牛頭馬頭の憂鬱 (ごずめずのゆううつ)
俺はゴズメズだ。名前は未だない。職責は「地獄の番卒」なんだが、閻魔大王があまりに多忙なので臨時の助手として面接官をしている。もちろん一生懸命働いていたし、性格は真面目だし、地獄に落とすか落とさないかを決められるだけの判断力を買われたのだ。だが、正直ウンザリしている。ここに来る人間どもの身勝手さ、自己中心的なモノの考え方、もうヤになってしまう。
「次!」
「へ?」
ほら来たぞ、今日最悪の一人に違いない。
「あのな、へ? はないだろう。はい、と言いたまえ。さ、掛けて質問に答えるのだ」
それは五十歳くらいの見るからに極悪非道な顔をした男だ。
「あのさ、意味わかんねえんだけど」
俺は溜め息を付く。ホントにヤだ、こんな仕事。
「キミな、立場というモノをわきまえろ。これはキミが地獄に落ちるか天国に行くか、を決める重大な局面なんだぞ」
男は左手で、小指が無い手で、頭をポリポリ掻いて言う。
「ふうん。キョクメン、って何だ?」
「つまりだな、キミは悪いことばかりしていたからここにいる。ただビックリするほど良いこともした。だからチャンスを与えられたのだ」
「えっ、そうなの?」
「そうだ」
「ビックリするほど良いこと、なんて俺した?」
「キミな、家出少女がキミの同業者に勾引かされそうになった時、何人かを救ったろう?」
「カドカワ?」
「甘言に釣られて売り払われそうになった少女を助けただろう?」
「甘言に釣られる?」
「おい! 同業者と聞いただけでピンッと来たはずだ!」
「俺ぁ、ヤクザだ」
「そんなの知っとるわい」
「だから腑に落ちない」
「ほう。なかなか難解な言葉を知ってるじゃないか」
「つまりね、俺ぁ、地獄に落ちたって仕方がないと思ってたよ、だってさ、カツアゲ、タタキ、出入り、何でもやったし……」
「業界用語を使うのはヤメてくれたまえ。こちらは何でも知っている」
「ちょっと待て。そりゃ個人情報の流用でコンプライアンスに……」
「キミに言われる筋合いじゃない! ここをどこだと思ってるんだ!」
「つまり、芥川龍之介の“クモの糸”だろう?」
正直に言う。俺は、引いた、それもドン引きだ。
「そういうことだ」
「じゃあ俺はカンダダで、アンタはお釈迦様の使い、ってことになるはずだ。しかし俺にはアンタはゴズメズに見えるし、ゴズメズってのは地獄の番卒じゃないのかね?」
こんちくしょう。
「いいかね。当時と今とじゃ状況に大きな変化があるのだ。カンダダは血の池に浮いていたが、キミは業火に焼かれる予定なのだぞ」
「豪華に焼かれる、っていいなあ。ミディアム・レア……」
「字が違うだろーが! キミは黒毛和牛か!」
「牛面のアンタに言われたくない」
「貴様! このシステムそのモノをオチョ食っているな!」
「待ってくれ。俺だって向上心がなかったワケじゃない。特に埼玉のバアちゃんに聞かされた芥川龍之介の話しは心に深く刻まれている。ところで彼はどうなったんだい? 玉川上水で自殺した後さ」
「それこそコンプライアンスに触れる情報だろーが!」
「俺が言いたいのはね、幼少時に心に刻まれた道徳律が、幾人かの少女を救ったのではないか、というアンタの疑問に正解を与えたい、という欲求だ」
間違いない。コイツは今週一番のクソだ。
「私の立場で言わせてもらうなら、あの時のキミの行いは、この事態に陥った場合に掛けていた、キミの保険ではなかったか、という疑問を解決することだ。それならキミの行いの本質は随分と違ったモノになるのではないかね?」
「凄い!」
「やかましい!」
「しかしアンタの商売も長いはずだ。人を見る目を持っている。だからここにいるのだろう。ならば真実の解明は、アンタのキャリア・アップに必須な条件だ」
男が今度は右手で顔をツルリと撫でた。すると不思議なことに男の極悪非道面が若干改善された。
「続けたまえ」
「じゃあ言おう。人間は感情に支配される。俺はカッとし易い性質なんだ。頭に血が上ると何をしでかすかわからない。それがあったればこそ俺は俺の業界で潰しが効いた。俺が泥沼に引きずり込まれそうになっていた少女たちを救ったのは、結果としてそうなっただけの話しで、救ってやろうとして救ったワケではないんだ」
微妙な沈黙が流れた。
「続けたまえ」
「言うならば、お尻ペンペンだな」
「キミ、表現に落差が有り過ぎるぞ」
「いやあアンタの言葉とも思えない」
「何がだ?」
「つまりね、救いようのないヤツは救えないってことだ。自堕落で手前勝手な家出娘なんか救いようがない。悲惨な環境で魂って言うか良心って言うか、そんなモノを完璧に潰されちまったら、どうもなんない。でもだね、お尻ペンペンされたくらいで、それが日常的に行われているDVででもあるかのように悲惨な気分を装って、フラリと家出しちまったような良い子を見るとだね、俺はついカァーッと頭に血が上って意見しちまうのさ。だから、感情的になった俺がだよ、本当の俺ではない俺が、ついしてまった行いを、お釈迦様に対してだね、あれは自分の良心によって衝き動かされた正当な行いです、と、断言出来るかと言うと、どうも自信が持てない」
「ほう」
「俺の業界で暴力は日常茶飯事だ」
「おい。今、にちじょうちゃはんじ、と言ったか?」
「そうだ。毎日茶漬けを食ってるって意味だ」
「ちょっとニュアンスが違わないか?」
「あのね、瑣末なことに捉われてちゃダメだよ。冷めたメシでも熱い茶を掛ければサラサラ食える、ってくらいのニュアンスで捉えていただきたい」
「ああ、すまなかったな」
「で、さ。あれ、何か変だな」
「暴力と瑣末なことに捉われる、が、キーワードではないのか?」
「あっ、さすが!」
「迎合せんでもよろしい」
「つまり、暴力が日常的な毎日において、その暴力がカッとすることによって生み出される毎日において、カッとして説得する、ということは針の山からワラを1本……」
「藁の山から針を1本だろーが」
「違う違う。針の山に藁が1本、って意味だ」
「意味がわからん」
「まいったね。針は刺すモノで藁は刺されるモノだろ?」
「何で藁を針で刺さねばならんのだ?」
「あのね。藁はさ、ワラジにもなるしムシロにもなる。でも針で何を作れる?」
「キミは三寸だったのかね?」
「そりゃ俺っちの業界用語で言うところの“ペテン師”って意味か?」
「ちぇっ。キミはイジラレ・キャラではないのか」
「そうか。俺をカッとさせようとしているのか」
「そこまでペテン(頭)が切れるのに何でヤクザなんかになったのだ?」
「そりゃ高校を中退したからね」
「キミはさっきムシロと言ったね」
「あっ。針のムシロか!」
俺は“つくずく”と男の顔を見た。男がニッと笑って言った。
「ははぁーん。穴の開くほど俺を見ている。つまり針に引っ掛けた洒落だ」
「しゃらくさい」
「何でかな。カッとしないぞ」
「そりゃあキミは死んだからだ」
「ふーむ。そういうモノか」
「で、少女を助けた件だが」
「うん。選択肢は2つ。たられば、の分岐点さ」
「ほう。分岐点かね。人生の、という主語でも付けたらどうだ。ここは死後の世界だし」
男は黙った。考えている。たら、と、れば、の関係を。多分。
「そうだ。俺は少女を救ったから、ここにいる。救わなければ、ここにいない。しかも死後の世界の検問所だ。俺は地獄に落とされる。豪華に焼かれる。ウェルダンに。それともか、ロト・シックスのキャリー・オーバーくらいの確率で天国に行けるかも知れない。ならば、どうする、とアンタは聞く。すると俺はこう答える。体裁付けて。やっぱ、ありゃあ本心じゃねえ、と。育ちの良い、幸せになれる約束をされた娘っ子が、怖いモノ見たさに地獄の淵までやって来て、下を覗いて、キャー、カッコいい、なんてのを聞くと、頭にカァーッと血が上って横っ面を貼り付けて、痛みがわかるうちにトットと帰れ、注射1本でテメエの人生はオシャカになるんだぞ、みたいに……」
少なくともこの男がここにいることに僅かな価値はある。
「クモの糸は三種類だ。松、竹、梅。キミはどれを選ぶ?」
俺は感動を悟られないように優しく聞いた。
「ちょっと待ったぁ! 人生がオシャカになる、ってさ、あの御釈迦様が語源なのかな?」
ふん。クモの糸ではなく俺の堪忍袋の緒が切れた。
「地獄に落ちろ」
これはパフォーマンスなのだ。死後の世界にも明るい光明を見出せるように、という配慮のように見せかけた、我々地獄の番卒である牛頭馬頭にインセンティブを与えようという閻魔大王の配慮なのだ。まあいい。今週一番のクソは落とした。知るもんか。地獄の釜を開けて男を突き落としてから俺は席に戻り言った。
「次!」