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箱館、そして江差へ

ブログ、ピクシブより転載。

戊辰戦争の時代に飛ばされた勇は、箱館の町へと到着する。

だが、このあと大きな時代の転機があることを知っている勇は。

二十六日。

 本隊が松前藩の兵士が放棄して退却したため無人となった五稜郭に入城した。

 早馬で本隊が入城との連絡が入ったと聞いたとき市村は喜んだ。二十五日に陣を張った上湯ノ川では、倒れて以来ずっと意識のないままの勇を、ろくな手当も出来ないままほっておくしかできないことに胸がつまっていたからだ。

 土方の隊もその報告を受け直ちに進軍しその日の内に五稜郭へ入城した。

 入城した五稜郭は大勢の兵士でごった返していたが、奥まった部屋に何とか床を作り勇を寝かせることが出来た。

 心配したのか野村がその側について離れない。もっとも、陸軍隊の隊長の春日左衛門と互いに刀を抜く大喧嘩をしたため陸軍隊にいたくないということもあったが。

「市村。医者はいないのか?」

「今は……」

「まいったな。このままじゃ手遅れになっちまう」

 市村も濡らした手ぬぐいを勇の額にのせながら唇をかんだ。

 土方は幹部の話し合いのためここにはいない。

「俺、誰か探してきます」

 市村が立ち上がろうとした、そのときだった。

「病人がいるそうじゃないか」

 いきなり障子が開いた。

 見ると一人の男が立っていた。歳の頃なら三十五六か。しかし、土方よりは老けて見えた。いや、落ち着いているといっておこう。

「高松凌雲だ。見せてみろ」

 ずかずかと入ってくるとあっけにとられた野村と市村を押しのけて勇の側に座った。

 松本凌雲、今日入港した回天に乗っていた医師だ。海外留学をしていたパリで鳥羽伏見の戦を聞いて戻ってきた後、旧幕府軍に身を投じたというなかなか剛胆な性格をしている。

「噂になってたからな。海から拾い上げられた風変わりな娘が昨日からずっと背負われてたってな。怪我じゃないとなれば病だろう」 そう言いながら勇の服のボタンを外していく。

「お前ら見たいのか?」

 あわてて野村と市村は背中を向けた。

 手早く診察をすませた凌雲は二人に水気をとらせることなどいくつかの指示を出した。

「後で薬を届けさせよう。熱は高いが、幸い肺炎にまではなってないようだ、良かったな。ともかく今は休ませることだ」

 高松はそう言い置くとまたあわただしく出ていった。

 呆然としている二人は、

「何だったんだ?」

と野村が口にし、

「何かすごい人でしたね」

と市村が同意した。


 土方は二十八日、蝦夷地制圧のため松前に向け出陣していった。

 市村達守衛新撰組と名乗る土方の親衛隊の殆どはそれに従っていったが、大半の新撰組隊士は残っている。

 新撰組本隊は戦時にあっては大鳥圭介の指揮下にはいるのだ。

 野村は勇にずっと付き添っていた。

 と、中島登が部屋に入ってきた。

「まだ目を覚まさないのか?」

「ああ」

 京都以来の古参の隊士、中島は勇の事を知らされている数少ない隊士である。

「近藤先生とは似てないなぁ」

「いいじゃねぇか。器量が良くて。でも性分は似てそうだぞ」

 治療のおかげか、熱は下がっている。

 主に野村が側に付いていたが、他に中島達二三人の古参の隊士が交代で勇の面倒を見ていた。

「今日は……何日?」

 いきなり声がした。 

 見ると勇が目を開けている。

「お、気がついたか?」

 野村が覗き込んだ。

「今日は何日?」

 再び勇が問う。

「一日」

 短くそう野村は答えると、

「副長に知らせてくれ。気にしておられるだろうから」

と、中島に向かって言った。

 中島はひとつ頷くと出ていった。馬で駆ければ今日中に土方の隊に追いつけるだろう。

「気分はどうだ?」

 野村が訊いたが、思いがけない言葉が返ってきた。

「榎本さんと会う。連れてって」

 身を起こしながら勇が言った。

「何だって、無茶言うな」

「今すぐ会わなきゃ。間に合わない」

勇は肩で息をしながら布団から起きようとする。

「そんな体で、何言い出すんだ。寝てろ。」

 しかし押さえつけようとする野村の手を払いのけてその胸ぐらをつかんだ。 

「急ぐの。あたしの体なんて今はどうでもいい。一刻を争うのよ。船を……開陽を出させちゃいけない。止められるのは榎本さんだけなんだから」

 絞り出すように言い放つ。

「野村さんが手を貸してくれないならいい。自分で行く」

 ふらつく体で起きあがろうとする勇に、

「バカなこと言うな。ああ、わかったから」

 結局手を貸すことになってしまった野村は小さくため息をつく。 

「無茶なところは局長そっくりだ」


 野村に体を支えられながら箱館奉行所の中を歩く。

「確か、こっちだ」

 ある襖の前で立ち止まる。野村がすいと膝をついた。勇もつられるように膝をつく。

「榎本先生、おいでますか?」

 問いかけに、すぐ返事があった。

「誰だい?」

 野村ですと言いかけるのを遮って、

「勇です」

 勇が声をかけた。

 あわてた足音と共に、襖が勢いよく開けられた。

「勇君に……野村君。君の死罪は免じたはずだが。まあお入り」

 榎本はにこやかに招き入れる。

「失礼します」

 まだ少しふらつく体を野村が支えて部屋に入った。

 榎本が襖を閉めるのを見るや、勇は榎本に向かって言った。

「開陽丸を動かさないでください。江差に行く気ですよね。やめてやめてもらえませんか」

 榎本はびっくりした表情で勇を見た。

「なんで君がそんなことを言うんだ?土方君の差し金かい?」

「土方さんは知りません」

 後ろで野村が呆然としている。

「確かにそうみたいだね。後ろの彼があ然としている」

 榎本はゆっくりと椅子に腰を下ろした。

 和室に机と椅子はやっぱりミスマッチだと勇は思った。 

「なんで船を動かすなというのかな?」

 榎本は指を組んだ手を机に置いた。

「不要だからです。開陽丸を動かすリスクの方が遙かに高い」

 榎本は見定めるような目をした。

「海軍の支援がないと土方君の隊が苦境に立つかもしれないよ」

「大丈夫です。土方さんは負けないでしょう」

「開陽丸が動くと不都合なのかね?松前藩士の娘さん」

 勇がぐっと詰まった。そういうことにしてあったと今さらながら思い出す。

「忠告です。江差に向かえば開陽丸は沈みます」

 もうこうなれば成るようになるしかない。

「開陽が沈むと?」

「暴風雨のために座礁して沈むんです。江差の沖で。この時期は天候が荒れやすい。あたしはそんなことになって欲しくないのです」

 野村はただ立っているしかなかった。こんな話が勇の口から出てくるとは。

「沈むと言うが、あれほどの艦だが」

「でも舵の利きが悪かったはずですよね。いくらでかくても自然には勝てない。海軍の指揮は榎本さんですよね。だから開陽丸が動くことを止められるのは榎本さんしかいないんです。お願いですから開陽を箱館から動かさないでもらえませんか?」

 勇は食い下がる。

「君を信じろと?何を根拠に?」

「私は開陽が沈むことで起こる悲劇を避けたいだけなんです。もし私が…」

 未来から来ているとしたらと言いかけた勇の口を野村があわてて塞いだ。

「すいません、榎本先生。いい加減にしろ、勇ちゃん」

 後の声は勇の耳元でささやいた。

「先ほど目覚めたばかりで混乱してるようです。すいません妙なことをお聞かせしました」

 それだけ一気に言うと勇を羽交い締めにして部屋から連れ出す。

 廊下に出て大きく息をついた。

「勇ちゃんいい加減にしろよ。俺らが何のために……」

 しばらくの間勇は黙っていたが、ゆっくり顔を上げた。

「ごめんなさい、解ってるんだ。でも言わずにいられない。無駄かもしれないけど少しでも変えられる可能性があるなら、後悔はしたくない……」

 暗い表情の勇にそれ以上は野村は言えなかった。ただ黙って勇を肩に担ぎ上げる。

「なっなに?」

「へたに歩き回られると何しでかすかわからねぇからな。部屋に戻ったらさっさと寝ろ」

 肩の上で足掻いても意味がなかった。

 担がれたまま勇は訊いた。

「開陽は動くかな……」

「榎本さんは、蝦夷にいたことがあるという。少しは考えるんじゃないか」

「あの……野村さん。お願いが」

「副長のところに行きたいなんてのは駄目だぜ」

 野村は前を見たまま一瞥もくれない。

「なんでわかったの?」

「見え見えだ。ともかく駄目だ。そんな体で行っても足手まといなだけだ。今は寝ろ」

 勇は返す言葉がなかった。

「さっき気がついたばっかりじゃねぇか。今は体をいとえ」

「いつなら行ける?」

「せめて明日一日は寝てろ。後はそのときの体調次第だ」

 勇は頭の中で日にちを数えた。松前城の戦いに間に合えばいい。それ以外の戦いでは自分は役に立たないのはわかっている。

「わかった……。野村さん言い出すと引かないものね」

 ため息と共に言う。

「良くわかッてんじゃないか」

 ニヤリと笑いながら野村は大股で部屋へと戻っていった。

 部屋で無理矢理の食事をとらされた後、横になった勇に、傍らで刀を抱えた野村が訊いた。

「お前はどれくらい知ってるんだ?」

 勇がその目を見返す。

「どれくらいって?」

「俺らの最期も知ってンのか。この戦はどうなるんだ」

 単刀直入なまでの言葉に、勇は答えられない。あまりに悲劇的な最期を話せるわけが無いではないか。

「あたしだってすべて憶えてるわけじゃない。記憶にないものもあれば、知らないことだってたくさんあるよ。あたしが知ってることなんてほんの少ししか……」

 勇の表情が曇る。こんな言葉で逃げるしかない。自分なりにいろいろ調べたりはしていたがそれがどれだけのものかはたかがしれている。

「そうか……」

 そう言いながら野村は勇の頭を撫でた。

 そこで言葉を切る。もう、聞く気はないのだろう。話したくないのだと察してくれたのだ。

 その暖かさが優しい。

 少し切なくなって掛けられていた布団を顔まで引き上げた。

 ……泣いてしまいそうだ。

 そう思った。


 三日。

 勇は野村と押し問答のあげく、松前城に行くことを勝ち取った。

 体調は完全とはいかないが随分良くなっている。野村としてはこのまま養生を兼ねて五稜郭に足止めしたいところだったが、それはさすがに出来なかった。

「無理はするなよ」

 野村が何度も念を押す。

「わかってます」

 これも何度もいった。

 体調は回復期。多少の無理は利く、そう腹の中では思っていた。が、

「無茶しようなんて思ってたらすぐ引き返すからな」

ぐっさりとくぎを差された。

 野村と共に馬で、出陣していった土方の隊を追う。もっとも休憩をとりながらのため一日では着きそうもない。どこかで宿を取ることになる。野村の目が光っているのだから熱なんて出した日にはすぐ五稜郭へとんぼ返りだ。

 ……無理はしない。

 どうもこれが最大の命題になりそうだった。初めて馬に乗ることよりも。

結局。

やはりと言うべきか、馬で駆けつづけで夕方になった頃には足腰が立たなかった。

「慣れねぇことをしたんだ。しょうがねぇさ」

 自分で馬を降りられなくなっていた勇に、野村は笑いながら手を貸してくれた。肩を借りなければ歩けないのは勇としては情けなかったのだか。

「熱は出なかったな」

 肩を貸したとき素早く熱を出しているか診たらしい。侮れない。

「とにかく今夜は早く休め。俺も寝る。部屋は同じだからな」

 ……わかってますとも。

 勇は心の中で呟いた。


 四日夕方。

 勇と野村は土方隊に追いついた。

 もっとも一番最初にあったのは土方からの大目玉ではあったのだが。

 ひとしきり怒鳴られた後、呆れたようにため息をついた土方を見上げて、

「あの、まだ怒ってます?」

「ったく、ばかやろうが。あぶねぇから残しておいたってのに」

 そう言うと、勇の頭を軽くぽんぽんと叩いた。

「戦になったら下がってな。怪我でもされりゃ近藤さんに申しわけたたねぇ」

「でも今日はもう戦いはないと思いますよ。先行の額兵隊での戦闘だけのはずだから。相手はもう引いてます」

 土方達が福島に着いたとき確かに言ったとおりだった。土方は内心驚きと恐れにも似たものを感じた。

 ……どこまで知ってやがるンだ。こいつは。

 松前城攻略は明朝と決まった。

高台に大砲を運ばせ明日に備える。

勇達は陣の中にいた。

 夜の帳の中、誰にも知られないように外に出た勇は星の出た空を見上げる。

 ……ここには開陽はこないはず。どうか榎本さんが開陽を動かしてませんように。

 勇が無理をしても土方の下に来たのはそれを確かめるためだった。五稜郭にいたところで開陽がどう動くかなんてわかるわけもない。松前か江差で確かめるしかないのだから。

 ……でも、歴史は変えられるものなんだろうか?

 考えるたびにいつもここへ戻ってしまう。歴史が変われば今の自分はない。と言うことはどんなにあがいても起こることは起こってしまうのだということだ。

 しかし、

 ……変えたい。せめて、あたしの知る人に悲しい思いはしてほしくない。

 指を組み目を閉じる。もう何にでもいい、祈りたかった。

「一人でいるとあぶねぇぞ」

 いきなりの声。あわてて振り返ると土方が腕組みをしながら立っていた。

「暗い顔してンじゃねぇよ。こっそり出ていくから心配するじゃねぇか。もう怒ってねぇから中に入ってな」

 そう言い置くと中に入っていく。

 その広い背中を見つめ、勇には思わずふっと笑みが浮かぶ。

「優しい人だよね」

 だから……と呟いた。


 夜が明けた。

 大砲の音が響いた。

 松前沖の蟠竜の主砲と高台にあげられていた大砲が火を吹いたのだ 。

 松前城攻略戦の開始である。

 勇は野村と共に城の正門へと向かった。島田魁達数人の新撰組と土方は城の後ろへと移動していった。搦め手門の方向から責めるのだ。何しろ松前城は背後を山手にしている。そこには高台に墓があり……そこからは責められないと踏んでいるのだ。仮想敵は信心深いアイヌの民としていたからだった。

 土方からくれぐれも無茶はするなよと何度も念を押され、野村はわかりましたと土方に誓っていた。

「そんなに心配ですか?」

「お前が無茶するのには前科がある。ま、俺も人のことは言えねぇが」

 二人は思わず笑ってしまった。

 野村は五稜郭に来るまでの間に陸軍隊の隊長の春日との間の抜刀騒ぎで、駆けつけた土方に怒られている。しかも後日軍法会議にかけろと春日が言ったのを榎本が取りなしたという経緯があった。

「野村さんも無茶しますからね」

「お前に言われたかぁないな」

 正門は膠着状態に陥っていた。扉を固く閉ざしていたかと思うと、開門して大砲を引き出し発砲。そしてまた大砲を引き込み門を閉ざすという繰り返しだった。

「かたつむりみたい」

 勇が思わず口にした。

「しかし、らちがあかねぇな」

 忌々しげに野村が吐きすてる。

 勇はちょっと考える。銃を持つ攻略軍の兵士が前進できればいいのだろう。

「あの大砲、黙らせればいいんですよね?」

「何考えてる。危ないことを……」

「野村さん走るの速いですか?」

「遅くはねぇけど」

「それは上々」

 野村の袖を引き、なるべく正門に正対するところへ進みたいと言った。

 野村は勇が考えがありそうな顔をしているので共に移動をする。

「何をするんだ?」

「えへへ、ちょっとね」

 勇は移動する途中、扉の開く間隔をはかっていた。大体等間隔である。タイミングはとりやすそうだ。門までの距離は微妙なところか。

 正門に正対する場所まで来た。

 足元を見て何か探す。手頃な大きさの丸い、

「そんな石何個も拾って何する気だ?」

「あたしの前にいる人、危ないから横によって。あ、野村さんこれ持ってね」

 野村の手に何個もの石を乗せた。自分も数個持った。

 勇は石を一つ右手で握りしめる。

 大砲を撃ったため扉が閉まり始めた。

 勇は、それを認めると飛び出した。

一気にダッシュする。あわてた松前兵士が扉を閉めながら数発銃を撃った。勇の左右の雪が跳ねる。

 あわてて野村が後を追う。

 扉が閉まった。

 勇と野村が駆ける。後を追って攻略軍の兵士も走ってきた。

 再び門が開き、大砲が出てくる。

 走るのを止めると、大きく腕をひきサイドスローで投げた。

 石は真っ直ぐ線を描いて飛び、今にも発砲されそうな大砲の口へと飛び込んだ。

 あわてて追いかけてきた野村を引きずり倒した次の瞬間、大砲の後方から炎が吹き出した。

「な、」野村が絶句する。

「針穴を通すと言われた、勇さんのコントロール未だ健在ってとこかな」

 勇はニヤリと笑った。

 何せ、幼稚園のころからリトルリーグに所属して、小学校・中学校と全国大会に出場し、最後の二年間は全国優勝を果たしている。

 何とかなる距離だった。

 立ち上がると続けて投げる。大砲の近くに立っていた兵士が立て続けにひっくり返った。あまり大きな石を投げてはいないのでダメージはそれほどではないだろう。銃で撃たれて怪我をするよりましなはずだ。

「勇、おまえ」

 野村があ然として見つめていた。

「野村さん、石」

 再び現れた大砲も同様にして黙らせる。

 立っている二人の後から開いている門の中へ向けて旧幕府軍の銃の火線が降り注ぐ。

 勇自身もう何個投げたろう。

「痛っ……」

 勇が右肩を押さえた。

「どうした?あたったか」

「何でもない」そう言いながら右肩を押さえ顔をしかめる。

 落とした石拾おうとして、再び落とした。手に力が入らない。

 ……もう限界か。

 ほう、と息を吐く。

最後の試合、いや正確には最後にされてしまった試合の古傷、右の肩が痛んだ。折れた骨に固定されたセラミックの人工骨。右肩の肌に残る引きつれた痕。この怪我のため野球をやめることになった。自分自身には高校野球は出られないからと納得はさせていたが、悔いの残る終わり方だったのだ。

「まさかこんな事で役に立つとは思わなかったな」

 右肩が熱い。慣らしもせずいきなりだったから無理がたたったか…、炎症を起こしたかもしれない。

 もはや閉められることのない正門には旧幕府軍の銃の火線が集中していた。

 もう自分のすることは何もないだろう。勇は後ろに下がった。 

「あれは狙ったのか?」

「それくらいの腕はありますからね」

「ふん」

 野村は感心したようだ。そりゃそうだろう。この時代野球なんてものはない。

「ここにいろよ。動くんじゃねぇぞ」

 刀に手を掛けて野村が言った。

 野村が正門へ向かって斬り込んでいった。 後を追って一斉に兵士が正門から斬り込んでいく。 

「あの人も血の気が多いよねぇ」

 それを見送って独り言を言った。周りはあっという間に人気がなくなった。

 みんな斬り込んでいったのだろう。

 しょうがないのでゆっくりと城内に向かうことにする。ここにいてもはじまらないし、攻め込まれた方角へ逃げてくる敵兵もいないだろう。なにより敵兵は城を捨てて逃走しているはずだ。裏手から土方率いる兵士達が進入して攻撃しているのだから。

 えらく緊張感のないまま勇は正門をくぐり城内へと入った。

 あちこちに息絶えたものの姿があった。

 これには……慣れない。

 見るのがつらい。吐かずにはすんでいるが

なるべく目を向けないようにすたすたと歩く。と、

「何?」

 人の声が耳に引っかかった。甲高い声。まるで悲鳴のような。

 勇はその声のする方へと駆けだした。

 近づくとはっきりわかる。女の人の悲鳴だ。

 聞こえてくる大きな扉へと飛び込んだ。

 数人の女性、なにやら高級そうな着物を着ている女の人たちだ。

 その彼女たちが七、八人の男達に囲まれている。

「何してるんだっ」

 勇は怒鳴ると、その間に割って入った。

滑り込むようにして掴みかかろうとしていた男の足を払い、女の人の手を引っ張っていた男の腹に蹴りをぶち込む。

「なんだこいつ」

 語気も荒く睨みつけてくる。

 大体のことは推し量れる。

「女の人に乱暴しようなんて、えらく程度が低いじゃないか」

 もうこうなりゃケンカ上等。腹をくくった勇は拳を握り腰を落とした。右肩は痺れているが何とかしよう。自慢じゃないが、ケンカは苦手じゃないところが情けない。

 友人や知人には、物静かで温厚、誰にでも親切で優しいなどといわれていはいるが、一旦腹を立てれば人が驚くほど辛辣な言葉を投げるうえ、自分の大事な人のこととなると案外簡単にブチ切れる。困ったことに一旦暴れ出したら手が付けられないというのが親族の勇に対する統一見解だ。学校ではそんな機会があまりないから知られていないだけのことである。

「得物なしでかかってきなよ。男なんだろ。丸腰の相手に刀振り回すなんて、格好悪くて男の風上にも置けやしないよね?」

 その言葉を言い終えない内に飛びかかってきた。その腕の下をするりとくぐり抜けるとがら空きの背中を力任せに蹴飛ばした。もう一人の顎を下から飛び上がって蹴り上げる。繰り出された拳を体を低くしかわし足を思い切り払う。あっという間に三人をのした。

「!」

 男達はなかなかに手強いと悟ったのか、刀を抜いた。

「卑怯ものっ」勇は怒鳴る。

 こうなると丸腰では絶対不利だ。後ろに女性達を抱えている。動けない。

 そのとき、

「何してるんだ、てめぇら」

 低い声がした。

 刀に手を掛けた野村が立っている。

「そいつに手ぇだすんなら、俺が相手してやる。新撰組の野村利三郎がな」

 凄みをきかせた声だ。

 こんな殺気のこもった声は初めて聞いた。

 その殺気に当てられたのか、男達はその場からこそこそと去っていった。

 拳を構えていた勇はほっと気が抜けた。が、次の瞬間頭をぽかりと殴られた。

「痛っ。何すんの、野村さん」

「それは俺が言うことだ。何してるんだお前は。俺が来なきゃどうなってたと思う」

 厳しい顔で怒鳴る野村に勇は言葉がなかった。どう考えても野村が正しい。

「あそこで待ってろ言ったはずだ。この跳ねっ返りが」

 再びぽかりと勇の頭を叩く。

「お待ちください。野村様」

勇の後ろにいた、一際上品そうな女性が口を開いた。

「その娘御は我らの声を聞いて駆けつけてくれたのです。怒らないでやっくださいまし」

 穏やかに微笑む様子から気品が漂う。およそあたしにはそんな気品とやらにはは縁がないと勇は思う。洋装の軍服着ているうえにこんなショートヘアでケンカ上手な女の子なんていやしないだろう。どう見ても男の子だろう?この時代じゃ。

 一方野村は忌々しげに舌打ちをした。

「ほっとけなかったんだもの。見過ごせないよ」

 野村から目をそらしながら言う。

「自分でも無茶だったと思うよ。だから」

 そこまで言って勇は大事なことに気がついて蒼白になった。あわてて野村にしがみつくと、

「お願いだから土方さんには言わないで。もし知られたら……」

「ほう、もし知られたら?」

 低い聞き慣れた声が後ろから聞こえた。

 背中をぞわりと悪寒が走る。

 ごくりとつばを飲み込むとゆっくり肩越しに振り返る。 

「俺に知られるとどうなんだって?」

 思い切り不機嫌な顔で腕を組んで立っている土方がそこにいた。 

「!」

 体が硬直して動けない。

 土方が大股で歩み寄ると、ぽかりとばかりに勇の頭を殴った。

「兵士が数人駆け出してくるから何があったのかと思えば、何やってんだお前はっ」

 立て続けに三発目だ。さすがに痛い。頭を押さえて蹲る。……もう半泣きだ。

「おいっ野村、おめぇもおめぇだ。ちゃんと押さえつけとけっ。バカ野郎がっ」

 フンと鼻をならすと呆気にとられた風の女性達に向き直った。

「いや、お騒がせして申し訳ない。私は土方歳三と申すもの。そこもとはいかなるお方か?」

 訊くと彼女たちは藩主松前徳広に仕えていた奥向きの侍女達であるとのことだった。城に隠れていたが、城に火が放たれたため出てきたけれど、どうやら逃げ遅れたらしい。そういわれて見上げると城からは煙が上がっている。

「城に火を放ったのは我々ではないのだがな。大体そんなことをすれば使い物にならん。いや、御女中達のお困りのことあい分かり申した。この土方が責任で青森までお送り申そう。おい、野村。この方々を箱館までお送りする手はずを整えろ。勇はこっちに来い。全く世話ぁかかせやがって」

 くるりと背を向けると大股ですたすたと歩いていく。

「良かったですよね。土方さんなら安心してていいですよ。ちゃんと送ってくれます」

 勇は女中達に笑いかけた。

「勇ッ。何もたもたしてやがる。さっさとしねぇか」

 肩越しに土方が怒鳴った。不機嫌なのは直っていない。

「今行きますっ」

 勇は女中達に軽く手を挙げると土方へと走り出した。 

 見ると城の外からも煙が上がっていた。

「あいつら、退きがけに火を放って行きやがッたな。城下にも煙が上がってンじゃねぇか。

くそっ」

 土方が悪態をついた。

 勇にもそれは分かった。今、建物などが壊れるのはつらいものがある。今の攻略軍、いや旧幕府軍にはそれらを復旧するだけの余力はないのだ。家が燃えれば兵士達の休めるところはそれだけ減ることになる。何より土方には面白くないことだった。

「無茶もいい加減にしろよ」

 背中を向けたまま土方が言った。

「突っ走りやがって」

 つっけんどんに言い放つ。でも声は優しかった。

城下の火災はかなりひどく、兵士達が休む場所を確保するのは大変だった。物資も入手できずこれからの行軍を支えるには厳しそうだ。

 とはいえ、兵士を休ませなければならない。

この松前城城下で四日間過ごすことになった。その間に城で出会った女性達は、送り返される傷痍兵達と共に箱館へと出発していった。

 最後にあったとき、美しい着物を一枚渡された。

 その意味するところがなんのか分からなかったけれど。

  

 土方の追撃軍は江差に向けて進軍を開始した。

 勇と野村は小荷駄方に付いて移動することになった。土方の采配だ。戦闘部隊と一緒にしてはまた突っ走るかもしれないと考えたのだろう。隠していた大砲の件も結局ばれてしまって、たっぷり怒られたのだ。

 野村と二人で。

 怪我人は箱館へ移送されたが、武器弾薬食料は持っていかなければならない。軍隊の後方に付く小荷駄方なら、まぁ無茶はしないだろうという読みだった。さすが仕切の新撰組副長、と思いながら勇は野村の厳しい眼差しにさらされていた。例の一件以来監視が厳しい。一度文句を言ったら

「そんなこと言える立場か」

と、一蹴された。

 勇は内心焦っていた。

 不安だったと言っていい。

 榎本には開陽丸を動かさないよう懇願したが、それが聞き届けられているのか、自信がなかったのだ。  

 歴史は変わるものだろうか?

 もし開陽が沈まなければ戦局は大きく変わる。この後の歴史も。でもそうなるのか?

 考え込んでしまい無口になった勇を怪訝そうに野村が見ていた。

 土方の軍は何度かの戦闘を行った。前衛部隊での戦闘が主で、勇達のいた後方部隊の方は特にこれといった戦闘行為はない。

 敵軍があっさりと敗走したからだ。土方の考え通り勇は突っ走ることもなく過ごしている。ただそうなると時間があるので、どうしても考えてしまうのだ。歴史は変わるかということを。

 夜、陣を張ったとき市村が訪ねてきた。

 土方は別の陣屋にいる。土方に言われて来たと言ってはいるが、市村自身はどうやら勇に会うのが楽しみで来たらしい。

「体調はどうだい?」

「大丈夫だよ。この間はごめんね。ずっとおぶってくれてたんだって?」

「いいさ」

と、照れたように答えた。

「土方先生が気にしてたんだ。また体調崩してないかって」

 やっぱりなと勇は思った。松前でしこたま怒ったから落ち込んでないかと気にしたらしい。

「元気にしてるって言っておいて」

「わかった」

 市村は何度も振り返りながら帰っていった。

 江差まではもう二三日かかる。

 その時、勇にとっての問題に何らかの答えが出るはずだった。


碧い風 の3話です。

次回は江差。

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