(20) 新米皇女は勝利する
ニルゼンは、目をさました瞬間、すぐ目の前で起きていることが理解できなかった。
自分の顔のすぐ横で、赤毛の少女がこちらを向いたまま、すーかすーか可愛らしい寝息をたてていたのである。薄暗くてよく見えないが、その顔を見誤るわけがない。
愛する姫君の寝顔がなぜ目の前に?
「ここは、天国なのでしょうか?」
ニルゼンはつぶやいてから、クオンの顔をあらためてじっと見る。
と、突然、クオンの口が動いた。
「ぼくは……おとこだぞー」
目は閉じたままなので、どうやら寝言らしい。そして、しばらくもぞもぞと動いていたと思うと、ぱっと目が開いた。
この時、ニルゼンとクオンの顔の距離、約二十センチ。
まだ意識は夢の中らしく、ぼーとしているクオン。
「あー、ニルゼンがいるー」
寝ぼけた声でそう言ったクオンは、毛布の下で両手を伸ばしてニルゼンにすり寄ると、抱きついた。
そして、そのまますぐに、ふたたび夢の続きに入っていってしまった。
すぅーすぅー、と幸せそうな顔で眠るクオンだったが、ニルゼンはうれしいような危機一発なような、何とも言えない状況におちいってしまった。
クオンは寝間着かわりの薄いシャツ一枚しか着てなかったので、ふくらんでいるところがニルゼンの体に触れているのがわかる。
ニルゼンとて十八歳の男の子である。理性にも限界というものがあるはずだ。
彼の立場には、同情するべきなのだろうか。それとも、うらやましがるべきなのだろうか?
翌朝。
クオンがメアレインに叩き起こされた時、ニルゼンは、すでにベッドの中にはいなかった。
「まーったくもうっ! 女の子が殿方のところに夜這いするなんてっ! 信じられませんっ! 姫様聞いてますっ?」
ぷんぷん怒っているメアレインだったが、クオンはなぜ怒られているのかわからない。目覚めないニルゼンに、ついていてやっただけなのに。
「おはよー。ニルゼンは?」
「すっかりお元気ですっ。今はお風呂に入ってらっしゃいますけどねっ」
メアレイン、なんだか語尾がまだ怒っている。
「朝から風呂? ともかく、元気になったんだな。よかったよかった」
クオンは、すなおに喜んでいる。
「特定のところが元気になりすぎたみたいですけどっ。……って、どこにいらっしゃるんです?」
部屋を出ていこうとするクオンを、メアレインはトゲトゲいっぱいな口調でとがめる。その前にさりげなく下ネタを繰り出していたような気がするが。
「風呂場ってあっちだったよな?」
「のぞきはチカンですよ」
「男が男のハダカ見たって、チカンじゃないだろ?」
「姫様はっ! オ・ン・ナ・ノ・コ!なんですっ!」
「そんなに怒らなくても……」
そんなふたりの会話を聞いていたアルダールは、横のベッドで寝たふりをしたまま、口を押さえながらくすくす笑っていた。
「すこし、やりすぎましたでしょうか? わたくし、もうダメかもしれません。太陽神様に怒られてしまいますわー! うわーん」
言葉遣いはていねいなワリに、やってることは遠慮がない女神様だが、今回はめずらしく、なにやら殊勝に反省しているようだ。
水の女神ナイベルの家は、水の中にある。といっても、現実世界の中にあるわけではない。異空間である。ナイベルは、そこから、現実世界の水のあるところに自由に出入りできる。移動の自由度という点では、風の神に次ぐだろう。
神様の家と言っても、見かけはごくふつうの人間の家と変わらない。もちろん、家の中まで水に満たされているわけではない。ナイベルの趣味もあり、部屋の中はかわいらしい水色の調度品で統一されていて、涼しげかつ可愛らしいイメージになっている。クオンたちは今、この家の中にいるのだ。
ナイベルの前には、同じくらいの年齢に見える少女が座っている。少女と言っても、頭の上に光る三日月が浮いているので、人間ではないことがわかる。この光る三日月は、神の力の象徴で、今はナイベルの頭の上にも同じようなものが乗っかっている。
「また、大げさな。それがあんたの役目なんだから、多少は許してくれるってば」
もうひとりの女神様、見た感じでは髪の色以外はナイベルと似ているが、しゃべりかたがずいぶん違う。妙にお嬢様風なナイベルに比べて、庶民的だ。
「そ、そうでしょうか? お母様」
ナイベルは、「お母様」と呼びかけた。
この世界では、神様にも親子関係があり、神の地位を子供や孫などの子孫に譲るようになっている。神の地位を譲った後は、人間となって短い一生を終えるか、天上神として、長い年月を過ごすか、自分で選べるのだ。
ナイベルの母は、ナイベルに水の女神の地位を譲った後、天上神となって、のんびり暮らしていた。人間から神になった時点が十五歳だったので、いまでも見かけの年齢はその時のままだ。名をサマーベルという。人間界における伝説の炎帝シュペー一世の実の姉でもある。だから、当然、シュペー一世の子孫であるクオンたちとも血縁にあたる。
「なんだか不思議なんだよな。彼らの旅って、まるで昔のぼくらの旅の道順そのままじゃん」
サマーベルの言葉遣いは、バカ丁寧な娘と対照的だ。一人称もなぜか「ぼく」だし。
「わたくし、誘導しているわけではないのですけど、なぜか、そうなってしまうのですぅ」
「運命ってやつなのかなぁ」
「目的地が同じだからというわけでは、説明できませんものね」
「ファイアーキマイラに全滅させられるとこまで同じなんだから、笑っちゃうよな」
サマーベルは、そう言って苦笑する。
「結局あれが、ぼくの運命を決めちゃったんだけどね」
何かを思い出すように、目を閉じる女神サマーベル。
「今回は、わたくしがいますわ」
「うん。期待してる。ナイベル。ぼくの娘だもんな」
「はい」
にっこりと微笑むナイベル。
「じゃあ、帰る」
サマーベルと一緒に立ちあがって、ナイベルはふかぶかと頭を下げた。
「今回は、助けていただいて、ありがとうございました」
「実の親に向かって、なに遠慮してるんだよ」
サマーベルは、ちょっといたずらっぽく笑う。
「じゃあな。またなにかあったら呼びなよ」
「というわけで。わたしは絶対にあいつに負けない方法を考えたの」
食堂のテーブルを借りて、クオンたちは今後の相談をしている。もちろん、あのファイアーキマイラ対策である。ちなみに、ナイベルはどこかに行ってしまって、家の中にはいない。
「アル、まさか『それは戦わないことだ』とか言うんじゃないでしょうね」
ファナールの言葉に、アルダールは驚いて、
「な、なぜそれをっ」
ファナールは人差し指を振りながら、
「あのねぇ。あたしだって炎帝の伝説ぐらい知ってるわよ? シュペー一世の一行は、ファイアーキマイラをどうしたか」
「どうしたんだっけ?」
と、クオン。
「いったん全滅させられたとこまで、あたしたちと一緒。で、二度目は避けたのよ。無理に戦う必要はない、ってね」
「あ、そうか。だからあいつ、まだ同じとこにいるわけか」
クオンは感心したように言う。
「ちょっと待ってください。そんな時代からいたということは、あのファイアーキマイラは、やはり、今の魔王とは無関係の、古い魔物だということですよね?」
と、ニルゼン。
「そんなに古くもないわ。あいつを見て思い出したんだけど、たぶんあれは、かつての魔導帝国が作り出した人造魔獣よ」
と答えるファナール。魔導帝国の皇帝の末裔だけあって、さすがに詳しい。
「人造ってことは、ひょっとして、誰かの命令を聞くのか?」
クオンの問いに、ファナールは答える。
「魔導皇帝の命令なら聞くでしょうね。今でもいるのなら」
さらにクオンが確認する。
「ファナールって、魔導皇帝の直系の子孫じゃなかったっけ?」
「あ」
ファナールは、「あ」のかたちに口を開けたまま、十秒ほど固まっていた。
というわけで、彼らはもう一度地下迷宮に挑んだ。迷宮と言っても今度は道順がわかっているので、目的地への到達は最初の時よりもずっと早かった。
そして最深部、ファイアーキマイラに再会する。
「困るんだよなぁ。そういうことは先に言ってもらわないとさ。俺にもこのダンジョンを仕切る立場ってもんがあるんだぜ。わかる? お嬢ちゃん」
ファナールが「自分は魔導皇帝の末裔だから、言うこと聞いて」と言ったのに対する、ファイアーキマイラのセリフである。
「まったくもう、ひさびさにご主人様が出てきたと思ったら、こんなガキんちょだもんな。ほら、命令しろよ。やってやっから。ほらほら」
ファイアーキマイラは、ファナールの前に自分の顔を突き出して、嫌味たっぷりに、そう言った。とても主人の命令を待つ態度ではない。なめきってるのだ。
「くっ、なんかすっごい屈辱的なっ」
ファナールの手が、ぶるぶると震えていた。
「待ってファナール。そこでキレたら、水の泡よ。ここはがまんがまん」
アルダールが、こそこそ小声でアドバイスしていたが、ファナールは、がまんできなかったらしい。
「よくもそう、えらそーにできるわね!」
「あ、キレた」
ボソッと言うクオンを、ファナールはじろっとにらんで、
「だまってなさい!」
首をすくめるクオン。
「へい」
もう一度ファイアーキマイラをにらみつけるファナール。瞳の中に炎がもえたぎっている。気のせいか、周囲の温度も上がっているような……
「さぁて、ファイアーキマイラちゃん。こいつを食らっても、そんな態度とれるかな?」
ファナールは、右手の人差し指で、びしっとファイアーキマイラを指した。
「なに?」
目を閉じて、一呼吸置く。そして。
「魔導帝国究極奥義っ!」
ファナールが、自信たっぷりに、なにかを披露しようとしている。クオンたちは、期待と不安の入り混じった目のまま、それを見守っていた。
「ま、まさか!」
ファイアーキマイラは、ファナールの繰り出そうとしている呪文の正体に気づいたのだろうか、一瞬硬直した。
「そんなバカな! あの呪文が、残っているはずが!?」
「ふふふふふのふ。そーれはどうかなー?」
ファナールは、にやにや意地の悪そうな笑顔で、杖を高く掲げた。
「や、やめろ! それだけはっ!」
「このあたしをバカにしてくれたお礼はしないとねぇ」
じりっじりっと前に出ていくファナール。それにあわせるように、あとじさっていくファイアーキマイラ。
緊張が高まっていく。
いったいなにが起きるのか! 魔導帝国究極奥義とは、どれほどすさまじい魔法なのか!?
無言の時間が過ぎていく。
ぽたっ、と汗が落ちる音がした。
「ま、待ってくれっ」
緊張に耐えられなくなったファイアーキマイラは、ついに全面降伏することにしたらしい。しかし、
「待ってくれ?」
ファナールがにらむ。
ファイアーキマイラは、いきなり低姿勢になって、
「いや、待ってく、ださいっ!」
声色まで変わってしまう。
「ふうん、すると、心を入れ替えて、あたしの命令に従うと言うのね」
脅しにかかるファナール。
「は、はいっ。喜んでなんでもいたしますです。ご主人様!」
いやもう、かわいそうなぐらいに、へこへこ頭を下げるファイアーキマイラ。
「よしよし」
かくして、無敵の魔獣は、ファナールの軍門に下ったのである。
結局のところ、ファイアーキマイラは「大地の鈴」は持っていなかった。「風の使者」ウェイルンに盗まれたというのだ。ウェイルンというのは、魔王軍の中では「水の魔女」ビスマや「地の巨人」ゴウラと同格で、魔王軍四天王と呼ばれるうちのひとりらしい。
ちなみにクオンは、「自分にかかっている呪いを解く方法を知らないか?」とファイアーキマイラに質問したのだが、これに対して、魔獣はこう答えたのだった。
「何をわけのわからないことを。もうすでに解けているようにしか見えないぞ」
この答えの真偽は後日判明することになるのだが、この時のクオンには、あまり意味はなかった。役に立つ情報が得られなかったために、がっくり肩を落としただけだった。
そして、クオンたちの馬車は、進路を北に向けた。いよいよ、魔王のいるアストベール城に向うのだ。
「で、結局、どういう呪文だったんだ?あの、『魔導帝国究極奥義』っていうのは」
馬車の中でクオンが聞く。
「ああ、あれ? あんなのハッタリに決まってるじゃない」
いともあっさりと、そう答えるファナール。
「ええーーーーーー??」
クオンたちは、愕然とした。それじゃ、あの超強力なモンスターをハッタリだけで押さえこんだってことか?
「魔導帝国には、その手の怪しげな呪文がいっぱいあったらしいから。で、あいつならそういうのを知ってそうだから、引っかかるんじゃないかなってね」
涼しげな顔で、ずずっとお茶をすするファナールと、大粒の冷や汗をたらしたクオンたち。
「みんなどうしたの? おいしいよ。女神様にもらったお茶」




