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○キャンピングカー・走行中──20時33分
「へえ、むかしは最年少記録だったんだぁ」
運転席のほうに顔を出したなつきが、井上忠信の話に聞き入っていた。
「将来は、うちの会社に入りたいの? それとも日本気象協会、とか?」
「あ、いえ……大学で研究者になろうかと……」
運転しながら神崎は、真横でしゃべっている井上となつきの会話を耳に入れていた。
「気象大学というのも考えたんですが……気象台の予報官は、専門の大学を出ていないとダメですから」
「ねえ、神崎さんはどうだったの? 普通の大学? 気象大学っていうやつ?」
ふいに、なつきから話をふられた。
外では雷光がはしり、雨も強くなっている。豪雨に追いついたようだ。
「おれのことは、どうでもいい」
「また隠す。あー、あれだ、ミステリアスなキャラを演じようっていう魂胆だ。そんなにまでして、女にモテたいわけ?」
とんでもなく腹の立つことを言われた。
雷鳴のような怒鳴り声で一喝してやりたかったが、なんとか耐えた。
おれも忍耐強くなったもんだ──神崎は、われながら感心した。
カーナビが、このまま直進すれば水元公園に到着することを映し出していた。
「ここで、中継入れるか」
神崎は携帯を取り出すと、助手席に座る井上に手渡した。
「それで、スタジオに連絡とってくれ」
「え?」
困ったように、井上は声をあげた。
「番号は登録されてる」
「ナ、ナツキさんやってください」
しかし、なつきはすでに後部の自分の部屋に戻っていた。中継のスタンバイに入ったのだ。
「おれは、運転中だ」
拒否されるまえに、逃げ道を潰しておいた。
井上が、しぶしぶ携帯を操作しているのが横目で確認できた。
「あ、あの……神崎さんに頼まれまして……あ、はい、そうです。え~と、これから水元公園で中継を入れるそうです、あ、はい」
ちょうど、水元公園の南東側から外周の道路に入ったところだった。ここから、しばらく一方通行が続くはずだ。
「一〇分後に入れてください、って」
「そうか」
二、三分走らせたところで、駐車場の看板が見えた。第四駐車場と書かれている。二四時間営業しているようだ。
ちょうどよかった。そこに入れようとハンドルを切ろうとした。
「あ、なんか書いてあります」
井上が声をあげた。
神崎も気づいた。案内板が立てられていて、『大型車は、このさきの第一駐車場に──』と記されている。
「ダメみたいですね」
「しょうがねえな」
神崎は、そこに入らず直進した。
車内の時計で、時刻を確認する。
「ちょっと中継遅れるかもしんない、って電話しといて」
「ま、またボクがですか!?」
「ほかにいる?」
「わ、わかりましたよ」
井上が携帯を使おうとしたが、神崎はそれを途中でさえぎった。
「待て」
「え!?」
園内から、だれかが飛び出してきたのだ。
まだ距離はだいぶあったので、危険を感じるほどではなかった。その人物は、あきらかにこの車に用があるようだ。
女性のようだった。
外では、絶え間なく落雷がつづいている。
「なつき! ドアを開けとけ!」
大声で指示を出すと、その女性の眼の前で停車した。
「おい! こっちこい!」
車外に出ると、女性に叫びかけた。
突然の雨に傘も持っていなかったのか、それとも、さしても無駄だと悟っているからか、女性は、とんでもない雨量を直接浴びながら、こちらを見ていた。
そのとき、間近の樹木に雷が落ちた。
ドゴ──ンッ!
爆発音に近かった。
女性からは、悲鳴はあがらなかった。必死に耐えているようだ。
「助けてください!」
「だから、車のなかに入れ!」
「ちがいます! あそこに、人が!」
女性が指さす方向を見た。木々が邪魔だったが、屋根のあるベンチだろうか。だが、この位置からは、そこに人がいることは確認できなかった。
「この車に、あの子たちを乗せてください!」
路上からそこまでは、三〇メートルから四〇メートルほど。
「何人だ!?」
「女の子二人と、男が一人です!」
神崎に迷いはなかった。
「乗れ!」
「え、でも……!」
「いいから!」
神崎は、無理やり彼女をキャンピングカーの後部扉へつれていった。
そのとき、また落雷!
どこに落ちたのかを確認する余裕はなかった。
なつきが開けていたドアから、彼女をなかへ押し込む。遅れて、神崎も入った。
「大丈夫か?」
「わたしは大丈夫です!」
神崎は、運転席に急いだ。
発進する。ただし、前へではない。バックだ。
「キャ──ッ!」
後部から悲鳴があがった。突然、後ろに向かって急発進したのだから、仕方ないだろう。
一応、サイドミラーを見ていたが、もし後続車が現れたら、衝突はまぬがれない。
幸いなことに、事故はおこさずにすんだ。
第四駐車場に入る。さすがに普通車だけを対象としているだけあって、ゲートも狭い。だが、入ること自体は簡単だった。周囲の状況をさぐる。
駐車場から、そのまま園内の道路につながっているようだが、鉄のポールがはめ込まれいて、当然だが、車では進入できなくなっている。
ゲートのすぐわきに、何台分か車を止めるスペースが確保されていた。その後ろは、薄く草が生えてる植え込みが園内の道路に並んで続いている。
おあつらえむきに、その駐車スペースには車が停まっていなかった。
車をなんとか方向転換しようとした。だがこれが、非常に面倒くさかった。大型車が切り返すことを念頭に入れてない構造になっている。こういうところが、大型車NGの理由か。
なんとか方向をそちらにすると、駐車スペースに前から入れた。というよりも、さらにアクセル踏み込んだ。
車止めを乗り上げた。
すごい衝撃が、キャンピングカーを持ち上げる。
少し遅れて、後部にも伝わったようだ。
女性たちの悲鳴。だが、これだけでは終わらない。今度は、縁石を乗り上げる。また衝撃と、遅れて悲鳴。草むらにキャンピングカーは進入した。
と、安心したのも束の間、後輪が二度、同じように車体を持ち上げる。
そのときの悲鳴も二回続いた。
草むらから、となりの舗装された道に出る。
ガタンッ、ガタンッ!
さきほどよりも小さかったが、段差でまた揺れた。
厳密に言えば……いや、厳密でなくとも違法行為だが、かまわずに進んでいく。
「なんなのよ──ッ」
さすがに、後ろから聞こえてきたなつきの抗議には、怒りがこもっていた。
しばらくアスファルトの上を通過していたが、また車を入れないための柵がある。やはりここも段差を乗り越え、草むらに入るしかなかった。
後ろからの声は聞こえないものとして、草むらに進路を変える。
そんな繰り返しで、どうにか目的地までたどりついた。屋根つきのベンチには、たしかに三人の姿が確認できた。
雷がひっきりなしに落ちているなか、ピカッと光るたびに、その三人が身体を縮めておびえているのが見て取れる。
もっと車を近づけようと、アクセルを踏み込んだ直後だった。
「クソッ!」
神崎は、自らの不甲斐なさに、汚く言葉を吐き出した。
タイヤがスタックしてしまった。
かなり地面がぬかるんでいる。
ハナショウブが植えてある湿地帯を模した庭園から、大量の水が溢れている。それに加えて、この豪雨により、ここら一帯の地面が泥状になってしまっているようだ。
どんなにアクセルを踏んでも、タイヤは抜けてくれない。神崎は、早々にあきらめた。
ベンチまでは一〇メートルほどしかない。声をかけようとしたが、三人の様子からは、自力でここまで来れるとは思えなかった。
「そこにデジカメあるだろう」
助手席の井上に、声をかけた。
「え、どこですか?」
「そこだ、そこ!」
指をさして、なんとか井上にわからせた。
「あ、ありました」
「それで、録画しといてくれ」
「え、ム、ムリです!」
「いいからやれ!」
そう強引に言うと、神崎は車外に出た。
靴が、泥にめり込んだ。
同じように、なつきも後部のドアから出ていた。
神崎は、ベンチに向かった。
なつきも追ってくるようだ。
人が雷に打たれる可能性は、じつは恐ろしく低い。宝くじで一等に当たるのと同じぐらいの天文学的確率だ。しかし現在の雷雨は、常識では計れない「なにか」がある。
台東区のときよりも雨の量は減っているが、そのかわり雷の凄さが増してるようだ。
わずか一〇メートルのあいだにも、落雷が自分に迫ってきそうな勢いで轟いている。
口のなかに鉄っぽい味が広がった。
(まずい!)
すぐ間近に落ちたのは、その刹那だった。ハナショウブ園に立てられた案内板に落ちたようだ。
爆音から一転、世界から音が消失していた。
聴覚が戻ったとき、自分が「大丈夫か!?」と絶叫していたことに気がついた。
彼女たちは、悲鳴もあげられなくなっていた。だが、放電による側撃によってダメージを負っているわけではないようだ。
口のなかに広がる鉄のような味……。髪の毛が逆立ち、肌にピリピリとした軽い痛みがはしる──。
雷に打たれたことのある人たちが、寸前に感じた予兆のようなもの……らしい。それがいま、自分自身にふりかかっている。もし、電撃の方向が少しでもズレていたら、自分は宝くじを当てるのと同じぐらいの確率を突破し、死んでいたかもしれない。
修羅場は何度も経験していたが、歴代のトップクラスに入る危機感を、神崎は抱いていた。
ベンチでうずくまっている女子学生の一人を、お姫様だっこで持ち上げた。遅れてやってきたなつきも、肩を貸して残りの女子を立たせていた。
「あなた、男でしょ!? 立ちなさい!」
まだしゃがみこんでいる男に、なつきが叱咤を飛ばす。
もう一度、落雷!
常夜灯が、いっせいに消えた。
停電したようだ。
本来なら、車のヘッドライトだけが唯一の光源のはずだが、あたりは暗くなかった。
絶え間なく、稲光が続いているからだ。
「もうイヤ……」
恐怖がよみがえったのか、腕のなかの少女がつぶやいた。
神崎は、車に急いだ。
「しっかりしなさい!」
ドンッ、と鈍い音がした。どうやら、なつきが男に蹴りを放ったようだ。気持ちはよくわかる。
後方をかえりみた。
なつきと少女の後ろから、蹴られた男がヨロヨロとやって来るのが見えた。
無事に車まで戻れたが、当然のことながら女性であるなつきのほうが、だいぶ遅い。車内で待っていた女性に少女を託すと、神崎は踵を返した。
なつきに手を貸して、残りの女子高生を車まで運ぶ。
そのころには、常夜灯の光が戻っていた。
情けない男も、なんとかたどりついた。
そのとき神崎は、公園の遊歩道を歩く、一人と一匹を見た。
五〇過ぎの女性。それと、ペットらしきミニチュアダックスフンド……。
女性は、レインコート着ている。そして犬のほうも、それ用のコートをまとっていた。
神崎は、言葉を無くした。
悠々と歩く一人と一匹に、呆気にとられてしまったのだ。それは、なつきも同様だったようで、もう一人の女子高生と男を車内に入れると、二人ともなかに逃げることも忘れ、ドアの外でその光景を眺めてしまった。
思い出したように、神崎は声をかけた。
「き、危険です! このなかに入ってください!」
すると、女性が振り返った。
「若いわね。雷が落ちる確率は、一〇〇〇万分の一。滅多に落ちるものじゃないわ」
なにを言ってるんだ……神崎は怒りを通り越して、可笑しさがこみ上げてきた。
ずぶの素人が、なにを!
バカなオバサンだ、と。
こういう無知な人間が、年に何人も落雷で命を亡くしている。
自分にだけは落ちてこないと思っているのだ。
「わたしには、雷がどこに落ちるかわかるのよ」
ヘンな宗教にでもはまっているのか!?
神崎は、やはり怒りを感じた。
「その車、ジャパンウェザーサービスね」
オバサンは言った。たしかにキャンピングカーの側面には、宣伝もかねてロゴがプリントされている。
「芹沢は、元気?」
「え!?」
「芹沢さん……? 予報室の?」
なつきも困惑しているようだ。
「筑波にいたころは、ずいぶん鍛えてやったわ。天気のイロハをたたき込んであげた」
「プロ、ですか?」
神崎は、訊いた。もしそうなら、本当に雷の軌道がわかるのか!?
「むかしよ、むかし」
そう答えると、女性と一匹は、雷のなかを何事もないかのように歩き去っていった。