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        ○スタジオ──21時10分


「え~、ここでようやくゲリラガールの新藤さんと、つながったようですね。そちらの状況はどうですか、新藤さん!?」

『いまこちらは、すごい風です!』

「さきほどの中継では、竜巻が発生しそうだということでしたが、その後、なにか変化はありますか!?」

『キャッ!』

 稲森さやかの問いには答えられず、なつきが悲鳴をあげた。

 予報室から戻ってきた東城は、眼前のモニターを凝視した。木にしがみついている、なつきの姿が映し出されていた。


        ○水元公園──21時11分


 それまでとはちがう、極端に冷たい風が吹きつけてきたと思った瞬間、周囲の樹木が折れ曲がりそうなほどに軋んでいた。

 なつきは片手でマイクを持ちながら、もう片方の腕を、なんとか幹に巻きつけている。もう雷はやんでいるので、レインコートは脱いでいた。

 神崎も、同じようなものだった。カメラをかまえているぶんだけ、体勢はきつそうだ。

 神崎は当初、自分だけが残るつもりでいたので、これからの光景を録画しようとしていた。しかし全員が残ることになったので、こうして中継が成り立っている。キャンピングカーからのびたケーブルは、パンパンに張っていた。屋根つきベンチよりも、できるだけ公園の中心部に入り込んでいる。

 キャンピングカーの運転席には、毛利瑞穂が座っているはずだ。そのだったであろう拓也という男性と、二人の女子高生も、後部──なつきの部屋に同乗している。危険が迫れば、自分たちをおいて早急に避難することになっていた。はまったタイヤが心配材料となっていたが……。

 井上だけは、車外に出て撮影を手伝っている。彼の熱意に、神崎がうたれた格好だ。強い風に、やはり彼も木の幹にしがみついている。

 なつきは、前方の闇に浮かぶ風の渦を眼でとらえた。いや、そう脳のなかで、自分が勝手にイメージしただけだ。実際にはマンガのように、きれいな渦を巻く典型的な竜巻には見えていないはず。ただ、激しい風にいろいろなものが巻き上げられている光景は、錯覚のしようがない。

 車のヘッドライトに照らされた、地獄の入り口。

「た、竜巻です!」

 こちらに迫ってくる。

 瓦礫が飛び散っていた。あれの直撃をうければ、かなりヤバい状況に追い込まれるだろう。

 おとぎ話に出てくるような、人体すら巻き上げられることはないにしても、五体無事ではすまない。

「なつき、リポートはいい! さがれっ!」

 叫びが風圧を押し返して、なつきの耳に届いた。

 神崎が、レンズを竜巻に向けていた。なにを考えているのか、そのまま竜巻に近づこうとしている。カメラのケーブルが、引きちぎれそうだった。

「神崎さん!」

 なつきの呼びかけは、無視された。

 竜巻と心中でもするつもり!?

 なつきは、神崎を止めるためにあとを追った。

 突風に逆らい、背中から抱きついた。

「無茶です! やめてくださいっ!」

「はなせ! おれは、渦の中心を撮るっ!」

「ダ、ダメです! 行かせませんっ!」

 そのとき、右肩に痛みが走った。

 鋭くなにかが、肉をえぐっていた。

 だが、そんなものに気を取られてはいられない。

「し、死んじゃいますよ!?」

「かまうもんか! 次は、おれの番なんだ……」

 なつきは、胸の奥から怒りがこみあがってくるのを感じた。

「ふ、ふざけんな! バカッ!!」

「バ、バカ……だ、とう!?」

 言われたのが、そうとう悔しかったのか、神崎は首だけを背後に向けた。

「死神だか、なんだか知らないけど、なにひたってるのよ! 自分が殺したですって!? 殺したのは、あなたじゃない! 自然現象でしょ!?」

「知ったふうなことを……!」

「死んだ人たちのために、自殺でもするつもり!? バカみたい! そんなこと、その人たちが本気で望んでると思ってるの!?」

「だ、黙れ!」

「自惚れないで! あなたは死神なんかじゃない! ただの人間よっ!」

 血走った眼光が、なつきを射抜いていた。

 しかし、なつきも引かない。

「負けるつもり?」

「な、なんだとぉ!」

「自然現象なんかに、負けるつもり!?」

 そのとき、なつきの視界に恐ろしいものが飛び込んできた。

 風の渦。錯覚ではない。

 中心が、あと二〇メートルほどまで迫っていた。ただちに逃げなければ、二人ともお陀仏だ。

「いいから逃げるのよ!」

「おまえだけ逃げろ!」

 神崎の身体は、動きそうもなかった。どうすることもできず、なつきは判断に迷った。残された猶予は少ない。速度はさだかでないが、ゆっくりとしたものでないことだけは常識でわかる。

 どうする!? どうすればいいの!?

「お嬢さんの言うとおり、その彼は馬鹿正直ね」

 天からの啓示のような、この場に似つかわしくない冷静な声が、そんななつきの耳に届いた。風の音にも、かき消されない強さがあった。

 聞いたことのある声だった。

「なにも、真正面から撮影することないでしょ? 頭を使いなさい」

「え?」

 なつきは、思わず声のほうを向いた。

 神崎も同様だった。

「そこの彼、ずいぶん修羅場をくぐってきたような顔をしてるけど、わたしに言わせれば、まだまだあまちゃんね。坊やもいいところだわ」

 さきほど犬を散歩させていた婦人だった。

「こっちに来なさい。この竜巻、藤田スケールでは『1』程度よ。木々の何本かは倒れてるけど、根こそぎじゃない。速度もたいしたことないし、わきからなら近づける」

 なつきは、竜巻の位置を確認した。

 一〇メートル、九、八──。

 そこからは、まるで自動車のように素早く襲ってきた。いや、それまでも速かったのだろうが、未曾有の危機をまえにして、一種のランナーズハイのような状態になっていたのだろう。実際よりも、スローに感じさせていたのだ。しかし、これが「たいした速さじゃない」なんて、いままでどんな経験をしてきんだ!?

 もう間に合わない! と眼を閉じかけたとき、なつきの身体は移動していた。

「……!」

 正気を取り戻したであろう神崎に、抱きかかえられていた。自分とカメラの重さが、神崎の腕にのしかかっている。

 竜巻の軌道から、二人は逸れた。

 砂ぼこりや枝葉を巻き上げながら、竜巻は通り過ぎていった。

 神崎は、冷静にカメラを向けていた。

「なつき!」

 それは、リポートをうながすための声だった。

「い、いま、竜巻が通り過ぎていきました! すごい光景です! 竜巻の去ったあとが、クッキリと飛行機雲のように、大地に溝を刻んでいます」

 なつきは、走り出した。

「これから、できる限り、竜巻のあとを追ってみたいと思います!」

 木々の間を通過した竜巻は、小合溜のほうへ──埼玉県三郷市方面に進んでいった。

 視界からは、すでに消えていた。

 いや……どうやら、水上で消滅したようだ。

 だからだろうか、それまで一時的にやんでいた雨が、また降りだした。さきほどまでのような強い降り方ではなかった。

 平凡な弱い雨……。

 それを浴びると、生きていることが実感できた。危機までが、どこかに去っていったようだ。

 なつきは、水面からカメラへ振り返った。神崎は竜巻とすれ違った地点から、ほとんど動いていなかった。ケーブルが限界なのだ。しかし自分のアップをちゃんと捉えてくれることは、わかりきっていた。

 マイクを下ろす。イヤホンと同じように、受信範囲を越えている。

 そのときになって、右肩に痛みを感じた。

 そういえば、さっき鋭い衝撃をうけていたのだった。

 視線を向けた。

 パックリと、裂けていた。

 傷は、三、四センチあるだろうか。

 たぶん、他人のそんな傷を見てしまったら、指先から力が抜けて、マイクを落としていただろう。

 当然のことながら、血が流れている。

 しかし……やわらかな雨が、その赤を溶かしてくれる。

 なつきは毅然とレンズをみつめ、歩き出した。

 まだ、最後の『締め』が残っている。


        ○スタジオ──21時21分


『竜巻は、消えてなくなりました。どうやら住宅街への被害はないようです。雨も弱くなり、今夜のゲリラ豪雨は、終幕をむかえたようです』

 稲森さやかのニンマリ顔が、印象的だ。もちろん、視聴者には映っていない。いまの表情を見られたら、かなりのマイナスになるだろうことはあきらかだ。

 だが東城自身も、場に似つかわしくない笑みが浮かんでいることを意識していた。

 新藤なつき。

 神崎真。

 このコンビは、じつにおもしろい。


        ○気象予報室──21時22分


「カッコいい……」

 思わず、斉藤純子はつぶやいていた。

 右肩の傷にかまうことなくリポートをまっとうしようとしているなつきの姿に、同じ女性として、感動と憧れを抱かずにはいられなかった。

 と──。

 いつまのにか、背後からパソコン画面を覗き込んでいた芹沢の表情が固まっていることに気がついた。どうやらゲリラ豪雨が一段落したので自分の席を立ったようだが、なにかに驚いて顔色を失っているのは、なぜだろう?

「どうしたんですか?」

 訊かずにはいられなかった。

 なつきに見蕩れて──とか、怪我を心配してとか、そういうことではなさそうだった。

「さっき、竜巻をよけるとこ……いたよな? ヘンなオバサンが」

「え?」

 いたかなぁ? 純子は、首をかしげた。

 それよりも、そんなまえから芹沢が覗いていたことが不気味だった。

「やっぱり……あの人だった」

「知ってる人だったんですか?」

「一瞬だったが、カメラに映ってた……まちがいない。あの人だ」

「知ってる人なんですか!?」

 純子は、同じ言葉を続けた。少し苛立っていた。

「話しただろ……俺の師匠だ」

「ああ! 雷の専門家」


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