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箱館政府

転載、です。ピクシブ、ブログには最新話まででてますが、随時動かします。


 この話の 第二話が別登録になってます。登録ミスです。

 碧い風ではぐれているのを探してください。

 箱館政府 は第五話になります。

 翌朝。

 勇は野村と共に海岸へと出かけた。

 沖に見える開陽丸は前回見たときより大きく傾いでいる。沈むのにそうかかることはないだろう。暗澹たる気持ちでそれを眺めやった。ふと遠く目をやると、松の木の側に人影がある。

 近づいてみると、榎本と土方だった。

「お揃いなんですね」

 二人が振り返ったので勇は頭を下げた。

「何とも口惜しいなぁ」

 榎本が開陽丸を見つめながら呟く。

「どうしたんだ?」

 ここに来た意味を土方が問いただす。

「あたし、箱館に戻ります。もう出来ることもないし、確かめるべきものもすみましたから。ここにいてもたぶんおじゃまにしかなりません」

「そうか」

「寂しいねぇ。僕らが箱館に戻ったら五稜郭においで」

榎本の言葉を勇は笑ってはぐらかした。

「では、失礼します」

 頭を下げると背を向ける。

「野村と一緒に戻れよ。今度は絶対に無茶するな」

 土方の声がする。

 振り返ると土方がこちらを向いていた。強い風に軍服がはためいている。

 勇は駆け戻るとその胸元に飛び込み両腕を背に回して抱きついた。上目使いに見上げると穏やかに笑った。土方がその肩を掴んであわてて引き離す。

「了解しました」

 再び微笑むと背を向けて駆け出す。手を振りながら走り去っていく姿に土方は小さくため息をついた。右手で鼻を掻いている。

「なにしゃがるンだ、あいつは」

「面白いねぇ。土方君にさえ予想がつかないか」

 榎本も小さくなっていく二つの影を見つめ少し寂しそうに呟いた。


「なっ何したんだ勇ッ」

 あわてふためく野村を完全に無視した勇は腕で輪を作ったり腕を伸ばしたりしている。

「よし、憶えてる」

 にっこりと微笑むと初めて野村を見た。

「帰りましょうか。箱館に」

 そう言うとすたすたと歩きだした。一瞬呆気にとられた野村だったがあわてて後を追っていった。

 江差から箱館へ。

今回はふたりだけで帰ることになった。江差攻めでは陸軍に損害が出ていないのだ。箱館に戻る傷兵などいない。

「つまらないな。勇帰るのか」

「ごめんね市村君。ここにはもうあたしのするべきことは無いもの。ここにいても邪魔になるだけだからね」

「おう、市村。土方副長のこと頼んだぞ」

 二人は馬上から見送りに来た市村鉄之助に声をかけた。勇が帰ると知って残念そうだ。

「箱館で待ってるからね」

にっこり笑うと勇は馬の腹を蹴った。二騎の影はあっという間に遠ざかる。

「ちぇ、野村先生ばっかり役得だよなぁ」

 市村は見えなくなった影に向かって独り言を言った。

 野村は横を駆ける勇の姿を見やり安堵している。

 とりあえず今まで囚われていた不安については自分の中でけりを付けたのだと思った。不安そうな顔は見せなくなったし、笑うことがあるようになったのだから。

 しかし直ぐに、それは勇自身の苦しいまでの強がりによるものだと知ることになった。

 福島の宿に休むことになった日だった。

 ここ三日ばかり走り続けて体力気力共に疲れ果てていた勇は早めに休むと言って床のある部屋へとそうそうに引っ込んでしまった。

 野村自身も久しぶりにゆっくりと体を休めている。

 夜半もすぎた頃、厠にたった野村が勇の部屋の前を通ったとき中から小さな声が聞こえてくるのに気がついた。気になった野村が戸を開けると、布団の中まるで胎児のように小さく丸まって眠っている勇がいた。

「お母さん……父さん……ごめん……帰りたい……」

 小さな声で呟き続ける。肩がふるえている。 声をかけようかと覗き込んだ野村が凍り付いた。

 閉じた瞼から流れ続ける涙。押し殺したような小さな泣き声。

 野村は悟った。

 勇の笑顔は自分たちに向けられた彼女ができる精一杯のものだったということが。

 自分たちに心配をかけまいとあの日決意し、それをずっと自分自身に課し続けていたのだろう。

 心の中は今でも不安に苛まれているに違いない。

 だが勇はそれを誰にも言わない。

痛々しさに胸がぎりりと痛んだ。

思わずその頬に手を伸ばす。

 今まで土方の命に従って勇を守ってきた。自分が守りきれなかった近藤局長の末だということもあった。

 が、今確かに野村の胸に生まれたものがあった。

……守ってやりたい。泣かせたくねぇ。

 愛おしい、とそう思った。

 一本気な二十六の青年が抱いたこの思いを知るはずもなく眠る勇の涙を、野村の大きな手がそっと拭う。

 枕元に腰を下ろした野村は勇の髪に触れた。さらりと髪を梳いてやる。そっと髪を梳く指をすり抜ける漆黒の糸はなめらかで柔らかい。

 野村は勇の寝顔をずっと見ていた。


「ちっ、のどが痛てぇ」

 野村は喉に手を当てながら独り言を言った。目の前には二人分のあさげが出ている。

 昨夜思いもがけず長い時間勇の側にいてしまった。どうも風邪をひいたらしい。

「おはようございますっ」

 大きな声と共に襖を開けて勇が入ってきた。

「おう、おはよう」

 野村が顔を上げる。自分でも声が嗄れているのに気がついた。そして……勇の顔を見たとたん思わず顔がほてった。昨夜の寝顔を思い出したのだ。

「あれ?野村さんどうしたんです。顔が赤いじゃないですか」

「な、何でもねぇよ」

とあわてて言う。

 まさか夜中にお前の顔をずっと見ていて、体が冷えたんだなどと言えるわけがない。

「熱でもあるんじゃないですか?」

 そう言うと、ふいと横を向いた野村の額に手を添え自分の額をつけてくる。

 思いがけない近距離に勇の瞳がある。

 顔がかっと熱くなった。

「なっ何すんだ」

 思わずうろたえる。あわてて顔を離した。

「熱いじゃないですか。やっぱり熱ありますよ。食事したら休んでください。あたし女将さんにもう二三日泊まれないか聞いてきますから」

 言うが早いか部屋を飛び出していく。

 止めようと手を伸ばしかけたが……やめた。箱館に戻る旅は急ぐものではない。それに箱館に戻ればまず二人だけでいることは出来ないだろう。何しろ野次馬根性旺盛な新撰組の連中だ。勇をほっておかないことは火を見るより明らかだ。

「まあいいか」

 野村はこれも役得だと開き直ることにした。

 しかし、このよこしまと言える考えに罰が当たったらしい。

 野村の風邪は本格的なものになった。昼頃になると熱が上がり、完全に床についてしまった。

 勇は今度は自分が面倒を見る番だからと枕元にずっとついている。

 野村の頭を膝にのせ、濡らした手ぬぐいを両の首筋に押し当てる。

「頭を冷やすなら額より、ここの方がいいんですよ。体の熱を下げるなら脇とか足の付け根を」

「こんな所をか」

「血管が皮膚に近いから。熱をとるにはいいんだ」

 退屈している野村のために色々と話す。

 自分のいた世界のこと。友人、家族のこと……。野村は面白そうにただ黙って聞いている。いつの間にか野村は眠ってしまった。

 まどろんでいる野村に、何度も手ぬぐいを洗っては首筋を冷やす。少し熱が下がったのだろうかうっすらと目を開けた。

 手に絞った布を持ちながら勇は心配げに覗き込んだ。

「ああ、眠っていたか」

野村は独り言を言った。

「ごめんなさい。ごめんなさい野村さん。あたしが勝手ばかりするから。あたしのせいだ……」

 勇は今にも泣きそうな顔をする。

「あたしってホントに子供だ。自分のことしか考えてなくって。野村さんがどんなに大変かなんて考えてなかった。バカみたいだ、あたし」

「何で泣くんだ?ガキがガキで何が悪い?お前はまだ子供だ。そりゃ事実だろうが。ガキで悪いなんてだれも思っちゃいないさ」

 野村はうつむいた勇の頭をくしゃりとかき回す。

「突っ走れるのはガキの頃だけさ。思ったままに突っ走って、力一杯壁にぶつかって痛いと泣き言いうのはな。俺らも通ってきた道だ。分かっているさ。分かっているから怒りゃしねぇよ。どうしようもないときのために俺達大人がいるんじゃねぇか。子供は子供らしく頼ればいいのさ。特に無茶するガキはな」

 野村は笑った。

「だからお前はお前のままでいいんだ。思うまま走っていてかまわねぇ。もしもお前がどうしようもないときがあれば俺の所へ駆けてこい。俺がお前を守ってやるよ。いや……頼むから俺を頼ってくれ。まあ、俺も今だに無茶ばっかりして土方副長に怒鳴られてるんだがな」

 だがふいに真面目な目をして言った。

「だがこれだけは憶えといてくれ。俺達はお前が傷つくのは見たくないんだ。ましてお前が血を流しているところなんか絶対見たくねぇ。誰よりも土方さんがそう思ってるだろうな」

 だから、無茶はしても無謀なことはするなよ、と野村は言った。

 四日後に箱館に戻った二人は、箱館市中取締の任に就いている新撰組の屯所である称名寺に詰めることになる。


 野村は新撰組隊士ではあったが、今の身分は春日左衛門の下の陸軍隊だ。

 ただどうにもそりが合わず、新撰組にいりびたってる。とはいうものの、野村には陸軍隊隊士としての仕事が振られることもある。

 となると、野村は古参の新撰組隊士に勇のことを頼んで仕事へ出かけていく。

 で、勇というと野村がいないことを幸い、古参隊士の目を盗んで箱館の町を出歩くということをしている。

 何度か町を歩き回るうちに顔なじみもできた。声をかけてくる物怖じしない子供達だ。

一緒に遊ぶようになり、子供達から色々なことを教えてもらうと、居留区にも足を向けるようになる。

 やがて一軒の商家によく顔を出すようになった。

 英国商館、ブラキストン商会。

 そして、今日もそこへ顔を出していた。

「いつも助かるよ」

 主人であるブラキストンはメイドの淹れた紅茶を口にしながら勇と話す。

「いえ、あたしこそ無理を言ってばかりで」

「リジーがえらく君が大好きでね。今日もわがままばかり言ったろう?」

 一人娘のエリザベスを溺愛しているブラキストンは、少し気ずかわしげな目を奥へ向ける。幼い彼女は体が弱かったのだ。

「あたしも小さい頃病弱でしたから、退屈なのよくわかりますよ。あ、そろそろ失礼しないと」

 日が陰ったのに気がつくと、勇は頭を下げて立ち上がる。

 商館を辞し居留区から出たときだった。

「この、賊軍がっ」

 いきなり声をかけられた。男の野太い声。

 えっ、と思って振りむいたとき目に入ったのは振り上げられた刀だった。

 向けられる殺気に体が動かない。

 殺される、と思ったときだった。

「勇。下がれッ」

 声が響いた。

 響く金属のぶつかる音。焼けた鉄の匂い。 目の前に人の影がある。見慣れた背中。

 男と斬り結んでいるのは、野村利三郎だった。

「悪いな。こいつの髪一本だって傷つけるわけにゃいかねんだよ」

 そう言うが早いか刀を薙ぐ。

 斬りかかってきた男の肩から血が噴き出した。いつの間にか周りは五六人の男達に囲まれている。

「俺の後ろにいろ」

 低く野村が言う。

「お前ら……遊軍隊か」

「賊軍ごときに名乗る必要はない」

「丸腰の娘を狙っていながらいってくれる。遊軍隊ッてのは恥知らずの集まりか?」

 低く押し殺した声だが、野村の声には怒りがこもっていた。

「新撰組野村利三郎相手に刀抜いてンだ。覚悟はあんだろな」

「俺達全員を相手にできると思ってるのか」

 口元に笑いを含み男が進み出る。

「修羅場は何度もくぐってきてんだ。後悔は地獄でしな」

 言うが早いか野村が踏み込んだ。

 あまりに早い動きに男らはついていけない。次の瞬間には二人の体から血が噴き出しうずくまる。三人目と刀を会わせたとき、勇に向かってくる男がいる。

「逃げろ。勇っ」

 振り向きざま野村が叫ぶ。そして刀をすりあげ袈裟懸けに斬り捨てた。

 男が勇に向け刀を横に薙ぐ。

 野村が間に合わないと歯を噛みしめたとき、見た。

ふわりと勇が空に舞い一回転して地面に立った。男の刀は空を切り体勢を立て直す間もなく野村の刀にかかる。

「くそっ。退けッ」

 男達はうずくまる仲間を抱え上げると逃げていった。

 後には。

 ハアハアと肩で息をする野村とへたりと座り込んだ勇が残った。

「野村さん。大丈夫ですか?」

 這いながら側に寄った勇だったが、いきなり頬を殴られた。

「ばかやろう。無謀なことはするなと、あれほど言っただろうが」

 呆然とする勇に、

「俺は……また……失うかと……」

額に手を当てて呟くと、顔を上げて勇を見た。そして手を伸ばすと抱きしめる。

「間に合って……よかった」

「はい……ごめんなさい」 

 うなだれる勇に野村は立ち上がると手を差し出す。手をとられ立ち上がった勇の頬にそっと手をあてた。     

「悪かったな。殴っちまって。痛かったか」

「いいえ。あたしが悪いもの」

「もう一度言う。無謀なことはするな。いいな」

 勇はうなずいた。 


十二月十五日。

 雪も止んで青い空が見える朝だった。

 目を覚ました勇は、隣の布団で眠っている野村に気を遣いながら身支度を済ませる。

 新撰組隊士でも勇のことを知らない連中から勇を守るため野村がいつも同室でいてくれていた。

 今日土方達松前掃討軍が帰ってくるはずだった。本当はもっと早く帰ってこれるはずだったのだが、日取りの都合とかで今日になったのだ。

 戦いづめの土方を早く休ませてあげたいと思うのだが何もできない自分が寂しい。

境内へと出た。

 日が昇った青い空を見上げた。

 空を見上げるたび思う。

 なんて空が広いのだろう。東京で見ていた空とは違う。空気が澄んで、高い建物もビルも無い。空をよぎる電線も電信柱もない。

 白い息を手に吹きかける。

「寒いなぁ。建物の中のあたしでそう思うんだもの。外にいる歳三さん達はもっと辛いだろうに」

 雪をのけるための道具を手に山門へと向かう。積もった雪が朝日を受けて白く光り目に痛い。

かすかな潮の香りと遠く海鳴りの音が聞こえる。

 海から箱館山に向かって急な坂を上ったところにあるのが今新撰組の屯所になっている称名寺。ここからそう遠くない場所には高龍寺・実行寺など寺院が集まっているから静かな空気が漂っていいはずなのだが、今は新撰組隊士が大勢詰めているのでかますびしい。

 山門の前に出ると道の先を見下ろす。

 坂道の先、家屋の後に海が見えた。

鈍色の海。あまり嬉しい海の表情ではない。 嫌なことを思い出す。

 勇はひとつため息をつくと雪をよかし始めた。

 東京ではこんな沢山の雪を見たことはなかったなと改めて思う。思わず『粉雪』が口をついて出た。

……運命の人か。でもこんなの想定外だよ。

 歌いながら思った。

「早いなぁ」

 山門の雪を掻き終わった頃いきなり後ろから声が掛けられた。

「ああ、蟻通さん。おはようございます」

 息を弾ませ小首を傾げながら勇が答えた。

「そろそろ朝飯だ。野村君も起きてきて君を捜してる」

「今行きます。今日土方さんが戻ってくるんでしたよね」

「ああ、副長を全員で迎えるつもりだ」

 勇は蟻通勘吾に背を押されながら称名寺へと入った。

 さらさらとした雪が道にうずたかく積もっている。

 除雪機など無いこの時代、道の雪をどうこうしようと言うことは……まず無い。車もないのだから人が通れればそれでいい。

 雪が積もって狭くなった道。

 その中に人の通った細い道筋がある。誰か一人が通り、その後同じ道を何人もが歩き人一人か二人がやっとの細い通路。何人もが歩き踏み固められ……人の通る道ができたのだがこれが……滑るのだ。

 土方達の凱旋を迎えるために五稜郭へと向かっているのだが、この雪道に勇は閉口していた。もともと長靴など無いし、雪道を歩くことも慣れていない。箱館という街は箱館山がある所為で急な坂が多い上に、踏み固められ滑りやすくなっている……

「なんだ、勇。いきなりしがみついてきやがって」

 焦ったように大声を出し、野村が勇が掴んできた腕を引き剥がそうとする。

「やだ、やめてよ。離さないで。あたし、スニーカーだから滑りやす……うわあ」

 見事に雪に足を滑らせひっくり返る。ついでに野村まで巻き込んで細い通路の縁の雪溜まりに倒れ込んだ。埋もれてしまって起きあがれない。

「うぷっ」

 側にいた隊士に体を抱き起こされたが、雪で真っ白になっていた。

「これじゃ五稜郭に着くまでに何度こけるやら。雪だるまになるんじゃねぇか?」

 野村のからかうような言葉に、口をとがらせたものの、自分でもそんな気がしていた。「無事たどり着けるかなぁ」

「勇君。なんなら俺に掴まるといい」

 蟻通が声を掛けてくれた。

「行くぞ」

 むっとしたような声がしたと思うと、腕を掴まれ引っ張られる。

 野村が腕を掴んで歩き出したのだ。

「俺に掴まってろ。嫌とは言ってねぇだろうが」

 おそるおそる歩く勇。

 新撰組隊士の一団は隊列を組んで五稜郭への道を歩いていった。  

 日差しの中土方達松前掃討軍が凱旋してくる。額兵隊隊士達が隊列を組み太鼓やラッパを鳴らす。

 晴天の元白く積もった雪が眩しいくらいに輝く中、馬にまたがった土方は勇の目には本当にかっこよく見えた。いや、誰の目にも凛々しく見えたはずだ。海上に停泊する軍艦から祝砲が撃たれている。その音が遠く響いてきていた。

 もっとも、無駄なことをするものだと勇は思った。

 隊列が通り過ぎるとき、野村達新撰組と勇に気がついたのだろう。土方の口元がほころんだのに気がついた。

 隊列は五稜郭へと消えていく。

 五稜郭には先に戻ってきていた榎本達が凱旋してきた土方達を迎えていることだろう。

 勇達は屯所へ戻ることにした。

 ともかく、無事に帰ってきてくれたのだ。歳三も鉄之助も中島もみんな。それだけでも勇には何より嬉しいことだった。


称名寺の奥まった一室。

土方は久しぶりにゆっくり眠っていた。

 勇が眠っている土方を起こそうと、覗き込んで声をかけたときだった。

「!」

 横になったままの土方にいきなり抱きしめられた。

「起きてください。歳三さんっ」

何度か声をかけたときだった。

「んぁ。何してんだ、勇?」

 どうやらまだ半分寝ぼけているようだ。しかし抱いた手はゆるめてくれない。

「俺の寝込みを襲おうたぁいい根性じゃねぇか」

 にやりと人の悪い笑みを浮かべる。

「この状態でそんなこと言いますかね。本気で言ってるなら殴りますよ。土方さん」

 握りしめた拳を見せる。

 帰ってきてから数日は五稜郭での祝賀会やら外国の公使や商館の人間を招いての歓迎会やらでなかなか帰ってこれなかったのである。もっとも土方にすればまったく興味がないことで、一人窓際に腰掛け外の雪を見ていたと勇に自嘲気味に言った。今はこんな事をしているときではないんだがなと呟く。

そして、勇に疲れたと言って横になったのだった。

「ようやく箱館に戻ってきてお疲れなのはわかりますが、今日は札入れで行かなきゃならないんじないですか?」

 その言葉を聞いた土方は二三度顔をこすると体を起こした。

「くだらねぇ話だ。だが行かなきゃならねぇだろう。軍服を頼む」

 立ち上がると脱いだ着物を足下へ落とす。

 勇は一枚の服を渡した。

「これは何だ?」

怪訝そうに問いかける土方に、

「アンダーウェアと言うものですよ。暖かいし汗も取ります。襦袢より胸元がかさばらないでしょう?」

勇が答える。

 説明しながらてきぱきと土方に着せていく。

「シャツも新しいの準備しときました。随分痛んでいたようだったので。ズボンも。あ、これベストです。総督がほころびた軍服着ているわけにいかないでしょう?」

「さすがにおなごの目と言うやつか。気が利くと言うか、よく気がついたというか」

 土方は感心しきりだったが、宿を出るとき彼らが長マンテルと言っているオーバーコートを掛けられたときにはさすがに驚いたらしい。

「こいつはいつ作ったんだ。新品じゃねぇか」

「箱館に戻ってきてからです」 

「あつらえたみたいにぴったりだが?」

 採寸なんて俺は知らんぞという土方に、

「計りましたよ。江差で」

 こともなげに勇が言う。

「江差?」

「松の木のところで」

 土方は思いだした。いきなり勇が抱きついてきたことを。

「思い出しました?あのとき私、自分の体で寸法を測ったんですよ。だからぴったりじゃないかな。デザインしたのもあたし。やっぱり似合うなぁ」

 勇は服を身につけた土方を見て嬉しそうだ。

 かなり上等の生地を使ったのだろう。しっとりとした着心地がする。前ボタンが二列に並ぶダブル仕立て。あちこちにダーツが取られ体にしっくりとなじむ。広めの裾で刀を差しても気にならない。

「暫くこれで過ごしてくださいね。上等のウールで仕立ててもらったので暖かいはずですから」

 にっこりと勇は笑う。

 押し借り何てことにはなってないから心配不要ですと手をひらひらさせながら付け加えた。商館でちょっとした手伝いをしたので代金はちゃらにしてもらいましたと笑いながら言う。何なんだという土方に、秘密です、今に分かりますよと勇は答え、では行ってらっしゃいと笑顔で土方と野村や相馬、市村らを送り出したのだった。

彼らが見えなくなるまではニコニコと手を振っていた勇だったが、その姿が見えなくなると顔から笑みは消えた。

 勇は部屋に戻ると残されている軍服を手にとった。

 あちこちすり切れ、薄汚れ、何より血に汚れていた。

「血……か。本当に戦っているんだな、歳三さん。命がけで」

 切なくなった。やがてこの軍服は彼自身の血で染まることになるのだ。

「死なせたくない。誰も死んで欲しくない」

 抱きしめた軍服にぽたりぽたりと涙が落ちる。

「でも……あたしには何もできない」

勇は軍服に顔を埋める。

 称名寺、新撰組屯所の誰もいない部屋。誰にも聞こえないように勇は涙を流した……。


 この日の札入れで、土方は陸軍奉行並という役職に就いた。

 兼務で箱館市中取締・海陸裁判局頭取という役職にも就いている。

「市中取締なんて京の頃みたいですね」

市村がにこやかに言う。

 称名寺に帰ってきた面々に勇は茶を配っている。軍務につかない勇にとっては細々した雑用をすることで居場所を見つけていた。

「何より野村さんが陸軍奉行添役介なんてね。土方さんの直属でよかったですね」

 土方さん大好きですもんね、と勇が野村をからかうように言う。

「おめぇらを放っとけないからだ。野村に勇。大体お前らは目ぇ離すと何しでかすかわからねぇからだってこと肝に命じとけっ」

 渋い顔で土方が怒鳴る。

 陸軍奉行添役の相馬が、

「土方先生、それくらいに」

真面目な一言を物静かに言った。

「野村君もこの役目の裏の意味がわからんわけでも無いでしょう」

 相馬主計。真面目という言葉に服着せたらこんな風になるだろうと勇は思う。

 その相馬が、野村の役目は勇の護衛も兼ねているのだと暗に示している。

皆にからかわれまくった野村は苦虫を噛みつぶしたような顔である。内心は嬉しいのだろうが顔に出せないのでこんな表情になっているのではあるのだろうが。

「とりあえず新撰組は昔みたいに市中取締りするんですよね?」

 勇が確認するように相馬に訊く。

「そうだが」

「そうなら土方さんどこで寝るの?」

 この質問にその場の全員が一瞬動きを止めた。

「新撰組の屯所に奉行並が寝ちゃ拙いんじゃない?」

 至極もっともな勇の質問に全員が頷いてしまった。 

「たしかに五稜郭の中に寝起きするところあるだろうけど、土方さんそこで生活するの?そしたらあたしはどこにいれば良いんだろう。ここにいても良いのかな?それとも五稜郭?」

「そんなわけにゃいかねぇだろう」

ため息混じりに土方が言う。

「確かにどこかに宿を確保しなきゃならんな」

 勇の身柄を置いておく場所が必要だった。 五稜郭では人目に付きすぎる。ここでは荒くれ男の中に女一人じゃ危険きわまりない。 土方がいて、勇がいても目立たない様な場所を探す必要があった。

「では、私が探してみましょう」

 相馬が静かに言った。

 土方がいくつかの条件を挙げた。

 その無理難題とも言える条件に顔色を変えることもなく、

「では近日中に。その間は勇君にはここにいてもらわねばならぬでしょう。野村君身辺のことはよろしく頼む」

と、言った。

 翌日には勇は屯所からすぐ近く、箱館の大町にある豪商佐野専左衛門の大店、万屋に行くことが決まった。

「丁サ(万屋の店章)を土方先生の箱館での定宿にしていただく。君はそこにいることになるな。野村君もこれで少しは楽になるだろう。寝るときはもちろんだが、風呂の時の警備は大変だったようだからな」

 相馬が口元をゆるめていった。

「長風呂なうえになにやら歌を歌っていたと言っていたぞ」

 思いがけない相馬の言葉に思わず目を見張った勇だった。



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