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エピローグ

          1


 いい空……。

 毛利瑞穂は、素直にそう思えた。

 あの夜を経験してから、快晴の空を見上げると、無性にそう実感できるようになった。

 瑞穂は、派遣先のスポーツ衣料メーカーの就職をめざそうと決意していた。これも、あのゲリラ豪雨を経験したことによる心境の変化だった。

 拓也とも、きっぱり別れた。

 雷雨のなか、必死にリポートを繰り広げたあの女性と、それを撮りつづけ、竜巻にまで向かっていったカメラマンの仕事ぶりを見せつけられては、ダラダラとその日暮らしをしているわけにはいかなかった。

 そして瑞穂は、明るい未来を夢想する。


 それから数年後──。

 衣料メーカーの正社員となった瑞穂は、雷に打たれても人体に電流を流さないウェアを完成させることになる。それまでのものより高品質のそれは、のちにJWSでも正式採用され、ゴルフ場や海岸など落雷の危険が多い場所でのスタンダードウェアとなっていく。


          2


「論文は、どうしたのかね?」

 井上忠信の前には、底意地の悪い教授が座っていた。

「いえ、ありません。でも、べつにそれを提出しなくても、落第はしませんよね? それ用の論文は、ちゃんと出させてもらいます」

「君、わかってるのかね?」

 眼鏡をかけた白髪の教授は言った。陰険を絵に描いたような容貌だ。

「大学院に進んで、わしのもとで研究を続けたいのだろ?」

「そんなつもりはありません。就職をめざすことにしました」

「なに?」

「ですから、ボクの論文を盗用することはできませんよ」

「な、なんだと!? お、おまえ……そんなことをわしが許すとでも思ってるのか!?」

「あなたに許可をもらう必要なんて、ありますか?」

「ゆ、許さん! おまえは、わしのために働いておればいいのだ!」

 井上はそれを無視して、頭を下げた。一応、礼だけはつくしておかなければ。

 頭を上げると、教授室を出た。もう迷いはない。

 心から、笑顔がにじみ出ていた。

 めざすは、JWSへ──。


          3


 局長の大垣は、心臓がはじけそうな思いで、電話をかけていた。

 相手は、この業界の女帝だ。緊張で、声が震えていた。

「こ、このたびは、たいへんお騒がせいたしまして……」

『取ってつけたような社交辞令はいいわ、大垣──』

 女帝は荘厳な響きをもって、そう告げた。

「許可なく公園内に車で侵入し、一般人を危険にさらした件で、すでに神崎真は謹慎処分に……新藤なつきのほうにも、厳重注意と減俸を言い渡しております」

『いつまでたっても、役人根性が抜けないのね。つまらない。つまらないわ、大垣』

「は、はあ……」

 この女帝は、なにが言いたいのだろうか?

 大垣は困惑した。もっと、重い処罰を望んでいるのだろうか!?

「で、でしたら……二名とも解雇処分ということで……」

 これで満足してくれるだろう。いや、まさかこの自分にも、責任をとれと言っているのか!?

 そうだ……もう一人、責任をとるべき人物がいたのだ。そのことを忘れていた。

「あ、あの……部長である東城にも、責任をとらせます。降格処分を検討しておりましたが、やつも解雇ということで」

 さすがにここまでやれば、女帝も納得してくれるはずだ。

『バカモノ!』

 耳が破裂しそうな声量だった。

 あがぁ! とヘンな叫びをあげてしまったではないか。

「ど、どうされましたか!?」

『あなたのようなつまらない人間が、会社をダメにしていくのよ。いい? 覚えておきなさい』

「は、はい……も、申し訳ありません!」

 大垣には、平謝りするしか、この場を切り抜ける術が思い当たらなかった。

『おもしろいお嬢さんと坊やだったわ。あの二人が、もしかしたらJWSの未来を担っていくのかもしれない。もちろん、あの二人を抜擢した東城君にも、重要な役目がまわってくるでしょう』

「で、では……」

『今回の件で、三人には処分なし』

「し、しかし……社内的にはそれでどうにかなるかもしれませんが……関係各所へは、どのような報告をすればいいか……。国土交通省、東京都、公園管理事務所などから抗議の声が……」

『それを考えるのが、あなたの仕事』

 女帝は、ばっさりとそう切り捨てた。

 眼の前が暗くなるのを、大垣は感じた。

「や、やはり……水元公園にいたのは、婦人だったのですね?」

 竜巻が発生したとき、映像にはそれらしい人物が映っていた。見間違いかと思ったが、新藤なつきと神崎真に会ったことがあるような口ぶりからは、本人だったようだ。

『久しぶりに、天気屋としての血が騒いだわ』

「あ、あまり無茶をなさいますな……婦人は、このJWSにとって……いえ、この業界全体にとって大切なお方……」

『お世辞はいい。もう切るわ』

「お世辞ではありません、会長婦人──いいえ、実質的な会長は、あなた様なんですから」


          4


 陽が暮れはじめたころに、いつもの不吉な報告がもたらされた。キャンピングカーの自分のスペースでくつろいでいたなつきは、お腹の中心が締めつけられているように苦しくなった。

 また、ゲリラ豪雨との格闘がはじまる。

 当初は、神崎が謹慎処分、なつき自身も減俸になったことで、しばらく休めるかな、と考えたものだが、なぜだかすべての処分は凍結された。東城部長にも、なんのお咎めもなかったということだった。

「今日は、埼玉の草加だってよ」

 予報室と通信していた神崎の声だった。

 なつきも、助手席に向かった。画面には、斉藤純子が映っていた。

『あ、なつきさん。今日もよろしくお願いしますね』

『え!? ナツキちゃん!?』

 と、芹沢が割って入った。純子を押し退けるように、芹沢の顔が画面に入った。

「ど、どうも……芹沢さん」

 なつきは、困ったように応じた。このところ、芹沢からの食事の誘いが、じつに鬱陶しかった。

「じゃ、われわれは現場に向かいますので」

 神崎がそう言うと、通信が切られた。芹沢の残念そうな表情が、液晶画面に最後までこびりついていた。

 それから三〇分後──。

 埼玉県草加市。空の色が、あきらかにおかしかった。

 遠くから、雷鳴が轟いてくる。

「準備しとけ、ここで中継入れる」

 なつきは、様子を見るために開けた扉を閉じた。これから、またあの恥ずかしい格好に着替えなくてはならない。

 芹沢の予想では、あと一五分ほどで、この地点がゲリラ豪雨の中心になるという。

 そのとき、携帯が音をたてた。

「もしもし?」

 服を脱ぎながら、携帯を耳にあてた。

『あ、ナツキ? わたし』

 ユメからだった。

『今日も、出番がありそうじゃない』

「まあね。あんまり嬉しくないけど」

『なに言ってるのよ。再ブレイクのチャンスじゃない!』

 あの夜の騒動で、ユメの仕事量が急激に増えているという。かくいうなつきも、雑誌などの取材オファーが増えていた。ただし、現在は会社員という身分なので、自由に取材をうけるわけにはいかなかったが……。

 一通り会話を交わしてから、また食事行こうね、と締めくくって、携帯をしまった。

「着替えたか?」

「まだ」

「早くしろ」

 素早く水着姿になって、コートを羽織った。

 腕の傷は、まだ残っていた。しかし、隠すようなことはしない。これは勲章なのだ。なぜだか、そんな臭いセリフが頭に浮かんだ。

 ドアを開ける。いつのまにか、激しい雨になっていた。落雷も、すごい。

「すぐに行くぞ」

 神崎は、すでにスタンバイを終えていた。

 と──、一台の乗用車が近づいてきた。

 キャンピングカーの真後ろに停まると、なかから出てきたのは、東城部長だった。

「部長!?」

「なんだ、接待に飽きて、現場に出たくなったのか?」

 すかさず、神崎の皮肉が飛んだ。

「降格処分は免れたが、そのかわり、しばらくおまえたちのお守りをおおせつかった」

 東城は言った。しかし、それほど嫌がっていないのは気のせいか。

「つまるところ、監視だろ?」

「そうとも言うな」

「それじゃあ、部長様は、安全なところで見物でもしててくださいよ」

 神崎は軽口をたたくと、なつきに手で合図をおくった。

『それでは、ゲリラガールの新藤なつきさんを呼んでみましょう』

 イヤホンから、稲森さやかの声が聞こえてくる。彼女は、あの夜の翌日、自分が高校時代、インターハイでなつきを破って優勝したということをカミングアウト(?)してしまった。どういう心境の変化だろう?

『新藤なつきさん?』

 呼びかけられた。

 ここからは、わたしの時間だ。

「こちらでは、さきほどからシャワーを浴びているような雨と、絶え間ない雷が鳴り響いています!」


 まだ夏は、はじまったばかり──。



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