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○気象予報室──14時37分
ジャパンウェザーサービス本社内にある気象予報室は、二四時間フル稼働で機能している。社内の部署では、圧倒的に多いスタッフ数をほこる。ここに全国の支部や、協力してくれる個人からの情報が集まり、細かな気象の変化を分析し、予報を発信しているのだ。
JWSでは、世界の気象情報サービスもおこなっているが、ここでは日本国内の情報だけしかあつかっていない。国外の予報室は、千葉県の幕張に設置されている。
予報室のフロアは、いくつかにパーテーションで区切られていて、地域ごとに数人の担当者が常駐している。正面の壁に、各放送局の天気予報の映像や、定点カメラの動画を映したモニターがずらりと並び、どの地域担当の人間にも見えるようになっている。
この時間、関東エリアの責任者は、芹沢という男だった。
今年で四二歳になる。この仕事のせいで、昨年離婚を経験している。あまりの多忙ぶりに家庭をかえりみず、妻から愛想をつかされたのだ。
「やっぱ、今日はねえや」
「そうみたいですね」
芹沢のつぶやきに、部下の斉藤純子が応える。
芹沢の前にも、いくつもの画面が並んでいる。気圧配置や各地の温度が表示されているものもある。そのすべてを考慮して、数分単位の天気を予想していく。
「番組のほうに連絡をいれますね」
「たのむ」
斉藤純子が携帯をかける。「番組」とは、インターネット配信のことだ。すでに、その責任者である東城には報告をしてあるが、実際に番組を制作しているスタッフには、ぎりぎりまで報告を待ったのだ。天気は、刻一刻と変化していく。それをできるかぎり見極めたかった。
ここからの時刻は夕立が多く、視聴者もその動向を注目している。
「ゲリラガールの登場を、みんな期待してたんですけどねえ」
報告を終えた斉藤は、しみじみとそう言った。芹沢も、うなずく。
「独り身の男には、こたえるよ。彼女は」
この予報室でも、ゲリラガールは影響をあたえているようだ。
「じゃあ、神崎さんにも直接、わたしのほうから伝えますね」
「番組のほうから言うだろ」
「話したいんですよ、神崎さんと」
「けっ、おまえも『男は顔』かよ」
不満げに声を発した芹沢は、自身のデスクに戻ってパソコンの前に腰をおろした斉藤の姿を眼にとめた。
「電話じゃねえのかよ」
「顔を見ながらですよ」
○キャンピングカー助手席──14時40分
このキャンピングカーは、なつきの住居と移動車という役目のほかに、中継車の働きも担っている。
テレビのそれと規模はちがうが、それなりの設備もそなえている。助手席に設置されたパソコンと、助手席の後ろに積まれた機械類、車の屋根には出し入れ可能の通信用アンテナも完備されている。
パソコン画面には、予報室の斉藤純子という女性スタッフが映っていた。二〇代中盤のそれなりに美人な女性だった。神崎が彼女のことを『定食屋の味噌汁』と陰で呼んでいることを、なつきは知っていた。たぶん、それなりの味だからだ。
むこうにも神崎の顔が映っているはずだ。なつきは、神崎の背後から覗き込むように、二人のやりとりを観察していた。
『本日も、ゲリラガールの出動はなさそうです』
斉藤の声を聞いて、なつきは喜びのガッツポーズをとった。狭い場所だから、大きくはできなかったが。
「そうか」
神崎が、無愛想に応じる。
『これで、四日連続ですね。せっかく評判を呼んでいるのに』
「なに、すぐに出番がくるさ」
『ナツキさんにも、伝えておいてください』
「もう聞いてるさ。後ろで、小躍りしてる」
『あ、でも、いつものように、警戒はしておいてくださいね』
「わかってる」
そこで、通信が切れた。
「じゃあ、神崎さん、四ツ谷に向かってくださいよ」
早速、なつきは神崎にそう切り出した。
「あ?」
「これから自由にしてていいんですよね? 友達と約束しちゃったんですよ、雨がなかったら、会おうって」
「やだね」
「仕事がなかったら、あなたはディレクターじゃなくて、ただの運転手です。演者であるわたしの福利厚生を最優先に考えなくてはならないはずです」
それが、唯一といっていい、なつきにとって有利な契約内容だった。
「チッ、わかったよ。行ってやるよ」
あくまでも恩きせがましく、神崎はとなりの運転席に移った。
舌打ちにはムカついたが、なつきは部屋に戻って、身支度をはじめた。
○千代田区・某会社──15時00分
休憩時間を知らせるチャイムが鳴った。
「毛利さん、休んでいいわよ」
正社員の女性にそう言われた。自分のほうが年上だったが、派遣という立場では、命令されることはあっても、他人に指示を出すということはない。
それが歯がゆくもあり、楽な部分でもあった。毛利瑞穂は、それなりにいまの自分に満足していた。どうせ、すぐに結婚して家庭に入ってしまえばいいのだ。だが、現在の彼もフリーターという不安定な存在だ。きっと家計は火の車になるだろう。そうなったときは、パートでレジ打ちでもしなければならないだろうか。
瑞穂の派遣先は、スポーツ衣料を主体に事業を展開している中堅企業だった。最初は、この会社の商品を管理する倉庫への派遣だったが、そこでミスが少なかったために、本社の人間に見込まれた。そして、本社勤務に移ったのだ。
倉庫とはちがって、本社には女性社員が多く、とても働きやすい。平均年齢の低いところが、たまにきずだが。今年で二六歳になる瑞穂よりも若い社員がたくさんいる。やはりどこかに、年下から指図されるのをおもしろく思っていない自分がいるのかもしれない。
外の風にあたっているときに、携帯が鳴り出した。恋人の筑紫拓也からだった。彼は自分のことを「チクタク」と呼ばせようとしているふしがある。意地でも、呼びたくはなかった。
「もしもし?」
『おお、今夜デートしようぜ』
軽い口調で、そう言いだした。
バカ丸出しの男だったが、いまの自分にはお似合いだ、という自虐めいた思いもある。
「いま忙しくって、疲れてるんだけど」
うまく断ったつもりだった。
『オレは気にしてないよ。行こうよ、どこがいい?』
こういう自分のことしか考えられないところが、バカ丸出しなのだ。
「地元がいい、すぐ帰れるから」
拓也とは、家が比較的近い。同じ葛飾区だった。合コンでも、そのことで話が盛り上がり、つきあうことになったのだ。
『じゃ、金町?』
「いいよ、近くだったらどこでも。あ、水元公園がいいかな」
なんとなく、そう提案した。
『わかった。車で迎えにいくから、駅についたら連絡して』
○新宿区・レストラン内──15時28分
四ツ谷にあるトルクメニスタン料理店は、この時間、閑散としていた。
「トルクメニスタンって、どこの国?」
なつきは、思わず声に出していた。眼の前には、ユメがいる。
『パレット』の同僚で、いまでも芸能界に残っている。といっても、第一線で活躍しているほうではなく、深夜の通販かMXでしか見なくなったほうだ。
パレットというグループ名から、メンバーには、それぞれイメージカラーが決まっていた。ナツキは、夏を連想させることから、海の色であるブルー系。しかしユメは、黄色系。一応、レモン色という表現だったが、地味な人間につけられる色なのは、だれにでもわかることだ。
ちなみに、イメージの季節も決まっていた。やはりナツキは「夏」で、ユメは「秋」だった。地味だから。
ほかのメンバーと、こうしてプライベートで会うということはなかった。現役のころから、ずっとだ。正直、メンバー同士、仲は非常に悪かった。なつきにとって、ユメだけが例外だった。ユメだけは、みんなと仲がよかったのだ。いわば、彼女がグループの潤滑油的役割。
なつきは、陰でユメのことを『官房長官』と呼んでいた。調整役だから。
「活躍してるみたいじゃん」
無邪気にユメが言い出した。
「活躍ったって、人寄せパンダみたいなもんでしょ、わたしのやってることなんて」
謙遜ではなかった。アナウンサー志望なのに、お天気リポーター……しかもネット配信で、際物あつかいしかされていない。
「でも、ゲリラガールだっけ? すごいよ、よくやってるよ! 尊敬する」
テーブルに料理が運ばれてきた。
どこの国かわからなかったが、案外、普通の料理だったので、なつきは内心ホッとした。いつも店を決めるのは、ユメだ。珍しい国の料理を食べるのが、彼女の趣味らしい。これまでにも、聞いたことのない国の料理を何度も食べさせられた。
「中央アジアの独裁国家なんだって。それでいて、永世中立国」
ユメの説明を聞いて、なんて矛盾のある国なんだ、となつきは感想をもった。独裁しておきながら、平和を愛するって……。
「それ、ラクダの肉ね」
しれっとした顔で、ユメは言った。
ミントかハーブ系の香りが強いスープに、肉が入った料理だった。
「ラクダ!?」
なつきは、眉をしかめた。
「こっちは、チョウザメね」
ライスが添えられた魚料理。
「チョウザメ!? キャビアの親でしょ!? 食べれるの!?」
「おいしい、おいしい」
ユメの食は、しばらく止まらなかった。
「ラクダのほうが『44』で、チョウザメが『75』。この揚げパンが『36』だな」
料理に点数をつけてるように聞こえても、それが点数でないことは長いつきあいでわかっていた。ユメは、なんにでも数字をつけてしまう癖があるのだ。
あくまでも75点の味ではなく、ラクダのスープが『75』のイメージなのだ。
料理だけでなく、物でも人でも数字を当てはめてしまう。
ちなみに、なつきのイメージは『18』だそうだ。
しばらく、料理と数字を楽しんでいたが、ユメは急に真顔になった。
「ほかのメンバーも、それぞれ頑張ってるみたいだし、わたしだけだよ、現状維持すらままならないのは」
しみじみと語りだした。
「でも、このあと仕事なんでしょ?」
「そうそう、ロケなのよ。ごめんね、ホントだったらディナーにしたかったんだけど、急に予定が入っちゃって」
当初は、夜に食事でも、ということだったのだが、ユメの都合で、こんな早い時間になってしまった。
ランチでもないし、ディナーでもない、中途半端な食事。
しかしなつきは、それでもよかった。
あのキャンピングカーに囚われの身としては、とにかく気分転換をしたかった。
ユメが、オアシスに感じられた。