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○台東区池之端・路上──16時34分
井上忠信は、雲を追って歩いていた。いつのまにか、台東区に入っていたようだ。
まわりの通行人が、能天気に見えた。
これからの、自分の進路の閉塞感が、うがった見方をさせているのはわかっている。
能天気……。
そういえば、天気が下り坂になっている。
いまだ快晴であることにかわりはないが、雲が多くなっているような。
いま自分が追っている雲が発達しているのか?
螺旋を描くように天空へのびる暗雲。
あと三〇分もすれば、夕日にかかってしまうのではないか。
もう一枚、送っておくか。
忠信は、携帯を取り出した。
○JWS本社・出口──16時40分
これから、会食の予定があった。東城は、重い足取りで停められた車に向かっていた。
正直、そういう接待的なつきあいは、苦手だった。これだから、管理職になるということには抵抗があったのだ。
現場で、あたふたと動いているときがなつかしかった。
テレビカメラの前で愛想笑いをふりまいていたのも、当時は苦痛だと感じていたが、いまよりは幸せだった。
神崎が羨ましい。
ディレクターという肩書になっているが、実際には好き勝手やらせている。
神崎とは、大学の同期だった。気象庁に入ったのも、いっしょだ。
東城がJWSからヘッドハンティングを受けたとき、神崎も気象庁をやめ、単身アメリカに渡った。そこで二人の人生は、クロスを終えたはずだった。
しかし、いまこうして再びあいまみえている。
天候のように、人のめぐり合わせも、一寸先はわからないということか。
車内に乗り込み、車は発進した。
すぐに、前方の雲が眼に入ってきた。
「引き返してくれ」
「え?」
運転手は、驚いたようだった。
「なんだ、あれは……」
その東城のつぶやきを、運転手は理解できなかっただろう。
○気象予報室──16時44分
「なんか、かわった写真あったか?」
「あ、いえ……考えすぎじゃないですか?」
芹沢の問いに、斉藤純子は答えた。
次々に送られてくる一般協力者からの画像に眼を通してはいたが、あまり熱は入っていなかった。気象庁からも、なんの発表もない。今日も、空は穏やかなままだ。
「あら?」
思わず、声に出していた。
「どうした?」
「あ、なんでもないです」
その画像は、さきほどの螺旋状の雲だった。少し大きくなっている。送信者は、『T.INOUE』となっていた。さっきの人物と同じだったはずだ。
「レーダーに反応はあるんですか?」
純子は、逆に質問した。
「う~ん、反応ってほどじゃないんだよ。小さな点だな、画面上では。気温も下がっているようなんだが、急激ってわけじゃない」
「じゃあ、発達はしませんね?」
「どうだかな。前例のない異常気象が起こるようになって、ゲリラ、って言葉が使われるようになったんだ。おれたちの経験なんて、カスみたんなもんだ」
芹沢のようなベテランで「カス」なのなら、自分のようなペーペーは、なんになってしまうのだろう。斉藤純子は、たとえようもない不安に襲われた。
「あ、あの……」
「あ? なんだ? ちょっと、いま気圧配置を見直してるから、あとにしてくれ」
○新宿区・レストラン内──16時51分
「あー、もうこんな時間」
残念そうに、ユメが声をあげた。
「ごめんね、もう行かなくちゃー」
「しょうがないよ、仕事なんだから」
なつきも、心から残念に思っていた。ユメには悪いが、手っとり早い気分転換が、ユメとの食事なのだから。
また、キャンピングカーでの監禁生活に戻されてしまう。
「ロケなんでしょ?」
「そう、ゴールデンじゃないけど、キー局の生放送よ! ニュース番組の後半で」
ユメは、本当に嬉しそうに言った。少し、いたたまれなくなった。
五時から七時までやっているニュース番組は、どこの局も六時半ぐらいから、グルメ情報や安売り店などの紹介をおこなうコーナーになっている。どうやら、それにリポーターとして出るようだ。
「ね、今日は、テレビ観れるんでしょ? 絶対、観ててよ!」
「わかった、ちゃんと観るって」
ユメは、テーブルの上に一万円札を置いた。
「ナツキは、まだ食べてくでしょ? ワリカンね。今度会ったとき、お釣りは返してよ」
「わかってるって」
窓際タレントから奢ってもらうほど、落ちぶれていないわよ、と胸のなかだけでつぶやいた。
ユメは、店内から急ぎ足で出ていった。
なつきは、ふと窓の外を見た。なつきのいる席からは、表通りの様子がよくわかる。それがなんていう名前の通りなのかわからないが、主要な道路だということは理解できる。
いつもだったら、こういう場合、通りに停車させているのだが、さすがに都心の道路ではそうもいかない。どこかの駐車場に停めているのだろう。とはいえ、あんな大きなキャンピングカーを停車できる駐車場は、都内ではめずらしい。さがすだけでも苦労しているはずだ。
「ま、いっか」
なつきは、気持ちを切り替えた。そんなことを心配する役目ではない。
夕暮れの通りは快晴だ。これから、じょじょにオレンジ色へと染まっていくのだろう。
○本社内・スタジオ──17時00分
この時間から、インターネット番組のキャスターが代わる。いわば、夜の部のはじまりである。これから四時間──九時までが一つの区切りだ。
九時から深夜一二時。一二時から朝四時まで。そして、四時から九時まで。九時から昼一二時。一二時から五時というサイクルで、一日の番組が進んでいく。
この枠のメインキャスターは、稲森さやかという女性だった。
容姿端麗で、人気もある。もともとタレント志望だったが、売りになる特徴がなかったので、気象予報士の資格をとって、お天気キャスターとしてやっていこうとした。
が、テレビ局では気象予報士個人との契約はしていなかった。日本気象協会か、民間の気象会社に所属しなればならない。
そこで、日本気象協会に入ろうとしたのだが、不採用。滑り止めのJWSになんとか引っかかったものの、テレビの仕事はまわってこず、インターネット番組で、どうにか自分の居場所をみつけていた。
タレント志望だったので、上昇指向も強く、五時から九時という一番の花形の枠を勝ち取った。
じつは、高校生まで水泳の選手で、インターハイ優勝の経験があるという噂もある。本人があまり過去のことを話したがらないので、真実はさだかでなかった。
「えー、この時間の空模様は、全国、とくに変化はないようです。沖縄地方で、少し雲が多いくらいですね」
いつもの手際で、番組をまわしていく。
「九州のリポーターは、阿川さんです。今日は、どこからでしょうか──」
各地域のリポーターを紹介しながら、その土地の現在の空模様を映像で見せていく王道の手法だ。
四国、近畿、東海、北陸、関東、東北、北海道──どこの空も夕日が美しかった。
「本日も、ゲリラガールの出動はなさそうです」
そう締めくくって、いったん画面はコマーシャルに入った。無料で配信しているから、こういうところは民放とかわらない。
○千代田区・某会社──17時03分
あと一時間で、今日の仕事も終わる。
九時から一八時。派遣なので残業はない。
「毛利さん、いいかしら?」
正社員の女性から声をかけられた。この人は、自分より年上だから、やりやすい。
ある部屋につれていかれた。
「ねえ、これを送らなきゃいけないんだけど、梱包、手伝ってくれる?」
「はい、いいですよ」
それは、透明のレインコートだった。
瑞穂は意外に思った。この会社は、もっとオシャレなスポーツウェアをあつかっているはずなのに、こんな安っぽいコートもつくっていたなんて。
「これね、雷が落ちても平気なコートなんだって」
「そ、そんなにスゴいものなんですか!?」
「っていうのは、建前で」
「え?」
「技術部の人が話してたんだけど、ほとんど役に立たないってよ。雷の電圧は、とんでもないらしくって、全身、絶縁体で覆っても、感電しちゃうんだってさ」
「そんなものを売っちゃって、いいんですか!?」
「これは売り物じゃないのよ。天気予報の会社に無料で使ってもらうの。まだ、開発段階だし。すでに三着ほど送ってあるんだけど、追加だってさ」
「でも、これを着てるのに雷で死んじゃったら、まずいんじゃないですか?」
「そういう話は、上がしてるんじゃない? 開発途中だから、事故があっても責任はとりませんよって。一応、電気が地面に逃げるようにつくってあるらしいんだけど、ホントにそうなるか、あやしいもんだわ。これ着て、ゲリラ雷雨のなかをリポートするみたいなんだけど、ヤバいよねえ」
他人事のように、その社員は言った。
瑞穂は愛想笑いを浮かべていたが、内心、怖さも感じていた。そんな中途半端なものを送っていいのだろうか。
それにしても……ゲリラ雷雨のなかをリポートするなんて、想像しただけで恐ろしい。
どんな人間が、そんな無謀なことをするのだろう。