第一話
ルビ振りの関係で一部見難所がありますが、ご了承下さい。
~~ユースティティア大陸物語~~
~~第一章・第一話~~
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約三五〇年前、ユースティティア大陸を支配していた偉大なる魔法帝国が滅びを迎えた。
今となっては、偉大なる魔法帝国がなぜ滅びを迎えたのか分からない。
多々ある説の中に、『神々の怒りに触れた』や『大魔法が暴走した』、『帝国人から魔力が消失した』などがある。しかし、実際の所は分からない。研究を行おうにも参考となる書物などが存在しない為、憶測の域を出ないのだ。
ユースティティア大陸を支配していた魔法帝国が滅びを迎えた事によって文明は破壊され、大陸全土は暗黒の時代へと突入する。
当時、魔法帝国人以外の人間は蛮族と呼ばれ蔑まれていた。蛮族の中には帝国へ降り隷従した部族も多々いたが、帝国人からしてみれば蛮族である事は変わりなかった。
そんな蛮族たちは帝国の崩壊後、小さな集落を作り身を寄せ合いながら暗黒の時代を過ごす。そこに他の集落との交流はなく、閉じた世界だったようだ。
偉大なる魔法帝国が滅びを迎え、約五十年過ぎた辺りで、小さな集落をまとめ集落を拡大させる者が多数出てくる。
後に乱世の時代と呼ばれた時代だ。
乱世の時代は約一五〇年続き、大きな集落は小さな集落を、時には同じ規模の集落を併合し、国となった。
国を築き上げたのは人間だけでは無く、妖精族に属するエルフやドワーフ。獣人族に属するフェルパーやラウルフなどの亜人たちも同様に国を築き上げた。
国同士で同盟を組み、敵対国を併呑し、時には裏切りを行いながら領土の拡大を図った。その結果、大陸の半数の生命が争いによって散った言われている。
ここまで苛烈に命が散った訳は魔法帝国人の亜人に対する仕打ちと、人間の国が失われた魔法帝国の魔法――古代帝国魔法を復活させたからだ。
魔法帝国人はギアスと呼ばれるの魔法を使い、亜人の多くを強制的に隷従し、種としての尊厳を奪っていた。
魔法帝国の崩壊後、ギアスの魔法から解放された亜人たちの多くは今までの恨みを晴らすべく、魔法帝国人を殺戮して回り全滅させた。その為、魔法帝国人の血を引く人間はいないと伝えられている。
虐殺によってある程度溜飲を下げていた亜人たちだったが、失われた魔法帝国の魔法を復活させた人間の国が出現したと聞き、危機感を持ったのだ。
また、我々は人間によって尊厳を奪われるのでは無いかと……。
人間側は亜人を隷従する気など考えていなかった。そもそも復活できたのは一部の魔法だけで、魔法帝国の全盛期と比べればほんの僅かであり、かつギアスの魔法を使用しても魔力の少なさから効果は期待出来ない。
だがしかし、亜人たちにとって魔法帝国人の魔法は禁忌だったのだ。魔法の数や魔力少なさなど関係無かった。
その結果、大陸の半数の生命が散ったと言われている。
今現在、人間と亜人に対する関係は、乱世の時代当初と比べると大分良好となってきているが、それでも長き寿命を持つ一部の亜人――エルフなどとは余り良い関係を築けていない。一部例外はあるが少なとも国同士で考えた場合、関係が良好とは言い難い。
そのような歴史によって紡がれたユースティティア大陸は、数多の国が存在し、時より国と国の間で戦争が起きたりするものの、大戦争が起きていた乱世の時代と比べると比較的平和な時代へと突入していた。
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大陸歴三五二年。紺碧竜の月、三十一日。
紺碧竜の月も早三十日が経ち、季節は初夏へと移り変わろうとしていた。
この時期になると雨の日が多く晴れの日が少なくなる。その為か農民や商人たちの多くは憂鬱な気分となり、雨が続かないようにお祈りを行う日々が続く。
農民にしてみれば大麦や麦芽などの――通称夏麦の収穫時期と被る可能性があり、もしそうなると連日の雨によって収穫がゼロになる事も考えられる。
また、運良く夏麦が無事に収穫出来たとしても、次はライ麦や小麦などの――通称冬麦の収穫が行われる時期となるので、やはり連日で雨が続くと収穫に関する問題が発生する。
商人も似たようもので、穀物や絵画などの一部の商品が雨に濡れてゴミになる可能性もあるし、道のぬかるみや土砂災害によって行商ができなくなる可能性があるからだ。
しかしながら、この時期の雨のおかげで大麦などを原料とするお酒――ビールやエールが誕生したのだから酒好きの者たちからしてみれば神聖な時期となるのだろう。
ちなみに今日は珍しく雲ひとつない晴れ模様を見せており、太陽の日差しがこれでもかというぐらい大地を照らしている。
そんな太陽の日差しを浴びながらヴァルナ王国の王都ヴァルナスと王国南部にある城塞都市アスラを繋ぐ街道――ヴァルナ王国街道を立派な黒馬に騎乗し、移動している精悍な顔つきをした金髪碧眼の男がいた。
男の名は――ホリン・ヘレネス。御年二十一歳の冒険者である。
彼はヴァルナ王国の王族及び、貴族の象徴である金髪碧眼をしているが、実家は王都ヴァルナスにある商家の四男坊で平民階級に属する者だ。
基本的なヴァルナ王国の平民は茶髪や赤髪が多く、目の色も茶色や薄い緑色が圧倒的に多い。少なくとも金髪碧眼の平民は極少数である。
ではなぜ、平民であるホリンが王侯貴族の象徴たる金髪碧眼をしているかと言うとそのむかし、当時のヘレネス家当主が爵位を剥奪された貴族の娘を嫁にした為、時おり王侯貴族の象徴たる金髪碧眼を持った子が生まれてくる事があるのだ。
余談だが、生存している親や兄弟姉妹にホリンと同じく金髪碧眼をした者はおらず、唯一ホリンだけが金髪碧眼をしている。その為か、他の兄弟姉妹と比べ甘やかされて育った点も否めなく、それ故に他の兄弟姉妹との仲はあまりよろしくない。
ホリンは王都ヴァルナスでの護衛任務を終え、自分が拠点としている城塞都市アスラへと戻っている最中であった。
本来であれば王都ヴァルナスで城塞都市アスラへと向かう商人でも引っ掛け、護衛をしながら戻る予定だったのが、今回は運が悪かったようで城塞都市アスラへと向かう商人はいなかった。
いや……正確に答えるなら、城塞都市アスラへと向かう商人は何人かいたのが、報償や待遇などの折り合いが付かなかっただけである。
依頼を受けずに拠点に戻るのが癪だと思ったホリンは、護衛任務の代替え案として城塞都市アスラの帰り道にある村々へ手紙の配達を行う依頼を商人ギルドより受注していた。
このホリンのように商人の護衛をしたり、手紙を運んだりする人間の事を『冒険者』と呼んでいる。
冒険者はこの他にも、魔法帝国の遺跡を荒らしたり、魔物と戦ったり、山地に自生している薬草などを採取したりもする。また時には戦争に参加して傭兵まがいな事も行う。つまるところ冒険者とは何でも屋なのだ。
その為か、一般人と比べ死ぬ確率が高い冒険者になる事を両親から反対されていた。しかしホリンは粘り強く説得を行い冒険者としての活動を行なっている。
冒険者は賊や魔物と戦ったりする事もある為、ホリンも当然の如く武装しており、左腰には片手と両手のどちらでも扱えるように作られ、かつ切断にも刺突にも優れた片手半剣と呼ばれる両刃の剣が見受けられる。
右腰辺りには男性器に似ている事からその名が付けられた短剣と食事の時などに利用され、かつ投擲にも適した片刃の短剣がそれぞれ一本ずつ収まっている。
他には、騎乗している馬の荷鞍に弩と矢が二十本ほど入った矢筒、戦鎚があるようだ。
防具は鎧下を着込みその上に、胴鎧を装備し胴体を守っている。また、太陽の日差しを浴びて胴鎧が焼けた鉄板になるのを防ぐ為に、上から外衣を羽織っている。
その他に、篭手や鉄靴、すね当て、外套などを装備しており冒険者というよりは、騎士や戦士に近い格好をしている。
また、荷鞍には弩や戦鎚の他にも、盾と頭部を守る兜が同様に保管されていた。
「暑いな……」
そうつぶやくとホリンは近くの木の影まで移動し、下馬した。
「スィン疲れただろう? ちょっと休憩しようか」
先ほどまで騎乗していた黒馬の首筋をホリンは撫でながら言う。
言葉が通じたのか、黒馬――スィンはひと鳴きすると、足を折り腹ばいの状態で休憩を始めた。
ホリンはスィンの荷鞍にくくりつけられている水袋を手に取り取り、固く結んだ紐を解く。
中には少し濁った水が入っていた。
解いた水袋をスィンの口元へと持っていくと、水袋に口を突っ込みながら舌を器用に使って中の水を飲み始め、少しするとスィンは水袋から口を引っ込め、ひと鳴きする。
もういいよという合図だ。
厳重に水袋の口を縛ると今度は自分の分の水を飲む為、同じく荷鞍にくくりつけられている別の水袋を取り出し、喉の渇きを潤す。二口ほど水を飲んだホリンは、二つの水袋を荷鞍にくくりつける。
やはり、金属で出来た鎧などを装備していると、どうしても暑くなってくる。しかも今は初夏へと移り変わっているの最中なので、太陽の日差しが少しキツい。重たい荷物を背負ってるスィンも同様だ。
「リグ村はこっちか」
鞄から地図を取り出したホリンは、目的地であるリグ村までの道筋を確かめる。
ホリンが持っている地図によるとリグ村はナーヴ伯爵領に属しており、王都ヴァルナスからヴァルナ王国街道を使い南南東へ約六日ほど歩いた場所にあるようだ。
村の近くには鉄鉱石が取れる鉱山があるものの、現在は廃鉱となっており寂れている。
山にある木を使い炭を作り出している以外は、なんら特長もない小さな村だが、良質な鉄が取れていた時代は鉱夫やその家族たちが住み活性に満ちていた。
今回の依頼で配達をしている手紙の中身は分からないが、炭に関する事だろうとホリンは推測している。
「次で最後だからアスラに戻ったらうまい物でも食べような」
ホリンがそう言うと、スィンはヒヒィーンとひと鳴きし胸元辺りに顔を擦り付けてきた。ホリンは鼻孔周辺や首すじなどを撫でてスィンをあやす。
「それじゃ、行くぞ」
スィンにそう伝えたホリンは休憩を止めリグ村へと出発した。
「商人ギルドからの手紙、確かに届けたぞ」
あれから二日ほどしてリグ村に着いたホリンは、依頼された手紙と依頼表を村長へ手渡した。
「ありがとうございます」
村長は手紙を受け取ると、テーブルの上に置かれている短剣を手に取り、封を切る。
短剣をテーブルの上に置いた村長は中から手紙を取り出し、中身の確認を始めた。椅子に座っているホリンは目を瞑り村長が手紙を読み終えるのを待つ事にする。
それから少しして手紙を読み終えた村長が話し掛けて来た。
「ホリン殿。お待たせしました。確かに王都の商人ギルドからの手紙でした。引き取りのサインを行いましたので、依頼表をお返し致します」
瞑想から戻るとホリンは軽く頷き、村長のサインが記載された依頼表を受け取る。
依頼表にリグ村の証印がされている事を確認したホリンは持参している鞄へとしまう。
あとはこの依頼表を王国内にある商人ギルドに渡せば依頼達成となる。
「それとホリン殿。一つお願いがあるのですが……」
席を立とうしていたホリンに村長が申し訳なさそうに話し掛けてきた。
「何だ?」
声を掛けられた為、ホリンは聞き返す。
「最近、村の周辺にコボルトが出現するようになりまして、作物を荒らされたりして困っております。退治して頂けないでしょうか?」
どうやらコボルト退治の依頼のようだ。
コボルトとは、妖魔と呼ばれる魔物の一種で普段は人気が少ない鉱山や洞窟などを住処としている。人里に下りて来る事はあまりなく実害は少ないが、時おり作物を荒らしたり、旅人などへ襲いかかったりもする。
「確かに俺ら冒険者は魔物の退治を受け持つ事はあるが、村を襲う魔物の退治は基本に領主の仕事だ。そっちに頼めばいいだろう?」
細く整った一文字の眉を潜め、いぶかしみながらホリンがそう答えた。
その言葉通り、村を襲う魔物の退治は領主の仕事である。コボルト程度なら、そこまで強くないので私兵を鍛えるのに持って来いの魔物だ。
だが、領主の中にはそういった事を面倒くさがり、冒険者に依頼をする事もある。しかし、ホリンの記憶によればナーヴ伯は民思いの優秀な人物だと聞いており、街や村々を荒らす魔物や山賊、盗賊類の退治に力を入れていると聞いた事がある。
ここの統治を任せられている領主の人柄までは不明だが、己が主君であるナーヴ伯からの指示に背いてでも不貞を働くとは考えにくい。不貞がバレればその一族は何かしらの罰が下るし、主君であるナーヴ伯の顔に泥を塗る事となるからだ。
それに、村人や農作物などに被害が出れば、それだけ自分の懐に入る収入が減る事となるので、基本的な考えを持つ領主は私兵なり冒険者を使い魔物退治などの治安維持に務める。
「ホリン殿の言う通り、領主様にお願いをしたのですが断られまして」
「だったら、そのうち冒険者でも来るだろう」
「多分こないかと思います」
落胆した表情の村長がそう答えた。
「どうしてだ?」
「現在、伯爵様の家ではお家騒動が起きております。その為、この村の事など気に掛けないでしょう。それにこの地を任されております領主様はすでにトランテの街に戻っております」
トランテの街とは、ナーヴ伯の居城がありナーヴ伯領の領都にあたる総人口五万人ほどの大都市である。
「ふむ……」
顎に手を当てながらホリンは考える。コボルトぐらい難なく倒せるが、一番の問題はコボルトの数にあった。
奴らは繁殖力が高いので、集団で行動する事が多い。
この前も、コボルト退治の依頼を受けたが、その時相手にした数は三百を超えており、さすがに死ぬ思いをした。しかも、共同で退治を行った冒険者の何人かはコボルトの攻撃を受け、死んでいる。
例え魔物の中で弱い部類に入るコボルトであろうが、数が揃うと厄介な存在へと変貌する。今回も同じくらいの数がいれば非常に厳しいと言わざるを得ない。
しかも、廃鉱しているとはいえ、ここは鉱山の麓だ。コボルトは鉱山や洞窟に住み着く習性がある為、数が多い可能性もある。うかつに安請け合いはできないなとホリンは思った。
「やはり厳しいでしょうか?」
考え事をしているホリンに向かい、村長は恐る恐る尋ねた。
「何とも言えない微妙な所だ」
一呼吸置いてホリンは話を続ける。
「コボルト自体は弱く、一体一体、個別で退治する分には全く問題ない。しかし、コボルトは集団で行動する事が殆どだ。例え弱い部類に入るコボルトだろうが、数が揃えばそれだけで脅威となる。もし数が多ければ俺一人ではどうしようもないな」
「そうですか……」
「ちなみに、あんたらが把握しているコボルトの数と、今回の報奨の金額はどれくらいだ?」
受けるかどうかは別にして、取り敢えず報酬の金額を聞く事にした。ホリンが肯定的な言葉を口にした為か、村長の声は先程より大きくなる。期待に満ちた声だ。
「金額は銀貨三枚分です。コボルトの数はハッキリとは分かりませんが、二、三十ほどかと……」
近くのタンスから膨らんだ革袋を取り出した村長は、革袋の口を開きテーブルの上に中身を並べる。テーブルの上には銀貨が一枚と複数枚の銅貨、大銅貨が並び、合わせて銀貨三枚分となっていた。
「少ないな……」
ポツリとホリンがつぶやく。
おそらく村中の銅貨や大銅貨をかき集めてきたのだろう。だが、その金額ではホリンを納得させる事はできなかったようだ。
しかし、この寂れた村でこれだけの金額を集められたのは凄いの一言に尽きる。
このような村に住む人間の殆どは、基本的に自給自足や物々交換で生活ができる為、お金を使用する機会があまりなく。時おり訪れる行商人の商品を買う為にお金が必要な事ぐらいで、普段の生活にはあまり関わり合いが少ない。
「そこをなんとか」
テーブルに頭を擦り付けて、懇願する村長。そんな村長をホリンは眺めながら口を開く。
「すまないが、無理だな。この金額では引き請ける気がしない。コボルトを全滅させるのであれば、せめて銀貨六枚相当は欲しい」
「六枚相当ですか……!?」
村長の表情は青ざめる。無理して村中からかき集めたお金では足らず。その倍を要求されれば顔の一つや二つ青くしよう。それにホリンが言った金額は間違いでもない為、微妙な所だ。
コボルト退治は銀貨一枚から金貨一枚くらいが相場だ。
報奨金に開きがあるのは、コボルトの数によるものが大きい。その為、金額もこれだけ開きがあるのだ。
「まぁ、無理して集めてきたのだろうし、これ以上は期待できないだろう。一応この金額で請ける事もできる」
「本当でしょうか」
ホリンがそう言うと、村長の表情が変わる。
「三日ほどこの村に泊まる。その間にコボルトを見付ける事ができれば退治するし、もし見付けられずに退治ができなくても金は貰う。それでどうだ?」
「それは……」
その内容でお願いするかどうか村長は、判断がつかないでいた。三日の間でコボルトを退治できれば、こちらとしては特をするが、逆だった場合。つまり、コボルトが退治できなかった場合の事を考えると即答は出来ない。
それに、村長はホリンの人となりを知らない。コボルトを発見しても、見知らぬ振りをして、報奨金を掠め取る可能性もあるからだ。
商人ギルドから手紙の配達を受注できている以上、それなりの人物なのだろう。だが、だからといって素直に信頼する事は出来ずに思い悩む。
村長が思い悩んでいると察したホリンは、ちょっとした助言を与える。
「俺は無理強いはしないし、どうするはかみんなで決めればいいさ」
「それでは村の者たちと話し合いますので、お待ち頂けますか?」
「あぁ。だが、早く結論を出せよ。俺もそこまで暇ではない」
そうホリンが言ったが嘘である。
依頼の報告がまだ残っているが、依頼の期限切れまでまだ半月以上残っている為、そこまで急ぐ必要もない。それにリグ村から拠点としている城塞都市アスラまで、五日と掛からずに戻る事が可能だと踏んでいる。
もう少しゆっくりしていっても問題はないのだが、こういった村の話し合いは総じて長引く事が多々あるので、ホリンはそのような事を口に出したのだ。
「分かりました。夕方までには結論を出せるかと思います。あとで宿の方に使いを出させて頂きます」
「了解した」
ホリン頷きリグ村唯一の宿屋兼酒場の――鉄火の鉢へと戻って行った。
2
山中の少し開けた場所に、目的のコボルトが複数いる事を確認したホリンは戦闘準備に取り掛かる。
現在確認できている数は六体。他にまだいる可能性もあるが、これ以上の索敵は厳しかった。
この場に目と鼻が利くフェルパーもしくは、ラウルフの獣人族がいれば違った結果になったかもしれないが、無いものをねだっても仕方が無い。これ以上、コボルトが現れない事を戦女神エルミーユに祈るホリンであった。
昨日の話し合いの結果、村長はホリンの提案を受け入れ、コボルト退治の依頼を打診する。
ホリンとしてはコボルトの数が曖昧な為、断る事も視野に入れていたのだが懇願する村長や村人たちを無碍にできず、結局引き受ける事にした。
冒険者として少し甘い気がするが、こればかりはホリンの属性が関わっている事なので仕方が無いのであろう。
今日がコボルト退治の初日だったのだが、運がいいのか悪いのか、早速ホリンはコボルトを発見する。
幸いな事に現在確認出来るコボルトの数は六体だけである。
この程度であれば、苦戦する事なく退治が可能だ。それにコボルトたちはまだこちら側に気が付いていない。臆病なコボルトの事だ。奇襲による混乱を引き起こせば、全員から反撃の可能性は低い。今仕掛けるのが最良だとホリンは判断した。
――さて……やるか。
今からコボルトを殺す事を決めたホリンは、左肩に掛けていた弩の弦を引き、所定の位置に矢を置く。目を凝らしながら狙いを定め、矢を放つ。
弩から放たれた矢は一番近くのコボルトの左肩に命中した。
矢が命中したコボルトは悲鳴を上げる。急いで矢を抜こうとするが反しがついている為、中々引き抜けない。矢が命中した箇所からは赤色の体液が流れ始める。
どうやらコボルトは人間と同じ赤色の血を流すようだ。
突然の襲撃にコボルトたちは狼狽える。その隙にホリンは二本目の矢を放つ。すると今度は別のコボルトの太ももに命中した。
しかしながら二発目を放った事によりホリンの居場所が分かったらしい。無傷なコボルトの一体が三十シーアほど離れた茂みに指を向けながら大きく吠え、襲撃者たるホリンの居場所を仲間に伝えた。だが、他のコボルトたちはあたふたとしており、何やら混乱しているように見受けられる。
――お前の出番だ。
弩で使う矢を十本、空に放り投げたホリンはとある言葉を力強く言い放った。
「子は親の元に返りて、一つにならん!」
その言葉に反応した矢は薄青色の光を発しながら五本ずつの二手に別れ、先程射抜かれたコボルト二体へと襲い掛かる。
矢は頭、胸、腹などに刺さり、二体のコボルトは血を流しながら絶命した。
ホリンが今しがた放り投げた矢は偉大なる魔法帝国の魔法使いによって、魔法付与された一品である。効果は見ての通り、刺さった一本目に向かって飛んで行くと言う魔法が付与された魔法の矢だ。
魔法帝国の魔法使いによって、魔法付与された武具や道具類をまとめてこう呼ぶ――魔法付与品と……。
まだ矢に余裕があるもののコボルトに居場所がバレている以上、遠距離からの攻撃は有効でないと判断したホリンはすぐさま次の行動に移すべく、弩を足元へ起き、持参していた盾を拾う。
拾った盾を左手に装備し、左腰にぶら下げている片手半剣を引き抜くと、藍色の外套をなびかせながらまだ生き残っているコボルトに向かって駆け出す。
「ハァッ!!」
一番近くにいたコボルト一体へ袈裟斬りを行い、胴体を切断する。
地面に倒れながら絶命したコボルトの断面からは大量の赤い血と腸や臓器などが飛び出し蠢いていた。
――あと三体!!
次の獲物に攻撃を仕掛けようとしたが、混乱から回復したコボルトの一体より、錆び付いた剣で反撃を受ける。
ホリンは身体を捻り攻撃を交わすと、左手に装備している盾の尖った盾先で、コボルトの顔面を殴りつけた。するとグチョという鈍い音が響き渡たり、コボルトは痙攣を引き起こす。
幾度かの痙攣のあと、コボルトの手から錆び付いた剣が転げ落ちた。どうやら、絶命したようだ。
コボルトの顔面にめり込んだ盾を引き抜くと大量の血と脳みその一部が引っ付いて来た。おそらく、盾先のバリに引っ掛かったのだろう。ブヨブヨとした脳みそはまだ生きているらしく芋虫のように畝っており、気色悪い。
瞬く間に仲間を殺され激高したコボルトの一体が、雄叫びを上げながら突進してくる。それに対してホリンは先程、盾で殴り殺したコボルトを突進中のコボルトに向かって蹴り飛ばした。
突進中だったコボルトは、死んだ仲間を交わす事ができずに衝突し、その場に倒れ込む。
その隙をホリンは見逃す訳がなく地面を蹴り上げながら近寄ると、胸辺りを狙い片手半剣を突き刺し、捻るを入れる。それとプラスして、コボルトの足を踏み骨を砕く。
コボルトは金切り声を上げ藻掻くが、どうする事も出来なかった。
片手半剣を一旦引く抜くと今度は喉仏付近に狙いを定めて突き刺す。喉を刺された為、コボルトの目から光が消え、金切り声を上げる事も藻掻く事もなくなり死に絶える。
残った一体のコボルトは恐怖を覚え、逃げようと背中を向けて走りだした。
ホリンは片手半剣から手を離すと、腰にある短剣を手に取り、逃げ出したコボルトに向かって投擲を行う。投擲された短剣は真っ直ぐ飛んで行き、コボルトのふくらはぎに命中する。
ふくらはぎに短剣が命中した為、コボルトはバランスを崩しその場へと倒れ込んだ。
手を離していた片手半剣を再び手にしたホリンは、コボルトに近づき首を刎ねる。首から噴水の如く大量の血が吹き出し、地面を赤く染めた。
目視できたコボルト六体を退治したホリンは周囲を警戒しながら、先程使った魔法の矢を回収し、コボルトの耳を削ぎ落とし始めた。
魔法の矢は貴重品――とまでいかないが、魔法付与品の作成方法は消失している為、ある程度の値が張る。ホリンは可能な限り回収を行い再利用を行っている。また、コボルトの耳を削ぎ落としているのは、こいつらを退治した証しとして必要だからだ。
「まぁ、こんなものか……」
死んだコボルトを見下ろしながら、ホリンはそう呟く。
「すげぇな、アンちゃん。見直したぜ」
野太い声を上げながらホリンに近づく男がいた。
男の言葉に反応したホリンは、作業の手を休め声がした方を振り向くと屈強な男が目に写った。
ヒゲ面でホリンと同じくらいの背丈。着ている毛皮の服の上から分かるくらいに盛り上がった筋肉。潰れた片目。一見すると山賊の頭のような男だが、これでもれっきとしたリグ村の住人で自由農民に属する。職業は木こり兼猟師をしているギルという男だ。
案内人として付いて来た男なので、基本的に戦闘には参加しない。だが、コボルトなどの魔物に襲われれば、すぐさま応戦ができるよう片手に斧を装備している。
「冒険者として生きてるんだ。これぐらい出来なきゃ死ぬだけだ」
「見た感じ貴族様のボンボンっぽいから、コボルトと遭遇しても戦わずして逃げ出すんじゃねーかと思ってたぜ。すまねぇ」
ホリンに対して失礼極まりない事を言いながらギルはガハハハと笑い出す。
どうやらギルが想像するボンボン貴族とやらにホリンは似ているらしい。
まぁ、ギルが勘違いするのも仕方がないのかもしれない。ホリンのヒゲは綺麗に剃られ眉も手入れがされており、一つひとつの動作にどこか気品が感じられる。目付きが鋭く口調も荒い所もあるが、非常に整った精悍な顔と王侯貴族の象徴たる金髪碧眼をしているのだ。彼をよく知らない人からしてみれば貴族と勘違いをするのだろう。
「さっきも言ったが、元貴族の血を引いているだけの平民の冒険者だ。それに貴族が手紙を配達したり、従者も付けずに魔物退治などする訳ないだろう」
「確かにちげぇねぇな」
ホリンの話を聞いて、またもやギルはガハハハと笑い出す。
「無駄口は止めて、さっさと場所を移動するぞ。狼が集団で来られた面倒だ」
いい加減ギルの笑い声が煩わしくなって来たホリンは口調を荒くしながらそう告げる。
このままここに留まり、血の匂いに釣られた狼の集団と出くわしたら大変だ。
鋼鉄製の防具で身を固めているホリンはどうにかなるが、毛皮の服しか着込んでいないギルが狼の襲撃を受ければ一溜りもないだろう。
「あぁ、確かにそうだな」
狼の凶暴さと面倒臭さを知っているギルは、特に否定する事なく相槌を行う。
二人はコボルトの耳と、使用した弩及び矢を回収し、移動を始めた。
今回の依頼では積極的にコボルトを索敵し、退治する必要が無いので今日の所は村の周囲や近場の山中を行き来しようとホリンは考えてる。
休憩を適度に挟めながら移動し、夕方前ぐらいにはリグ村へと戻るつもりあった。
すでに数体のコボルトを退治しているので、それぐらいの時間に戻っても村人から文句を言われる事はないだろう。
コボルトの死体が散乱している場所から離れたホリンは、ギルに休憩を伝え、近場の石に腰掛けた。
ギルも適当な場所に腰掛け、所持してる鞄から水が入った革袋を取り出し、口を開けて飲みだした。
「俺の分もくれ」
先ほどの戦闘で喉の渇きを覚えたホリンは、ギルに水を渡すように言った。
普段であれば他人に水の催促をする事はない。自分で所持しているか、スィンの荷鞍にくくり付けているのだが、今回は案内人であるギルに食料や水などを預けていた。
要請に答え鞄から水が入った革袋を取り出したギルは、ホリンに向かって放り投げる。
革袋を受け取ったホリンは口紐を緩め、中の水を飲み出す。
「それにしても、いい武具を持ってるな」
どうやらギルはホリンの所持している武具が気になったようだ。
左腰に帯剣している片手半剣や盾を眺めながらそういった。
「ん? 村人のお前が武具の良し悪しが分かるのか?」
ホリンは水を飲むのを止め、口紐を固く絞める。
「分かるぜ。少なくともカンヘル様のよりは良い物だ」
カンヘルとはナーヴ伯よりリグ村の統治を任命されている領主の名前である。ギル曰くリグ村の領主が所持している武具よりホリンの所持している武具の方が質がいいらしい。
「戦が起きればカンヘル様の従者として付き添う義務があってな、その時に見てきた騎士様や貴族様の武具の中でも結構上位に入るぜ。まぁ、何となく雰囲気で分かる程度だがな」
賦役の一環で領主の従者をしており、数多くの武具をギルは見て来ていた。その為、ホリンが持つ武具の良し悪しが何となくだが分かるらしい。
賦役とは、自由農民が労働によって支払う税の一種で内容は領主が決める事ができる。ギルのような屈強な男であれば、従者として戦場に連れていき。貧弱な男や女は領主が持つ直営地で農作業などに従事させるのが一般的である。
税の一種なので、無償の労働となる。その為、賦役は自由農民から見れば苦役でしかない。
しかし、領主からしてみれば、給金を支払うお金や農奴を買うお金が大きく浮くので、何かと理由を付けて賦役を増やそうとしていた。
だが、自由農民の賦役を増やし、直営地で農作業などに従事させ続けていると結果的に税収は減る。なぜなら自由農民自身が持つ保有地からの税収が見込めないからだ。
賦役を課し続け、失敗した領主は古今多くいるので、何事もやり過ぎない事が肝心だ。
――分かる人間には分かるのか……
こんな寂れた村の住人が武具に精通とまではいかないが、ある程度の良し悪しが判断できるとホリンは思っていなかった。
「ここの領主の武具を見た事がないので何ともいえんが、確かに俺の持っている武具は少々値がはる物ばかりだ」
そう言うとホリンは立ち上がり、片手半剣を引き抜くとギルに近寄る。
「おいおい、アンちゃん。アブねぇだろう。抜剣しながら近づくんじゃねぇよ」
ギルの言ってる事がもっともである。
帯剣ならまだしも、抜剣をしながら近寄ってくる人ほど怖いものはない。
これが村や街の中であれば、衛兵が飛んできてホリンを拘束するだろう。
「別にあんたを切りやしないよ。とりあえずこいつを持ってみ」
苦笑しながらホリンはそう言うと、片手半剣をギルに渡す。
ギルはホリンの意図がいまいち分からなかったが、とりあえず片手半剣を受け取った。
「!?」
片手半剣を受け取ったギルは驚き。そして二、三度片手半剣を振るう。
「驚いたか?」
「あぁ、凄く軽いなこの剣」
その言葉の通り、ホリンが持つ片手半剣は軽かったのだ。
通常の片手半剣は一二〇シアから、一四〇シアほどの全長を持ち、三リーア前後の重量を持つ剣である。
ホリンの片手半剣は通常の片手半剣と同じ大きさだが、重量は一リーアも無い。
通常の剣だと剣身は鈍い灰色をしているのだが、ホリンの片手半剣の剣身は黒一色である。また、通常だと剣身に樋を入れて重量の調整を行うが、これには一切見受けれない。
「けどよ、さっきコボルトを一撃で切断していたが、こんなに軽かったら相当な力が必要だったんじゃねぇの? それに無理したらすぐにひん曲がらねぇか?」
一般的に剣と言うのは、なで斬るのではなく腕力と重量で切断する物だ。それ故、あまりにも軽すぎると強烈な一撃が出し難い。また、軽すぎると衝撃などに耐え切れず簡単に壊れてしまう可能性があった。
だが、ホリンの片手半剣は違う。
「そこの木で試し斬りをしてみれば疑問は解消すると思う」
そう言うとホリンは近くの生木を指さす。
「けど、いいのか? 壊れないか?」
「あぁ、大丈夫だ」
ギルは困った。生木に試し斬りを行い、剣を破壊してしまった時の事を考えると、どうも尻込みをしてしまう。だが、持ち主が試し斬りを行なっていいといったのだ。万が一武器が破壊してしまっても問題ないだろう。
目標の生木の前に移動したギルは、両手で剣を構え、斬撃を繰り出し――
「へ……?」
間抜けな声を上げた。
なぜなら、直径三十シアほどの生木が一撃で難なく斬り倒されたのだ。ギルは木こりの仕事を従事しているから分かる。こんな事は普通ありえない。
「おい。アンちゃん……これはいったい……」
今眼の前で起きた事がギルには信じられなかった。
直径三十シアもする生木が一撃で斬り倒された事もそうだが、斬った時の手応えがあまり感じなかったのだ。本来であれば抵抗や感触があってしかるべきだ。それがこの剣にはなかった。何とも不気味な感じがする。
「まぁ、普通は驚くよな」
ホリンはギルから片手半剣を受け取り、鞘に戻す。
「さっき使ってた矢と同じく、この剣にも魔法付与がされているのさ」
そういいながらホリンは説明を行い出した。
「付与されている効果は掛けた本人にしか分からないが、軽量と切れ味の強化がされていると思う。他に何かあるかも知れないが、詳しくは調べてないな」
自分が使用している武器の効果を知らずに使っているのか? と思うかも知れないが、魔法付与がされた魔法付与品の半数以上は効果が不明な物ばかりだ。
解析は、各国にある魔法ギルドの魔法使いたちが代行で行なってくれるが、いかんせん魔法付与に関する資料が乏しい為、時間が掛かったりもする。
人によっては効果を把握せずに、魔法付与品を使用している者も多い。ホリンもその例だ。
「しっかしよ、こんなに凄い魔法付与品ならべらぼうに高いんじゃねぇの?」
村人であるが故、魔法付与品の相場など知らないギルだが、それでも魔法付与品の値段が高い事を知っている。
物によっては、城を購入してもお釣りが出ると聞く。
「確かにこいつを買うとなれば、かなりの金が必要になるな。それこそ大金貨が必要になるんじゃないのか?」
「マジかよ……」
ギルは大金貨と言う言葉を聞いて、顔を青くしている。誤って剣を破壊してしまった時の事を想像したのだろうか。
確かに普通の村人であれば、大金貨など一生見る機会はないだろう。
都市部に住む一般的な市民ですら、銀貨一枚持っていれば一家族、一週間は生活が出来るし、自給自足が可能な村々の人間は、銅貨で事が足りる。使用しても行商人に払う大銅貨程度であろう。
銅貨一に対して約一千二百万倍の価値を持つ大金貨など普通の村人には縁など無い。
「それでアンちゃんはどうやってこれを手に入れたんだ?」
話を信じるのであれば非常に価値がある剣が目の前にあるのだ。ギルとしては興味が注がれる。ましては若い冒険者が持っているのだ。何かしらの数奇な巡り合せがあったのかも知れない。
「ただの偶然で、たまたま運が良かっただけだな」
苦笑しながらホリンはそういった。
「なんだそりゃ?」
「ちなみに胴鎧や盾も魔法付与品だぞ」
「はぁ!?」
その爆弾発言にギルは驚きの声を上げる。声が大きかった為か、羽を休めていた野鳥が驚き飛び立った。
改めてギルは思う。やはりこの男は貴族――しかも、城主より上の諸侯に属する上位貴族でないかと。
普通の冒険者であれば、魔法付与品を揃えるのは難しい。
確かに、魔法帝国の遺跡などを荒らし、魔法付与品を発見できればそれも可能だろう。しかし、まだ若いホリンにそれが可能なのだろうか? 貴族のボンボンがお遊びや道楽で、冒険者をやっている可能性の方がまだ高い。金髪碧眼が何よりの証拠だ。
「とりあえず休憩はこれぐらいにして、適当に廻るぞ」
「お、おう」
ギルはぎこちない返事を行いながら、ホリンの後ろに続く。
この後、二人は適度に休憩を挟みながらリグ村の周囲や近場の山中を行き来する。
結果的に、コボルトと遭遇したのは先程の一回きりで、見回りは平和なものだった。
ある程度見回りを終えたホリンとギルの二人は、日が沈む前に村へと戻って行った。
コボルトを六体ほど退治していたので、ホリンは切り落としたコボルトの耳を村長に渡す。
村長は、依頼の当日に戦果を上げると思っていなかったらしく、大いに喜ぶ。
本日の仕事を終えたホリンは、村唯一の酒場兼宿屋の――鉄火の鉢へと向かって行った。
3
鉄火の鉢に到着したホリンは借りている部屋に入り、武装の解除を始めた。
まず最初に灰色の篭手を取り外し、ワラの上に布を敷いただけのベッドへ放り投げる。
藍色の外套を外し、その次に血で赤黒く染まった外衣を脱ぐと壁の取っ手部分に引っ掛けた。
腰にぶら下げている片手半剣と短剣二本を剣帯ベルトから外し、近くのテーブルの上に置く。
慣れた手つきで胴鎧の留め具を外したホリンは、剣と同じくテーブルの上に保管する。
外衣を着込んでいた為に分からなかったが、胴鎧のとある場所に普通はありえない傷があったのだ。
言葉の通り胴鎧は鎧なので、傷の一つや二つあっても何ら問題ではないのだが、傷のある場所が問題だった。
交差する麦穂に剣が交わった紋章――ヴァルナ王国の貴族印に対して抉るような傷があるのだ。
貴族印とはその国の貴族である事を証明する証拠の一つであり、家紋や個人の紋章と併用される。こういった貴族印や家紋などに対して傷があるのは大変不名誉な事とされおり、傷をそのままにする事態普通はありえない。
だが、ホリンは平民である。傷ついた貴族印――不名誉印などただの平民であるホリンには関係なかった。
そもそもなぜ、ホリンの胴鎧に不名誉印があるのか? それはホリンの祖母が関係していた。
ホリンの祖母は侯爵の地位を剥奪された貴族の一人娘で、嫁入りした際に侯爵家伝来の品を多数持参しており、その中に現在使用している片手半剣と胴鎧、盾が存在していた。
侯爵の地位を剥奪されている以上、それらの武具に施されていた貴族印や家紋に対して、不名誉印を施す必要があった。
ホリンの祖母はさぞかし心に傷を負った事だろう。
貴族として、また先祖より受け継いだ誇りと伝統が喪失したからだ。
それ故か、王侯貴族の象徴たる金髪碧眼を持つホリンは、祖母より貴族としてのあり方や貴族としての礼儀作法を叩き込まれ、かつての栄光を――貴族としての誇りを復活させるよう厳命されていた。
その副産物としてホリンは侯爵家伝来の品の殆どを相続しており、その事が兄弟姉妹との不仲の一興を担っている。
もっとも、ホリンとしては侯爵家の復興など考えておらず、冒険者として食っていければそれでいいと思っているが……。
「ふぅ……疲れたな」
そういってホリンはベッドの上に腰掛け、残りの防具――鉄靴とすね当てを外し始めた。
外し終えた鉄靴とすね当ては床に転がしたままにして置く。後で篭手と一緒に回収し、整理する予定だ。
鋼鉄製の防具が取り外され、残りは革製の鎧下とズボンだけとなった。ちょうどそのタイミングでドアをノックする音が鳴り響く。
『ホリン様。手ぬぐいとお湯をお運びしました』
ドア越しから鉄火の鉢の主人の声が聞こえる。
「分かった。入っていいぞ」
『はい。失礼させて頂きます』
ドアが開くと少しやせ細った初老の男性が入ってきた。初老に達している為か茶髪の所々に白髪が見受けられる。
「ご苦労。テーブルの上にでも置いといてくれ」
「はい」
宿屋の主人はテーブルの上に持ってきたお湯入りの桶と、亜麻で作られた手ぬぐいを三つほど置いた。
ホリンは鞄から銅貨を二枚取り出し、宿屋の主人に渡す。これは手間賃だ。お湯などのサービスを無料で使用する事はできない。貴族が泊まる宿であれば全てのサービスが無料で受けれるが、冒険者や傭兵、旅人が利用する宿の多くは何かをして貰う際につどお金を払う必要があった。
「着替え終わったら、馬の世話を行うから準備を行なっていてくれ。桶と手ぬぐいは廊下に出しておく」
「かしこまりました」
そう頷いた宿屋の主人は部屋から出ていき、ホリンが馬の世話ができるよう準備に取り掛かった。
今しがた取り外した防具類を一箇所に集めて保管したホリンは、鎧下とズボンも脱ぎ始めた。それらを脱ぎ終えると今度は中に着込んでいる肌着と下着も脱ぎ全裸となる。
全裸の状態で宿屋の主人が置いていった手ぬぐいを手に取り、桶に浸すと固く絞り全身をぬぐいながらホコリや汗などを落としていく。
城塞都市アスラや王都ヴァルナスなどの都市部には公共の大浴場があり、一日の疲れや汚れをそこで落とすのだが、村や小さな街にはそういった物は存在せず。基本的にはお湯で濡らした手ぬぐいで汚れを落とすか、近くの川や湖、井戸の水で汚れを落としていた。
手ぬぐいを全て使って汚れを落としたホリンは、鞄の中にある替えの肌着と下着、布製の服とズボンを着込んだ。この状態で剣帯ベルトを装着し、片手半剣と短剣二本を吊り下げるとホリンは部屋に鍵を掛けて、スィンがいる厩舎へと向かい世話を行った。
日も沈み終えた夜、リグ村唯一の酒場兼宿屋の――鉄火の鉢には村の男集が集まり酒盛りを始めていた。今日も無事に仕事を終え、仲間内で集まり一杯やりに来ているのだ。
既に出来上がっている者もおり、鉄火の鉢は陽気な雰囲気へと変わっていた。
「あの冒険者は既に成果を上げたんだって」
「本当か! 一日目でこれなら十分期待できるな」
「今日は六体倒して、明日は廃鉱辺りに行くんだってよ」
片手にエールが並々と注がれた木製のジョッキを持った男たちが顔を赤くしながら、コボルト退治の話を行なっていた。話を聞いている限りだとどれもホリンを称える話や今日は何体倒しただの、明日はどの辺りを向かうだの等の話が飛び交っていた。
決して裕福じゃないこの村の住人がお金を出し合い依頼した案件だ。やはり村人たちはコボルト退治の件が気になるのだろう。
「やはり俺様の目に狂いは無かった。あの人なら難なくやってのけると思ってたんだ!」
席に座っていた中年の男は突然立ち上がるとエールを飲みながらそう言った。顔を赤くなり既に酔っ払っているようだ。
「何言ってやがるジョージ。お前は話し合いで反対してたじゃないか!」
同じく酔っ払った中年の男が茶々を入れる感じで、大きな声を上げながらそう言った。
「デイモンドうるせーぞ! 心の中ではそう思ってたんだ!」
「お前はそんなんだから、樽みたいな女しか嫁に出来ないんだよ!」
「何だと!? 俺のかかあを馬鹿にするな! デイモンド、お前の嫁さんだって炭見たいな料理しか作れないじゃないか!」
「何!? あれはあれでいいもんなんだよ。よくも知らないくせにゴチャゴチャ言うんじゃねッ!」
ジョージとデイモンドのやり取りを聞いていた村の男たちは爆笑を始め、中には二人をやじる者も出て来る。
そのやじに乗せられたのか、ジョージとデイモンドの二人は取っ組み合いの喧嘩を初めてしまった。その喧嘩を見ていた周りの男たちはどっちが勝つか賭けを始める。この光景は何ら珍しい事では無く、結構な頻度で発生する。ちょっとした余興のような物だ。
「ジョージにデイモンド。椅子や机を破壊したら弁償だからな。気を付けろよ」
宿屋の主が喧嘩中の二人にそう言う。二人は『分かっとるわい!』と言い喧嘩を続ける。
「うるさいと思ったら喧嘩中か」
武具の手入れを行なっていたホリンは一階の酒場が騒がしくなった為、様子を見に下りて来ていた。
喧嘩を見慣れていない女子供であれば驚いたり、怖がったりするかも知れないが、冒険者として生きているので酒場などでの喧嘩は見慣れている。時には自ら参加した事もあるぐらいだ。だからホリンは喧嘩が発生していても何とも思わなかった。
「いつもの事ですね。何にします?」
「エールと何か摘める物。出来れば肉がいい」
ホリンはカウンター席に座り、宿屋の主に注文を行う。
宿屋の主は頷くと木製のジョッキにエールを注ぎ、ホリンへ渡す。ジョッキを渡されたホリンは喉を鳴らしながら、エールを飲み干した。
空になったジョッキを宿屋の主に渡したホリンは、再度エールを頼む。
「なかなかいい飲みっぷりだな」
「ん?」
後ろから声を掛けられた為、ホリンが振り向くとそこにはジョッキを持った山賊風の男――ギルがいた。
「おつかれさん」
ギルはそう言ってエールが注がれたジョッキを突き出して来た。
「あぁ、おつかれ」
ジョッキを右手に持ったホリンは、ギルが持っているジョッキに向かって同じように突き出した。二人のジョッキはゴツんとぶつかり、中に入っているエールの一部が零れ落ちる。
「で、アンちゃんはどっちが勝つと思う?」
ギルの視線が絶賛取っ組み合い中のジョージとデイモンドの二人に向いていた。
「今日この村に来たばかりの俺にどっちが勝つか何て判断出来る訳無いだろう。それにあんだけ元気が有り余っているのなら、あんたらでコボルト退治を頑張れば良かったんじゃないのか?」
宿屋の主から出された猪の肉を食べながらホリンがそう言った。
領主が村を守ってくれないのであれば、村人総出でコボルト退治を行う事も可能性の一つとして有りだろう。実際にそう言う事を行なっている村や街もあった。
「アンちゃんの言う通りそう言う案もあったさ。俺の他に何人かの野郎共も賛成していたんだが、戦える男が少なくてな。死人を出すよりましだと寄り合いで決まったんだ」
「なら仕方ないな」
「あぁ、それに神官様も薬師もこの村に今いねぇからな。大きな怪我した場合まず助からない」
「ん? 神官がいないのはまだ分かるが、薬師もいないのかこの村は?」
「薬師の爺さんがいたんだが三年前に死んじまった。それからこの村には薬師はいねぇ。村長が薬草の判別が出来るくらいで、その爺さん程の腕は無いな」
ギルはジョッキに残っているエールを飲み干し、おかわりを貰う。
「その爺さんには弟子とかいなかったのか?」
「いたにはいたんだが、その薬師の爺さんと一緒に死んじまってな」
どうやら、薬師と弟子が薬草を採取する為、山に入り事故にあって死んでしまったらしい。それからこの村には薬師が不在で、村長が薬師の仕事を代行していた。
「そんな状態でコボルト退治はちと難しいな。怪我して運良く助かったとしても家族の負担になるからな」
やはり男手が無くなるのはどの家でも大きな痛手となる。もうすぐ夏麦の収穫となるこの時期であれば尚更だ。
ホリンとギルが話を続けていると突然『どっちもダウンだ!!』と言う声が聞こえる。二人が取っ組み合いの喧嘩を行なっていた場所に視線を向けると、両者はダウンしていた。どちらも満身創痍と言った感じである。
「ありゃーあとで怒られるな」
「誰に怒られるんだ?」
「アンちゃんそりゃー、アイツらのかーちゃんからに決まってるだろう」
「喧嘩の理由は知らんが、そんなもん自業自得だろう」
まぁ、喧嘩の理由はどうあれホリンの言っている事がもっともであった。酒場で酔っぱらって喧嘩を行うなど家族から見てみればダメな親父である。しかしながら、どの村や街、引いては王都でもこのような光景は簡単に目にする事ができる。もしかしたら、この姿が正しい親父のあり方なのかも知れない。
「いくらだ?」
酒を飲み腹を満たしたホリンは椅子から立ち上がり、宿屋の主に話し掛けた。
「おいおい。もう帰るのかよ」
「武具の手入れの途中だからな」
ギルから残念そうな声を掛けられる。
「銅貨四枚です」
そう言われ財布から大銅貨一枚を取り出し、宿屋の主へと手渡す。
お釣りを返そうと宿屋の主は銅貨十一枚をホリンに手渡そうとしたが、彼は受け取らなかった。
「ギルの会計もお願いする。端数が残ればダウンしている二人にエールでも出してくれ」
「アンちゃん太っ腹だな」
偏屈な人間で無い限り、食事や酒を奢られれば嬉しくなるものだ。その例に及ばず歓声を上げながらギルは喜ぶ。
「少ないが今日の案内の報酬だな。また明日も頼むわ」
精算を行うとホリンは二階の借りている部屋に戻って行った。
こうしてホリンのコボルト退治一日目が終了したのだった。
4
「くそ! 何でこいつがこんな所に……ッ!!」
「アンちゃんこっちだ! もうすぐ平地に出る!」
ホリンとギルの二人は悪態をつきながら山の中を駆け抜ける。軽装をしているギルが先頭に立ち、彼の後ろをホリンが追い掛けていた。
少し離れた場所からは低く唸った雄叫びと木々を破壊する音が聞こえてくる。どうやら二人は雄叫びを上げ木々を破壊している何者かから逃げ回っているようだ。
二日目も一日目と同じで、運良く小グループに別れたコボルトと遭遇し、ホリンは見事に退治を行った。コボルトから反撃を受けたりもしたが、身に着けている防具の質はよい為、そこまで大きな怪我はしていない。
最終日の三日目も今までと同じようにコボルトを退治して終わりかと思っていたが、そう甘くは無かった。
今、二人はとある魔物から逃げ回っているのだ。
ホリンの力量であれば今追ってきている魔物自体倒せるのだが、足場が悪いこの場所ではいささか分が悪く開けた場所に向かって全力疾走中なのである。
「平地に出るぞアンちゃん!」
「分かった!」
二人は木々をかき分けどうにか平地に躍り出る事が出来た。
息を荒くしながらホリンは抜剣し、盾を構える。同じくギルも持っていた荷物を乱暴に放り投げ長年愛用している斧を構えながら森の中を睨め付け敵に備える。
「いいかギル。逃げれると思ったらすぐに逃げろ。トロルの相手は俺がする」
「しかしいいのか? 退治して貰っても村には金が無いぞ?」
「心配するな。奴さんは俺らを喰らおうとしている。ここで倒さなければ死ぬだけだ。金が心配なら後で酒でも奢れ」
「分かった。アンちゃんの邪魔にならないよう逃げるわ。もし退治出来れば酒場で一番の酒を奢るわ」
「そうしてくれ」
ちょうど二人の会話が終わると、それを見計らったかのように気味が悪い唸り声を発しながら醜悪な顔をした魔物――トロルが現れた。
トロルは焼け爛れたような顔に大きく垂れ下がった鼻とコブだらけの背中をしており、身長もホリンより頭一個分大きい。力もかなりのもので、鋼鉄製の剣や盾など簡単にねじ切る事が出来る。
茶色の体毛に覆われた体にはただのボロ切れを腰に巻き付けられており、右手には棍棒を持っていた。
また、トロルはその姿形から想像もつかないが、一部の魔物や邪悪なる神に魂を売った者が唱える事が出来る暗黒魔法の担い手で幻術を得意としている。
その幻術を使って人間等を騙し、肉を喰らい、時には女性を攫い孕ませたりもする。
ホリンやギルに対して幻術を使われる事が無かったが、もし使われていた場合どうなっていたか分からない。もしかしたら既にトロルの腹の中だった可能性もあった。
それ故にトロルはコボルトなどより危険性が高い魔物として一般的に認識されており、村や街の近くに住み着いたものなら即討伐隊が派遣される。しかし、トロルは結構な強敵である為、ある程度の戦いに慣れた者でなければ対応が出来ない。少なくとも駆け出しの冒険者や見習いの兵士が戦って敵う相手ではなかった。
追い掛けていた獲物に追いついたトロルは雄叫びを上げ、二人を威嚇する。
雄叫びを上げて威嚇するトロルの姿は文明を持っていない未開の地の原住民っぽく見えた。しかも、格好はただのボロ切れで棍棒を持っているのだから尚更だ。
魔法帝国人は俺らの先祖を蛮族と呼んでいたそうだが、こいつのような格好をしていたのかな? と、そんなしょうもない事を考えながらホリンはトロルを見ていた。
そんなホリンの考えがトロルに知れたのか、更に大きな声で雄叫びを上げながらトロルはホリンへと突っ込んで来る。
「来い! トロルッ! 戦女神エルミーユに変わり死を与えてくれるッ!!」
「醜いそのツラを更に酷くしてやらァ!!」
トロルの気迫に負けないようホリンも腹から声を出し、気合を入れる。それに釣られてか、なぜか今から撤退する予定のギルも大声を上げて気合を入れた。
強い力を持つトロルからの一撃を頭に貰えばスイカのように弾け、体や手足に当たれば簡単に骨が砕ける事だろう。
鋼鉄製の防具で身を固めているホリンであったが鎧や篭手に直撃を受けた場合、衝撃によって体が破壊される可能性を考慮し、浅く足を曲げてすぐに回避が取れるような体勢を取っていた。
毛皮の服しか着込んでいないギルも同様に回避が取りやすい体勢をしていた。
棍棒の間合いに入ったのかトロルは右手を振り上げ、棍棒をホリンに向かって振りかざす。
「!」
攻撃を見切ったホリンは後方へ跳び、トロルの攻撃を交わす。空を斬った棍棒は地面を抉り、土の一部が弾け飛んだ。
攻撃が失敗したその隙にギルは荷物を回収し、ホリンとトロルから距離を取る事が出来た。ギルもある程度戦えるが木こり用の斧しか持っておらず、ホリンの足手まといになる可能性があった為、指示通りに身を退いたのであった。
トロルは再度攻撃を行うべく、ホリンとの間合いを再度詰めようとした。だが、ホリンの方が先に行動しており一気に距離を詰められたトロルは片手半剣による反撃を受ける。
剣身が黒一色の風変わりな片手半剣から繰り出された斬撃は、トロルの体の一部を浅く斬り裂いた。
「チッ!」
間合いを完璧に把握した一撃でもってトロルを殺す予定だったホリンの攻撃は、上手い具合に回避され失敗に終わる。舌打ちを行いながら一旦距離を置いたホリンはトロルの出方を見た。
「ぐおオオォォぉぉッ!!」
やはり傷が浅くても痛いものは痛いのだろう。トロルは棍棒を振り回しながら憤慨する。
棍棒を振り回している最中である為、危険であったがトロルに向かってホリンは駆け出した。
トロルは棍棒を振り回すのを止めどっしりと構え、ホリンを迎え撃つ体勢を取ったようだ。
――さぁ、棍棒で俺を攻撃して来い!
何か策があるのだろう。両方の間合いに入ったホリンはワザと隙を見せトロルからの攻撃を待った。
「オオォォぉッ!!」
好機だと思ったトロルはホリン目掛けて棍棒を振り下ろす。
一撃を盾で受け止めようとしているホリンを見ながらトロルはニヤリと笑う。
トロルは自分自身の力がどれだけ強いか自覚しており、盾で棍棒を受け止めようとして失敗した人間を何人も見て来ていた。今回もその例に習い、自分の一撃を受け止めた盾は大きくへこみ、衝撃で腕の骨が砕けるものだと思っていた。
だが、そうはならなかった。
ガキッと音が鳴ったものの盾はへこまず、ホリンの腕も砕けていないようだ。そもそも衝撃が発生したのかも不明だ。
「グオッ!?」
トロルがいつもとは違った結果に驚いていると棍棒を持った右腕が宙を舞う。
何が起きたのかトロルには最初分からなかった。だが、熱を帯びた痛みによって右腕が斬り落とされた事を認識する。
右腕を斬り落としたホリンは次の攻撃に移る。手首を捻り、斬り上げによる斬撃でトロルの左腕を狙った。
トロルもそこまで馬鹿では無い。ホリンの斬撃が自分の左腕を狙っている事に気付き回避を行う。
右足を軸足とし、体を反転させる。
回避は成功し、ホリンの攻撃は虚空を斬る。
攻撃が失敗したホリンはすぐさま手首を捻り、今度はトロルの胴体目掛けて片手半剣を振り下ろそうとするが、体を反転させて勢いを利用したトロルは左手で裏拳を放ってきた。
「小癪な!」
トロルの力強い裏拳がホリン目掛けて放たれるが、盾で防御を行い相殺する。
先ほどの棍棒による攻撃に引き続き、裏拳による攻撃が防御されたトロルはホリンの持っている盾には何か特別な力がある事を予測する。
どうにかしてこの盾を破壊出来ないかと考えるが、片手を失った今では容易でない。取り敢えず、蹴りを行おうとした所、左手を盾によって弾き返され体勢が崩れた。
さすがにこれはまずいと思ったトロルは唾液をホリンに向かって吐き掛ける。
「!!」
攻撃は見事に成功し、ホリンは追撃を止めて固まってしまう。
酸や毒が混じっていたら危険だったが、トロルの唾液に有害な物質は入っていない。ただ、臭いのである。その為、ホリンは余りの臭さに固まってしまったのである。
その隙にトロルは二歩ほど踏み込み頭突きを行い、ホリンの頭を砕こうとした。
だが――
「フォースッ!!」
そう力強くホリンが発すると、何かがぶつかり大きく仰け反ったトロルはたたらを踏んだ。
「ハッ!」
気合を入れたホリンはトロルの胴体目掛けて、片手半剣を横に払う。
「ぎゃぁぁぁッ!!」
一撃はトロルの胴体を斬り裂き、血しぶきを上げる。
結構深く斬り込まれた為、臓器の一部が飛び出てきた。
どうにかして一糸報いようと痛みに耐えて左手で殴ろうとしたが、軽くいなされ喉に刺突を貰う。だが、トロルの生命力は人間を軽く上回っているので、胴体を斬り裂かれ、喉を刺突されただけではすぐに息絶えず最後の力を絞り、再度殴り掛かって来た。
しかし、そんな最後の悪あがきは報われる事も無く、盾によって防御されてしまう。
「死んだか……?」
鼻が曲がる臭いに耐えながら、喉から片手半剣を引き抜くと再度トロルに向かって斬撃や刺突を繰り広げる。
何度も攻撃を行うが反応が無い為、トロルは死に絶えたようだ。
「ギル! いるなら出て来てくれ!」
ホリンはトロルから一旦離れ、ギルを探す。
一刻も早く彼から水を受け取り、顔を洗いたいのだ。
「アンちゃん、スゲェな! トロルに勝っちまうなんて!!」
近くの木の影からギルは出て来るなり、ホリンを褒め称える。
「水! 水をくれ!」
ギルの姿を見るなりホリンは水を要求する。
「水? 喉でも乾いたのか? ……って、くせぇ!!」
鞄から水袋を取り出しながらホリンに近づいたギルは余りの臭さに鼻を摘む。
引っ手繰るように水袋を受け取ったホリンは、水の一部を顔にぶっかけて、唾液を落とす。しかし、それだけはなかなか臭いを取れず、近くに香料の代わりとなる野草か何か無いか探すが、無駄に終わる。
「けど、さっきより臭さは取れたんじゃないのか?」
「そうか? 鼻が今利かないから分からん」
二人はトロルの首を斬り落とし、リグ村に帰っている最中だった。
「しかしよ、トロルがいたとは思わなかったな」
長年リグ村で生活をしているギルですら、村の周辺でトロルを見たのは初めてだった。
本来であれば、トロルは王国の辺境辺りに出没する魔物だ。なぜここにいたのかは分からない。
「だから、コボルトが村の作物を襲ったのかもな」
「どう言うこった?」
ギルは歩みを止めてホリンも眺める。ホリンは憶測だがなと言って話を始めた。
「基本的にコボルトが人間にちょっかいを出す事はあまり無い。アイツらだって人間は怖い生き物だって自覚しているからな。それにこの山は動物や山菜が豊富だ。それらを食っていけば事足りる。無理して人間の農作物に手を出す必要は無かった。
だがそこに、トロルがいれば別だ。トロルはかなり飯を食う。それこそコボルトの非じゃない。おそらくトロルは持ち前の力を使ってコボルトを支配してたんだろうな。それで、コボルトに食料を用意させていた」
「確かにそんな事も考えられるのか」
「まぁ、実際の所は分からないけどな」
そう言ってホリンは歩くのを再開し、ギルもまた歩きだ出した。
歩きながらギルは先程の戦いで気になる事をホリンに質問する。
「そういやさっきの戦いでトロルの攻撃を盾で防いでたけど、盾の能力か何かか?」
「一昨日も話したが盾も魔法付与品だからトロルの一撃を防げた。これが普通の盾だったら、今頃俺は死んでるよ」
左手に装備している盾を掲げながらギルに説明をする。
ホリンが持つ盾には、とある魔法付与が掛けられていた。
攻撃を盾で防ぐと衝撃が伝わり、腕が痺れたり、骨が砕ける可能性もある。また、強烈な一撃によって盾が破壊されたり、体ごと吹き飛んだりする可能性も考えられる。それを防ぐ魔法付与がホリンの所持する盾には施されているのだ。
その性能は作った魔法使いの能力に左右されると言われている。もし、この盾に優秀な魔法使いが魔法付与を施していたならば、降り注ぐ隕石すら防げる事だろう。
しかしながら、隕石する防げる魔法付与など聞いた事無いので、普通は限界値を超えた攻撃を受けると破壊される。
ホリンの盾が持つ限界値がどれほどかは不明だが、少なくともトロルの攻撃は防げるようだ。
「トロルの攻撃を防ぐとは、さすが魔法付与品だな」
説明を聞いて納得したギルは、ホリンが掲げる盾を眺めながら追加の質問を行う。
「あと、アンちゃんが何か叫んでトロルが仰け反ったじゃん。あれは?」
「あれは魔法を使っただけだ」
「アンちゃんは魔法使いなのか?」
「あぁ、神聖魔法を行使した」
魔法にもいくつか種類があり、神聖魔法や古代帝国魔法、精霊魔法などがある。どれか一つでも行使出来れば魔法使いと名乗る事が出来る。
むかしは古代帝国魔法を使える者だけを魔法使いと定義していたららしいが、時代の流れと共に定義が曖昧となり、今となっては何でもいいので魔法を使えれば魔法使いとなる。
神聖魔法とは暗黒魔法と同じ位置にあると言われている魔法で、己が信仰する神々から一部の力を借りて行使する魔法の事だ。
アースティティア大陸を有するこの世界には善悪に関わらず神々が存在しており、信仰心が高い者や試練などのある特定の条件を満たした者に対して、神々は己の力を貸す。
また、困っている者や危機に陥ってる者がいれば神託を行い、道を標す事もあった。
この大陸では主に、法と正義を司りし太陽神ルトゥール。戦と勇敢を司りし戦女神エルミーユ。金と公正を司りし商業神ルドー。本と文字を司りし知識神リウス。雨と豊穣を司りし慈母神デーテル。炎と金属を司りし鍛冶神ヴィッシュが信仰されている。
トロルとの戦いの時、ホリンは戦女神エルミーユから力を借りて神聖魔法の一つであるフォースと呼ばれる<気弾>の魔法を行使していた。
「神聖魔法って事は神官様……いや、神官戦士様か……。アンちゃん見たいな冒険者って多いのか?」
賦役の関係で村の外へ出る事もあるが、如何せん冒険者の類と知り合う事が少ないギルはそう尋ねる。
ホリンのように魔法付与品で武装し、王国貴族の象徴である金髪碧眼を持ち神聖魔法まで使える冒険者は多いか少ないかで言えば、もちろん少ない。
しかしながら、貴族で冒険者をやっている者や神聖魔法を使える冒険者、魔法付与品で武装をしている者も勿論いる。もっとも、そのような冒険者は王都やそれに準ずる都市部を拠点としているので、リグ村のような田舎に来る事は滅多に無かった。
「俺みたいな奴は都市部にちらほらいるぞ。まぁ、話を聞きたければ酒場でだな。とっとと村へ戻るぞ」
二人は歩く速度を速め、リグ村へと戻って行く。途中で斬り落としたトロルの血に惹かれたのか、狼の集団と出くわすものの威嚇で放った<気弾>の魔法によって狼はすんなりと撤退をした。
野生で生きる狼等の動物は力加減に敏感なので、二人を襲うと全滅すると踏んだのだろう。
それから少ししてリグ村についた二人は村長へ、トロル退治を報告する。
トロルの首を見た村長は非常に驚き、数秒後に顔が青ざめる。なぜならトロル討伐に関する報償金を要求された場合の事を考えたからだ。
一般的にトロルとなればコボルト以上の報償金が必要となる。コボルト退治の報償金を集めるのにも四苦八苦したのに、それにプラスしてトロル退治の報償金を支払う余裕はこのリグ村に無い。ましてや領主不在の時に村が勝手に冒険者を雇っている。領主に相談しても良い返事は返って来ないだろう。
顔を青くしている村長を見たホリンは、なぜ顔を青くしているか最初分からなかった。だが、ギルの言葉を思い出し苦笑した。その後、トロル退治に関する一切の請求は行わない事を伝える。
その言葉に村長は戸惑いを隠せなかった。冒険者が無償で働く事自体、村長の常識では考えれない事だからだ。
一般的に冒険者と言われている者たちは、報奨があるから魔物の退治等を行う。それが普通である。誰が好き好んで無償の奉仕を行うものか。だから、ホリンの言葉に村長は戸惑っているのだ。
しかしながら、村長が考えているような、一般的に考えられているような報奨ありきで行動する冒険者が全てかと問われると、ハッキリと違うと言える。
冒険者とは自由な存在である。
命を掛けて魔法帝国の遺跡を荒らし一攫千金を狙うのもよし。英雄や勇者を目指し、凶悪な魔物退治や偉業を達成するのもよし。時には山賊や盗賊、詐欺師まがいの事を行うのもよし。また、貴族や豪商だけを狙い、義賊を自称するのもよし。
冒険者は何者にもとらわれず、縛られず、己が定めた正義と信念に基づき、自由に生きる。故に法を犯す事もあれば、人を平気で傷つける事もあるだろうし、何かしらの理由により無償で働く事も考えられる。
今回、ホリンは自分とギルが生き残る為にトロルと戦った。だから、村へ報奨を請求するのは筋違いとホリンは考えている。冒険者によっては依頼の最中に起きた事なのだからと考え、報奨を要求する者をいるだろう。それもまた間違ってはいない。
そんな、ホリンの考えを聞いた村長はほっと胸を撫で下ろし、感謝の為に何度も頭を下げる。
少し早いがホリンはこれでコボルト退治を終了する旨を伝える。村長も快諾し、報償金である革袋を渡す。
その場で銀貨三枚相当ある事を確かめるとホリンは宿屋に、ギルは自宅へと戻っていった。
その後、二人は宿屋の酒場に集まり、祝杯を交わす。
村長からトロル退治を聞いた村人たちも酒場に集まり、ホリンへ感謝の言葉を伝えると共に祝杯を交わしていった。
酒場はいつものように活気に満ちていく。
こうしてホリンの一日は終わり、次の日を迎える。
「さぁ、スィン。アスラに戻ろうか」
そう言って黒馬のスィンに騎乗したホリンは、夜明けと共に拠点としている城塞都市アスラへと出発をした。
帰路の途中で豪雨に出会したが、約六日後にアスラへと無事到着をした。
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