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○港区・JWS本社──13時45分
七月二八日の金曜。定例報告が終了したばかりの会議室。
部屋には、二人が残っていた。
インターネット部門の責任者である東城と、ジャパンウェザーサービスの各コンテンツを統括する立場の編成局長・大垣だった。
大垣は、五〇代の見るからに貫祿をそなえた男で、その豪腕ぶりで、このJWSを世界最大の気象情報会社にまで押し上げた功労者といわれている人物だった。
かたや東城は、まだ三〇代のやさ男。だがその外見が、実質とかけ離れていることを大垣は知っていた。だから東城を、責任者の位置に据えたのだ。
「評判よかったよ、先日のあれは」
大垣は言った。
「ありがとうございます」
丁寧に、東城は応える。
「彼女、元アイドルなんだって? まあ、私のようなオッサンじゃ、わからなくてもしかたないか」
大垣のその言葉に、東城は微笑んだ。
四日前に生配信された中継が、世間の話題をさらっていた。
インターネット部門では、二四時間、天気予報番組を配信している。とくに、ゲリラ豪雨などの異常気象を現地リポートするコーナーが人気をはくしていた。
《ゲリラガール》──。
関東地域を担当する新藤なつきというリポーターが、まさしく身体を張った中継を入れたのだ。
その映像は、契約しているテレビ局でも放送され、評判になっていた。
「だがな、ちょっと危険すぎやしないか」
大垣の声のトーンが変わっていた。最初に褒めておいて、あとで苦言をていするということか。
「怪我でも……いいや、もし死にでもしたら、うちへのバッシングは相当なものになるのではないか? 会長も心配しておられる」
大垣と会長の親密ぶりは、社内でも有名だった。しかし奇妙なことに、会長について知られているのは氏名だけで、実物を眼にしたことのある社員は、ほとんどいない。
東城も、その正体を知らなかった。
「大丈夫です。彼女についているのは、あの男なのですから」
「神崎か」
まるで吐き捨てるように、大垣はその名を声に出した。
「本当の《死神》にならなければいいが」
「ですが、あの男は生きていますよ」
「まわりの人間に死をもたらすものが、死神だろ?」
その言葉には、東城はただ口許を笑みで歪めただけだった。
「それとだな……あの格好はどうなんだね? まあ、私のようなオッサンには喜ばしいが、女性視聴者からの指示は、あまり期待できないのではないか?」
「しかし注目を集めるためには、手っとり早い方法かと」
「君らしくないね」
「安心する材料を言わせていただければ、ツイッターでの書き込みは、女性からのものもけっこうあるようです。もちろん、男性ファンのほうが主ですが」
「どうせ、批判だろ? 天気の中継に水着とは、セクハラではないか、と」
「たしかに、そういう声もあります。ですが、それだけではありません。彼女の勇気にたいして賞賛する声も。カッコいい、という意見もありました」
大垣が、そこで笑みをみせた。東城のものにくらべて、さわやかさはなく、どこか陰謀めいている。
「神崎にしろ、彼女にしろ、君が引っ張ってきたんだ。なにかあったときは──わかってるね?」
「はい。心得ています」
大垣は、さきに会議室を出ていった。
一人残った東城は、窓からの景色を視界に入れる。
都会の空は、これでもかと晴れている。
アメリカで事件を起こし、くすぶっていた神崎真。そして、元アイドルの新藤なつき。この二人にコンビを組ませたのは、東城だった。
東城はかつて、JWSが契約しているテレビ局のお天気キャスターとして活躍した時期があった。イケメン気象予報士として、顔も売れていた。
会社がインターネット部門を立ち上げて数年、しかし思った成果があげられずに、前任者が更迭。大垣のふるった起死回生の人事異動で、東城は表の仕事から、裏方の役目に切り替わった。
当初は、通常のコンテンツを無難にこなしていた。それでは弱いことを、東城もよく理解していた。なにか突破口はないか……。
ここ数年の異常気象を逆手にとれないかと、ゲリラガールの企画を思いついた。
だが昨年、この企画は定着しなかった。女性リポーターが長続きしなかったのだ。リポーターが現地取材するものでは、台風が馴染み深い。台風で一番の恐怖を生むものは、風だ。だが風の恐怖は、まだ耐えられる者も多い。
ゲリラ豪雨では、恐怖の対象が雷になる。
風や雨は平気でも、落雷の怖さを克服できない人間が、ほとんどだろう。女性では、なおさらのことだ。
そんなとき、東城は思い出した。
お天気キャスターとして活動していたときに、知り合ったアイドル。『パレット』というグループに所属していた一人だった。グループのリーダーで、気が強く、絶対に逃げない性格。この企画にピッタリだと思った。
その時点では、すでにパレットは解散。本人もアナウンサーをめざして、芸能界を引退していた。だが、その夢は叶わずに浪人。東城の誘いに、彼女は喜んで乗ってきた。企画の内容を知らせぬまま、会社に引き入れた。
彼女なら、どうにかやってくれるだろう。そう考えた。
アメリカから呼び寄せた神崎をつけておけば大丈夫だ。異常気象の恐怖をよく知っている神崎ならば、彼女をうまくコントロールしてくれるはず。
「いい天気だ」
東城は景色に向かい、つぶやいた。
ここ数日、気象の神は眠りについていた。
予報では、今日も平穏は続くという。
「ん?」
遠くの雲が、東城の眼に違和感をあたえた。
気象予報士としての経験と勘が、なにかを囁こうとしている。
いや……気のせいだ。
JWSが誇る最先端の予報システムが、本日は安全だと告げているのだ。
今夜の波乱は、ないだろう。
○キャンピングカー車内──14時01分
ベッドにトイレ付きのシャワー室、ソファで寝そべって大型テレビを視聴できるスペースも確保されている。小さいながら、キッチンも設置されていた。
しかも、なつきのためだけに。
なつき自身も、キャンピングカーのなかが、こんなに広いものだということを知らなかった。最初に乗り込んだとき、VIPにでもなったんじゃないかと錯覚した。
ただし、基本的には夏の期間、ここから出てはいけない。外出が許可されるのは、リポートするときと、本社からゲリラ豪雨の確率が0%と発表のあった場合だけである。
0%のケースにおいても、自由な休日がすごせるわけではない。移動はこの車だし、いつでも呼び出しに応じられるよう、準備しておかなければならない。
「あ、水泳」
運転席側を正面に見て、車の右側一部分だけが、五〇センチほど外に張り出している。それがこのキャンピングカーの特徴らしく、そこにソファが置かれていて、その反対側の壁──ドアのすぐわきに、四六型の液晶テレビがかかっている。
大迫力の画面に、水泳の世界大会の模様が映し出されていた。ハンガリーでおこなわれている大会のメドレーリレー予選だった。時差を考えれば、深夜におこなわれたはずなので、録画放送なのだろう。
そのグループに、日本人は出ていなかった。
それでもなつきは、プールの青に眼を奪われた。
なつかしい。
高校までは、水泳にひたすらうちこんでいた。個人メドレーでインターハイに出場したこともある。自由形、平泳ぎ、バタフライ、背泳ぎ、なんでもこなすマルチプレーヤーだった。潜水も得意だ。
インターハイでは、準優勝を飾った。しかし、優勝できると信じていた。もし、そこで優勝していたら……なつきは、オリンピックの候補にあがっていたかもしれない。
そのとき負けた相手は……ダメだ。思い出したくない。チャンネルを変えた。それと同時に、声がした。
「入るぞ」
薄いカーテンで仕切られた運転席の区画から、神崎が侵入してきた。
「入ってから言わないでください」
なつきの抗議は、どこにもなかったかのようだ。
これも、ここでの不満になる。
神崎にあたえられたスペースは、なつきにくらべれば、かわいそうになるぐらい狭い。運転席以外では、運転席上部の迫り出した部分だけだ。大型キャンピングカー独特の形状ともいえる、あの出っ張っているところだ。そこは本来、眠るためのスペースで、立つことはおろか、しゃがめるような高さもない。横に並べば、大人二名が寝れるようになっているが、その隙間の大半が荷物置き場になっているし、身長の高い神崎では、足を伸ばせたとしても、心地よく眠ることはできないだろう。
なつきも、それには同情している。が、ただでさえ布一枚の仕切りなのに、神崎がわがもの顔で、たびたびこっちに入ってくるのはいただけない。
プライベートは、ないに等しいのだ。
「なんの用ですか?」
「テレビだよ」
「運転席のがあるじゃないですか」
「こっちの大きいので観たいんだ」
神崎は悪びれもせずに、そう言った。
後部側のあたえられたスペースは狭いが、そのかわり運転席も神崎の持ち場になる。カーナビをテレビがわりにすることになっているはずだ。
「かたいこと言うな」
しかも、観はじめたのはワイドショーだった。
「べつに大画面じゃなくてもいいじゃないですか」
『テキサス州を襲った、巨大なトルネードは──』
トップの話題は、アメリカで起こった竜巻被害についてだった。
神崎は、画面をジッとみつめている。
『死者が三〇人を超え──』
だがすぐに、ふう──と、ため息をついて、ソファから立ち上がった。
「え? もういいんですか?」
抗議したとはいえ、あっさり観るのをやめてしまったとなると、なぜだか罪悪感のようなものが芽生えた。べつに観たいものがあったわけではないし、そこまで本気で横取りされたのを嫌ったわけではない。
「ああ」
神崎は短く答えると、自分のスペースに上がり込んだ。あの出っ張ってる部分に。そこもカーテンで仕切られているので、寝そべっている神崎の姿は見えなかった。
大画面には、竜巻によりなぎ倒された家々が映っていた。さすがに、アメリカは災害のスケールもデカい。なつきは、そう感想をもった。
そういえば……神崎が、かつてアメリカにいたという噂を聞いたことがある。本部のだれかが話していた。
神崎とはプライベートな話をしないし、これからしようとも思わない。だが、少し気になっているのも事実だった。
「神崎さんは、どうして飛ばされたんですか?」
何気なく、なつきはそう声をかけた。自分でも意外だった。
「飛ばされた!?」
カーテンがめくられ、神崎が顔だけを出した。
「だって、わたしと組まされるなんて、なにかヘマをして飛ばされたとしか思えないじゃないですか」
苦虫を噛みつぶしたような──の例文に出てきそうな表情になっていた。
「自分でそれを言うか?」
「神崎さんの年齢だったら、もっと出世しててもおかしくないでしょう?」
実際の歳を聞いたことはないが、なつきの眼には三〇代半ばに見えた。
修羅場もくぐっていそうだし、口は悪くても仕事ができることは認めざるをえない。
「出世には興味がない。まあ、おまえと組まされたことは、おれの生涯でもワースト2の出来事だがな」
「ワースト1は?」
「うっさい」
神崎は、そう吐き捨てると、顔を引っ込めてしまった。
なつきは、テレビ画面に視線を戻した。
竜巻の被害状況が、克明に映し出されている。規模はケタ違いだが、ゲリラ豪雨の恐怖をよく知っているなつきにとっては、他人事とは思えなかった。