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8/21

西洋農場

箱館にある西洋農場。土方達はそこの視察を希望するがうまくいかない。

それを聞いた勇は一計を案じる。

ピクシブ等からの転載

 三日ほど万屋をあけていた土方が帰ってきた。

 五稜郭に詰めていたのかと思ったがそうでもなさそうだ。ずいぶん疲れたような顔をしている。脱がせた長マンテルからふわりと樹の匂いがする。

……まるで森の中で寝たみたい。

 茶を入れた勇が戻ってくると土方は部屋の真ん中に大の字になって眠っていた。

 いびきをかきながら眠っている土方を思わず見下ろして、

「なんとも……罪のない顔して寝てるなぁ」

呟いてしまった。

 茶を文机の側に置くと、部屋の隅からブランケットをとってくる。枕を、と思ったが勇はこの時代の枕が好きではなかった。どうにも固くて使いにくい。自分が眠るときには座布団を使ったりしている。

……ま、いいか。

 土方の体にブランケットを掛け、その頭をそっと自分の膝のうえに乗せた。

「疲れてるんだなぁ」

 その寝顔を見ながらため息をついた。

 いつもいつも、そしてずっと走り続けている土方を見ていると切なくなる。まるで生き急いでいるようだ。

「それとも、おじいちゃんのことで罪の意識でもあるのかな」

 まるで休むことが罪であるかのような生き方だ。 

「歳三さんがそんな思いする必要ないんだけどな」

 疲れ果てたような寝顔に少し苦しくなった。

 どれくらい経ったのか。

 ずいぶん経ったのかもしれない。日が傾いてから帰ってきたのではあるが、今はもう暗くなっている。

 土方を膝枕したままで手を伸ばし火鉢から行灯に火を移した。部屋がほんのり明るくなる。

「ん……あ?」

 土方が目を開けた。

「寝てたのか」

「起こしちゃいましたか?」

「温くて柔らかいと思ったら、お前の膝か。道理で気持ちいいと思った。すまねぇな起きる」

「いいですよ、まだ寝てても。女将さんには夕餉遅くしてもらいましたし」

 起きようとする土方を見て微笑んだ。

「そうか?」

 再び目を閉じようとする。まだ眠いのだろう。

「変なこと聞いてもいいですか」

「なんだ」

 目を閉じたまま土方が応える。

「歳三さん、何で遊郭に行かないんです?」

 思いがけなかったのか目を見開いて勇を見つめてきた。

「お前は、行って欲しいのか?女は男が遊郭に行くのは好かねぇもンだと思ってたが」

「別に行って欲しいわけではないですけど、あたしに気を遣って我慢しているんだったら悪いなぁって。だって、男の人って、その……」

「なんでお前に気を遣う必要がある」

「なら、何で?歳三さん江戸や京ではさんざん浮き名を流したじゃないですか。女の人好きなんでしょう」

 ぶしつけとも思える問に土方がふっと笑う。

「そうだな。ただ今はそんな気にならねぇ。まぁ女の肌で何もかも忘れたいならそれもいいだろうが。だが今は女や酒に浮かれている時じゃねぇはずだろう。今の俺は明日を忘れることはできねぇ。そしてそれ以上に昨日を忘れちゃいけねぇんだ。ただそれだけさ」

 その言葉に思わず黙り込んでしまう勇だった。

「お前が気に病むことじゃねぇ」

「でも」

「俺に女っ気がないのが心配なのか?」

 土方がふと人の悪い笑みを浮かべた。

「なら……」

 にっと笑うと手を伸ばし勇の頬に触れる。

「おめぇを抱いてもいいんだぜ」

「!」

 その時の勇の顔が可笑しかったのだろう。のどの奥で笑った。

「冗談だ」

 そう言うと目を閉じる。すぃと手を上げると勇の腰を両手で引き寄せるような仕草をする。

……枕じゃないんだけどな。

 思わず吹き出しそうになりながらも勇は少し体を寄せた。土方が寝返りを打って膝の間に耳を埋めてくる。すぐに小さくいびきが聞こえた。勇はブランケットを掛け直す。

 勇はそっとその髪に手を置いた。

 思いがけないほど柔らかな手触り。

優しげとも言える端正な風貌の土方は、動乱の京にあっては「鬼」と言われ、最果ての戦場の箱館では「軍神」と言われている。

 ずっと戦い続けてきた男が、今は、今だけは無防備なままの姿で眠っている。

 安心しているのか穏やかな顔で勇の膝に頭を預けているのだ。

 その額にかかる髪を指先でそっと梳く。

……本当は誰より優しい人なのに、ずっと戦い続けて。なまじ軍才があるばかりに。

 勇は土方の、家に伝わる話を知っている。 怪我をした幼子に一番に駆け寄ったり、病気の姪に土産を送ったりと優しい気遣いをするものが多い。 

 思わず悲しくなる。

 ずっと髪を撫でながら、いつの間にか歌を口ずさんでいたらしい。  

「そりゃ、なんだ?」

「へっ?」

「今の歌……か?」

 そう言われて初めて自分が歌っていたことに気づく。無意識だったのだ。

「あっ、と。ミスチルの」

 ふむ、と言う風な顔で、だが目は閉じたまま土方は小さく言う。

「みすちる、と言うのか」

「ごめんなさい。起こしちゃったんだ。気をつける」

「かまわねぇよ。お前が歌うのは嫌いじゃねぇ」

 再び眠りに落ちそうな声で続けた。

「お前の……柔らけぇ……声は……好き……だ」

 もう眠りの中だろう。

 土方が音楽が好きだなんて初めて聞いた。

 でも、納得はできる。

 遊郭に出入りしていた遊び人だから粋なことは好きなはず。土方家には使ったとの笛もあった。何より、フランス人のブリュネ達と共にいるのだ。西洋のオクターブには耳が慣れててもおかしくない。

「子供みたいな顔して眠ってる。あたし、少しは役に立ててるのかな」

 勇は土方の寝顔を見ながら小さく呟いた。

その夜。

 ふと目を覚ました勇は、音をたてないよう襖を細めに開けた。

 物音がしたからだ。

 そこには……、文机に向かって書き物をしている土方の背中が見えた。

 なぜか、寒そうで寂しげで……。

 そっと起き上がると、静かに襖を開ける。 土方に歩み寄ると背中にもたれて座った。

「なんだ。重いじゃねぇか。仕事の邪魔だ」

 土方がむっとしたような声で肩越しに言う。

「こうしてると暖かいから」

 土方の背中が寂しそうだという言葉は言わない。

「暫くこうしてていいかな」

 呆れたような土方のため息。

 だが……、確かにこうしていると、服越しだが背中に人の温もりが確かに伝わってくる。

「あんまり動くなよ。手元が狂う」

「うん。大人しくしてる」

ぴったりと土方の背に体をつける。服越しの温もりが優しい。

「あたしが好きな時代は……大きく歴史が動いた幕末と飛鳥時代……だった。でも、もうそんな言葉言いたくないって思うんだ」

「なんでだ」

 背中越しの土方の声。土方の背中に頭をつけて、前に回した手は自分の膝を抱きしめる。

「その時代が好きだなんて、後の時代の人間が言うことで……その時の人達は必死に生きてたんだ。懸命に、悩みながら、悲しみながら、苦しみながら……。そんな時代のことをさしてどうこう言うのって、結果を知っている者のエゴだよね」

「そうか?」

「みんなを知らなければ……わからなかったよ。歳三さんとあわなけりゃ気がつかないまんまだった。会えて……良かったと思ってる」

「でも、いつか自分のいた時に戻れるんだろうさ」

「そうかな……。どうやって来たかも、なぜ来たかもわかんないのに帰る方法なんて……」

「でも、来たからには必ず帰れるってもんだ。俺はそう思うぜ」

「……側にいて欲しいんだ」

 小さく呟いた勇の言葉は聞こえたのか。

「ん?なんか言ったか?」

「死んじゃ駄目だよって。死に急ぐなんて絶対許さないからね」

「お前なぁ」

「これは勇おじいちゃんの言葉、だからね。あたしはおじいちゃんになった歳三さんを見るつもりなんだから絶対長生きしなきゃ駄目だよ」

 勇は天井を見上げながら、願うように言った。

 

「榎本さんにも……弱ったものだ」

 ある日帰ってきた土方が思いがけずにこぼしている。

「いくら西洋でのならいとはいえ、わしもどうかと思うぞ」

 同様にこぼしているのは箱館奉行並の中島三郎助である。

 ここ三四日間出かけていた土方だったが、中島と同道で帰ってきたとたんに愚痴である。

 勇は黙って茶を勧める。

「これは勇君。かたじけない」

 中島は礼を言って茶碗を手にした。

「ガルトネルとやらの態度にもいい加減腹が立ったぞ」

 中島もどうやら愚痴りたいようである。

「ガルトネルって七重村の西洋農場ですか」

 勇が水を向けた。

「なんだ知っているのか?」

 土方は怪訝そうだ。

 勇は曖昧に笑ってごまかした。

「で、土方さんは農場に行かれたのですか」

「ああ、入ろうとしたが入れなかった」

 勇が小首を傾げるように訊ねた。

「農場に入りたかったんですか?」

「まぁ、私も仕事としてどのようなものか気になるでな。しかし、農場の門の所で追い返されたのだよ。中に一歩も入れなかったのだ」

 苦々しげに中島が言う。

「何しろ九十九年も土地を借りるのだ。大事だ」

「どんな奴か気になるしな。何をしているかも気にかかる」

 それを聞いた勇はふむと考え込んだ。

「私に二三日いただけますか?面白いことができるかもしれません」

 そう言うと部屋から出ていった。

「土方殿、勇君とは何者なのだ?海で助けられて以来土方殿が面倒見ているとは聞いているのだが、あの博識。侮れんものがある」

 勇の出ていった襖に目をやりながら中島が土方に話す。

「何と……言いますかね」

 土方も言葉に詰まる。鼻を右手でかきながらぼそりと答える。

「私にとって……大事な奴だと言うほかに言い様はないんですが……」

 今まで考えたこともなかったことに、思わず言葉に詰まる土方だった。

 中島が帰った後、茶碗を片づけながら勇は土方へ声を掛けた。

「で……、歳三さんは何が聞きたいんですか?」

「お前は何を知ってるんだ?」

 くすっ、と笑うと勇は話し始めた。

「ガルトネルさんの弟がプロイセンの副領事って事と、そもそものきっかけは幕府があったころの農業指導って事。そして、ここの支配者が変わるたびに農地が大きくなっていったって事かな?そして今回のこのことが新政府の人達にとてつもない大事件になっちゃったって事」

「何だと」

「元商人だからね。契約をやり直すたびにより有利に事を進めるのは道理でしょう?物事の引継をしなかったこっちの手落ち。そう言うことだよ」

「……」

土方はため息をついた。

「で……土方さん達どうやって入ろうとしたんです?」

「我々は政府の者だといったのだが……」

「言っちゃったんですか?」

「にべもなく蹴られたが……。名乗ったのがまずかったのか?」

「そうか。言っちゃってるのか。ん……ちょっと考えよう。でもこの話誰が持ってきたんですか」

「ガルトネルが直接だと聞いた。会計奉行の榎本さんがえらく乗り気でな。奉行並の川村も懸命に榎本総裁を説得していた。我々には軍資金がない、ということで……。もともと商人から金を出させようとするのを俺が止めたいきさつもあったしな。そんなもん焼け石に水だって事ぐらい火を見るより明らかだってのによ」

 ふと、遠い目になる。

「……俺はな、もう押し借りで過ごすのは嫌なんだよ。新撰組立ち上げの頃さんざんやったからな。俺達に向けられたあの目をまた見たくはねぇんだ。侮蔑と恐れと諦めの目がな」

 苦い声で土方が言う。勇は小さくため息をついた。

「そっか……。歳三さんらしいね」

 そう言うと茶碗をのせた盆を手に立ち上がった。

「明日、私、居留区に出かけますから気にしないでくださいね」

 襖を開けながら片目をつぶって見せた。


 四日後。

 土方一行は七重村への道をたどっていた。

 顔ぶれは土方、相馬、市村と勇。そしてどうしても来ると言い張った中島三郎助である。

 途中一泊。そして、その宿を立つというとき一同を驚かせたものがある。

「勇。なんだその格好は」

 土方が声を上げたのも仕方ない。

 勇は西洋風の服装で部屋から現れた。

 ビロードのベスト、シルクらしいブラウス、カシミヤの上着、ふわりと広がるベルベットのスカート。黒貂の毛皮のついたふんだんにドレープのある外套。編み上げの皮のブーツ。いつもは服の中に入れているブルージャスパーのペンダントを見えるように下げ、濃緑のエナメルで装飾された金のバックルをあしらったベルトを締めていた。

 洋服を着慣れている勇なればできる着こなしではあるのだが……。市村などあんぐりと口を開けている。

 真っ直ぐだった髪の毛が柔らかく波打ち顔の縁の髪などはくるくると巻いている。昨夜ごそごそやっていたのは眠る前に髪を巻いていたのだ。

「では、行きましょうか。私が何を言っても言い返さないでくださいね」

 ふわりと馬にまたがると先頭にたって駆ける。

 しばらく駆けると農場の入り口が見えてきた。

「さて……」

 勇の目にいたずらな光が宿る。背をくい、と伸ばした。

「どうでるかな……」

 ガルトネル農場の門をくぐる。

 勇は臆するふうもなく、堂々と馬を進めた。後ろについてくる土方達のほうがはらはらしていた。前回はここでにべもなく追い返されたのだ。

 見ると、ばらばらと館から使用人達が駆けてきた。

「止まれ。何のようだ。帰るがいい」

 大きな体の男が怒鳴った。太い腕っ節を振り上げる。

「お前はこの農場の者か?」

馬上のまま勇がちらりと下を向きながら話す。流暢な英語である。

「そうだが」

「館の主人に用がある。呼んでおいで」

「何っ」

「用があるとゆうておる。もたもたするでない。お前の主人は客人を待たせるような無礼を許しておるのか?」 

 勇のきっぱりとした物言いに、周りを取り巻いている者たちは一斉に下がった。

「遅い。ここの主人は使用人の教育がなっておらぬようだな」

 じろりと一瞥する。

 あわてて館へと駆けていく後を、悠々と馬の歩を進め館の玄関につけた。

 中から一人の男がでてきた。

それを見ると勇はふわりと馬から飛び降りる。

「ミスタ、ガルトネル?」

「そうですが……」

「初にお目にかかる」

 スカートをつまむと優雅に腰を落とし挨拶する。それを済ますと顔を後ろに向け市村へと声を掛けた。

「市村。私の鞄の中に手紙がある。それを」

 あわてて市村が鞄の中を探し、一通の封筒を引っ張り出した。急いで勇の元へとかけてくるとそれを手渡す。やんわりと笑みを浮かべてそれを受け取ると、すい、とガルトネルの目の前に付きだした。

「英国商人、ブラキストンからの書状だ。注文書と共に手紙が入っておるはずだ。私がこの農場をみたいとゆうたら手紙を書くといってくれてな。注文の品は私がもって帰ってやろうと思っておるのだ」

 ガルトネルは手紙を手にすると中を確かめようとする。

「ガルトネル?客人を待たせてそのような態度は無礼ではないのか?それとも西洋の男は礼の示し方を知らぬのか?」

 えっと言う顔でガルトネルが顔を上げた。むっとした顔の勇はさらに流暢な英語で言葉を継ぐ。

「私は寒い。寒い中来たのだ。中に招いて熱い飲み物の一つでも出すべきであろう?」

 いきなり胸元を掴んで耳を寄せた。小声で囁く。

「私は急ぐ用があるのだ。このもの達の前ではできぬだろう。えい、鈍い男だな。手水だと言うに」

 その意味に思い当たるとあわててドアを開けた。

「このもの達も入っても良かろう?私ひとり入ってしまうと心配するのでな。ああ、この者にも暖かい物を。馬に水と飼い葉をやってもらえるとありがたい」

 ガルトネルはため息を一つ付くと使用人に指示を出す。

 一方勇は堂々と胸を張ったままドアをくぐる。その直前、後ろを肩越しに振り返り、

「お前達もくるがいい。入ってよいそうだ」

 にっこりと笑ってみせた。

 狐につままれたような顔で土方達が馬を下りドアをくぐる。

 勇はガルトネルと共に奥へと消える。

「お前達はそこで休んでるがよい。なに、直ぐ戻るゆえ」

 心配げに市村が見ていると、確かにそうもせずに帰ってきた。

 駆け寄った市村が小声で囁く。

「大丈夫だったか。何かされたんじゃ……」

「別に。厠に行っただけだよ」

 その言葉に市村は顔を赤くした。

「ガルトネル、何か暖かい物が欲しいな。この者にも。私は、蜂蜜入りのミルクがよい。ああ、煮立たせるでないぞ、まずくなる。甘くしてな」

 尊大な態度のまま、勇は部屋の中を歩き回っていた。ガルトネルはもう諦めたように言いなりである。勇はあちこちを眺めながらへえ、とかほう、とか言っていた。

 メイドが盆に入れたカップを運んできた。

 それに口を付けた市村が、

「苦ッ」

と声を上げた。勇が覗き込む。

「ああ、コーヒーか。少し待て……」

 そう言うと勇は自分のカップから、ミルクを市村のカップへと注ぎ込んだ。

「これでよかろう?さて、ガルトネル。私は農場を見たいのだ。案内してくれぬか?」

「農場を……ですか」

 ガルトネルが少し厳しい顔で言う。封筒の中を確かめていたが問題はなかったようだ。

「この男達は……先日見た記憶がある。政府の役人だと言っていましたが……」

「私がここに来たいと言ったら、心配する者がいてな。まったく過保護で困る。この者達は随行だ。気の毒なことだ。だから気にせずとも良い」

「そうですか」

 では、案内するというので部屋を出る。

「お前達も来るがいい。私の姿がないと不安であろう?」

 勇達はガルトネルについて農場をまわる。あれは何だ、あっちは何だ、わかるように説明しろ、と勇に難癖を付けられながら、ガルトネルは農場を説明し、案内をする。

 ひとしきり回った後、倉庫で品物を探す。

「ブラキストンの注文だけでは味気ないな。私も何か買っていこう。いやいい、この者達が持ってくれる」

 勇は全員を連れて倉庫の中を勝手に歩き回る。あれやこれやと物色しながら数個の品物だけを選び出した。その品物を中島に手渡したとき、目配せをした。もういいか、と訊ねているのだ。

……たいしたものだ。この農場全てを案内させてしまったな。

 中島は頷く。それを確認すると、勇はおもむろに口を開いた。

「さて、私も疲れた。そろそろ帰ろうか」

「もう、よろしいので」

と、中島が言う。

「まぁ、見るだけ見たのだ。これ以上は退屈するだけかもしれぬ」

「レディ。では、春においでください。リンゴの花が咲いて美しいです」

 ガルトネルが話しかけてきた。

「そうか……。では暖かくなったら、また来よう」

「待っています。また来てくれると嬉しい」

 振り回されたのにガルトネルは勇に好感を抱いたようだ。勇の前に膝をつき、手を差し出す。勇も、笑みを浮かべると右手を差し出した。ガルトネルはうやうやしく手の甲に口を付ける。

「今日は楽しかった。礼をいう」

 勇はそう言うと、用意されてきた馬にふわりと飛び乗る。

「では、帰るぞ」

 勇は肩越しに声を掛けると馬の腹を蹴った。

 一同は真っ直ぐ駆け続け……やがて、農場は木々に隠れて見えなくなった。

 勇は馬の足をゆるめる。……しばらくして、馬を止めた。

 中島に振り返る。

「いかがですか?まだ、調べたいことありますか?」

「いや、十分だ」

 中島が言う。

「なぁ、良かったのか?後から何かやばいことにならないか?」

 心配げに市村が声を掛けてきた。

「何で?」

「何でって……」

「あたし、一言も嘘は言ってないよ」

「え?」

 一同驚いた声を出した。

「あたしはなにも嘘は言ってない。彼らが私の姿を見て勝手に思いこんだたけなんだよ。あたし、一言でも皇族だ、とか公家だ、とか言った?」

 確かに、思い出してみるに、勇は虚言は一言も言ってないのだ。

……なんて、奴だ。 

 土方は心中舌を巻いた。

 頭の切れる奴だと思っていたが、これほどの策を練るとは思わなかったのだ。

「ブラキストンさんの奥さんには感謝だな。こんなりっぱな服を貸してくれたんだもの。旦那さんは手紙書いてくれたし」

「何を書いてもらったんだ」と、土方だ。

「品物の注文書。と、あたしの紹介状は、大切な恩人なのでよろしく頼むと……」

「それだけ?」 

 市村が驚いた声を出す。

「そう、それだけ」

 勇は笑った。

「物事は単純なのがいいんだよ」

「なに言ってやがる。はらはらさせやがって。心配するじゃないか」

 不機嫌な声で土方が言う。

「何かあってからじゃ遅せえんだ」

「でもあたし勝算ありましたよ」

「何でだ」

「ガルトネルさんが自らを紳士だと思っているのであれば、あたしにはぞんざいな態度はとれないってね。西洋では紳士たる者、高貴な女性には絶対的に礼を尽くさねばならないんです。それが男たる者の矜持ですからね。だから、あたしがこのようななりをして、ふんぞり返っているうちはあたしには手は出せないんですよ」

「そんなもんなのか?」

「西洋にある騎士道というものの所為ですね。西洋の武士道ですが、高貴な女性に対する忠誠心ってものを大切にするんです」

……計算尽く、ってことか。

 笑ってみせる勇に土方は呆れた。

「土方さん、あんまり心配ばっかりしてると禿げちゃいますよ」

 勇はからかうように言った。

 土方はむっとして、そっぽを向く。

そんな土方を見て、勇は思わず想像してしまった。

 髪のない土方を。

 で、思わず吹き出してしまったのだ。

……やだ。かっ、かわいい。スキンヘッドの歳三さんって。

 必死に笑うのをこらえようとするが、背中が震えてしまう。

「おいこら。なに笑ってやがる」

「い……えっ。わらっ……てなんか……いません……て」

 唇を噛み必死に笑いをかみ殺すが、声が震えてしまう。

「てめぇ……。笑ってるじゃねぇか。俺のことでくだらねぇ事考えたんだろ」

「い……え。別にっ……」

 勇の目には涙が浮かんでいる。

「こ……んのやろう」

 土方の目がすいと細くなる。

「やだ、土方さん切れちゃいました?」

「ああ、頭の一つもひっぱ叩かねぇと気がすまねぇ」

 勇が悲鳴を上げて駆け出すのと、土方が怒鳴りながら駆け出すのと同時だった。

 市村があわてて二人の後を追う。

 後には呆然とした、中島と相馬が残され……。

「我々も……追いかけますか……」

「そう……だな」

 二騎は、駆け去った三騎の後を追って林の中に消えた。 


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