クオンの苦悩は続いていた。
もし、してる最中を、スライムにでも見られたら!
生きてはいけないかもしれない。いや、マジで!
だから笑わないでって言ってるでしょうが。彼、じゃなくって彼女は、ホントに真剣なんだから。
この森には何度か来ていたが、こんなところがあるとは知らなかった。
林立する木の柱に囲まれて、その中がきれいに整地されている。
結構広い。奥には、木で作られたけっこう立派な家があった。
さらに驚いたのは、木の柱で囲まれた中に、スライムがうようよいたことだ。色とりどり。
「おい、そこの兄ちゃん」
呆然としていたクオンに呼びかけてきたのは、いかにも商人という格好をした、格好の割には妙に屈強そうな男だった。
クオンが、「兄ちゃん」という呼び方にちょっと幸せをかみしめていると、
「兄ちゃん、スライムを買いに来たのかい?」
そう言って、男はニヤリと笑った。
「え? スライムを買う?」
「なんだ。知らないでここに来たのかい。おれはスライム屋。ここはおれ様のスライム牧場だぜ」
スライム屋? スライム牧場だって?
「普通のスライムなら、40バイル。ラージなら80バイルだ。どうだい?」
「このスライム、どうやって捕まえたんだ?」
「勝負したんだよ。おれとな。勝った方が負けた方を売ってもいいて約束でな」
「すごいなぁ」
すごいことはすごいけれど、クオンたちの銀行のお客さんを捕まえて売ってるわけだから商売ガタキだ。
クオンは意を決した。
「それじゃ、ボクも、あなたに勝負を申し込もう」
「おれに? やめとけ、やめとけ。レベルが違いすぎる」
スライム屋の男は、笑う。よく見ると、腕や肩の筋肉がすごい。しかも、身のこなしにもまったくスキがない。クオンも戦闘に関してはなまじド素人ではないものだから、力量の差をひしひしと感じてしまう。
「それより、めずらしいスライムを手に入れたんだが、どうだい、1匹?」
クオンは、剣にかけていた手をおろして、男についていくことにした。
「こいつだ」
大きな木のカゴの中に、スライムがいた。しかし、見たことがない色だった。
「ピンク色のスライム?」
男はニヤリと笑って
「見たことねぇだろう? こいつはメイジスライムっていってな、おそろしく珍しいスライムらしいぜ」
「スラ!」
ピンク色のスライムが、抗議するように鳴いた。
「ん? しゃべれないのか? こいつは」
ふつうのスライムは、ラージスライムも含めて、人語を話す。語尾にいちいち「スラ」が付くのはご愛嬌だ。
「ああ。なぜか、闘った時から、『スラ』としか言わなかったな」
「スラスラスラスラ~!」
何か言いたそうだ。
「う~ん」
そういうスライムもいるんだろうか?
「200バイルでどうだい?」
貯めている貯金を全部使えば、200バイルならなんとか出せる。
メイジスライムのつぶらな瞳を見ていて、クオンは決意した。
「トっ、トイレ貸してください!」
決して彼には悪気はなかったと弁護しておこう。スライム屋の男は、決してそんなつもりではなかった。
ただ、トイレの紙が切れいていたのを思い出して、渡してやろうとしただけだ。
ドアを開いた時、クオンがこちらを向いてしゃがんでいたのも、スライム屋のせいではない。
そういう構造だっただけの話だ。
その時、クオンの「ある部分」が丸見えになったとしても、スライム屋には何も非はないだろう。
用をたそうとしていたのだから、当然だ。
しかし、スライム屋の男は、クオンが力まかせにぶんなげた剣(鞘に収まったまま)を正面からまともに受けて、昏倒してしまった。
結果的に、クオンは見事に勝利をおさめたのだ。
もっともクオンには勝ったという実感はなく、顔を真っ赤にして、ぶつぶつ何か言いながら、なぜか敗北感に打ちひしがれていたという。
こうして、クオンは、メイジスライムをタダで入手した。敗北を認めたスライム屋は、クオンにメイジスライムを譲ってくれたのだ。
結局、無事にトイレもすませたので、さっきの悲劇は、なるべく忘れるように努めることにして、クオンはふたたび森の中に出ていった。
譲ってもらったメイジスライムを、どうやってつれて帰ろうかと思っていたが、なぜかメイジスライムはおとなしくついてくる。これならば心配ない。
「スラ? スラスラ」
何を言っているのかはわからないが、どうもクオンに話しかけているつもりらしい。
その時である。
カタカタカタ
藪の中から、スケルトンが突然あらわれた。こんな白昼にスケルトンだって?いくら森の中が暗いといっても。
スケルトンは、人の骨のかたちをしたモンスターだ。野にうち捨てられた人間の死体に魔物の魂が乗り移ったものとも言うが、本当のところはわからない。
クオンは剣を抜き放った。しかし、今のクオンのレベルでは、スケルトンの相手は、まだまだきつい。
カタカタカタ
スケルトンは、手に何も持っていない。剣を持っているタイプでなくてよかった。スケルトンはさらに上級になると、甲冑を着ていたり、馬に乗っていたりする。そんな連中と戦ったら、今のクオンのレベルでは瞬殺されてしまうだろう。
「ふん。強いぶん、金はたっぷり持ってるだろ。こうなりゃヤケだ」
負けたら負けた時である。クオンは勝負に出ることにした。
「タンバート銀行の渉外係、クオンだっ! ボクに負けたら預金してもらいますっ!」
クオンは、そう名乗った上で、剣を振りかざし、スケルトンに突進した。
「そりゃあ!」
がきぃっ!スケルトンは、なんと、骨で剣を受け止めた。
「うげ。やっぱり、こいつはちょっときついな」
スケルトンがニヤリと笑ったような気がした。クオンの額には、汗が浮かんでいる。
「スラスラ!」
後ろにいたメイジスライムが、何か言っているようだ。
「そうだ、メイジっていうぐらいだから、何か魔法使えないのか?」
「スラスラ!」
メイジスライムのピンクの体が、一瞬光った。
「スラーっ」
ぴかっと稲妻が走ったと思うと、クオンに襲いかかろうとしていたスケルトンを直撃した。
カタカタ……カタっ。黒くなったスケルトンは、その場に崩れ落ちた。
「電撃呪文か! すごいな、おまえ」
クオンが誉めると、
「スラスラ~ん」
メイジスライムはご機嫌なようだ。
スケルトンは、黒コゲのままゆっくり立ちあがると、お金を100バイル落とした。
「電撃でヤラレルとは思わなカっタ。オレはスケルトンのジャググ。100バイル預金してやるカっタ」
「ありがとうございます!」
「また来ると、よカっタ。今度は負けないカっタ」
黒くなった体を引きずりながら、スケルトンは森の中に帰って行った。
「偉い偉い」
クオンは、そう言って、ぽんぽんとメイジスライムの頭を叩いた。
ぷにょぷにょとした感触。なんだか気持ちいい。癒し効果があるのかもしれない。
「スラスラ」
あいかわらず、何を言っているかは、わからないのだが。
「ちょっと、姫様。そ、それ」
城に連れて帰ったメイジスライムを見て、侍女のメアレインが口をぱくぱくさせている。
「かわいいだろ?」
「か、かわいいですって?」
そこに突然割り込んできたのは、いつのまにかやってきていたニルゼン王子。
「かわいいですとも、クオン姫。あなたほどかわいい方は、この世界に他には!」
「……」
クオンとメアレインは、何も言わずニルゼンを見ている。
王子様は、金糸の刺繍のある真っ赤な衣装に、真っ白い花束を抱えていた。
相変わらず強烈な出で立ちである。
「おや、メイジスライムではないですか。これは珍しい」
ニルゼン、単なるおバカかと思ったら、意外にそういう知識はあるようだ。
メイジスライムは、ニコニコと微笑むニルゼンと、いかにも厭そうな顔をしているクオンの顔を見比べてから、おもむろに叫ぶ。
「スラ~っ」
お得意の電撃呪文だ。ぴかっ、どかーーん!
せっかくニルゼンが用意した花束は、あっという間に消し炭になってしまった。
見るも無残な真っ黒焦げの王子様は、それでも笑みを絶やさなかったという。