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        ○気象予報室──19時59分


 パソコン画面には、なつきの顔が映し出されていた。

「雨の中心は、葛飾区の高砂あたりです。もうじき千葉県に移動すると思われます」

 なつきたちに必要な情報を伝えていくが、どうにも斉藤純子のテンションは上がらなかった。

『速度は、どれぐらいですか?』

「ちょっと待ってください」

 純子はそうことわって、芹沢に声をかける。

「速度、どれぐらいですか?」

「時速二〇キロぐらいかな。遅いな。自転車ぐらいだ」

「自転車ぐらいですって」

 純子は画面に視線を戻し、報告を続ける。

 そのとき、芹沢が、純子の声のトーンに勘づいたようだ。

「あれ、嬉しそうじゃねえな。もしかして」

 芹沢が、いくつものモニターが並ぶ自分の所定地を離れて、純子の席に向かった。

「あ、やっぱり!」

 とても歓喜に満ちた声を、芹沢は放った。

 いつもは、神崎との通信がほとんどだ。なつきが出ることは少ない。

「いやぁ、いつも応援してるよ!」

 そんな芹沢のことを、純子は冷やかにみつめる。

「今度、食事でもどうかな?」

『奥さんはいいんですか?』

 と応じたなつきに、純子は、すかさず最新情報を教えた。

「逃げられちゃったんですよ」

『え……あ、ご、ごめんなさい』

「おまえ、よけいなこと言うなよ!」

「だって、そのほうが誘いやすいでしょ? もう不倫にならないんですから」

 芹沢は、とても不服そうに睨んでいたが、気を取り直したのか、なつきに向かって相好を崩す。

「いつ見ても、セクシーだよねぇ」

『どこ見てるんですか!?』

 画面のなかで、なつきは胸を隠していた。水着姿のままなのだ。

『とにかく、現場に急行してますから──』

 強制的に通話を切られてしまったようだ。

 芹沢の落胆が、純子にも伝染しそうだった。

「次は、神崎さんがいいなぁ」

 思わず、希望を口に出していた。


        ○本社内・スタジオ──20時21分


 刻一刻と、ゲリラ豪雨の状況を稲森さやかが伝えている。そんな彼女の表情に、どこか焦りのようなものが浮かんできたことを、東城は気がついていた。

 その理由にも、思い当たっている。

 稲森さやかの担当する時間は九時までだ。

 あれ以来、新藤なつきからの中継は入っていない。おそらく車で向かっているのだろうが、まだ追いつけていないようだ。アスカビルの救助に時間がかかってしまったためだろう。

 稲森さやかにとってみれば、ゲリラガールのリポートが入ってくれたほうが、言葉は悪いが「おいしい」のだ。

 さきほどの救助シーンでも、スタジオは盛り上がっていた。まるで、稲森さやか自身が身体を張ってリポートし、逃げおくれた人々を助け出したかのように振る舞っていたほどだ。

「台東区の一部地域では、一時間に130ミリという記録的な雨が降りました。二三区内では、一九九九年の練馬豪雨に匹敵する雨量となりました」

 不謹慎だったが、東城は、なつかしさに胸を踊らせた。その年、東城は気象庁に入庁している。練馬豪雨のことは、いまでもよく覚えていた。

 そうか、あのときに匹敵するのか……。

 131ミリだったと記憶している。

 練馬区・杉並区あたりは、海からの距離、風向き、新宿の高層ビル群などの地形的な要因により、集中豪雨が多発しているエリアだ。

 台東区で、それに並ぶほど降るというのは、やはり異常だ。

 地球の温暖化、そしてヒートアイランド現象が、着実に進行している証拠なのかもしれない。

「発達した雨雲は、東に──」

 東城は思考を中断させて、稲森さやかの様子を確認した。

 雨が、すでに葛飾区に移動していると伝えているところだった。

「現場に到着しだい、ゲリラガールの新藤なつきさんに、つなぎたいと思います」

 九時までに、なんとかもう一度……そう願っていることが見え見えだった。

 だが東城は、その姿勢を非難する気持ちにはなれなかった。それどころか、この番組には適任だ。

 ただし、女性としては……人間としては、問題があると言わざるをえないが。

(それは、おれもいっしょか)

 自虐的に、東城は思った。

 この番組や、《ゲリラガール》をプロデュースした時点で、自分もそっち側の人間に成り下がってしまったのだ。

 だが、神崎はちがう。

(だから、あいつのことが羨ましいのか)


        ○葛飾区・水元公園──20時25分


 心地の良い夜空が広がっていた。

 小合溜の周囲に広がる二三区最大の都立公園であり、東京都で唯一の水郷公園である。対岸は埼玉県三郷市になり、そこにも自然豊かな『みさと公園』が広がっている。

 九二ヘクタールの膨大な土地は、北から南東へ大きく曲線を描くように伸びている。

 瑞穂には、馴染みのある場所だった。小さいころからよく来ていた。

 公園南部には水産試験場の跡地があり、そのすぐ近くの第四駐車場に車を入れた。園内中心である北側へ向かって、二人は歩いていた。

 会話らしい会話は、ない。

 瑞穂が意識的にしないようにしているのだ。

 さきほどから拓也が、しきりに話しかけようとしているのだが、適当に相槌をうって、ごまかしている。口を動かすよりも、足を動かすことに専念していた。

「おい、どこまで行くんだよ」

 公園内は、とにかく広いので、どこまでも前進できる。疲れてきたら、車に戻って家まで送ってもらう。今日のデートは、それでおしまい。

 ハナショウブ園を越え、水元大橋をめざして進んでいた。

 野外ステージやバーベキュー広場、水生植物園などの主要な施設は北部に集中しており、まだずっとさきになる。

「ここらで、休もうぜ」

 拓也は通りすぎたベンチに座りたそうだったが、瑞穂にそんな気は毛頭ない。

 前方に、大橋が見えてきた。

 それを渡れば、売店やレストランがあるはずだ。もう時間的に閉まっているだろうが。

 と──。

 瑞穂の足が止まった。

「お、休むのか?」

 ちがう。なにか、イヤな予感がしたのだ。

 そのとき突然、風が吹きつけてきた。

 とても、冷たく……。

「な、なに!?」

 無神経な拓也まで、驚くほどだった。

「み、瑞穂……そ、空が……!」

 言われるままに天を見上げた。

 いつのまにか、雲で夜空が濁っていた。

 月も星も出ていたはずなのに、黒に滲んだ暗灰色に塗りつぶされてしまったようだ。

 ゴオオオ──ッ!

 獣の唸りのように、雷鳴が遠くから聞こえた。


        ○キャンピングカー・助手席──20時29分


 予報室から豪雨の最新情報が更新された。

『進路が変わりました。北です。まっすぐ北上しています』

 画面のなかの斉藤純子が、そう告げた。

「え? 千葉県に向かっていたんですよね」

『そうですけど……突如として埼玉方面に向かっちゃったんです。いまはどこらへんですか?』

 そう訊かれても、なつきではよくわからない。

「いま、どこですか?」

 となりの運転席に、質問をぶつける。

「水戸街道を東へ向かってる。金町あたりだな。このまま行けば、千葉県に入る」

 なつきは、神崎の語ったとおりに、斉藤へ報告する。

 さっきまでとはちがい、上着を羽織っていた。寒いからではない。芹沢のイヤらしい眼を警戒しているのだ。

『では、そこから水元公園のほうへ移動してください』

 幸いなことに、いまはもう芹沢は画面を覗いていなかった。

「水元公園のほうへ向かって、ですって!」

 神崎に、そう告げる。

「わかった」

 ぶっきらぼうな声が返ってきた。

『また情報が変わったら、知らせます』

 斉藤純子の姿が、モニターから消えた。

 なんだか、いつも神崎と会話をしているときとはちがって、素っ気なかった。

(斉藤さんも、神崎狙いか……)

「あ? おれがなんだって?」

 心で思っていたことを、しゃべってしまったようだ。いや、もし口から出ていたとしても、とても小さな声だったはず。

「いま、呼び捨てにしてなかったか?」

「ち、ちがいますよぉ」

 冷や汗をかいた。

 ちょうど赤信号で停車したところだった。なつきは立ち上がり、席を井上に譲った。

 後部の自分の部屋へ移動する。

(でも……)

 なつきは、ふと疑問に思った。神崎は、そんなに耳がよかったか……?

 普段は、けっこう大きめに悪口を言っても、聞こえているのか、いないのか……はっきりしないことが多い。だが、いまの神崎はとても敏感に──。

(わたしの声に反応してる)

 なにかが、起こる予感がした。

 なんでだろう。とても、不吉な……。


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