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開陽、沈む

ピクシブ、ブログより転載。

すいません。アップのミスで二話になる 北の大地 が別登録となっていました。

 順番は

 時を超えて

 北の大地 

 箱館そして江差へ

 

 そしてこの

 開陽、沈む

 となります。

 

 

 十一月十五日。

 運命の日だ。

 今日、江差への攻撃がある。

 もし、開陽丸が来ていたら夕方からの嵐で沈むことになる。

 勇は何度も部隊の前方へ行こうとし、その度野村に阻止された。

「何度も手ぇやかせるンじゃねぇ」

 そんなことが、四度目になったときとうとう野村の堪忍袋の緒が切れた。

 紐を持ち出すと自分の腕と勇の腕を縛ったのだ。それもかなりきつく。もはや野村の目を盗んで前方の軍へ向かうことは出来なくなった。

「野村さん。開陽は来ているだろうか」

「さあな。だがお前は出来る限りのことをしたんだろう?それ以上の何を望む?」

「未来を、かな。誰も泣かずにすむ未来」

 どうしても顔が曇る。

野村はくるりと勇に向き直ると、繋がれていない手で軽く勇の頭を撫でた。

「お前が気に病む事じゃねぇよ。なるようにしかならんさ」

 勇は何も言えなかった。

 遠く大砲の音が聞こえた気がした。


 勇達のいる土方軍後軍は十六日に江差に入ることになった。

 夜の間でも、とにかく先に進もうとする勇だったが、嵐と野村の手によって陣屋に留まることを余儀なくされた。

 不安に押しつぶされそうになっている勇は、膝を抱え指を組み部屋の隅にいた。食事もとらず誰とも話さない。一度市村が来たが暗い顔で蹲る勇を見ると何も言わずにそっと帰っていった。野村に勇をよろしくとだけ言い置いて。

「みんな心配してるぜ」

 野村が膝を抱えている勇の横に座って言った。それでも同じ方向を見て勇と顔を合わせようとしないのは野村の気遣いだろうか。

「ごめんなさい。ゆとりがないんだ」

目を閉じ膝に顔を埋める。

「怖くてしょうがない。怖い」

絞り出すように言った。 

「もし、」

「やめとけ。もう考えるな」

 野村は勇を抱き寄せるとその胸に抱きしめる。

「何も言うなよ。何も考えるな。何があろうとそれはお前のせいじゃないんだからな」

 勇はその胸に抱かれたままじっとしていた。

 結局眠ることのないまま朝を迎えた。

 江差へ向かう道の間中勇は野村にずっと抱えられていた。顔色は蒼白でふるえている。端で見るものが痛々しさを憶えるほどだ。

 視界が開けた。

 眼下に江差の町並みが見える。

 あちらこちらから煙の立ち上っているところがあった。昨日の戦闘の跡だろう。

 ゆっくりとした下り道を歩く。海岸はまだ見えない。

 部隊は江差の町へ入った。

「あたし海に行ってくる」

 いきなり勇が言った。

「野村さんはこのまま行って」

 列を離れようとする勇の腕を掴んだ。

「だめだ。俺も一緒に行くからもう少し待て」

「でも」

「道がわからねぇだろ。心配するな。すぐに行けるようにするから」

 振りきることも出来ずこの言葉に従うことにする。

 部隊は江差の町の中で止まった。

 野村が小荷駄方の隊長に話をつけに行った。やがて戻ってくると勇の手をとった。

「こっちだぜ」

 野村は勇の腕をひいて走り始める。

 込み入った道を駆け抜ける。

 野村の肩章の誠がひらめく。

 こんな風に京の町をだんだらの羽織をはためかせて走っていたのだろうと、勇は幻のように見た。

 新撰組はまだ生きている。

 曲がった小路を抜けた。いきなり目の前が開ける。

 そこで目に飛び込んだ景色に勇は足がすくんだ。

 広がる海。

 荒れた海面。

 鈍色の空。

 そして。

 絶対に見たくなかったものがそこにあった。

 沖で座礁している開陽丸。

 足から力が抜ける。膝をつく。

 そのままぺたりと座り込んでしまった。 「どうして……」

 力無く呟く。

「どうしてっ!」

 悲痛な叫びだ。 

両手で顔を覆った。そのままぐらりと体がゆれる。野村の腕の中に倒れ込んだ勇は気を失っていた。


 気を失ったままの勇を抱えて野村が戻ってきたとき市村が待っていた。

「どうしたんです野村先生。勇は……」

「見たくないもん、見ちまったからな」

「開陽丸、ですか」

「ああ、勇が気にしてたのはこのことだったんだ」

「さっき聞きました。土方先生のところに報告がありましたから」

「全く、榎本の奴。勇がわざわざ忠告に行ったってのに」

 野村が舌打ちしながら言い捨てた。

「えっ?」市村は絶句した。

「行ったんだよ。このバカは。まったく自分のことかまわねぇやつだぜ」

 陣屋に入った二人はなるべく人の来ない奥まった小部屋を選んだ。

「おい、市村。水持ってないか?」

 野村は市村から渡された水筒を受け取ると一口含む。そのまま勇に口移しで飲ませようとするのを見て、市村はうろたえた。そしてとった行動が、今にも勇の唇に触れようとする野村の口の前に自分の手を差し込むことだった。

 結果として市村の手に口を付ける格好になってしまった野村は口に含んだ水を勢いよく吹きだしてしまった。

 市村が思わず叫ぶ。

「汚いなぁ野村先生」

「ばかやろう、なにしやがるんだ」

 野村も大声で怒鳴り返す。

「だって拙いでしょう。かりにも女の子に、くっ、口吸いなんてっ」

 市村は照れている。思わず舌がもつれる。

「なに今さらなこと言ってやがる。五稜郭じゃ、薬や水飲ませるの口移しでやってたんだぞ。大体なぁ、気絶したまんまの奴が自分で薬飲めるかっていうんだ」

市村の顔が硬直する。黙ったまま何かを考えているらしい。

 次の瞬間愕然とした表情になった。

「いっ、勇が可哀相だ。なにも知らないうちに何人もの男に唇を奪われるなんて……」

「おい、何しょうもないこと考えてんだ」

「だってそうじゃないですかっ」

「こいつの看病をしてたのは俺だ。薬は俺が飲ませていたんだ」

「じゃあ……。野村先生ずるいじゃないですかっ」

「お前は一体何が言いたいんだよ」

 二人は大声での怒鳴り合いになってしまっている。もっとも話の内容はそれこそしょうもないものだか。

耳元で大声を出され続けたためか勇が身動きした。

「おっ?」

 野村が勇を覗き込む。

勇がゆっくりと目を開けた。ぼんやりした目のまま二人を見る。

「市村君。野村さん。あたし、どうして」

「海でな。倒れた」

 耳元で野村が静かに言う。

 勇の目が焦点を結んだ。

「ここは?」

「宿だよ」

 横合いから市村が声を挟んできた。一瞬野村の顔がむっとした表情になった・

「開陽が沈む」

 そう呟きながら勇は体を起こした。

「賭に……負けたんだ」

 ふらふらしながら立ち上がると、二人を振り返る。

「ごめん、暫く一人にして」

 そのまま隣の部屋の襖を開けた。

 火の気の無い、明かりも灯されていないその部屋へと入っていくと襖を閉めた。

一人、膝を抱えて座る。

 歴史は変えられない。たとえ自分が何をしても。それがはっきりと分かった。

 これから起こることを自分は知っている。

 しかし自分にはそれを変えることは出来ない。傍観者の立場しかないということだ。

 たとえ勇がどんなに足掻こうと歴史はそれすべてを飲み込んで定められた川を流れていくのだろう。

 もし、自分が動いたことで開陽丸が江差に来なかったのならば、これからの歴史は変えられるということだった。それがわかれば自分はどんなことだってしただろう。

 だが、その賭に勇は負けた。

 自分がどう動いても歴史は変わらない。これから起こる悲劇も大切に思う人の死も避けられないのだとしたら、自分が今ここにいる意味はなんだろう。時の流れをさかのぼってまで連れてこられたこの意味は。

 いつしか泣きながら自問自答を繰り返す。

 大切に思う人の死を見ることか?

 これから流される血を見ろというのか?

 自分は何をすればいい?

 何のためにいる?

 そこで考えが止まった。

 自分は何のためにいるんだろう。自分一人じゃ何も出来ないくせに。

 周りのみんなに迷惑しか掛けていないのに。

 いない方が良いくらいじゃないか。 

その時いきなり襖が開いた。

 見上げると小柄な影。

 市村が立っている。

「邪魔かもしれないけどさ、ここ、火もないだろ。寒いからまた体壊すぜ。これ掛けてろよ」

 差し出されたのは布団だった。

 思わぬ差し入れに目が点になる。

市村は勇の涙の跡に気がついたがそのことは言わないことにした。

「あと、これ。野村先生からだよ。人間腹が減ると悲観的になるからってさ」

 皿にのせられたやたら大きなおむすびが一つ。

「気持ちの整理の邪魔なになるからって、野村先生は言うけどさ、俺、勇に言っておきたいことあるんだ」

「何?」

「俺、勇が笑ってくれるとすごく嬉しいんだ。何か、気持ちが暖かくってさ。なんか、こう、うまく言えねぇけど、俺のしたことを喜んでくれる存在があるとさ、何か、俺のいることに意味があるって気になる」

「あたしは全然みんなの役に立ってないけど、いいのかな?」

「だから、いてくれるだけでいいんだって。俺ら今すごく気持ち荒んでいるからさ。だって殺し合いしてるもんな。でも不思議と勇に何かしてると、ああ、俺まだこんなこと出来るんだって思えてくる。勇が笑ってくれると、俺、こいつのためにまだなんかしてやれねぇかなって思えるんだ」

「あたしが迷惑しか掛けてなくても?」

「迷惑掛けてくれるとさ、男として張り切っちゃうんだよなぁ。男ってバカだから。女の子に迷惑掛けられるの嬉しいんだ」

 思わず勇は笑ってしまった。

つられて市村も笑った。

「とにかく冷たくならないうちにそれ食いなよ。野村先生が作ったんだぜ。やたらでかいのそのせいなんだ」

 勇は黙っておむすびを口にした。塩味だけだったがおいしい。

気持ちが暖かい。

 そういうことかもしれない。形ある何かが出来なくても、人の思いには何か出来るかもしれない。

「ありがとう。何か気持ちの整理がつくかもしれない」

「そうか?へへへ、何か嬉しいぜ」

 市村は笑った。

何とかがんばって食べ終えたのを確認して市村は出ていった。空の皿を持って野村先生に報告しておくよと言った。

市村が出ていった後考える。

 彼らは、勇が未来を知っていることや、そのことをどうこうしろなど全然考えていない。

 こんな何にも出来ない自分を、それでいいと受け入れる人たちがいる。

 何をも望まないでいてくれる人たちが。

 それって何て優しいんだろう。

 守りたいと思う。

 何かしたいと思うのだ。何も出来ないけど。

 出来ることからやっていこう。

 歴史は変えられないけど、自分がいることで少しは救われる人がいるなら。

 出来るならその人にはもっと笑っていて欲しい。

笑っていよう。

 それを望む人がいるなら。

 勇はそう心に決めた。

そして、布団にくるまって目を閉じる。

「ひとつ、奢ってはならない。ひとつ、弱きものは守るべし。ひとつ、頼ってくるものを拒んではならぬ。ひとつ、偽ってはならぬ。ひとつ、己の信じるもののため自らの足でたて……。ひとつ、奢っては……ならない……。」

 自然と口をついて出た。

 小さい頃からたたきこまれた言葉。近藤家の家訓。その五つの言葉。それを何度も繰り返して呟く。

 この時代に来て初めて、穏やかに眠れそうだった。


 勇は走っていた。雪の中をある建物を探しながら。

 勇が自分の中の問題に決着をつけたその後日。嵐の合間をぬって開陽丸から船員達が上陸してきた。その中に榎本がいると聞き、彼に会おうといろいろがんばってはみたのだが、無名の一介の小娘にすぎない勇にはどうしてもかなわない。

 そこで思い出したのが能登屋だった。

なんとしてもそこへ行って……、止めなければならなかった。

 野村の目を盗んで外に出た勇は地理も分からないまま能登屋を捜して走っている。

 その時、能登屋の一室では重苦しい空気が満ちていた。

 その部屋にいるのは榎本武揚と土方歳三である。

 二人とも黙り込んだまま睨み合っている。 やがて榎本が口を開いた。

「では、土方君は納得できないと言うのだな」

「俺にゃ海軍のことはわからねぇ。だが、陸軍を信用してもらえなかったってのが気にいらねぇ」

 土方は海軍を動かし江差を攻略したことを不快に思っていた。その上開陽丸を座礁させてしまっている。沈没は時間の問題だ。不要な出撃をしたうえに戦力を無くすとはばかばかしいにもほどがある。

「信用ねぇ。君の方こそ僕に隠し事をしていたのはどうゆう了見なのか聞きたいものだな」

「隠し事?」

「海で拾ったあの少女。いさみと言ったかな?」

「勇がどうした?」

「彼女、一体何者なのかね?」

 土方が一瞬言葉に詰まる。

「どういう意味だ?」

 低く声を落とす。

「彼女がね、僕の所にきて言ったのさ。江差に行くな。行けば船を失うってね」

「勇が……」

 思いがけない言葉に土方はとまどった。

「あの子は何者だい?」

「俺にも説明できねぇよ」

「でも君は僕らを騙したわけだ」

「何が言いたい」

「獅子、身中の虫は困ると言うのさ」

「なんだと!」

 土方が声を荒げた。

 二人の手が互いの刀に伸びた。

 

 丁度その時、勇は能登屋に飛び込んでいた。

「ここに、軍の偉い人は来ていませんか?」

 息を切らしながら宿の人間に問いかける。

はっきりしない応対に失望しかけたとき、

「怖かったわ」

と、いいながら一人の女が出てきた。

「お侍さん達すごい顔で睨み合ってるもの」

そう言いながら奥へ行こうとするのをあわてて呼び止めた。

「その部屋どこです?」


 二人の手が刀に掛かったとき、バタバタとあわただしい足音と共に、勢いよく障子が開かれた。

 一つの影が飛び込んでくると、土方をかばうようにその前に手を広げて立ちはだかった。

「勇!」

 土方が叫ぶ。

 肩で息をしながら勇はじっと榎本を見つめた。髪から水滴がぱたぱたと落ちていく。

「来るなと言ったのに。開陽丸を無くすと言ったのに。なぜ?」

「勇君か……」

 榎本が呟いた。

「海軍の中のことなんか知らない。でも、配下の人たちを押さえられてこそ将たるものゃない!」

 そう叫んだ次の瞬間。

 肩を掴まれたと思ったとたんに大きな音が響き右頬を強い痛みが走った。

 土方が平手で右頬を打ったのだ。

「無礼な口を利くな。ばかやろうがっ」

 土方が怒鳴る。

 一瞬頭の中が空白になった。

呆然としたまま右頬に手をやる。

肩からすうと力が抜けた。

 はっと我に返る。

「あ……。ご、ごめんなさい」

 あわてて榎本に向き直ると勢いよく頭を下げた。

「すいません、失礼なことを言いました。ごめんなさいっ」

 傍らで土方も頭を下げる。

「すまぬ。俺の監督不いきとどきだ」

「いや、かまわないよ。土方君頭を上げてくれ」

 榎本が苦笑しながら言った。

「心配いらぬさ。僕は無礼討ちなんてことをする趣味はない」

 その言葉に勇ははっとした。

 ここは自分の時代ではない。

 いくら終焉とは言え、武士の時代なのだ。

 榎本は幕府の「侍」である。その彼に対して無礼なことをして怒りを買えば「無礼討ち」として斬り捨てられても文句は言えない。

 土方のしたことは、そうならないために素早く機転を利かせたことだったのだ。

 勇も言い過ぎたとすぐに気がついた。もともと自分の非にたいして謝ることに躊躇いはない性格である。

 榎本も毒気を抜かれたのか脱力している。

「いや……、勇君の言うとうりだな。将たる者、か」

 そう言うと、頭を掻いた。

「いや、勇君の折角の忠告を無にしてしまったな。悪かった」

 榎本は勇に向かって頭を下げた。

 三人が三様に頭を下げている。

 今まで満ちていた険悪な空気は跡形もなく霧散した。

 榎本は笑いだし、土方は苦笑し、勇は真っ赤になってうつむいている。

「あの……許してもらえます?」

 おそるおそるという風に顔を上げた勇に、

「怒っちゃいないよ。心配は不要だ」

 榎本は笑いながら言った。

「確かに君の言うとおりだしな」

 土方はむっつりと黙ったままだ。

「あと、土方さんすいません。もう一つ怒られることしちゃっていいですか?」

「なんだッ」

土方は怒鳴る。

 勇は榎本に向き直った。

「榎本さん、私全部お話ししようと思います」

 あわてて土方がことばを遮った。

「ばか、何考えてるんだ」

 勇は穏やかに笑う。

「でも、あたし隠し事するの苦手だし。土方さんに嘘をつかせているのもう耐えられないし」

「……」

「折角あたしのために考えてくれたことだと分かってるけど、そのために土方さんがつらい立場に立つことないって思います」

 とりあえず座りましょうと言うと勇は腰を下ろした。

「ちょっと待て」

土方が出ていったかやがて手に手ぬぐいと着物を持って戻ってきた。

「着替えな。ずぶ濡れじゃねぇか」

 しかし渡された勇は困惑した。

「あ、でもあたし着物着られないんで……」

「はぁ?」

 榎本と土方が声をそろえた。

「だっ、だってっ。普段着物なんて着ないものっ。学校じゃ制服で足りてるしっ。普段はジーパンにトレーナーとか、スカートにセーターで。着物なんて年に一回も着ないくらいで、その時も着付けてもらってるし」

うろたえながら言い続ける。

「あたし、着付け教室なんて行ってないし。一人で着物着られないよ」

「これは……なんと」

驚いたように榎本が呟く。

「何を言っているかよく分からないが、ともかく着物を着ていることがないのだな」

土方は頭を抱えていた。

「初っぱなからこれかい」

ため息をつく。

「とにかく脱げ。病み上がりだったくせに」

あっという間に上着を脱がされると土方は自分の軍服の上着を渡す。自分は借りてきた着物を羽織った。そして勇の頭のうえに乱暴に手ぬぐいを置いた。

「それでも着てろっ」

 勇は言われるまま袖を通す。土方の服は大きくて手が半分以上隠れる。ぶかぶかした服を掻きあわせる。

「すいません」

 勇はますます小さくなった。

 言い訳じみているが、そこから話し始めた。

 自分がここより百五十年は後の人間であること。勇の生きているその世界、日々の生活に、自分の身の上と高校生としての日常。

「榎本さん達には信じられない話でしょう?信じる信じないは榎本さんの勝手にしてください。でもこんな話、普通の人は信じやしませんって。土方さんがあんな身の上話を作ってくれたのも私のためなんです」

「じゃ僕は何を元に信じればいいのかな?」

榎本が問う。勇が答える。

「そうですね。これから言うことは他の方には口外しないということで。どうも私に歴史を変える力はなさそうだから」

 勇は大きくため息をつくと、ぽつりぽつりと話し始めた。

 この後生まれる蝦夷共和国が短命に終わること。開陽丸が沈んだことで起こる戦い。今、江戸で起きていること。これから起こる外国との戦争。言葉を選びながら話した。

 どれくらい話していただろう。気がつくと二刻はたっている。

「どうですか?にわかには信じられないとは思いますが。正しかったかどうかという結果は待ってもらうしかないでしょうけど」

「とりあえず僕は開陽丸を失うという代償を払って君の言葉が正しいことを学んだよ」

 苦い声で榎本が言う。

「これがあるな」

 土方が服の胸ポケットから何か取り出した。榎本に投げてよこす。

「これは、コインだね。見たことないものだが」

 手にしたものを手の中で見つめる。

「日本国?」

 驚いたように目の前にかざした。

「あ、五百円玉」

 勇がそれを見て言った。

「土方さんそれ取っといたんですか?」

「ああ、他に紙と奇妙な札がこいつの持っていた金入れにあった。濡れていたので捨てるしかなかったが……」

「でも、五百円玉を残したのはさすがですね。それ、変わっているでしょう?この時代の技術じゃおそらく作れない」

 勇は微笑む。

「確かにそうだな」

 榎本も納得した。

そのときだった。

 どたどたという足音と共に障子が勢いよく開かれる。

 土方、榎本が目を向け、勇が振り返った。

「大変です副長。勇がいなくなって、あ?」

 飛び込んできたのは野村利三郎である。

「うるせえぞ!」

と、土方が怒鳴るのと同時に

「勇ッ、この野郎ッ」

 怒鳴った野村が勇の頭をはたいた。

「痛っ!」

 勇が頭を押さえる。それにかまわず野村は勇の胸ぐらを掴んで引き寄せた。

「てめぇ、俺達がどんだけ心配したか分かッてんのかっ」 

「ごめんなさいっ。野村さんっ」

悲鳴のように勇が叫ぶ。

「おい、勇。野村に言わずに出てきたのか?」

「だって言ったら必ず止められるから……」

土方の問に情けない声で答える。

「勇……」

 がっくりと脱力して土方は言った。

「野村にあまり心配かけるな」

と、大きな笑い声が響いた。榎本である。

「いやいや失礼。しかし勇君、君は楽しい子だねぇ。何をするか予測がつかないよ」

 片腹を押さえながら笑う榎本に、三人は苦笑するしかない。

 ひとしきり笑った後、榎本はそれでは失礼するよと言って部屋から出ていった。

 土方は大きなため息をつくとじろりと勇を見る。勇はたじろぎ、野村はつばを飲み込んだ。

 だが……。

「すまねぇな。心配させたんだろう。悪かった」

 土方は穏やかな笑みを見せた。


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