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9/21

さだめ

伊庭がおぼれた。その命を救った勇。

勇はうっかり飲んでしまった酒で、酔いつぶれてしまう。その夜勇は近藤家にまつわるさだめを話し出した。

土方が箱館市中見巡りの任に就いている新撰組に報償金をもって行った帰り道。

 勇が居留区に行く用事があると言ったので土方、市村、島田魁らは港へと足を向けた。

 その時、前方の波止場に人だかりがしているのに気がついた。

 港は冷えきった風が吹き抜けている……。

「何事だ?」

 ただならぬ雰囲気に土方達はその人が集まっている所へと急ぐ。人だかりの中心には遊撃隊の隊士達がいて……そして目に入ったのは横たえられた伊庭八郎だった。

 ぐっしょりと濡れた服。濡れた髪が顔に張り付いている。その頭を抱え遊撃隊の隊士が号泣している。

「どうしたんだ」

 土方が怒鳴った。

 遊撃隊隊士が言うには、波止場から身を投げた女性を目にした伊庭が、すぐに後を追って飛び込み彼女を助け上げたのだがそのまま自分は沈んだというのだ。共にいた隊士があわてて飛び込み引き上げたのだがすでに息をしていなかったと言う。

「そんな馬鹿な……」

 野村が絶句しているとき、勇が遊撃隊隊士を押しのけて伊庭の傍に駆け寄った。

「沈んだのはいつです?」

 きつい目で隊士に問う。

「ほんの少し前です。すぐに引き上げましたから」

 それを聞くと勇は伊庭の口に指をつっこんでその中を見た。

 口の中には泡がほとんどない。

……溺れたわけじゃないんだ。

 勇は伊庭の体をうつぶせにする。

「おい、何するんだ」

 あわてた遊撃隊隊士が掴みかかろうとする。が、

「助けたいならすぐに水を吐かせて。急いで」

 意外な言葉に彼らがとまどっているのを見ると勇は声を荒げてさらに怒鳴った。   

「さっさとする。一秒だって惜しいんだから」

 その剣幕に言われたとおりに隊士達が動いた。土方達は呆然と眺めているだけだ。

「乾いた服を用意して。体をこれ以上冷やしちゃいけない」

 勇はそれだけ言うと、伊庭の服をはだけた。 首に手を添え脈を確認する。

……脈はない。呼吸もない。ここにはAEDだってない。いったい心停止からどれくらい経ってるんだろう。

 心の中に焦りが出る。しかし、今はできるだけのことはしようと決めた。

……気道を確保。鼻をふさいで人工呼吸。そして心臓マッサージ……

 学校での保健体育の時間にやったことを思い出す。部活でもレクチャーがあった。何度も受けている。

 できるはずだ。

 いや、やらなきゃならない。

 自分の服を脱ぐと丸めて伊庭の顔をそらせるように首の下につっこむ。伊庭の口に自分の口を付けて息を吹き込む。そして指を当てて心臓の場所を探すと体重を掛けて押し始めた。

……一、二、三

 心臓の圧迫回数を数えては人工呼吸と心臓マッサージを繰り返す。何度も繰り返すうちだんだん息が上がってくる。

「一体何をして……」

 見かねた遊撃隊隊士が声を掛けてきたが、

「うるさいっ。気が散るっ」

 肩で息をしている勇に大声で怒鳴られると黙ってしまった。

「伊庭さんに声をかけて。名前を呼び続けて」 そう言うと再び口から息を吹き込んだ。胸が大きく膨らむのがわかる。

……伊庭さん。帰ってきて。あなたは今死ぬ人じゃないでしょう?

 祈るような気持ちで心臓マッサージを繰り返す。

 そして……。

 どれくらい繰り返しただろう。

 勇ももう駄目かと諦めかけた頃。

「ゲホッ」

 勇の手の下から声がした。

 伊庭がむせている。

「伊庭さんっ」

 勇が顔を覗き込んだ。うっすらと目が開いている。

「わかりますか?」

伊庭が咳き込みながら頷いた。

 へたへたと座り込んだ勇は大きく息を吐いた。

「よかった……」

 周りはどよめいている。隊士は伊庭にすがりつき涙ぐんでいるし、その外を囲むように経っていた野次馬達は、死んでいたと思っていた人間が動き出したのだから、隣にいるものと顔を見合わせ何ごとか話している。

……そりゃこの時代には無い概念だよねぇ。救急救命なんてさ。

 肩越しに野次馬へと目を走らせた勇は肩をすくめた。

「でもよかった」

 ゆっくりと立ち上がると遊撃隊隊士に直ぐに医者に連れていくように言った。その言葉に何度も頷くと隊士達は伊庭を背負って歩み去る。

 勇はそれをぼんやりと見送る。

 疲れと気が抜けたのとで何も考えたくない。

 ふいに体に服が掛けられた。

「風邪をひくぞ」

 土方である。

 勇の服は濡れてしまったから自分の服を掛けてくれたのだ。

「八郎のこと、礼を言う」

 優しい笑みで土方が言った。

 勇も笑い返した。

 伊庭が助かって本当に嬉しい。

 勇は単純にそう思っていた。

 しかし、この一件が後に勇の身に思いがけないことをもたらすことになったのだった。  

 翌日には土方は五稜郭へと出かけていく。

 時間の空いた勇は伊庭の見舞いに箱館病院へと出かけていった。

さすがに鍛えられている体は回復も早く、伊庭はもう起きあがっていた。遊撃隊隊士が付き添っていて彼の世話をしている。

 伊庭も勇の見舞いが嬉しかったのか、残っている腕で勇の体を抱き寄せてなかなか離してくれない。

 ようやく伊庭の元から離れてきたが、今度は医者の高松凌雲に捕まってしまった。伊庭を助けたことをあれこれ聞かれているうちに、気がつくと日がずいぶん傾いてきていた。

 土方が帰ってくる時間である。

 勇があわてて席を立つと、誰かに送らせようかという凌雲に、走って帰るからと見送りさえ断って勇は箱館病院をあとにした。武士というものは戦でないと走らないという。送られたりなどすれば帰り着くのはもっと遅くなってしまうのは明らかだ。バスケで鍛えられているから走り続けるのには慣れている。

 病院と万屋との距離は遠くはないとはいうもののそれなりの距離はある。

 焦りながら勇は走り続けた。

 万屋の一室では土方が文机に向かって本を開いていた。

 パタパタという軽い足音がすると戸が開かれた。

「遅かったな。八郎の様子はどうだった?」

 息を切らし飛び込んできた勇に、穏やかな声で土方が訊いた。

 見るとずっと走ってきたらしい。上気した頬は桜色に染まり、汗ばんだ肌が行灯の光を受けてきらきらと光った。

「お元気でした。すいません、遅くなってしまって。あの……」

「足なら女将が湯を使ってくれたぞ。いつもお前がしているようにな」

 それを聞くとホッとしたような表情を見せる。気がかりだったのだろう。

 勇は土方の足の傷をとくに気にしていて、長靴を脱いだときは必ず湯で洗っていた。

「じゃ、足を出してください」

 勇が土方の前に座った。

 万屋で一緒に過ごすようになってから、勇が必ずする事だった。

 大人しく土方が両足を投げ出した。

 勇は自分の膝の上に土方の左足を乗せると丁寧にマッサージを始める。

 土方の左足は宇都宮での戦いでおった銃創で大きく傷ついている。時折引きずるように歩いているのに勇が気付いたのは五稜郭への進軍の時だった。

 初めて自分の左足を見た勇が傷ついた足を両手でそっと包み込み、涙をこぼしたのを土方は憶えている。その日以来勇は土方の足をマッサージすることを欠かさない。最初は格好が悪いと抵抗していた土方だったが、今では大人しく言われるままだ。やはり体が楽になるのだろうと勇は思っていた。何しろ部活でも勇のマッサージは評判が良かったのだ。

 両足を済ませ、腰と背中を揉んだ後あぐらで座った土方の肩と首筋を丁寧に揉む。

 先ほどから勇は自分の体の変調に気づいていた。

ずいぶん経つのに体が熱いままだ。いや、前より火照っている。その上なんだか頭がぐらぐらする。気のせいかと思ってしばらくは我慢していたが、耐えられなくなってきていた。

「気持ち……悪い」

そう呟くと、土方の背中に突っ伏してしまった。

「勇ちゃんっ」

 そう叫びながら女将が飛び込んできてのはそのすぐ後だった。

 あぐらをかいた土方の膝に頭を乗せ、横たわっている勇を見ると額に手を当てた。

「やっぱり。勇ちゃん、あなた台の上の湯飲み飲んだでしょう」

「うん。ずっと走ってきて喉ずごく乾いてたので。飲んだ後妙な味だと思ったけど」

 力無く、横たわったまま答える。 

「あの中、料理に使う焼酎が入ってたのよ」「なるほど、悪酔いしたか」

 土方がうすく笑った。

「女将、悪いが水を一杯もらえるか。後、隣の部屋に床をとってくれ」

 勇は持ってこられた湯飲みの水を半分だけ口にした。

 土方は勇の服をゆるめるとひかれている布団へと抱き上げて運ぶ。

「ごめんなさい……」

「ともかく横になってろ。戸は開けておくから気分が悪くなったら言うんだぞ」

 勇の頭を一撫ですると文机に戻っていった。勇は土方のその背中を見ているうちに眠ってしまった。

 どれくらい眠ったのか。

 ヒュッと空を切る音に目を開けた。

 見ると部屋の中、土方が刀を構えている。 平晴眼。鋭い眼差しだ。キリッと柄を握りしめる微かな音がしたと思った瞬間風が鳴った。右から斬り下げそのまま横へと薙ぐ。そして刀を引くと諸手突き。

再び刀を引くと下から斬り上げた。

 流れるように刀を振るう土方の姿をじっと見つめていた。

 とても綺麗だと思う。

 無駄のないその動き。

 勇も天然理心流を学んでいるが、それとは少し違うみたいだと思う。自分の習った剣はこんなに綺麗なものでは無いと思うのだ。

理心流はどちらかというと無骨な剣だ。太い木刀を使う気合いの剣と言える。

 しかし、理心流を学んだはずの土方が今振るっている剣はどちらかというと理性の剣と言う感じだ。

 やがて土方は剣を納めた。肩が上下している。

「綺麗な剣ですね」

 勇の声に土方が目を向けた。

「起こしたか?気分はどうだ」

 今までの鋭い眼光とはうって変わった穏やかな眼差しで、腰から刀を外すと傍らにあぐらをかいた。

「だいぶ楽に。でも、本当に綺麗な剣」

「綺麗……か。そんなこと言われたことがなかったな。癖が強いとか型になってねぇとかはよく言われたが。あ、品がねぇとも言われたぜ。ケンカ剣法だとかとけなされはしたが誉められたことは記憶にねぇなぁ。まぁ、近藤さんには注意はされたが……おこられはしなかったな。何しろあちこちの道場で身についちまった癖だ。しょうがねぇ。俺ぁ中極意目録止まりだしな」

「でも、強いもの。それに綺麗。流れるようで無駄が無くて。きっとその時々で姿が変わるンだろうな。そう、せせらぎのように。その場に合わせて一番無駄のない姿に変わりながらも決して滞らない透き通った水のような」

「せせらぎのような剣か。うまいことを言う」

 土方はふっと笑うと刀を目の前に掲げて見せた。

「俺は、この剣一本だけでここまできた。そのことだけが今の俺を俺でいさせている」

「兼定ですね。でも、それ、短くないかな。歳三さんの佩刀は二尺八寸って聞いてたんだけど」

「そりゃあ京の頃だ。今は俺自身が斬り合いすることはまぁねえからな。あれだけ長いのを佩いてるとあちこちぶつけっちまう。そんな無礼なことできねぇだろうが。箱館では二尺三寸を佩いてるよ」

 そう言って立ち上がる。

 ふわりと風が薫った。

 時折感じるその匂い。

 あわてて身を起こすと土方の背中を追ってしがみついた。くん、と匂いをかぐ。

「あ?今少し汗をかいたからな。汗くさいか?直ぐに体を拭くから……」

「いえ、そうじゃなくて……。そうか、時々感じるこの香り歳三さんだったんだ」

「香り?」

「歳三さん香とか……持ってる訳無いよね」

「あたりまえだろうが」

「じゃ、歳三さん自身の匂いなんだ」

「?」

 勇は土方の胸元に頭をつける。

「何だろう。林の中の匂い?違うな。そうだ、樹の香りだ。大きな木の下にいるような匂いなんだ。清々しくて安心できるような」

 ぎゅっとばかりに土方の胸元に抱きつく。後から思い出すと赤面してしまうが、この時は何も考えずにそうしてしまった。

「トシのいつも付けてるコロンの……シダーウッドの香りに似てる。あたし、この匂い好きだな……そっか、歳三さんの匂いか」

 土方に感じた懐かしさはトシの香りと同じだったからだと気がついた勇は、一抹の寂しさを感じた。

「そうか……トシの匂いと似てたんだ……」

 土方の背中に回した手。その手で土方の服をぎゅっと握りしめた。

 勇は暫く土方の胸に顔を埋めていたがやがて小さな声で話しだした。

「あたしね……歳三さんに言ってないことがあるんだ……」

「何だ?」

「あのね、土方家と近藤家が結ばれる機会は今まで無かった訳じゃないんだ」

「……」

「何度も機会はあった」

 土方にしがみついたまま勇はぽつぽつと話す。

「最初はそれを決めた爺様達の代の時」

「確か土方家は男しか生まれていないと……」

「そう。でも近藤家は普通に女の子が産まれるから。その時必然的に、その子は土方家に嫁ぐことが決められる」

 勇の口調に微かなためらいがこもるのを土方は気がついた。

「だが……両家に婚姻の事実はねぇと……」

 土方がいぶかしげに問いただす。

「そう。まだ誰も結婚してないよ。全て結婚までいかなかったんだ」

 勇の口調が苦しげなものになる。

「あたしが知ってるだけだけでも、いくつかあるんだ。土方家が七つだったかな、年上で」

「……」

「近藤家の女の子が十六歳の誕生日に結納をかわす手はずになってたことがある」

 土方は黙ったまま見下ろしている。

「でも、彼女は十六歳を迎えられなかった」

「……」

「通学途中の駅で……ホームから落ちた女の子を助けるために列車の前に飛び降りて。女の子は助けられたけど自分は逃げ切れずに即死だったと。十六の誕生日の直前だったと聞いている」

 土方は何も話さない。

「ほかには……。二つにならずに亡くなっていたり、一歳で死んだり。後何人いたのか……あたしには隠されてるから。誰もあたしに言おうとはしないんだよ」

 勇の口はだんだん重くなる。

「あたしの前の時は、土方家が近藤家の女の子より十、年上だった。どうしても歳の差ができちゃうからね」

「……」

 土方は黙ったままだ。だが話がただならぬ方へと動きそうな気配に、勇の腰へと手を回した。

「土方家の俊三さんとてもかわいがっていたんだって、その子のこと」

「としぞう?」

「あ、土方家の男の人の名前。俊三って言ったの。三男だったから。あたし面識あったんだ」

「そうか……」

 自分と同じ呼び名に妙な気がする。

「近藤家の子も俊三さんをとても慕ってて」

 ふと勇の言葉が切れる。

「でもその子は生まれつき病弱だったんだ」

 嫌な予感がする。

「俊三さんの二十歳のお祝いに……何とかお金を貯めて。風邪気味だったのに贈り物買いに出かけたんだって。帰ってくるときみぞれ混じりの雨に降られてね。買った物を服の下に入れて濡れないようにして帰ってきたらしいんだけど、自分はずぶ濡れで」

 勇は言葉を切った。

「それが元で風邪をこじらせたその子は、肺炎を起こして亡くなった。まだ十歳で」

 土方は自分の胸に顔を埋めたままで話す勇を抱く手に力を込めた。

「亡くなる直前、俊三さんにごめんねと言ったって。その子。お嫁さんになれないって。俊三さんはその後一生誰とも結婚しなかったよ。」

 勇は俊三の葬儀の時、その棺の中にその子が買ったというハンカチを入れたことを思い出していた。自分が死んだときには入れて欲しいと俊三に言われていたからだ。そして、彼の形見として今腕にしている時計が、ある。

「そうか……」

 土方は静かに言った。

「あたしが勇の名が重いって言ったことあったの憶えてるかな」

「ああ」

 始めてあった時のことだ。

「近藤家の女の子は……。何人も生まれてきているけど、誰一人として二十歳を迎えたものは、いない」

「!」

「みな若くして、と言うより幼いままに死んでいるんだ」

「若い時に……」

「生まれたときに土方家に嫁ぐことが決まっているのに、だれもその願いを果たせていないんだ」

 思いがけないことに土方には言葉がない。

 ただ、思い出したことがある。友、近藤勇がまだ宮川勝太と名乗っていた頃。勝太の姉妹は早くに亡くなっていなかったか?

「近藤家の女の子にはみな『勇』の字がついている」

 それは聞いたことがある。産まれてくる子供につける名前の字の話だ。

「あたしに勇の名を付けようとしたとき、親戚筋や土方家、特に俊三さんは大反対したんだ。若くして死ぬような運命を引き寄せる名前は付けるべきじゃないってね。爺様の取り決めに逆らってでも『勇』の字は避けるべきだと」

「……」

「あたしは五つまで男の子として育てられた」

 勇は耳を土方の胸に付けた。

「あたしの周りはみんなすごく気を遣ってるよ。あたし、小さい頃体弱くてさ……」

 勇は寂しげにふっと笑う。

「熱だして寝込むのもしょっちゅうで。父さんそんなあたし心配して理心流の剣の練習をちっさなころから始めて。最初は一日練習したら三日寝込むような有様だったけど、今じゃ風邪もあまりひかなくないくらい丈夫になったよ。でも、周りは今でも過保護でさ。土方家のおじさんおばさんもあたしが咳なんかしたらすぐお布団敷いて寝かすし。松本の良恵さんなんかあたしの顔色少しでもおかしければ注射だの薬だのって。でも……一番の過保護はトシだな。毎朝の挨拶は、今日の気分はどうだ、だもの」

「……」

「あたしもみんなに心配かけたくないから、気を付けてたんだよ。無茶はしないとか、怪我しないようにとか……。でも、こんな別の時間に跳ばされるなんてのは想定外だったよ」

 勇の声が震えている。

「きっとみんなに心配かけてる。父さん母さんやおじさんおばさんにトシに……。やっぱり近藤家と土方家とは結ばれない運命なのかな。あたし……、後どれくらい生きられるんだろう……。遠からず死ぬんだろうか」

 そう言いかけたときだ。

「ばかやろう」

 いきなり怒鳴られて勇は顔を上げた。肩を掴まれ引き離される。

「諦めるんじゃねぇ。必ず帰ると思ってろ。死ぬなんて思うんじゃねぇ。思ったときに死んじまうんだ。必ず生きて帰ると思ってろ」

 土方がじっと見下ろしている。

「俺が、俺達新撰組がお前を死なせやしねぇ」

 そう言うとぎゅっと抱きしめる。

 勇は黙って身を任せていた。

……こいつはそんな重さを背負ってたのか。

 土方は勇の華奢な肩を抱きしめる。

 重い。

 あまりに重い。

 一人で背負うにはあまりに大きすぎる。投げ出すこともできず逃げ出す方法もない。

 かける言葉など無い。

 多分何を言っても気休めにしかなりはしない。

「泣いても……いいんだぞ」

「……何で?」

 見ると意外なことを聞いたという顔で勇が見上げている。

「だって悲しい思いをするのは残されてしまうトシやお母さん達で、そんな思いをさせるのはあたしのせいだもの。だからあたしは、泣かない。泣く資格なんて無い」

土方は今まで不思議に思っていたことが理解できたような気がした。なぜ勇が自分のことにかまわないのか。なぜ、人のことになると必死になるのか。

「それは違うぜ」

「?」

「お前は自分のことで泣いていい。誰かに向かって泣いていいんだ」

「……」

 勇はそれを聞いても泣くことはない。ただ勇は手を土方の背に回しただけだ。

「……ありがとう歳三さん。トシと同じこと言うんだね」

 静かに笑って見せる。

……こいつは自分のために泣く事を忘れてしまったっていうのか。馬鹿だな、こいつは。悲しいくらいに馬鹿な奴だ。

周りの人たちにかけてしまう心配を思い、泣くことをしなくなってしまったのだろうと土方はただじっと見つめていた。

勇はわかっていた。

 自分は友人知人には物静かで温厚と思われている。だがそれはそう装っているに過ぎない。自分はそんな人間じゃない。思わず突き進んでしまいそうになる激しさと、自分を省みない熱さを抱えている。

 ただ怖いのだ。人の心に踏み込んでしまうのが。自分と言う存在が人の心に残ってしまうことを恐れている。人の心に足跡を残してしまうことを恐れ、踏み込みかけては一歩下がる事の繰り返しだ。やがて消える存在なら何も残さないでいい、自分のことなど思い出さないでほしいと、自分を押さえこんですごしてきたのだ。

 そんな勇の頭をなでながら土方は気を張らなくていいと言う。あるがままの自分であれと。

 新撰組のために自分というものを殺してきた男が言う言葉は静かに心に入り込む。

……暖かいな。ここ。

土方の腕の中は暖かい。

 鬼と言われ、冷酷と言われ続けていた男の、本当は暖かな心に包まれているのを感じる。

……優しい暖かさだ……な。

 少しずつ力が抜けていった。 

 ふと土方が腕にかかる重みを感じ、見ると胸元に勇がもたれている。背中に回していた手はいつの間にかずり落ちていた。

「眠ったのか……」

酒の残りか、それとも今まで隠していたことを話してしまったことでの安心感か。

「こいつは……隠し事が苦手な奴だからな」

 土方は思わず口にしてしまう。 

抱き上げて布団へと寝かせる。

「俺の匂いが許嫁の匂いと似てる……か。寂しかったんだな。いや、不安だったのか……」

 小さく呟く。 

「死なせはしねぇさ……」

 勇の手を握りしめた。

 自分より二周りは小さい手。その手が握るものは何なのだろうと土方は思った。


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