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明治二年 春

ピクシブ等より転載。

明治二年。まだ戦の足音は聞こえていない。勇と共に過ごす土方は、勇のことを憎からず思っていることに気づき始めた。

年が改まった。

 新年を迎えた祝いだと言うことで酒宴が設けられる。

いつもなら酒席にはまず出ない土方も、これはさすがに断ることもできず出かけていった。

今日は箱館政府の主だったものが顔を合わせるはずだ。

少しは楽しんできてくれればと勇は思っていた。

仕事ばかりに打ち込んでおよそ休むと云うことをしない土方に痛々しささえ憶えてしまう。たまにはお酒でも飲んで嫌なことを忘れたっていいはずだ。

 やがて。

土方が夜遅くかなり酔って戻ってきた。

 下戸の土方が正体を無くすほど酔うなどとはあまりない。しかもどうも楽しい酒でもなさそうだった。かなりつらそうな顔をしている。

 送ってきた兵士は勇に一礼すると帰っていった。

 土方は玄関に腰を下ろすとそのまま後へと倒れ込んでしまった。肩で息をしている。

 勇は黙ったままで土方の軍靴を脱がせた。用意しておいた湯で足を洗う。宇都宮での傷をのためにどんなときも欠かさない。きれいに洗って手早くマッサージも済ませる。

「立てます?」

 声を掛けるが返事がない。酔って眠っているのだろう。

「起こしますよ」

 せえのと声を掛けながら土方を肩で担ぎ上げる。そのまま肩を貸して部屋まで連れて行く。

 部屋は火で暖かい。土方を襖にもたれかからせるように座らせると、湯冷ましと番茶を持ってきた。

「ともかく少しでも飲んで……。少し楽になるはずだから」

 そういいおくと玄関へもどり、使った湯などを片づける。部屋に戻ってくるとき、水差しと桶を一緒に持ってきた。

 部屋に入ってみると湯冷ましは飲まれている。番茶にも手がついている。ただ土方は横になってぐったりしたままだ。

 勇は一つため息を付くと床の支度をする。

 さて、となるわけだが、土方の着替えである。軍服のままで寝させるわけにもいかないから服のボタンを外し始めたのだがどうにも照れてしまう。

「なにしてやがる。」

 ふいに土方がしゃべった。

「あ、出来たら服脱いで欲しいんだけど、な」

勇の言葉にゆっくりと半身を起こした土方は自分でボタンを外し始めた。が、途中で手が止まる。見るとまた眠っているようだ。

 はぁと大きくため息を付くと勇は残りのボタンを外し始める。自分にもたれかからせるようにして服を脱がせると背中に掛けた着物に手を通す。眠ってしまった土方を寝床の上に静かに横にする。軍服のズボンのベルトを外そうと手を掛けたが、自分のやろうとしていることに気がついて思わず赤面してしまった。なるべく見ないようにしながらズボンを脱がせて着物の見ごろをかきあわせると一気に脱力した。

 布団を掛けて一度部屋を出る。

 酔ってる土方を一人寝かせておくわけにもいかないだろう。吐くといけないと思った勇は隣に寝ることにした。

 自分の部屋から布団を運び込む。

 部屋にはいると、土方はすでにいびきをかきながら眠っている。

 行灯の光が歳三の顔にかからないように動かすと火鉢の火に灰を掛ける。

 歳三の軍服を畳むと勇は横になった。


 白い白い場所だった。

 土方が横を見ると近藤がいる。厳しい顔を前に向けたまま歩いていく。

 が、土方は足が重くて思うように進めない。近藤にどんどんおいていかれる。

 見ると歩いていく前には篠原や加納が刀を抜いて立っている。

「近藤さん。駄目だ。行くな。待ってくれ。」

 土方は声を上げたが聞こえていないのか、近藤は歩き続けていく。

「近藤さん、行くな。」

 振り上げられた白刃がきらめく。

 土方は叫んだ。

「待ってくれ。行くな。やめてくれっ。」


 自分の声に眠りが破れた。

「……さん。歳三さん。」

 土方は自分が呼ばれていることに気がついた。

 肩に手が掛けられている。

「どうしました。うなされてましたよっ」

 顔を向けると勇が覗き込んでいる。

「水、飲みます?」

「ああ」

 土方は身を起こすと、渡された湯飲みをあおった。

今夜の酒席。

 思うだに腹立たしかった。近藤を侮るような言葉に何度怒鳴ってやろうかと思ったことか。

 しかし、その度に口先までのぼった言葉を酒でのどの奥へと流し込む。

 今の自分には戦うしかないのだ。話すことなど無い。

何度もそれを繰り返すうちにしたたか酔ったらしい。

 いい加減席を立ったはずだが記憶がなかった。

 まだ頭の奥がぼんやりとしている。

 のどを過ぎる水が心地よい。

 湯飲みを受け取った勇が枕元にそれを置くと

「汗かいてる。今、体拭くもの持ってくるから」

 土方のそばから離れようとした。

「!」

 自分でも気づかないまま土方は勇の腕を掴んだ。

 驚いた顔で勇が振り向く。

「ここにいろ。」

 腕を掴む手に力がこもる。

「……う、ん」

 勇はそういうと傍らに座った。

「ちょっと待ってて……」

 振り返ると自分が使っていただろう布団を引っ張る。そして土方の背に掛けると自分も側に寄り添って布団にくるまる。

「冷えるから」そう言って笑った。

 ふわりと笑う少女。近藤勇の末だと云う少女。

……近藤さん。

 土方は歩いていく近藤の後ろ姿を思った。

「どうしました?」

 心配げに見ている勇と目があった。

遠目においた行灯の光が勇の瞳に映り込んでいた。勇の大きな瞳は水底に沈む那智黒石の様に漆黒にきらめいている。


 勇はとまどっていた。

 土方がこんなに寂しげな眼差しをしているのを今まで見たことがなかった。

 いつも自信に満ちていて、強くて、不敵に笑う。いつも真っ直ぐ前を見ていた土方が、まるでおいて行かれた子供のように頼りなげで寂しい目をしている。

 今にも消えてしまいそうなくらい儚げだ。

 ふと、土方が切なげな表情を浮かべた。

 その顔を見た勇は胸がキリッと痛んだ。

 両肩を掴まれてじっと見つめられたときも身動きできずにいた。

怖いというのとは違う。でも目がそらせない。

 多分それは土方の目だ。

 すがるような切なげな瞳。

……そんな目をされたら……拒めないよ。頼ってくる人を振り払えるわけない。

 くいと引き寄せられる。 

「勇……」

 微かな声だ。

 土方がすっと目を細め顔を近づけてきた。

思わず息をのみ身を固くした。ぎゅっと右手を握りしめる。

息を殺し唇をきつく結んだ。

そして、目を閉じた。

 唇に柔らかいものが触れる。暖かなそれは勇の唇に何度も軽く、そっと触れる。

 まるで手にすくった清水を飲むように軽く優しい。

勇はずっと息を押し殺していたが、耐えきれずふうと息をはいた。

 すっと勇の肩から力が抜ける。

 ため息をついたときわずかに開いた勇の唇に、気がついたのか口づけが滑り込んだ。

 軽く優しかったキスが、深く強く長い口づけに変わる。勇の唇を覆うように重ねられた唇。

 驚いて一瞬目を見張り身を引こうとしたが、大きな土方の手がいつの間にか首の後ろに回されていて身動きできない。目に入るものは長い睫毛と漆黒の髪。

 勇は再び目を閉じた。

 ゆっくりと勇の右手の指がほどけていく。何かを求めるように、ためらいがちに伸ばした手が土方の胸元に触れた。その着物の布を握りしめる。

「ン……っく……う」

 思わず小さな声が漏れた。

 自分の中に入り込んでいる熱いものが勇の舌を強く絡め取り吸い上げる。まるで何かを取り込もうとでもいうように。

 押し包むように重ねられている唇。口づけは少し苦くて微かにキセル煙草の匂いがした。

どれくらいそうしていただろう。やがてゆっくりと土方の唇が離れた。

 勇が目を開いた。が、次の瞬間

「!」

 勇の体が硬直する。

 右耳の耳たぶに土方が唇を触れさせてきた。鼻先をかすめた歳三の髪の匂いがする。シダーウッドの香りのような樹木の匂い。

 肩から離した手が寝間着の襟にかかる。

 襟がゆるめられ勇の両肩があらわになった。 

 うなじを滑り降りる唇。右肩で何かを探しているように唇が這う。やがて目的のものを探り当てた。

 それは……右肩に残る手術の傷跡。

 野球の試合で自分を狙って打たれたピッチャーライナー。その球に砕かれた右肩の手術の跡だ。

「お前にもあるんだな。右肩に傷が……」

 ささやくように土方が言った。

「今でも痛むか?」

「今はあまり。無茶すると痺れるけど」

「そうか」

 その傷跡にそっと唇を当てる。そして、軽く歯を立てた。

「いつっ」

 走った痛みに思わず声が出る。

「何を……」

 そう言ったときには土方の口はその場所を離れている。

 土方の手は掴んでいた肩から離れると右胸のふくらみにそっと触れた。

 その大きな手は勇の胸を優しく包み込む。

 勇もさすがに眠るときまではさらしは巻いていない。

 土方は、その手に収まってしまう、けして大きくはないけれど形のいい胸に口づける。

 勇は思わず目を閉じた。  

 唇は胸の中央へと滑り、丁度心臓の真上で止まった。 

 唇を強く押し当てる。そして……。

「痛いっ」

 体がびくんと震えた。

 土方の歯が離れたときに思わず力が抜けたほどだ。

 きりりと噛まれたその場所には赤く跡が付いた。

 土方はじっとその跡を見つめる。

 紅くくっきりと残るその跡。

「歳三さん、何を……」

土方は黙ったまま勇の寝間着の襟を丁寧になおした。

「痛かったか……。すまなかったな」

 そう言うと顔をそらした。 

「本当にいるんだよな。お前は。幻なんかじゃねぇ」

 その言葉に勇は理解した。彼は確かめていたのだ。自分という存在を。本当ならいるはずのない近藤勇という人間を。

「消えるなよ。ずっとここにいろ。俺の横に。いなくなったりしたら承知しねぇからな。」

 顔を伏せたままそう言う。悲しみがにじむ声だ。

 勇には土方がうなされていた夢が推しはかれた。

 近藤勇だ。

 自分の名の由来の主、新撰組局長近藤勇の夢を見たのだ。たぶん彼が去っていく夢を。

……あたしには、歳三さんの苦しみはきっとわからない。でも、少しでも軽くすることはできないんだろうか。

 さっき見た切なげな表情が目に浮かぶ。 

 思わず土方の頭を両手で胸へと抱きしめた。土方はされるがままになっている。

「ここにいますって。いなくなるわけないじゃないですか。あたしはここにいるって言ったじゃないですか」

 土方は黙って聞いていた。しばらくすると

「心の臓の音がするな」

 小さな声で言った。

「命の音だ」

 胸に抱きしめたとき、耳が丁度心臓のそばにあたったらしい。勇の心臓の鼓動が聞こえたのだ。

「あたし生きてますから」

「もう少しこうしててくれるか」

「いつまででも。歳三さんが望むなら」

 勇はずっとそのままでいようと思った。せめて土方が再び眠りにつくまでは。自分にはそれぐらいしか出来ることがないと知っていた。


「おい、起きな。朝だぞ」

……誰だろう、今あたしを起こさないで。

「うーん、あと五分。五分でいいからもう少し寝させて…」

 布団を引き上げようとしたとき、くっくっと言う笑いをかみ殺したような声がした。

「あと五分か。おめぇはいつもそう言ってたのか?」

 誰?

 目を開けると覗き込んでいる土方の目があった。軍服に身を包み、膝をついて勇を見下ろしているのだ。おかしそうに笑っている。

 あわてて跳ね起きた。

 いつも土方の身支度は自分の責任で準備していたのだが、迂闊にも寝過ごしたらしい。

「いやいや、面白いもの見せてもらった」

 土方の言葉に赤面した勇は布団を胸の前に抱え込んだ。で、気がついたのだ。

「ここ、歳三さんの布団……」

「ああ、眠ったお前が俺の頭を抱え込んではなさねぇもンだからな、悪いたぁおもったが俺の布団にそのまま引き込んだ」

 紅潮していた顔がさらに赤くなる。

「寝顔、可愛かったぞ。」

 笑いながら立ち上がる。

「早く支度しな。今日はお前も五稜郭へ来い。挨拶回りだ」

 障子越しに朝の光が射し込んでいる。昨日とは打って変わってすっきりとした表情だ。おそらく前以上に。まるで何かを吹っ切ったような表情だ。

「俺ぁちょっと屯所に行ってくる。すぐに戻るから気にするな」

「はい」

 土方はそう言うと襖を開けようとして手を止めた。

「昨日の夜のことだが……」

「はい?」

「あの、何て言うか、だな」

 しきりに右手で鼻の右側に触れている。照れたときの癖だ。

「つまり、だ」

 言葉になってない。

勇はなんて可愛い人なんだろうと思った。

 これ以上は酷というものだろう。

 勇はふっと笑うと立ち上がる。

 土方の前に立つと両手をその頬に添えた。

「?」

 土方は怪訝そうな顔を見せる。

勇はすいと背伸びをするとその唇に自分の唇を押し当てた。 

「!」

 鳩が豆鉄砲を食らったとはこのときの土方の表情だろう。

驚いて目を見張ったが、土方が見たのは勇の閉じた目の長い睫毛。

 やがて勇はゆっくり唇を離すと目をそらした。

「いいのか?」

 土方の言葉に黙って頷いた。

「そうか……すまねぇな」

 にこりと笑うと勇の頭に手を置いた。

「じゃ、行ってくる。」 

 そう言うと襖を開けて出ていった。

土方が出ていった部屋を勇は急いで片づける。寝間着を畳もうとしたときだ。

「……あ」

 ふと手が止まった。

「歳三さんの……匂い」

 なぜか懐かしい安心できるその匂いに、それをぎゅっと胸に抱きしめる。

 人差し指で唇に触れた。土方の唇の柔らかさと熱さが甦って耳が熱くなる。

 勇は早まる胸の鼓動をもてあましていた。


 勇は顔なじみの古参隊士を万屋に呼んだ。

 土方の部屋には野村、市村、島田、相馬、蟻通、安富他数人の古参隊士がいた。

 彼らの前には茶色の菓子が山盛りになっている。

「これ、何なんだ?」

 市村が怪訝そうな顔をしてつまみ上げる。

 四角く切られた茶色の菓子。

「ブラウニーだよ。今日は暦じゃ一月四日だけど西洋暦で考えるあたしにとっては二月十四日、バレンタインだものね。さすがにチョコをみんなに配るだけ用意なんてできないからチョコケーキのブラウニーで勘弁してもらおうと思って」

「ばれたい?何だそれ」

「あたしの時代ではね、今日は女の人から男の人にチョコレートって言うお菓子と一緒に大好きって伝える日なんだ」

「え……」

 ブラウニーを手に市村が赤面する。

「一昨日はみんな市中の大警邏大変だったもんね。みんなお疲れさまでしたって意味も込めて。あたし、新撰組のみんな大好きだもの。もちろん屯所にも置いてきたんだよ。みんな呼びに行ったときのあの大きい風呂敷包み、あれの中身はこれなの」

 部屋の床の間近くにおかれた文机の側にいた土方はなるほどと思った。昨日から勇はなにやら慌ただしかった。居留区に出かけると言ったきり昨日は戻らなかったのだ。一昨晩のことで顔をあわせにくかったのかと思っていたが、どうやらこの菓子を焼いていたせいらしい。

「ココアかき集めるのに手間取ってしまって。フランス商会やらあちこち駆け回ったんだ」

 そう言いながら懐紙に三個取り分けた。それを手に土方のそばに座る。

「はい。土方さん、大好きです。これからもお願いします」

 そう言いながら土方に手渡す。土方が受け取る間際勇が一つ指でつまみ、思わず口を開けていた土方の口の中へと押し込む。

「……うまいじゃねぇか」

「そりゃね。ケーキ屋やってる沖田の光恵叔母さん仕込みだから。もっともブラウニーは易しいお菓子だから、失敗なんてしようがないけど」

 勇が振り向いたとき、おそるおそるといった感じで口にする市村が目に入った。とたん、おっ、という表情になる。

「あ、これ、結構うまい」

 そう言うと再び手を伸ばす。

「おい市村、お前ばっかりがっつくんじゃねぇ」

 そう言いながら野村が手をのばした。

 それを合図に次から次と全員が菓子の山に手を伸ばす。

「沢山つくったから、みんなの分、十分あるよ。あたし……みんなに感謝してるんだ。右も左も分かんない、あたしみたいな正体も知れないものにこんなにも優しくしてくれる。本当にありがとう」

「それは……違う。君が近藤先生の血筋だからこそだ。我々は近藤局長を尊敬しているのだよ。だからこそ君に報いたいと思っている」

 島田が優しい目をして言った。

「おじいちゃんに……。そう言えば、三鷹にあるうちのお墓にはおじいちゃんの頭が入っていないんだ。板橋で体を引き取ったけど、それも本物か分かんないって聞いたことがあるしなぁ。おじいちゃんの首は江戸で晒され京で晒されて。……大坂でも。あたしは首は京で晒されているうちに無くなったって聞いてるんだ。でも、変だよね。おじいちゃんの首がないのに何でいくつも遺髪の塚があるんだろう。首がないのに髪なんて取れないじゃない」

 勇はそう言いながらその場にいる古参隊士達に目を向ける。

 市村はあわてて目をそらし、相馬は表情を消した。野村は目を泳がせ……。

 勇は笑い出した。

「ああ、やっぱりあたし新撰組のみんなが大好き。……あたし、いつか、おじいちゃんの首のある場所にお参りに行きたいな。きっと寂しがってるだろうし」

「そりゃねぇな」

 ふいに土方が言った。

「寂しくはねぇさ。今頃二人で茶でも飲んでるさ。周りは賑やかだしな」

「そうですね。あそこは俺達に取っちゃ庭みたいなもんだ。いつも歩いてた場所だった」

 島田が遠い目をする。

 周りで頷く隊士達を見つめていた勇の頭に一つの寺の名前が浮かぶ。光縁寺。口にはせずとも彼らは知っているのだ。

「ありがとうね」

 勇は、それだけを言った。

「勇は近藤先生のこと好きなんだな」

 市村が菓子を飲み込むと話しかけてきた。

「う……ん、そうだなあ、好きじゃない、かな?」

 思わぬ回答に土方以下その部屋にいた者が一斉に注目する。

「あの人、良くも悪くも男の人だものなぁ」

「そりゃそうだろうが」と土方が言う。

「近藤さんは、男の中の男だったよ。立派な武士だった」

「あ、そう言う意味じゃないの。何て言うのかな、傲慢って言うか、調子に乗って人を見下しちゃうって言うか。何も友達に威張らなくてもいいと思うんだ。原田さんや永倉さんのことなんだけど。ずっと一緒にいた友達に家来になれなんてあんなひどいこと言わなくても良かったのに。後から後悔するくらいなら」

「左之や新八は組長で局長の配下になるだろうが」

 土方の言うことを聞いて勇は小首を傾げる。

「でも、仲間なんでしょ。しかも江戸にいた頃からの。そんな人たちに言う言葉じゃない。あたしそんな傲慢なおじいちゃんは嫌いだな。試衛館の頃のおじいちゃんが一番好き。たぶんあのころがたぶん一番自然なおじいちゃんだったと思うんだ。もっとも野心はあったかもしれないけど、ね」

「なぁ、勇。今近藤先生が後悔していたっていったよな」

 市村が聞いてくる。

「何でそう言えるんだ。先生がどう思っていたなんてわからないだろうに」

「きっとそうだったと思うよ。おじいちゃんは結構寂しがりだったと思うんだ。そうじゃないと貧乏道場なのに食客を大勢面倒見るなんてことしないよ。沖田さんなんて自分が宗家になる前から面倒みていたんでしょ。だから言ってからしまったって思ったに違いないよ、きっと。でも、男として引っ込めようがなかったんだろうなぁ」

「寂しがりってかい。そうだなぁ、そういうところもあったか」

 土方がしみじみと、思い出しながら言う。

「試衛館に連中が集まったのは、近藤さんの人柄に惹かれてっていうのもあったが、ほっとけねぇって気にさせたのもあったかもなぁ」

 ふいと勇をみて笑う。

「今、おめぇみて感じるのと似てるかもしれねぇな」

 勇はちょっと困った表情になった。自分では似てないと思っているのだ。

「あたしはね、誇りって自分のためのものであっても、他人を傷つけるものであるべきじゃないと思うんだ。もし人を傷つけるような誇りなら、そんなものなくていい。おじいちゃんだってそんなもの捨てていればもっと楽に生きられたのに。去ってしまった友達を思って悲しくなることなんてなかったはずなのにね。もし、傲慢さが男としての誇り何てものから来るのならそんなもの無い方がいい。他人も自分も傷つけるようなものなんて」

 そういいきった勇の瞳は思いがけないくらい強い。

「人としてどうあるかに意味があるはずじゃない。だから土方さんや原田さん達に悲しい思いさせたあの人は好きじゃないんだ」

 勇のため息混じりの言葉にその場にいる全員が妙に納得した。

 勇は自分のことよりも他人の事を先に考えてしまうという癖があることがずっと一緒にいると本当によく分かるのだ。自分のことは何を言われても滅多に怒らないくせに、自分が大切に思う人がちょっとでも馬鹿にされたりすると激しく怒る。そして一度怒った勇はおよそ手が付けられないくらいに荒れるのだ。

 そんな娘ならこんな風に思っていても納得できてしまう。

「そんなもののないおじいちゃんなら大好きになれると思うんだ。どんなにいかつい顔でもね」

 そう言いながら部屋の隅へ座り、全員の茶を出すために急須に茶を入れた。

「そう言うお前も野郎ばっかりの新撰組の中にいても気後れしねぇな。腹の据わり方は近藤さん並か?」

 土方にいきなり自分のことに触れられて驚いて顔を上げる。

「あたしの家も男ばっかりの家族だったから。下宿人もいたりして、試衛館の雰囲気に似てないこともないなぁ。今も道場やってたしね。当然試衛館って言うんだけど」

「俺、そう言えば勇の家族のこと聞いたこと無い。どんなんだったんだ」

 市村が話しかけてきた。土方と野村が何っという顔をしたが勇はにっこりと笑った。

「そうだね。言ったこと無かったっけ。あたしの家はほんと男ばっかりの家族でね。おじいちゃんにお父さん。お兄ちゃん三人に弟一人。いとこで下宿人の男の子が二人なんだわ。女はお母さんとあたし。男八人に女二人なの」

「確かに男ばっかりだね」

 島田がくすくすと笑いながら言った。

「なかなか大変だ」

「近藤家はなぜか男が多いんだ。でも土方家本家は女の子が産まれたこと無いんだものなぁ」

「え?無いの」

市村が驚いて聞いた。

「うん。爺様の取り決め以降生まれるのはなぜかみんな男の子。どうしてだろうね。近藤家も土方家も男の子ばっかしっていうのは」

「じゃ、勇は……」

「近藤家じゃ珍しいんだ。女の子って」

「じゃ、猫ッ可愛がりだな」

 野村がぼそっと呟いた。

「確かに過保護だったよ。お兄ちゃんもお父さんもお母さんも。土方家の人もね。およそ一人でほっとかれたっていう記憶無いものなぁ。必ず誰かが側にいた気がする」

「おめぇに感じるほっとけねぇっていう雰囲気はもって生まれたものなんだな」

 ため息をつきながら土方が言う。

「今は新撰組のみんなが家族だと思ってるんだけど、それじゃいけないかな?」

 勇はふわりと笑った。 


蝦夷地の冬の寒さは厳しい。

 箱館は雪の深さ以上に、凍え凍てつくことに辛いものがある。

 万屋の離れの一室。

 戸を立てて火をたいているとはいえ、やはり寒さは侵入する。

 何やらごそごそしていた勇が横へとやってきた。

 文机の上に一つの湯飲みを置く。

「なんだ……こいつは」

 中を見ると湯気の立つ茶色いものが入っている。持ち上げてみるととろりとした液体だ。香しい香りがする。

「ホットショコラです。歳三さん、飲んでください。暖まります」

 その言葉に湯飲みに口をつける。

「甘い」

「チョコですもん。甘いですよ。でも、これとっても栄養価が高いんですよ。これからちょくちょく出しますから飲んでくださいね」

「こいつを……か」

 眉をひそめた土方に勇は、

「大体、歳三さん食が細いくせに、仕事は人の倍以上でしょう。それじゃ体に絶対良くない。薬だと思って飲んでっ」

 指を突きつけながらビシリと言い放つ。 

「江戸のたくあんがありゃ食も進むんだがな」

「無い物言ってもしょうがないでしょ。それについては何か考えますから、今はこれ、飲んでください」

 土方が湯飲みをあおっているとき、勇はポケットから紙にくるまれたものを取り出した。

 それは、板状のチョコレートだった。

 これを割って熱いお湯で溶かしていたのだ。

「これ、そのまま食べますか」

 ぱきりと割るとその一欠けを差し出す。

「口溶けが今ひとつだから溶かしたんだけど、このままの方がいいなら」

「どうしたんだ」

「ブリュネさんにいただいたんです。フランス商会にあるそうなので、これからは時々買いにいくつもり。ブリュネさんあたしにフランス語教えてくれるときショコラをふるまってくれることあるんです。あたし、チョコ大好きだから」

「好きなのか」

「うんっ。むこうにいた頃一日一回必ず食べてた。チョコって食べると幸せな気分になる」 土方はその一欠けを口に含む。

 ほろ苦く甘い。

 勇もひとかけら割ると口に入れる。嬉しそうな表情を浮かべた。

「ゆっくり口の中で溶かしてくださいね。ビター系だから少し苦いかも知れないけど。ホットショコラにするときには苦み抑えるのに少し甘みを足したんだけど、ない方が良い?」

「いや、これでいいさ」

 土方は少し笑みを浮かべていった。

「その時はお前も飲めよ」


 勇は一人で箱館の街を歩くことが増えた。

野村は何かと忙しい。奉行添役介としての仕事は多忙なのだ。

 土方はもっと忙しい。市村はそれについて回っている。

 伝習隊士との一件である程度使えると判断したのか、多少のことならと土方が大目に見てくれるようになったのだ。

 ただし、日中人目の多い日中に限られた。

もっとも、町中を歩いていると市中警邏中の新撰組隊士に会うことも多く、一人でいる、という感じになりきらないのはどうしようもなかった。

 が、一人で用事を済ませることができるのは、野村達に負担をかけずにすむ分ありがたかった。

 やはり買い物に付き合わせるのは心苦しいものもある。

勇が商館でちょっとした仕事をするのにも、子供達と遊ぶのにもやはり一人でいた方がいい。

新撰組隊士の服を身に、跳ねるように歩く。

 その少し離れたところを数人の赤い軍服の兵士が歩いていた。

 その先頭を行く青年がいる。

星恂太郎、第三列士満第二大隊の額兵隊の隊長である。額兵隊は戦時には土方の下に付くため、五稜郭への進軍や松前城攻略の際には共に動いている。だから勇のことも知っていた。

 星がふと目を止めた。

「あれは?確か土方さんの小姓の……近藤勇と言ったかな?何であんなとこをひとりで歩いてるんだ?」

 てくてくと街を歩く勇を認めたのだ。この先は外国人居留区だ。

「君たちは先に戻ってくれ。僕はあの子に用がある」

 星は部下に言い置くと勇の後を追った。勇の腰につけた鈴の音が聞こえる。

「近藤君」

 星の声に勇が振り返った。

「あ……と、たしかその服は額兵隊の方ですね?何かご用でも?」

 にっこりと笑いながら、それでも距離を取るように後ずさる。

「僕は星という。知らないか?額兵隊の隊長をしている。別に怖がらなくてもいい。何もしやしないって。それよりどこに行くの?一人じゃ危なくないか?この先は居留区だが」

「ええ、そこに用があって」

「僕も一緒じゃまずいかい?」

 勇はその口調で星が何か不審を抱いていることを察した。

「かまいませんよ」との勇の言葉に、星は勇の横を共に歩くことにした。

 星は勇の横顔を伺う。

 噂どおりに確かに美しい少女である。

 しかし聞こえてくる噂と言えば驚くものばかりだ。まったくもっておなごの噂とも思えないものばかり。両の手を出し、元気良くと言っていいふうに腕を振りながらの歩き方もすたすたと大股で、西洋の調練をうけた兵士の様なと言っていい歩き方だ。およそおなごの歩き方じゃない。

 やがて一軒の商館へとはいる。英国商館だ。

 中にいたのは英国人、と地元の商人らしい男が待っていた。

「お待たせしました。すいません遅くなっちゃって」

 勇が謝ると二人は早速という風に紙を出してきた。

 勇は中を読みながら別の紙に何か書いていく。星が目を走らせると、商談の内容らしい。英訳して書き直しているのだ。

「契約書か」

「そうです。あ、そうか。星さん英語出来るんでしたよね」

「よく知ってるね」

 勇は手伝いですよ、といった。

「幹部の人は英語出来てもこんなことしないだろうし、街の人が通訳頼むと高いでしょ?あたしには別に軍務ないし、お手伝いできる事ってこんなとこですしね」

と、笑う。

 ちょっとしたお駄賃にはなるので、土方さん達に負担かけなくてすむから助かるんですと付け加えた。

やがて書き終えると説明しながら二人に示す。二人は納得すると渡した紙に互いに名前を書き握手をした。

 やがて地元の商人らしい男はドアを開けて出ていく。それを見送ると勇は向き直る。

「頼まれごとは終わりましたね。あ、マスターそろそろ届いてると思うんですが」

 その言葉に星の目が一瞬細くなる。

「ああ、とってくるよ」

 商館の主人が奥へ言っている間。

「近藤君はどうしてここに?」

 星が平坦な口調で聞いてくる。

「松前から帰ってきた後洋服を仕立てられるところを探していたんですよ。居留区をあちこち歩いてたんですが、偶然……」

「娘のショールが風に跳ばされましてね。それを取ってくれたのが彼女だったのですよ。それからのおつきあいかな」

 後を継いで商館の主人が話す。

「はい、これだね」

「助かります」

 勇が手を伸ばし包みを受け取ろうとしたとき、一瞬早くそれを星が手に取る。

「何するんですか」

「見せてもらうよ」

「やめてくださいよ」

 勇が星の手から包みを取り返そうとしたときだった。

「サミー。来てるってパパに聞いたから」

 明るい声が響く。その声に勇は星に伸ばしていた手を止め振り返った。

 奥から金色の髪をなびかせて小さな女の子が駆けてくる。

「リジー。起きて大丈夫なの。寝てないと」

「サミーが来てるのに、きゃっ」

 つまづきかけたのだろう。手をついた棚が大きく揺れた。

「あぶないっ」

 言うが早いか、勇は手を一瞬だけ胸まであるカウンターにつくと軽々とそれを飛び越し、その先にある長椅子も飛び越えると少女の元へと走り寄る。背中で棚を支えた。膝をついた女の子を気遣うように見つめる。

 背中から棚の中のものがどさどさと落ちていく。

「大丈夫?」

「うん、サミー。あの時みたいに飛んできてくれたね。天使かと思っちゃった」

「あははは」

 勇は苦笑いする。頭の上に棚から滑り落ちてきた箱が一つぶつかった。

「棚を元にしないとね」

 二人して棚を戻して荷物を押し込んでるときだった。ふと横に目をやった少女が怪訝そうな顔をする。

「サミー、あの人何してるの?」

「ん?」

その声に勇も顔を向ける。

 視線の先にあったのは、布で出来てるものを目の前に掲げまじまじと見ている星の姿だった。裏返したりして確かめているようだが。

「変なの。何でハウスメイドのアンダースカートを見てるの」

「星さん!何してるんですか」

 勇が大声を出す。

「ミスター。それはハウスメイドのアンダースカートですが」

 商館の主人が白けた眼差しで星に告げた。 次の瞬間、星の側にとんできた勇がそれをひったくった。胸に抱え込む。

「なにまじまじと見てるんですか。いやらしい」

「アンダースカート?」

 はっとその意味を理解した星の顔が紅く染まる。

「女性用の……西洋の……下帯か?」

「そうですよっ」

と、勇が言った。

 さすがにそんなことの後では長居も出来ず、勇は通訳の報酬を受け取った後、買い物をそそくさと済ませ代金を払うとリジーと呼んでいた少女にひたすら謝りながら星を押し出して商館から出た。

「まったく、なんて事してくれたんですか」

 すたすたと足早に歩きながらむっとした声で勇が文句を言う。

「あたしを間者だと疑うのは分かります。しょうがないと思います。なら店から出た後包みを取り上げればよかったでしょう。密書が入っていれば星さんの目の前では開けられませんからね。ずっと見張っていればいいだけのことでしょう。それを……」

「いや、すまなかった」

 恐縮した星が頭を下げる。

「密書はありましたか?」

 少し人の悪い笑顔で肩越しに勇が聞く。

「無かった。いや、疑って悪かった」

 その声に勇の声のトーンがすっとさがる。「あたしを疑ったことよりも、もっと大事なことがあるのですけどね」

「ん?」

「リジーに、英国の女の子に日本の侍は助平だって思わせちゃったじゃないですか。いいですか、もし、居留区で日本の武士は助平だなんて評判がたったらその責任は全部星さんが取ってくださいねっ。変態の汚名は星さん一人で被ってください」

 くるりと振り返ると星に詰め寄った。

「万が一にも、土方さんや新撰組のみんなに累が及ぶことなんてないようにしてくださいねっ」

 つんっ、とばかりに背を向けると歩調を早める。

両手には買い込んだパンやジャムに菓子が入った大きな紙袋。

「なぁ、近藤君。荷物は僕が持つよ」

「結構ですっ。また荷物見られるの嫌ですから」

「だから悪かったと」

「あたし、助平な人と歩きたくありませんから」

「だから誤解だって」

 完全に機嫌を損ねた勇は振り返りもせず黙殺する。

 結局、万屋までの道を土方の小姓の勇がむくれて大股で歩き、その後を恐縮した顔の額兵隊隊長の星が歩くという奇妙な道行きになったのだった。


「で、結局どうなったんだ?」

 文机に向かった土方が振り返りもせず問いただす。

「どうもこうも」

 部屋の隅で、勇も辞書に目を落としたままで答える。

「そのままここまで来ましたよ。星さんあきらめが悪いんだもの」

「そいつぁ気の毒だな」

 土方がのどを鳴らして笑う。

「お前の機嫌ははなかなか直らんからな。なかなか怒らない代わりにいったん腹を立てればなかなか治まらん」

「あたしの親戚と同じ事言いますね。そんなにあたし、後引きます?」

「引かねぇっていうんなら許してやンな」

 土方の言葉に勇はため息をついた。

結局のところ、そう言われれば何とかしなければならなそうだ。

 勇は右手の指先で器用に筆を回しながら頬杖をつく。ふと思いついたように紙に走り書きをした。

 招待状、と。

ティーパーティーを開こう。

 星だけをどうこうするのはどう考えてもしゃくなので、この際今までいろいろ助けてもらったりでお礼をしたい人たちを呼んで、少人数のパーティーを開こうと考えたのだ。

「歳三さん。あたしがお誘いしたら出ていただけます?」

「んぁ?」

土方が文机の横に置いてあったハムとチーズのサンドイッチをくわえながら振り返った。

 以前、勇が自分が食べたくてつくって見せたものだが、仕事の手を止めずに小腹が満たせると土方が気に入ったものだ。

 土方に考えていることを告げた。

 招待客は、土方に野村。市村に相馬。島田魁、中島登、伊庭八郎に星恂太郎、ブリュネというところだ。このメンバーを土方に言ったら、

「お前らしい人選だな。好き嫌いがはっきり出てらぁ」

と、笑われた。

それでも土方は、いいんじゃないかと言ってくれた。

 勇は準備にかかることにする。

 決めたことをもたもたするのは性に合わない。土方自身もそういう性分だし、何より彼らには残されている穏やかな時間は少ない。 せき立てられるように勇は動き始めた。

 

「野村さんに相馬さん。一時ほどなのだけどどうですか?」

 招待状を渡しながら勇が聞く。伊庭や星への招待状の手渡しも頼むつもりだ。

「昼八つか。俺はかまわんが」

 相馬は感情のこもらない声で答える。

「この西洋茶会って何だ?普通の茶会とは違うのか?」

 野村が怪訝そうに訊いてくる。

「俺は堅苦しいのは嫌いだぜ」

「食べてしゃべって、だけです。お酒は出ません。堅苦しいお作法も無し。大体私の招待なんだから堅苦しいわけないでしょう?」

 勇は笑う。

「なら寄せてもらうよ。伊庭さん達にもそう言えばいいんだな?」

 野村が招待状を受け取りながら確認する。

「ハイ、お願いします。私はしばらくは五稜郭には行かないので」

 準備で忙しいから、と勇は言った。

「でもなぁ、榎本さん、お前が来ないと何かと聞いてくると思うぜ。自分が招待うけてないって知ったら……あの人、ひがまねぇかなぁ」

 野村の言葉に勇も考えてしまった。

 確かにあの人の性格ならあり得ないことではなさそうだ。拗ねてしまえば、その鬱憤のはけ口は……ありがたくないことだが、土方にむくことは確実だ。

「何で来ないと聞かれたら、月のもので障りがあるからと言っといてくださいな。あの方も奥さんいるんだからわかるでしょ」

 さらりと言った言葉に、野村と相馬は呆然とした顔をする。

「おっお前……いいのかよ。そんな……」

「何で?だって病気じゃないんだし、あたしの歳なら当然のことだし。おおっぴらにすることもないけど隠すことでもないでしょ?」

「いや……それは」

 思わず口ごもる野村に勇は怪訝そうな顔を向ける。

「なら、いつもはどうしているのだ?」

 相馬がぼそりと言う。

「万屋の女将さんに色々面倒見てもらってる。でも、不自由してないよ。いつもと変わらないでしょ」

 そういえばそうだ。

 勇と共にいて三ヶ月になろうとしているが、いつも変わりなく動き回っていた。

「ま、たまにはね」

 勇はいたずらっぽい笑顔を向けると、

「では、お願いしますね」

くるりと背を向けて歩み去る。 

後に残された二人の男は、顔を見合わせるしかなかった。


 ティーパーティー当日はあっという間にやってきた。

 用意したのは、サンドウィッチにスコーン。

パウンドケーキにクッキー、プチフール、タルトにプディングと、フランス風英国風取り混ぜてかなり気合いを入れた。

 なじみの英国商館、その家族にはずいぶん無理を言って助けてもらった。

 ついでに星のことでの言い訳も山のようにして何とか誤解を解いてもらった。勇が疑われていたことを知ったリジーは逆にものすごく怒ったが。

 ジャムもお茶もいいものを分けてもらったので味には自身がある。

 ただティーセットまでは手が回らないから、ただの茶碗を使うところはご愛敬だ。

 準備が終わったとき、万屋の奥方が声をかけた。

「勇ちゃんちょっと」

 奥の間に引っ張り込まれた。

「あなたその格好でおもてなしするつもり?」

「はい、そのつもりですがいけませんか?」

 勇の格好は新撰組隊士の制服のままだ。

 女将は大きくため息を付いた。


「おう、早かったな」

 野村が相馬と万屋に着くと女将が土方の部屋へと案内する。文机の前に座っていた土方が顔を上げて声をかけた。

「遅くなりました」

 相馬が挨拶をする。

部屋の中にはすでに、星と伊庭、中島達がいる。

「後はブリュネだけだ」土方が言った。

「勇はどこに?」野村の問に、

「別の部屋だそうだ。俺達もまだ会わせてもらってねぇ。女将共々何を考えてるのやら」

 土方もやけに楽しそうな声だ。

その時遠く女将の声が聞こえてきた。

「最後の客が来たらしい」

土方が呟いた。

 やがて、女将の後からブリュネの姿が現れた。

「皆さんお揃いになったようですのでこちらへ」

 女将に案内され九人の男達が一つの襖の前に立った。

「勇ちゃん、皆さんそろわれましたよ」

女将の声に、

「ありがとうございます」

襖の中から声がした。

 女将が会釈をして去った。

「入るぞ」

 土方が声をかけて襖を開けた。

その部屋の中には……。

 絨毯の敷かれた部屋の中には大きな丸いテーブルに真っ白なクロスが掛けられ、その上にサンドウィッチぐらいは分かったが、そのほか様々な見たことのない菓子らしきものが皿に盛られて並べられている。各々の椅子の前には皿が置かれ、その上には目にも鮮やかな千代紙で複雑に折られているのであろう花や鳥が乗せられている。

「私の招待にお忙しい中足をお運びいただきありがとうございます」

 部屋の中を呆然と見ていた男達の足下から声がした。

 あわててそちらに目を移して声を無くした。

 そこには。

 床に正座し手を付いている勇がいた。

 紅色の霞の中に鮮やかな緋色の花びらの舞う姿が描かれた小袖を纏っている。顔の両方に一房の髪だけを残して髪を高めにまとめ、その髪をいつも腰の帯に縛っている緋色の下げ緒で結わえている。下げ緒の残った部分は長く後へ垂らされていた。

 髪をあげているため、細いうなじが際だって襟元の赤い色に映えていた。

 土方達はその思いもがけない姿に呆然と立ちすくんでいた。みとれていたと言ってもいい。 

「あの?」

 勇の怪訝そうなその声にいち早く反応したのはブリュネだった。

 すいと勇の前に膝をつくと、床についていた手をとった。その手の甲に唇を当てる。

「マドモアゼル。このパーティーにお呼びいただき光栄です。我ら一同心より感謝しますよ」

 ブリュネはにっこりと微笑んで見せた。

「どうぞ席へ。お茶入れますね」

 勇は立ち上がると、中へと促す。

 金縛りが解けたように九人の男達は部屋の中へ入り、勇主催のお茶会は始まった。

 接待役としての勇の腕は見事なものだった。堅苦しさのない穏やかなお茶会は、一同大いに食べて話して盛況のままお開きとなった。

 ブリュネと伊庭は馬にまたがると連れだって五稜郭へと帰っていった。

「ありがとう。許してくれて」

星が勇の手をとった。

「お礼は土方さんへ。あの方が言わないと今でもどうかと思ってますよ」

「感謝するよ。お礼といっちゃ何だが何でも頼み事があれば言ってくれ」

「いいんですか?頼んだとき無理だって言えませんよ」

「ああ、大丈夫だ。武士に二言はない」

「じゃ何か考えときます」

 星は、任せてくれと言うと名残惜しげに七重浜向こうの詰め所へと帰っていった。

 そして、万屋には新撰組のものだけが残った。

 パーティーで席に置かれていた折り紙を開いて中に書かれていた手紙を読んでいた市村だったが、ふいに、

「驚いたなぁ。勇の格好」

感慨深げに言う。

「変?」

 勇が自分の姿を見回して少し心配げに訊いた。

「その着物」

 野村が言いかけた。

「そう、松前城で会ったあの奥女中の方から戴いたもの」

「似合っていますよ」

 島田が誉めた。勇はほっとした表情を浮かべる。島田の言葉にはお世辞はない。安心した。

「さて、と」

 勇は新撰組隊士の服を手に立ち上がる。

「後かたづけしなきゃ。あ、今お茶入れますね」

 出ていこうとする勇に市村があわてて声を掛ける。

「勇、もう脱いじゃうのか?」

「うん、これじゃ動けないもの」

「俺手伝うからさ、もう少し着てない?」

「えええっ」

「そうだな。勿体ない。俺も手伝おう」

「島田さんまで」

「それじゃ僕も」

「中島さんっ。お客がそんな事しては困りますっ」

「まあいいじゃないか」

 島田の手に促されて四人は部屋を出ていく。

「賑やかですね」

 目で追いながらぼそりと相馬が言った。

「そうだな」

 うっすらと土方が笑った。

 結局、男三人の手があったため片づけはあっという間に終わってしまい、勇は着物姿のままお茶を持って一緒に戻ってきた。

「すいません。何から何まで手伝ってもらっちゃって」

「だろ?早く終わっちゃうんだからさ頼めばいいんだよ」

「市村君が言い出すから……」

「俺、やっぱり綺麗な勇見てたいし。折角じゃないか。もう少しそうしててくれよ」

 嬉しそうな市村に勇が黙り込む。

「俺達にとって久方ぶりの目の保養だ。まあ、我慢してくれ」

 片目をつむりながら野村が言った。

「苦しいんだろうけどな」

「野村さん、知ってたんですか」

「顔見れば分かるさ。でも、頼む」

 勇は頷いた。そう言われれば仕方ない。

 やがて彼らも仕事へと戻っていき、部屋に残っているのは土方と勇だけになった。

「歳三さん……ありがとうございました」

勇は手をついて深々と頭を下げた。

「歳三さんが良いと言ってくれないと何もできないところでした。本当に感謝してます」

 勇の言葉に、少しからかうような眼差しで、

「なら、今日は寝るまでそのなりでいろ」

と言う。

「え?」

「俺への礼だ。それくらい良いだろう」

「はぁ、まぁ」

「夜に客がある。酒井殿だ」

 酒井孫八郎、桑名藩の御家老だ。仙台から共に来ている会津藩主松平容保の弟、松平定敬の新政府軍への恭順を説得のため何度か来ていた。土方も何かと親身に話し込んでいる。この戦に先がないことを知っているからか……。

 その方が来るのであれば仕方ないかもしれない。いつも隊服ばかりだったからこの際それも有りか、と納得した勇は了解した。

「やはり良いものだな。お前のその姿はまるで花吹雪のようだ」

 思いがけない土方の言葉に勇は耳が染まった。

「綺麗だな」

 

「ふぁぁ……っふあう」

 勇は大きくあくびをすると眠気を拭うように目を擦る。

昨夜、軍事教本の和訳作業、調子に乗って夜遅くまでやったのが利いているようだ。

 勇の生活の中心は万屋だ。

 昨日は土方が五稜郭から帰らないと聞いていたので訳の作業に没頭したのだ。

 土方が万屋にいるときは、朝の身支度から夜の就寝までの彼の身の回りの世話の一切は勇の仕事となっているから朝寝坊はできない。だからいつもそれなりの刻限に就寝する。が、土方がいないのなら朝は多少のゆとりがある。

 で、調子に乗って夜更かしをしてしまったのだ。

「ね……む」

 そう言いながら手にした針を動かした。

 手元にあるのは土方の黒羅紗の軍服だ。

 字を読むのは何とかなっても、針仕事のような細かい仕事は行灯や蝋燭の光じゃとてもできない。どうしても日中の明るいときにすることになる。

この時代の夜は暗い。部屋の灯りといえば行灯が主で、たまに蝋燭が使われる。どちらも電灯や蛍光灯の明るさとは比べようもない。常夜灯で生活するようなものなのだ。

 考えてみるとこの時代に来てもう三ヶ月になろうとしている。

 土方と共に過ごすようになって彼のことも何となくわかるようになった。

 思いの外細やかな気遣いをしてくれる人だ。素っ気ないそぶりをしていても勇のことをよく見てくれている。その度、彼は大人なのだと思い知らされる。

 だからこそ自分ができることはやりたいと思う。少しでも役に立てるならと思わずにいられない。自分には時の流れにあがらうすべはないのだからできることは限られてはいるのだと知っている。知ってはいるのだが、考えると切なくなるだけだからどんな事でもやろうと心に決めている。

 土方がどんな仕事をしているのか勇はよく知らない。

多分聞いても教えてはくれないだろう。

 土方が言わないのならあえて聞くまいと勇は考えていた。

 自分は子供なのだと分かっている……。

出来るのはなるべく足手まといにならぬ事ぐらいだ。

 思うに……、ここでの生活にもずいぶん慣れたもんだと思う。

この時代に来たばかりの頃は色々面食らうことの連続だった。屋外にある桶のトイレに困惑し、石鹸のない生活にとまどい、下着のない状況にパニックになったものだった。

 今さらながら現代がどんなに恵まれていた時代だったのか思い知らされる。

 結局は慣れと工夫と自作で乗り切ってきたのだけれど。 

 色々しきたりはあるのだろうが勇自身現代っ子で古いしきたりなどろくには知らない。結果として現代の習慣をずいぶん持ち込んでしまっている。

 一緒に食事をしようとしたとき土方がえらく驚いた顔をしたが、結局勇が『家族は一緒に食事するのが当然』と言いはり押し切った。

それ以降、共に食事の膳を取っている。やっぱり一人で食べるよりその方がおいしいと自分では思っている。食べながら色々話すのを土方は穏やかな顔で聞いてくれる。本来なら無いことなはずだ。武士である男と女が共に食事をするなどは。

 勇自身新撰組の隊士の軍服を愛用している。女が男のなりなど本来ならするもんでは無かろう。

 ちょっとしたことが現代とこの時代とはちがう。やはり自分は異質なのだとたびたび思い知らされた。

「あたしも……頑張るよなぁ」

 そう呟くと繕い仕事を続ける。

 なるべく早く仕上げたいと懸命に針を動かした。

 からり、と丁サの戸を開けて土方が入ってきた。

「あ、土方様。お戻りですか。勇ちゃん呼びま……」

 土方の姿を認め,女将が驚いた声をかけた。

「いや、部屋に置いてあるものを取りに来ただけだ。すぐに行かねばならぬのでかまわんでくれ」

 そう言うと足早に離れにある部屋へと向かった。

 襖を開けたとき、足が止まった。

 部屋の端、障子の近くに目を落とす。そこには。

 勇が横たわって眠っていた。

 胸に土方の軍服を抱え、顔をその服に埋めるようにしている。すぐ横には針箱があるから繕い物をしているうちに眠ってしまったと言うところだろう。

「えらく無防備な奴だな」

 土方がため息をついた。

 ややあって、廊下を土方が玄関へと戻ってきた。

 唇を親指でなぞり笑みを浮かべている。

「勇ちゃんいませんでした?」

「いや。そっとしておいてやってくれ」

 土方はそれだけ言うと慌ただしげにでていった。外から小姓の市村の声がする。

「土方先生。マンテルはどうされたのですか」

「さあな」

 やがて蹄の音は遠ざかっていった。

 不思議に思った女将が部屋をのぞくと、横たわり眠っている勇の姿があった。

 その体にはふわりと長マンテルが掛けられていた。

   


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