検証開始
「じゃ、検証始めちゃおっか」
整理した机の上に、僕が捕ってきたスライムのうちの一匹を置いてからミラが言った。言うまでもないかもしれないが、机の上を整理したのは僕だ。
「検証って、具体的には何やるんだ? と言うか、ミラが立てた仮説の内容話してほしいんだけど……」
「えーっと、あの二匹のスライムは夫婦とかじゃなくて、元は一匹のスライムで、分裂したんじゃないかなーってのが私の仮説。それで、今から検証するのは、スライムを二つに切り分けたらそれぞれが一匹一匹のスライムとして活動できるのかなーってこと」
「分裂……?」
「そ。あの二匹のスライムの左右非対称なところとか見てたら、元々は一匹だったんじゃないかなーとか思ったの」
理解出来なくはないし、言われてみれば、そんな感じがしなくもないような気がする。
でも、生物が分裂して、しかもそれぞれが別の生命として活動するなんてこと、本当にあるのだろうか……?
「で、どうやってそれを検証するんだい?」
「そりゃ、もちろん切るんだよ。このスライムを」
そう言ってニヤリと笑うミラの手には、いつの間にかナイフが握られていた。正直なことを言うと、かなり不気味だ。
「あー、今、私のこと不気味だなーって思ってたでしょ? 失礼しちゃうなー、まったくもう!」
心が読まれている……だと。
「ネロの思考なんてお見通しなんだからねっ」
「なんとなく、君への興味がスライムへの疑問を上回りそうなんだけど……」
「……それ、プロポーズ? やーん、どうしよっかなー」
「放置放置無視無視何も聞こえない何も聞こえない」
「むー、ちょっと冗談言っただけじゃない!」
冗談だったか……。良かった良かった。
「君が言うと、どんなことでも冗談に聞こえなくなるから困るね。まぁ、こんな馬鹿な会話は置いておいて、検証を始めよう」
まだ何か言いたそうに口をモゴモゴと動かしていたが、それはすぐに収まり、ミラは首を縦に振った。
――さぁて、検証開始だ。
「じゃあ、切るねー」
徐ろに言い出すネロ。先ほど言っていたことを実践するのだろう――。
「あ、ちょっと待って!」
「何よー。せっかくやる気になってたのにー……」
「いや、そのまま切ったらダメだって。スライムって、生きてる状態だと切ったら中の粘液がこぼれて、それと皮が混ざっちゃって取り返しのつかないことになるから」
うっかり忘れていたが、スライムを切ったところで二匹にはならない。僕がよく知っている事じゃないか。
「じゃ……、うーん。あ、凍らせてみよ?」
「え……?」
「だーかーらー、凍らせれば、体内の粘液は凍ってこぼれなくなるでしょ? もしかしたら死んじゃうかもだけど、どうせ普通にやったら死んじゃうんだし、試すだけ試してみよ?」
なるほど、その手があったか。
スライムが死んでしまう可能性は高いが、確実に死ぬ方法を無意味に試すよりはマシなはずだ。
「じゃ、早速……」
ミラが、手を動かす。特に意味がある訳では無いのだが、魔法を使う際に手を動かしてしまうのは、癖のようなものだ。僕もやるし、ほとんどの人がやってしまうことだろう。
なんとなく、手を動かした方が魔素の存在をイメージしやすいような気がするのだ。
少し手を動かしていると、彼女の手の周囲の空気が白く凍り始めた。魔素によって、冷気がもたらされたのだ。
そして、周囲に冷気を纏った両手をスライムにかざすミラ。
一瞬、スライムがピクッと震えたが、すぐに動かなくなった。見た目には特に変化がないため、生きているかどうかは分からない。
「じゃ、切るねー」
緊張も何も感じられないような呑気そうな声でミラが言った。
「溶ける前に終わらせないといけないから、なるべく早く終わらせてもらえると助かる」
「りょーかい」
手に持ったナイフをするりとスライムの体に刺し、真っ二つに切り分ける。普通に切った時とは違い、体内の粘液はこぼれてこない。ちゃんと、凍っているようだ。
ミラは、ナイフを机の上に置いてから、真っ二つになったスライムをじっと見つめて固まっていた。
――どうかしたのだろうか?
「ね、ねぇ、ネロ。切ったのはいいけど、これ、ここからどうしよう?」
「考えてなかったの?」
僕がため息混じりに言うと、ミラは口を尖らせて言った。
「だって、とりあえず、切ったら何か起こるかなーって思ったけど、特に何も起こらなかったんだもん! じゃあ、私はどうしたらいいか分からないから、ここでスライム専門家のネロ先生にパス!」
「いや、パスって言われても……。えーっと、どうしよう……?」
二つになっている。このまま解凍するまで待っていたら、グチャグチャになって終わるだろう。なら、どうすればいいんだ……?
とりあえず、断面さえ何とかすれば溶けてもグチャグチャにはならない……と信じよう。
「ミラ、裁縫道具持ってきて」
「裁縫道具なんて何に……あ、縫うの?」
「その通り」
「じゃ、ちょっと待っててねー」
パタパタと足音を立ててミラは地下室から出ていった。
さて、縫ったあとの事についても考えておこう。二つに分かれているのだから、それぞれ別の事をやっておきたい。とりあえず、片方は縫ったまま放置でいいだろう。もう片方はどうしたものか……。
「持ってきたよー」
頭を抱えていると、相変わらず緊張感のなさそうなミラが両手で箱を抱えて戻ってきて、箱を机の上に置いた。
「じゃあ、ちょっと借りるね」
「はいはーい」
箱を開けると、針やら糸やら名前が分からないような裁縫道具やらがゴチャゴチャと入っていた。その中から、針と糸だけを取り出す。
「ちょっとごめん……」
生きてるか死んでいるのか、今の時点ではまだ分からないスライムに小さくささやいてから、糸を通した針を刺した。
「あ……、中に凍った粘液入ってるせいで端同士が接しなくて縫えないや……。この粘液って取り出してもいいのかな?」
縫おうとしたが、縫えなかった。
「さぁ? まぁ、ダメで元々なんだから、気楽にいこーよ、ね?」
なるほど、ミラから緊張感が感じられないのは、ダメ元だと割り切っているからか。だが、言われてみれば確かにミラの言う通りかもしれない。
「ちょっとナイフ借りるね」
「あーい」
机に置かれたナイフを手に取り、それを使って凍った粘液を抉り出す。ちょっと固いが、難なく取り出すことが出来た。これで、縫えるはずだ。
もう一度、針を刺して縫い始める。今度は、ちゃんと端同士が接していて、縫えるようになっていた。
「よし、とりあえず縫えたには縫えたけど……」
たった今、自分が縫ったばかりのスライムを見つめながら、ため息をつく。
「この縫いの粗さだと粘液が溢れるには十分だよね……」
そう、ミラの言う通りなのだ。このままでは、溶けたら今までの努力が水の泡になる。
「あ、でもさー、これを傷だと思えばいいじゃん!」
「はぁ? だって、ミラがナイフで切ったところを、僕が応急処置した結果こうなったようなものじゃないか。だから、これはひどい傷みたいなものだろ」
……何も今更。そんな意味を込めて呆れながら言った僕に対して、ミラは呆れたようにため息を吐きながら言ってきた。
「まぁ、これが傷なのは当たり前なんだけどね。でもね、傷なら治せれると思わない? やってみる価値ありでしょ?」
「でも、それには少なくともこのスライムが生きてないといけないじゃないか……」
「だーかーらー! まだ死んでるかの確証は持てていないんだから、試すの! 今やってるのは全部ダメ元の実験なんだから……。まったく、ネロは他の人の意見を反射的に否定したくなるの?」
「いや、別にそうじゃないけどさ……」
確かに、ミラの言う通りだ。口では否定しておきながらも、内心では、否定できない。昔はこんな消極的じゃなかったはずなのに……。
「まぁ、ネロのことはどうでもいいや」
「うわ、さらっとひどいこと言われた……!」
「ふふ、今はスライム優先。とりあえず、私が治癒魔法かけてみるから、ネロは見てて」
言ったそばから、ミラは治癒魔法を使う準備を始めた。目を閉じて集中している様子のミラの手に魔素が集まり、暖かみのある淡いオレンジの光を放ち始めた。
魔法を使う時には感覚が重要だ。そして、この感覚は人それぞれであり、魔素を直接変換させるような感覚で使う人と、魔素を体内に取り入れて変換してから排出しているような感覚で使っている人の二種類に分かれる。主に、前者は魔法を使う才能に長けている人の感覚だ。
――だが、ミラは僕とは違い、魔法の才能に長けている。両親からの遺伝なのか努力による賜物なのかは知らない。ただ、ミラは努力をしてもそれを人には知られたくない性格だから、聞いたところで真実を話してくれるかは分からない。
体内に取り入れるというステップが無い分、速やかに魔法を発動させられるという利点がある。ちなみに、僕は幼い頃にミラに頼んで特訓してもらい、何とか魔素を直接変換する感覚で魔法を発動させられる。
ミラの手の光がスライムの縫い目に触れると、縫い糸を巻き込みながら治癒が開始された。
「治癒魔法が効いているってことは、まだ生きてるね。凍らせても生きていられるってのは、重要な情報だね」
「ん、そだねー。……よし、治癒おしまい!」
ミラの言葉通り、スライムは初めから切られてなどいなかったかのような状態に戻っていた。ただ、切られて二つに分かれてしまった目と口はまだ治っていない。
「この目と口はどうした方がいいと思う?」
「うーん……、ネロが初めに見つけたスライムの顔の非対称性から考察すると、たぶん元に戻っていくと思うけど、無理矢理行った分離で同じことが起きるかは神のみぞ知るってところかな? ところで、もう片方はどうするの?」
「縫っただけの状態で放置しておこうと思ってるところ。自然に治癒するかもしれないから、比較しておきたい」
いわゆる対照実験とか呼ばれるやつだ……たぶん。
「ふーん、やっぱネロは慎重派だね。実験はバーンってやった方が効率的にいい結果が出る時もあるんだよ?」
「それ、上手くいくかは運の問題だから……」
慎重に行うに越したことはないという意見の僕と、大胆にやってみたい派のミラが、なぜ一緒に実験をしていても大して揉めないかと言うと、僕が大体の場合折れているからだ。たまには、こちらの苦労を知ってもらいたいものだ。
……それにしても、なかなか溶けてこない。この時間をどうにか有効活用できないものだろうか?
「溶けるの時間かかりそうだけど、他のスライムも何かやる?」
僕と同じことを考えていたのか、ミラが提案してきた。
だが――。
「他に何やればいいかサッパリ思い浮かばないから、ミラの好きにしてていいよ。何かやるなら手伝うよ」
「うーん、ぶっちゃけ私も何も思いつかないんだよねー」
まぁ、分裂できるかの検証なんて、人工的に切ってみること以外に思い浮かばないよな……。そんなことを考えていると、ふと疑問が頭に思い浮かんだ。
「……あのさぁ、何も思い浮かばないなら、僕が捕ってきたスライムどうするの? 完全な無駄足になっちゃうんだけど……」
「まぁ、捌いて売ればいいんじゃない?」
「あ、それもそうか」
我ながら、会話が呑気すぎる。まぁ、暇潰しに緊張感なんてものを求めてはいないのだけれど。
「ところで、ミラがスライムにかけた魔法が強すぎたんじゃないの? 普通の氷ならもうとっくに溶けてきてもいいはずだと思うんだけど……」
いい加減、待ちくたびれてきた。
「うーん、そんなに強めの凍結魔法は使ってないから、スライム自体が溶けにくいんじゃないかなー? ……分かんないけど」
「はぁ……」
暇だ。まったく溶ける様子がない。
「ねぇ、ネロ。このスライムは放置しておかない? ずっと見てたって溶けるのが早まるわけじゃないし、私たちが見たいのは凍結魔法が解けた後のスライムの様子であってスライムが溶ける瞬間を見たいわけじゃないんだしさ」
「……確かに、それもそうだね」
気づくのが遅すぎた気もするし、ここで放置しておくのは実験としてどうなんだろうと思わないこともないが、変わり映えの無いスライムを眺めているのはなかなかの苦行である。ここは、ミラに従うべきだろう。
「じゃあ、とりあえず買い物行こっ。今日の夕飯の材料買わなくっちゃ」
そういえば、今この家には僕たち二人しかいないのか……。一応泊まるのに必要な道具はミラの指示により持ってきて入るものの、今の状況からでは使う必要が無い気がする。なぜなら、できることはやったのだから。
「あのさぁ、やれることはやったんだし、僕がここに泊まっていく必要ないよね? 帰っても大丈夫?」
当初は、ガッツリ泊まり込みでスライムのことを調べる気満々だったものの、現時点で泊まり込みは不要だと思われる。
「えー……。普通にお泊まりってことでいいじゃん。ネロは私と一緒にいるの嫌なの? それなら、仕方ないんだけど……」
ミラの瞳が潤んできた。今にも涙がこぼれ落ちそうだ。
――だが、甘い。
「ミラって器用だよね。手じゃなくても魔法を使えるなんてさ。あと、別にそんな演技しなくても泊まっていってほしいなら泊まってくよ。昔はしょっちゅう泊まってたんだし」
「魔法で水発生させてたってバレてたの……!? まぁ、別にいいけどね」
誤魔化そうともしないミラ。昔から変わっていない。
「そういえば、ネロって料理得意?」
「急に何……? まぁ、別に苦手ではないよ。森で採れる食べられる植物とか、こことは別の少し離れた街で買った肉とかを使って自分で料理してるし」
「じゃあ、今日はネロが料理作ってよ」
つまり、泊まりは確定ということだろうか……?
「ミラもある程度はできるんだろ? 今みたいに親がいない日もたまにはあるんだろうし。ただ、ミラってあまり料理とかできそうなイメージ無いよな、器用なのに」
「あ、私は料理苦手だよ。パンに調理済みの肉や野菜を挟むくらいならできるけどね」
それは料理とは言わない。イメージ通り料理できないんだ……。
「まぁ、そういうことなら今日は僕が作るよ。何か希望は?」
「あっさり系で美味しいもの!」
「まぁ、適当に作ってみるよ」
本当はもっと具体的だと助かるが、感覚派のミラにそれを期待するのは無意味だということは幼馴染としての付き合いの過程でよく知っている。
「じゃあ、とりあえず買い物行こっ? 私が食べたい食材教えれるし!」
「はいはい、分かりましたよお嬢様」
「むぅ、馬鹿にされた気分がしなくもないけど、とりあえずしゅっぱーつ!」
ミラはあまり変わっていないと思っていたが、どうやらそれは僕の勘違いのようだった。昔と違い、今のミラには子供には存在しない実行力がある。つまり、ちょっと厄介が大変厄介にグレードアップしていた。
ミラの家に泊まっていたら、体が壊れないか不安になってきた。色々振り回されそうだし……。