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○台東区・上野公園──18時11分
降りはじめたと思ったら、瞬く間に豪雨となった。
「うわっ」
無意識のうちに、忠信は声をあげていた。今日は、どこの予報でも、にわか雨はないと言っていたから、折り畳み傘も持っていない。
「おまえも来るか?」
神崎という男に、そう誘われた。ジャパンウェザーサービスの社員だということだが、電話でもそうだったが、社会人の物腰ではなかった。下品な雑誌で記事を書いているフリールポライターのような印象だ。
言われるままに忠信は、神崎のあとについていってしまった。
公園沿いの道路に、大きなキャンピングカーが停まっていた。これのおかげで、ほぼ片側車線が占領されている。
「どうする? この仕事につきたいんなら、見せてやるよ」
ポカンと、キャンピングカーを眺めていた忠信は、大きいですね……、と見当違いのことを口走っていた。
「そりゃ、お姫さまの居城だからな」
神崎の言う意味が、よくわからなかった。
「濡れるから、とりあえず入れ」
そうせかすと、神崎が後部のドアが開けていた。
「入るぞ!」
「きゃ!」
神崎がなかに入り込んだのと同時に、女性の悲鳴があがった。
「まだ着替え中よ!」
「もう着てるじゃねえか。っていうより、脱ぐのが仕事だろ」
「そんな仕事じゃありません!」
二人が言い争いをしているから、忠信はどうすることもできず、ただ車外で濡れつづけていた。
「おい、入れよ」
その呼びかけで、やっとキャンピングカーのなかに搭乗した。ドアを閉める。雨音と雷鳴が、途端に消えた。
広い室内。立派なソファと大画面テレビ。キッチンも見える。最後部はカーテンで仕切られているので、どうなっているかわからないが、なんとなくその奥にベッドがあるのではないかと考えた。正直、自分のアパートの部屋よりも上等だった。
そのなかに、あられもない姿で立っている女性がいた。
よく知っている女性だった。
勝気な目元。しかし瞳は大きく、男勝りな印象をうまい具合に少女チックなものにしている。
間近で見ても、顔が小さい。
白い肌。血色のいい唇。
当時の髪は茶色がかっていて、ツインテールにしていることが多かった。いまは、純真な黒髪をストレートにのばしている。
「ナ、ナツキ……さん!? パレットの!?」
「この人、だれ?」
女性は、神崎に問いかけたようだった。
「臨時の助手だ」
「助手?」
「この雲も、彼の通報で発覚した」
「あ、あの……」
忠信は勇気を振り絞って、しゃべりかけた。
「握手してもらってもいいですか!?」
「い、いいけど……」
ゆっくりと出された手を、しっかりと握った。彼女のほうは、引き気味だった。
「ファ、ファンでした!」
「で、し、た!?」
「い、いえ……いまでもファンです! で、でも……JWSにいたんですか?」
神崎が、ナツキとの会話に割って入った。
「へえ、初めておまえのファンに出会ったな。ホントにアイドルだったんだ」
「ねえ、うちの協力者なんでしょ? 《ゲリラガール》を知らないの?」
憧れの女性──ナツキは、神崎のセリフを無視して、そう言った。
「い、いえ……」
ゲリラガール? それは、なんだろう?
「うちのインターネットチャンネルは、観てないみたいだな」
神崎の言うとおりだった。サイトで普通に気象情報は仕入れているが、それは自分の勉強や研究のためで、番組まで視聴している時間はないのだ。
「こ、これからは、絶対に観ます!」
誓いをたてるように、忠信は声をあげた。
それにしても……水色のビキニ姿が、眼に突き刺さってくる。
自身の興奮を抑えられなくなりそうだ。
「これから、中継入るぞ」
夢見心地を、神崎の言葉がさえぎった。
すでに神崎はカメラを用意している。
「ほれ!」
なにかを投げてよこした。
透明のレインコートだった。
ナツキにも、それは渡されていて、彼女は素早くそれをまとっていた。しかし透けているから、セクシーなのは変わらない。いや、コートの前はとめられていないし、むしろエロティックさが増したようだ。
これが、ゲリラガールなのか!?
「予備が一着あった。おまえも着ろ。雨だけじゃなく、雷にも効果がある」
「ゴム製ですか? でも、いくら絶縁体であっても、雷の電圧だと、まちがいなく感電しちゃいますよ」
「必ず地面に電気が逃げるよう開発されてるらしい。おれも詳しくは知らんがな」
神崎の説明を聞いても、ピンとはこない。
実際に着てみたら、裾が長すぎる。完全に下についていた。なるほど、これは放電を大地に逃がすためなのだろう。
とはいえ、気休めにしかならないのではないか……。
「いくぞ!」
神崎が、ドアを開けた。
その直後、ドカ~ン! と凄まじい落雷の轟音。
このなかを出ていかなければならないのか!?
忠信が躊躇していると、先導した神崎のあとを追って、ナツキも外へ飛び出していく。
遅れて、忠信も出た。
わずか数分のあいだに、雨は尋常でないほど降り注いでいた。
天気予報などで、バケツをひっくり返したような、という陳腐な表現をよく耳にする。だが、それ以外になんと言い表せばよいのだろう。
いやこれは……プールの水をひっくり返したような降り方だ。
幼いころからの記憶を呼び覚ました。
こんなにまで激しい雨は、生まれてからこれまで遭遇したことがない。
ゲリラ豪雨。
まさしくそれだ。それの、最大級のものだということが本能でわかる。
危険だ。忠信の脳裏に、警告がわいた。
ここにいてはいけない。逃げるのだ。
しかし……勇敢なのだろうか、彼女、彼らは!?
いや、無謀なだけだ。
二人は、撮影を開始していた。
○本社内・スタジオ──18時19分
「えーと、台東区で突然の豪雨が降りだしたようです!」
キャスターの稲森さやかは喜々とした声で、舞い込んできた凶報を、吉報のように伝えはじめた。
なんの波瀾もないよりは、そのほうが目立てると考えているのだろう。
裏から、東城はその様子を眺めていた。
番組自体は、スタッフに任せている。東城が下手に口を出すことはない。
「予報では、今日のにわか雨はない、ということになっていましたが、台東区では突然の雷雨が降りだしたようです。では、ゲリラガールの新藤なつきさんと中継をつなげてみましょう!」
『はい、こちらゲリラガールの新藤なつきです!』
中継画面に切り替わった。東城も、モニターでチェックしている。
雨で、なつきの姿がぼやけている。
長年天気屋をやっているが、これまでに数えるほどしか経験したことがないほどの降り方だった。
『激しい雨です! 雷も、さきほどから連続的に鳴り響いています。足が震えて、立っているのもやっとですっ!』
なつきの言葉は、真実を語っているのだろう。小さなモニター越しの東城ですら、恐怖を感じるほどだ。
大変なことが起きようとしているのではないか……。
東城は、これまで感じたことのない危惧が、胸の奥から広がってくるのを感じていた。
さきほどの、大垣局長との会話を思い出していた。
なにかあったら、責任を──。
そのときが、はやくもやって来たのかもしれない。