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19/21

前夜

箱館総攻撃の前夜。土方は傷ついた勇に心の内を吐露する。

 曇り空の箱館の町。

 明日は新政府軍の箱館総攻撃がおこなわれるだろうという妙な緊張感の漂う中、旧幕府軍の主だった幹部達は箱館の町の中にある武蔵野楼に集まっていた。

 明日の決戦に向けての別れの宴席だった。

 当然土方もその中にいたが、別杯を済ませると早々に宴席から退出した。どうもこの手の宴席は苦手だ。勝ち続けていた十二月の宴席の時でも、今は浮かれているようなときではなかろうと告げていた土方だ。明日は総攻撃があるというのに騒ぐ気にはなれなかった。

一人静かに明日の戦いのことを考えたかった。

 いや、それ以上に気になることもあった。

 やりたいこと、やらねばならぬことがあった。

 そう思うともう武蔵野楼にいる気はなかった。

 一人こっそりと抜け出すと、単騎五稜郭へと戻ったのだった。

「よう、八郎。具合はどうだ」

 五稜郭の怪我人が収容されている一区画。

 伊庭八郎のいる部屋へと土方が入ってきた。 

「歳さん。今日は武蔵野楼だと聞いてたが」

 伊庭が何でここにいるといったふうで聞き返す。

「行ってきたよ。別杯は済ませた。宴席は苦手なんでな。早々に引き上げてきたよ」

 伊庭と勇の間に刀を外すと腰を下ろす。

「明日、かい」

「ああ、間違いなく、な。箱館が戦場になるだろう。俺には船のことはわからんが二艦しかないんだ、ケンカになりゃしねぇさ。町を落とされるのもすぐだろうな」 

「あんたが出るのか」

「俺以外の誰が出るっていうんだ。大鳥さんは出ないだろうさ」

「死ぬ気かい?」

「犬死にはしねぇよ」

 笑ってみせる土方に伊庭は一つため息をついた。

「おいらも行きてぇが、この体じゃな。勇ちゃんはどうすんだ?」

「さぁ、どうするか……」

 土方は勇に目をやると、その髪に手で触れた。勇はとろとろとまどろんでいる。衰弱しているのだ。

 勇はもはや起きている方が少ない。その上昨日の怪我だ。体力はさらに落ちているだろう。あと、どれくらい持ちこたえていられるのか。

「わりいな。今宵はこいつと過ごしてやりたいんでな」

 土方はそう言い、眠ったままの勇を抱き上げると立ち上がった。

「じゃあな」

 箱館奉行所の廊下を勇を抱えたまま歩く土方の表情は静かだ。

 土方の姿を目にした立川が声をかけようとしたが、傍らに立つ安富がその肩を押さえて首を振る。

「今宵は土方総督の部屋には行かぬ方がいい」

……あの方も人の子なのだ。

 安富はその後ろ姿を見送りながら思っていた。


 勇はひやりとする冷気に目を開けた。気配のするほうへ顔を向ける。

 離れた場所にある行灯の灯に照らされた姿。あたりはうす暗いがきらりと光るものがあった。土方が口に懐紙をくわえ刀に打ち粉を振っている。紙を手にするとすっと拭う。

 見慣れていた刀よりもやけに長い。

「和泉守兼定……二尺八寸……」

 伝説と言っていい刀がそこにあった。

 京で土方と共に地獄を生きてきた刀だ。青白い光を抱いた美しい刀である。

「起きたのか」

 土方の声だ。ただいつもと気配が違う。あまりに静かな雰囲気。冷ややかなまでに。

 微かな光に目が慣れた。土方の表情が見える。

 静かな瞳だ。風のない、湖の湖面のような。

「数日中には五稜郭は落ちる」

 静かな声で土方が告げる。

「お前はどうする。落としてやりたかったが……その体ではそれも出来ないだろう。お前の望みを聞いておきたい」

 言葉の裏の意味が分かった。ここで自分の手に係ってひと思いに命を絶たれるか、自らの命つきるまで生きたいか選べということだ。微かな苦渋が伺える。

 命つきるまでといえば、誰かに託そうとでもと考えているのだろう。

 そして、この場でと言えば、たぶん土方は一刀の元、苦しまずに逝かせるつもりだ。  だから暗い。

 思い出した。

 明日が五月十一日だ。

「明日、箱館の総攻撃ですね」

 土方の目をみつめて言った。

「明日、一緒に連れていってもらえませんか」

「何?」

 この言葉は予想していなかったのだろう。土方の目に驚きの波が走る。

「足手まといなのは分かってるつもりです。でも、連れていってください」

 その言葉に土方の表情が険しくなる。

「駄目だ。そんな体のお前は連れて行けねえ」

「でも」

 食い下がる勇に向かって歳三は手にしていた刀をむけた。喉元に切っ先を突きつける。

「だめだ、と言っている。逆らうなら斬る」

 眼光鋭く睨みつける。

「俺は、鬼の土方とも鬼の副長とも呼ばれた男だ。血も涙もねぇと言われていた男だ。手を出さねぇと思ってたら大間違いだぜ」

 その言葉を聞いた勇はむっとした表情を浮かべた。

「ならいいです。あたし一人で勝手に後追いかけますから」

 そう言うと体を起こそうとする。

「ばかやろう。そんな体で何をしやがる」

土方があわてて止める。勇は言ったら必ずやらかす。何度も経験したことだ。

「ああ、わかった。一緒に連れて行ってやる、まったくしょうもねぇやつだ。言い出したら聞きやしねぇ」

 ふう、と大きなため息をつくと刀を引いた。

 土方の瞳が再び静かなものに戻る。

「まったく困った奴だな」

ほう、とため息をつく。

「たしかに言い出したらきかねぇ奴だったな。お前は」

 呆れたように呟くと再び刀の手入れに戻った。

何度も紙で拭った後、念入りに油を塗り……じっとその刃を見つめる。勇はその静かな表情に不吉なものを感じた。

「歳三さん。死のうなんて思ってませんよね」

 両手をついて体を起こす。それだけで息が上がった。

「死ぬ事なんて考えちゃいけませんからねっ。みんな歳三さん待ってるんですからっ。相馬さんも島田さんも。永倉さんだって斉藤さんだって原田さんだってっ。また歳三さんと会うこと願ってるんだから」

「島田ら……なに?斉藤?あいつは死んだはずじゃ」

「死んでませンって。あの人達が大人しく死ぬって思います?生きてますよ。斉藤さんも永倉さんもくそじじいって言われるくらい長生きで、老衰で死ぬんだから。原田さんなんか馬賊の頭領になるんだから。だから歳三さんも生き抜かなきゃいけないんです」

 ハアハアと肩で息をする。目がくらんだ。突っ伏してしまったのを土方が片腕で抱きおこした。

「無茶するなと言ってんのがわかんねぇのか」

 土方の腕にすがって息が落ち着くのを待つ。

「しばらくで……いいから。このまま……で」

「しばらくも、なにも、俺の部屋はここだからな。ここ以外いることはねぇさ」

 そう言われて周りに目をやると確かに土方の執務室である。戦体勢のため畳が上げられているから気がつかなかった。そう言えば暫くここには来ていない。

 自分が病室の布団じゃなく、板の床にひかれたブランケットに寝かされていたことに初めて気がついた。体には長マンテルが掛けられていた。

 土方が兼定を傍らに置くと勇の体を抱きかかえる。膝を立てた足の間に横抱きにするとその体をマンテルでくるむ。 

「今夜はお前を抱いていてやる」

 勇が驚いて土方を見つめる。それを見て土方はニヤリと笑って見せた。だが、すぐに厳しい顔にもどる。

「明日には箱館の町は官軍の総攻撃があるだろう。生きて帰れるかなんてわかりゃしねぇ。だからな」

そう言うとじっと見つめる。

「お前に俺を刻み込みてぇ。お前が怪我なんぞしてなきゃ抱いて夜通し哭かせてやるのによ。ん?何だその顔。俺はたくさんの女抱いてきたからな。女の体はよく知ってるのさ。お前は……まだ生娘だったな」

 軍服にぐいと抱き寄せられ、懐中時計の鎖が耳に当たって音がした。頬を大きな手に包まれ唇が重なる。穏やかなまでのくちづけ。

「今のお前には、口吸いぐらいしかしてやれねぇが」 

 土方の腕がふわりと勇を包み込む。

「暖けえな、お前は」

 黒羅紗の軍服を脱いで、シャツとベストだけになり、そのシャツも胸元までボタンを外してくつろいだ姿になった。頬に触れる土方の肌の熱を感じる。

「歳三さんの方が暖かいと思うけど」

 勇の言葉に土方は少し困ったような表情を浮かべた。

「そういう意味じゃねぇんだがな」

 腕に力がこもった。

「お前がいることが暖けえんだ」

 ふいに真面目な顔になる。

「どうしてお前はゆるがねぇ。何度も傷ついて、辛い目に遭っても俺たちの側に立ち続けるのはなぜだ」

 じっと見つめる瞳。勇はその瞳を見つめ返した。

「好きなんだ、と思う。きっと。新撰組のみんなも、周りにいる人達も。みんな優しい人達だから」

「こんなに……傷ついてもか」

 勇の肩口に唇を近づけた。そこには銃で傷つき血が滲んださらしが巻かれている。

「娘の体に傷なんかつけんじゃねえと言ってるだろうが」

 血が滲んで紅く染まった場所に舌を触れさせると鉄の味がする。

「何でお前はこんな目に遭ってまで俺の傍にいる。安全な場所にいればいいのによ」

 呟くように土方が口にする。

「将軍も会津も俺達と最後まで共にあってはくれなかった。多分榎本だって土壇場には俺を切り捨てるさ。奴の目的は徳川家臣の国を造ることだったからな。死んでまで戦う意味なんてねぇさ」

「歳三さん……」

「だが俺は、薩摩や長州の奴らなんぞに下げる頭なんぞ持っちゃいねぇんだ。俺には戦い続けるしかない……」

 ふと、遠い目をする。。

「今日まで俺が死ねなかったのは、あの人……近藤さんを罪人にしたままじゃいられなかったからだ。榎本達はやがて降伏するだろう。そん時万が一俺が許されたりして生き延びたりしたときにゃ、あの世で近藤さんに合わせる顔がねぇ」

「それは違う!」

 いきなり大きな声をだした勇に驚いて顔を覗き込む。

「それは違う。『近藤勇』は『土方歳三』を死なせたくないんだよ。なんでわかってくれないの。何のために『近藤勇』が流山で出頭したと思ってる!それは全部『土方歳三』を死なせたくないからじゃない。生きてて……欲しいと……願っているからじゃない。『近藤勇』はいつだって歳三さんが生きていてくれることが望みなんだ。たとえ我が儘だと言われようと身勝手だと罵られようと、ただそれだけしか願っちゃいないんだ」

 堰を切ったように言い続ける勇はいつの間にかぼろぼろと涙を流している。

「勇……お前って奴は」

 勇は土方の胸板に顔をうずめる。手はシャツの胸元をぎゅっと握りしめていた。土方はふっと笑うと勇の頭を胸に抱きしめる。

「俺は……お前がいると救われる。俺はお前を見てると笑えたんだ……」

「……」

「俺はお前が愛おしい。お前が傍にいると心がぬくくなる」

 静かに髪を撫でた。

「変か?いい大人が。大の男が、へたすりゃ親子ほども歳の離れた一人の娘に救われてるなんてな」

「そんなこと無い……そんなことないよ」

 土方の心中を思うと胸が痛くなる。涙があふれて止まらない。

「お前が泣くんじゃねぇよ」

 再び頬を両手で包まれ静かに唇が重ねられた。

 閉じられた睫毛は穏やかなままで。

 しかし口づけは何かを刻みつけようかとするように深く激しい。

 やがて唇を離すと、勇の肩口に頭を預けた。

 そして……

 土方はあっという間に眠りに落ちてしまった。

 二股の攻防戦が終わったあとも有川、七重の夜襲の指揮を執ったり、自分にために箱館病院へ往復したりしていたのだ。ろくに眠ったりしていないのだろう。疲れるのも当たり前だ。

 そのうえ今夜は『武蔵野楼』で最後の宴が開かれたはずだった。別杯だ。下戸の歳三も飲まなかったはずがない。体が熱を帯びているのもその酒のせいかもしれない。

「歳三さん……大好きだよ」

耳元にささやいた。

「今まで色々とありがとう。義豊……おじさん」

 勇が心に決めていることを知ったら土方はきっと怒るだろう。

 でも……。

 頭を土方の髪にうずめる。柔らかなシダーウッドの香り。自分に彼を抱きしめるだけの力が残っていないことが歯がゆかった。

ただ、触れあうその肌の暖かさ。それだけが確かなもの。そんな気がして勇も目を閉じた。


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