15
○スタジオ──20時48分
稲森さやかの表情が、ゆるやかになっていた。彼女の担当時間ギリギリに、ゲリラガールの中継が間に合ったのだ。
予定よりも、だいぶ遅れての中継だった。
雷雨の降りしきるなか、なつきがリポートを繰り広げている。撮影している神崎も命懸けのはずだ。そして生のリポートだけでなく、少しまえに撮影されていた動画も流されていた。
二人の女子高生と一人の男性を、神崎となつきの二人が助け出しているシーンだった。
おそらく撮影は、T.INOUEがやってくれたのだろう。テレビの放送とはちがい、ネット動画は、こちらにアップロードさえできれば、すぐに配信できる。
東城は、えも言われぬ不安にかられていた。
これだけでは終わらない。
そんな予感が、胸を支配していた。
○気象予報室──20時49分
「よくできますよねぇ」
感心したように、斉藤純子が声をあげた。
おおかた、パソコンで番組を視聴しているのだろう。正面の壁にも、それを映している画面はあるが、各局の天気予報などの画も並べられているので、音声は切ってある。
芹沢には、そんな暇はなかった。一瞬たりとも、ゲリラ豪雨の動向から眼を離すわけにはいかない。たくさんあるモニターで、つねに事態の変化をチェックしている。
「雷、こわくないんですかね?」
「こわいに決まってるだろ」
芹沢は、話に応じた。無視しつづけると、人間関係に罅が入りそうだったからだ。
「わたしなら絶対、外に出れませんよ。なつきさんたち、ちょっと麻痺しちゃってるんじゃないですか?」
「俺はな、もっとすごい人を知ってるぞ」
「すごい?」
「雷が落ちまくってるなかを、顔色一つ変えることなく歩くことができるんだ。自分には雷が落ちる場所がわかる、ってな」
「どんな人ですか?」
「俺の師匠だよ」
「芹沢さんって、むかしは気象台にいたんですよね?」
「ああ。だが、そのまえだ。研究所にいたころだ」
「研究所? 気象研究所ですか? 『つくば』にある?」
「そのころは、まだ漢字表記だった」
「時代を感じますね」
それには無視して、続けた。
「そのとき、俺をしごいてくれたのが、その人だ」
「しごくって……、そういう仕事でしたっけ、わたしたちって」
「体育会系もいるんだよ、なかには」
「なんだか、ゴツいオヤジっぽいですね」
「いや、それがな……女なんだよ」
「え? 女!?」
「俺よりも一〇歳ぐらい上だから、もうけっこうな歳だけどな、俺が若かったころは、その人も当然、若かったんだよ」
「それはそうですね」
「出会った当時は、三〇ちょいだったと思う。ちょうど、なつきちゃんの一〇年後ぐらいの美人だったんだよ」
「ああ! それで芹沢さん、なつきさんが好きなんですね?」
妙に納得したように、斉藤純子は言った。
否定したかったが、面倒だからやめておいた。
「そういえば……」
芹沢は思い出した。
「どうしたんですか?」
「なつきちゃんたち、水元公園にいるんだろ?」
「そうですね、そこから中継入れてます」
「たしか師匠は、結婚してから仕事をやめて、いまでは水元公園の近くに住んでるんだよ」
「へえ」
あきらかに斉藤の声には、心がこもっていなかった。
○キャンピングカー・車内──20時53分
瑞穂は、撮影風景を見学しながら、呆れとも尊敬ともとれる感情が心に浮いていることを自覚していた。いつしか、羨望の眼差しを送っている。
これが、プロ、なのか。正式な職業をつかみ取った人間たちなのか……。
自分と、二人の女子高生、そしてバカ男は、安全なキャンピングカーのなかだ。ドアは開けてあるので、落雷が車に落ちた場合の危険は残っている。しかし彼女、彼らを見ていると、そんな小さなことにおびえているのが、とても恥ずかしくなる。
リポートしている女性のことは、これまでに眼にしたことがあった。たしか何年か前まで、アイドルグループにいたと記憶している。グループ名や、彼女自身の名前などは覚えていない。このキャンピングカーを運転していた──いまはカメラをかまえている男性が、「なつき」と呼んでいた。それを聞いて、拓也が思い出したような顔をしたのだが、会話を交わしたくないので、教えてもらうこともしていない。
なつきというリポーター、カメラマン、そしてケーブルをさばいたりしているアシスタントと思われる青年。三人の着用してる透明のコートには、見覚えがあった。
瑞穂の派遣先の会社で製作している「雷から身を守ってくれる」という、あのレインコートだ。
(送り先は、この人たちの会社だったんだ)
ほとんど効果のないものだということを、社員の人から耳にしていた。
この撮影に入るまえ、つい瑞穂は口を滑らしてしまった。どうして、あんなことを言ってしまったのだろう。
「そのコート……あんまり、意味無いそうですよ」
しかし、なつきという女性は、気休めみたいなもんだから、と笑顔をみせていた。
みんな、知っているのだ。それなのに、勇気をもって中継している。いつ、雷が落ちるかもしれないのに。
瑞穂は、深く感じた。
わたしも、あんなふうに……働きたい。
○水元公園──20時55分
半分は、意地のようなものだった。
なつきは、折れそうな心を奮い立たせて、リポートを継続していた。
さきほど、犬を散歩させていたオバサン。この落雷のさなかでも、まったく動じずに、わが道を進んでいた。
無謀すぎるとは思ったが、同時に羨ましくも思った。
まったくの素人が無知のあまりとった行動ならば、そんな感想はもたない。しかし、あのオバサンは、雷の怖さを知った上で、平然としていた。
恐怖に打ち勝っているのだ。
自分にもできるはずだ。
わたしは、《ゲリラガール》なんだから!
「さっきまでより、だいぶ雨は弱くなっています。ですが、それでもまだ強いです」
『雷のほうは、どうですか?』
なつきは自然への畏怖を忘れながら、イヤホンから聞こえてくる稲森さやかの声に答えていく。
「雷のほうも、ここからは遠ざかっているようです。一〇分前のような怖さは、もうありません」
『そうですか、今日もありがとうございました』
稲森さやかは、締めの言葉に入った。彼女の持ち時間がなくなってきたようだ。
『ゲリラガールの新藤なつきさんでした』
「痛い!」
突如として頭部に痛みが走った。なつきは、声に出してしまった。
『ど、どうしました、新藤さん!?』
映像でも、頭をおさえている姿がわかったはずだ。稲森さやかをはじめとして、視聴しているすべての眼に届いている。
頭に、なにかが当たった。
小石だろうか?
いまは落雷対策のされたコートをまとったままなので、直撃はしていない。
「イタッ」
まただ。
「どうした!?」
神崎に問いかけられた。カメラをかまえたまま、神崎が声をあげるのは、めずらしい。
「な、なに? なにかが落ちてきた……」
なつきは、空を見上げた。
雨粒が隙間なく落下してくる。
いや、そのなかで、見えた。
大きい粒。
「ひ、ひょう!?」
神崎にも直撃したようだ。
「これは……」
なつきは、地面に降りてきた雹を観察した。
直径五センチぐらいあるだろうか。最初、一粒、二粒だったものが、パチンコ玉の入ったケースをひっくり返したように、あたり一面に降り注いでいた。
「な、なんなの!?」
「や、やばいぞ……」
神崎が、そうつぶやいた。
「ど、どうしたんですか!?」
完全に、中継のことを忘れていた。イヤホンから、しきりに疑問をぶつけてくる稲森さやかの声も無視していた。
「車に戻るぞ!」
「な、なにがあるんですか!? 雹が、危険なんですか!?」
「そんなことじゃない……来るぞ!」
「なにが来るんですか!?」
そのとき、風が吹きつけてきた。今日のゲリラ豪雨では、風を感じることは、ほとんどなかったのに……。
「いいから、戻るぞ!」
「ま、まさか……」
「そうだ、竜巻だ」
むしろ神崎は、穏やかに言った。