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五稜郭へ

いよいよ箱館攻撃が始まると言うことで、榎本は勇を五稜郭へ移送させるよう土方に言う。渋る土方だったが戦火の中においてはいないと言うことでやむなく了承するが、五稜郭への道で土方を狙う遊軍隊が動いた。

「土方君。勇君を五稜郭へ連れてきてくれないか」

 軍議が終わり解散したとき、榎本が土方の側によって小声で言った。

「なっ、榎本さん。本気か。先ほども言ったろう。今、あいつは動かせねぇ」

「わかっている。だが、だからこそだ。それほどの怪我で動けないのなら、なおさらだ」

「どうして」

「戦場において逃げ遅れた女子はどうなるか君もわからぬわけじゃあるまい」

「ぐっ……」

 土方は言葉に詰まった。

 戦場において逃げ遅れた女性は、総じて猛り狂った男という性に対して無力だ。多くは犯されたあげくにその命を奪われるということがおこる。そうなったときに、足手まといになることを恐れたり、辱めをうけることを拒んだりということで自らその命を絶つということを何度も聞いた。あの会津での戦の時、多くの女性が自ら命を絶ったということを土方は伝え聞いている。

「箱館の町は戦場になるだろう。その時、あの子が彼らの目にとまったら。あの容姿だ。彼らが放っておくわけがない。仮にあの子のただならぬ身の上が知られたときには……どのような扱いをうけるかわからん」

「ああ……」

 土方もわかる。そうなったとき勇の身におこることは火を見るより明らかだ。

「私は……あの子をそんな目に遭わせたくない」

「……」

「だがら……無理なこととは思うが、連れてきて欲しいんだ。私は、あの子をそんなことでなくしたくないんだよ」

「……わかった」

 絞り出すように土方は言った。


「バカか。あんたら武人は何を考えてんだ」

 高松凌雲が箱館病院の診察室で声を荒げた。

「今、あの子を動かすことは無理だ。殺そうっていうのか」

「わかっている。……わかっているんだ」

 拳を握りながら土方は言った。 

「患者は俺の担当だ。俺が守る。この高松の命に代えてもな」

「しかし……」

 土方が言いかけたとき、小さくすずの音が響いた。

 顔を見合わせた二人は診察室側の小部屋へと走る。

 部屋をのぞいたとき、鈴の付いた緋色の紐を握っている勇を見た。土方からもらった下げ緒だ。今は血に汚れ茶色くなっているが伊庭からもらった鈴が光っている。

 勇が静かに言う。

「あたし……五稜郭に行きますよ。心配させる訳にはいきません」

「ばか、無茶をしたら死んじまうぞ。俺は命の保証はできない」

 高松が引きつったような顔を向けたが、

「大丈夫ですって。あたしは死にませんよ。土方さんと約束しましたから」

 透き通るような笑みを浮かべた勇を土方は声を無くして見つめていた。

 黙り込んだまま高松が勇の傷の手当てをする。

 強い焼酎を染み込ませたさらしで傷を拭う。アルコールで傷を消毒することを言い出した本人がその世話になるとは皮肉なことだ。

 傷の治りは良くはない。血も止まっては、いない。

「どうしても行くのかい」

「はい……。凌雲先生?」

「なんだ」

「高龍寺の人達をどこかへ動かしてください」

「なぜだ?」

「あそこにいると死んでしまいます。東京軍はあそこを襲って……火をかけます。ここでも五稜郭でもいいんです。ともかくあの場所から逃げてください。小野さんに伝えて。あそこには小野さんと同郷の会津の人達がいる……」

「ここは違うのか?すぐ近くだが」

「ここは凌雲先生が守り通しますからね」

 口元に笑みを浮かべる。凌雲はため息をついた。

「わかった。努力はしよう」

 きつくさらしを巻いて手当ては終わった。

 勇は枕元の小さな包みを懐に入れた。ホトガラが包まれていたのだ。

 病院事務長の小野と土方が馬の支度ができたと部屋に迎えに来た。

「凌雲先生。ありがとう」  

「気をつけて行け」

 うなずく勇を土方が抱き上げた。

……軽く……なったな。

 抱き上げた瞬間土方は思う。

 高松に礼を告げると馬をゆっくりと進める。傷にひびかないようにするためだ。

 来るとき一緒に来た永井と五稜郭当番医の畠山は先に五稜郭へと向かったはずだ。

 季節は春。風は柔らかくなった。日はとうに落ち、月も細く夜の闇は深い。

 一騎で馬を進める土方は遠く前方を見つめている。

 土方の腕の中にいる勇はとろとろとまどろんでいた。が、微かに開いた瞳の視界の端。ちかりと微かにだが光が見えた。勇の視野は広い。バスケの部員の中でも際だっている。だから常にボールの位置を把握し続け攻めに回れた。

……今のは……何?

 土方は何も気がついていないようだ。勇は視界の端で追い続ける。

 闇が動いた。

「くっ」

 勇は土方の胸ぐらを掴むと体重をかけ手前に引き倒す。いきなりのことにあがらうすべもなく土方の体は前のめりに倒れる。

「てっ、てめえ。何しやが……」

 る、と言いかけたとき、土方の腕を抜け体を入れ替えた勇が土方の体を馬の首に押しつけるように覆い被さろうとした瞬間、乾いた軽い破裂音が二発、三発と続いた。

 勇の躰がはじかれるように後ろへと倒れた。

 バランスを崩した躰は馬の背から落ちていく。もとより土方の腕の中から躰を入れ替えた状態だ。あっと思った土方が手を伸ばしたときには遅かった。

 さらに悪いことに、放たれた銃弾は馬の耳をかすめていた。

 驚いた馬が駆けだす。それに振り落とされる形にもなった。

 勇の躰は土方の腕を滑り抜け、地面へと背中から叩きつけられた。

「かはっ」

 背中から落ちた衝撃に息が止まる。

 加速のついた躰は二三度転がり、仰向けに止まる。地面に伸びた手。指先すら動かせない。

 それよりも。

 胸がぎりぎりと締め付けられる。呼吸ができない。みるみる視界が暗くかすんでいく。

……こんなとこで、死ねないのに……

 ばらばらと数人の足音が近づいてくるのを感じる。

「巫女を殺せ」

「妖女だ。気をつけて仕留めろ」

 声も聞こえる。

 消えそうな視界の端で微かに、振り上げられたらしい刀の刃が光を反射したのがわかった。

 今にも勇に振り下ろされようとした刃は、それを持つ二本の腕と共に斬り飛ばされた。

 さらに、数度青白い光が軌跡を描く。

「わりぃな。こいつには指一本触れさせる訳にゃいかねぇんだよ」

 凄絶な笑みを浮かべた土方が馬上にあった。

 すぐさま馬を返して、抜きはなった刀で振り上げていた腕を斬り捨てたのだ。

「こいつに手を出すんなら俺が相手してやるぜ。新撰組の土方がな」

 その場に居あわせている男十数人に向かって笑ってみせた。

「相手に不足はねぇだろう?」

 男達は一瞬ひるんだが、数を考えると反撃に出た。

 勇の躰をかばうようにその場に飛び降りると、次々斬りかかってくる刃をかわし、得意の突きと袈裟懸けを繰り返すとみるみる相手を切り倒していく。

 だが、さすがに相手が多い。くわえて、自分はあまり動けない。

 不利、である。

 一瞬の睨み合いが途切れようとしたとき、相手の躰が銃声と共にはじき飛ばされた。

「土方さんっ」

 目を走らせると五稜郭の方向から数騎の影と、聞き慣れた声がする。

……額兵隊の星、か。

 立て続けに銃声がひびく。その場に残っていた五六人は撃ち倒され、残った者は闇に紛れちりぢりに逃げた。

 騎馬は土方の前で止まった。スペンサー銃を手に馬から飛び降りる。

「大丈夫でしたか、土方さん」

「ああ、助かったぜ星くん」 

 血振りをして懐紙で刃を拭うと鞘に収める。

 膝をつくと勇の躰を抱き起こした。

「おい、しっかりしろ。大丈夫……か」

 覗き込んだとき声が止まった。

「……いさ……み?」

 力無く地面に残る手。唇にかかる髪は動くことはない。

「お……い。冗談じゃ……ねぇぞ。起きろ。目ぇ開けろっ」

 土方が勇の頬をはたく。

 だが反応はなく、その体はずるりと土方の胸元にずり落ちた。

「そんな……」

 勇の躰を抱きしめる。歯を食いしばる。そうしないと叫んでしまいそうだ。

「土方……さん」

 星が声をかけてきた。土方がその声に顔を上げた。

 そのとき、土方は奇妙な感覚を憶えた。

……なんだ。この風景。前に同じことがあった。だが、その時俺は。

 星をじっと見上げる。

……ここじゃねぇ。俺はそこに、いた。

 勇を見下ろす。

……なら、ここにいたのは誰だ。

 一つの情景が甦る。雪のある港。嘆く遊撃隊隊士。横たわる……伊庭八郎。

 その情景が動き出す。

 立ちすくみ見つめる土方達、座り込む遊撃隊士、目を閉じた八郎。そして、駆け寄る勇。

「!」

 土方は勇を地面に下ろすと、その胸元を開ける。

「なっ何するんですか」

 慌てる星に、

「うるせぇ。気が散る」

 怒鳴ると胸の中央を指で探る。

……心の臓は肋骨三番目。

 勇の言葉を思い出し、手を置くと体重をかけた。

 数度押したあと口から息を吹き込む。それを繰り返す。あの時見た情景を思い出しながらなぞる。

 星達額兵隊の兵士達はそれを呆然と見ていた。

 どれくらい繰り返したか。

 土方ももう駄目かと思いはじめた。だが、諦めきれない。やめられない。

 そのとき、勇の指先がぴくりと動いたのに星が気づいた。

「土方さん。指が」

 その声に、胸を押しながら目を指先へと向ける。

 再び、指先が動いた。

 土方は口元に濡らした指を近づけた。 

 風を感じる。空気が動いている。

やがてゆっくりと目が開いた。まだ朦朧としているのかぼんやりした眼差しを向けた。

「気がついたか?」

 微かに頷くのがわかる。

「の……むら……さんは?……今まで……手を……ひいてて」

 朦朧とした意識のまま呟く。

……野村の奴が、勇を帰したのか。そうか、あいつは……死して尚守り続けてるってか。

 土方の脳裏に野村利三郎の最期の情景が甦った。

 土方はふと、手が触れた勇の肩に目をやった。

 勇の肩はぐっしょりと濡れている。穴の空いた場所からじくじくと血がしみ出てきている。

 土方は自分の首からアスコットタイを外すと傷のある場所の肩をきつく縛った。

「痛ぇかもしれねぇが、あともう少しで五稜郭だ。ついたらすぐ医者にみせるから我慢してくれ。できるか?」

 再び微かにうなずく。

 ぐったりした躰の勇を抱き上げると再び馬にまたがる。

 荒い息で土方の胸元にもたれている躰を腕できつく抱き寄せながら馬を駆けさせた。

 ともかく今は急ぐしかなかった。

 星達額兵隊に囲まれ五稜郭へと架かる大手口の橋を渡る。冠木門を駆け抜けたとき本陣の箱館奉行所から安富と立川が飛び出してきた。

「副長、ご無事でしたか」

「おう、俺はな。勇を頼む。すぐ手当てを」

 立川に勇の躰を託した。立川は勇の様子を見ると慌てて奥へと駆け込んでいった。

「なぜ俺達に黙っていったんですか。危ないじゃないですか」

 くってかかる安富に馬から下りながら、

「悪い。すまねぇ」

 土方が謝る。

 ふと顔を上げると少し離れたところに榎本が立っている。土方はその側を通り抜けながらぼそりと呟いた。

「頼まれたから勇は連れてきたが、もうあいつに無理はさせねぇでくれ。頼む」

「ああ、わかった。すまなかったね」

 榎本の声を背に聞いて土方は自室へと戻っていった。    

 長い廊下を歩いて、土方は自分の執務室へと入る。そのまま後ろ手に障子を閉めた。

……情けねぇ。まだ震えがとまらねぇ。

 目の前に広げた両手を見つめる。微かにだが確かに小刻みに震えている。

……近藤さんが斬首されたと聞いたときは、はらわたが煮えくりかえるほどの怒りと、近藤さんをむざむざ斬首させてしまったことの申し訳ないという後悔と、なぜ奴らは武士として腹を切らせなかったとの悔しさと、あの人に会えないのかとの悲しみだったが、勇が息をしていないとわかったときに感じたのは体の芯から震える恐怖だ。俺は心底怖えぇと思ったんだ。大切に手の中に握りしめていたものがいつの間にか指の隙間からこぼれ落ちていってしまうのが。あいつが手からすり抜けてなくなってしまうことが怖ええ。取り返しがつかないことになるのが怖ええ。いつの間にそんな風になっちまった。

 両手をぐっと握りしめた。

 その手を目に押しあてた。背中が震える。

「俺ぁ、あいつを失いたく……ねぇんだ。死なせたくは、ねえんだ」

 誰にも聞こえぬよう、小さな声で呟いた。


 五稜郭奥の一角。怪我人が収容されている。

 五稜郭詰めの医師達が忙しく立ち動いている。

 勇はその中の幹部級の怪我人のいる部屋へと運び込まれた。

 横にされたのは、伊庭八郎の隣。伊庭は木古内での戦闘中砲撃をうけた時、胸に銃弾をうけてここへと収容されていた。

「勇ちゃんじゃないか。どうしたんだ」

 驚いたように顔を上げる。胸元に傷があるため思うように起きられないのだ。

「肩に弾を受けたようです。あと、腹を斬られて箱館病院で伏せっていました」

 立川がぼそぼそと応えた。ここで大きな声は出せないのだ。

「腹を斬られた?何でだ?この子は戦には関係ないだろうが」

「それは……」

 その時医師が道具を手に戻ってきた。

「傷を縫います。痛むと思うからこれをくわえて」

 勇に手ぬぐいをわたす。勇がゆっくりとそれを受け取ろうとしたときだった。

「待ちな」

 伊庭が止めた。

 ゆっくりと体を起こす。

「勇ちゃんをこっちによこしな。おいらの足の間に座らせんだよ」

 怪訝そうな顔の立川と医師に、

「素面で傷を縫うんだろ。男でも泣きわめくんだ。この子に一人で我慢しろって言うのか」

 伊庭は勇を腕に抱くとその頭を自分の左肩に寄せた。

「勇ちゃん、おいらの肩を噛め」

「え?」

 勇は目を見開く。

「そんなことしたら……」

「傷を縫う痛みは生半可なもんじゃねぇ。かまわねぇからおいらの肩をしっかり噛んでろ」

「でも……」

「かまわねぇよ。そんなもん噛んでたら歯をやられるぜ。おいらは慣れてっから心配いらねぇ。おい、やってくれ」

 ぐいと肩に押しつける。勇は肩に口をつけた。

 傷に焼酎が注がれる。傷にしみる痛みに勇はひきつける。次の瞬間針が突き刺され、息をのむ。

 悲鳴を上げそうになったとき、ぐいと肩に口を押しつけられた。声が籠もる。

 思わず肩に歯を立てた。痛みに必死に耐える。糸を通す痛みは想像以上だった。

 伊庭の肩の歯を立てた場所から血が滲む。

 三度目、針を突き立てられたとき勇は意識を手放した。

 ぐったりと伊庭の肩に崩れ落ちる。

「失神したか……。かわいそうにな。娘の躰にこんなにも傷を付けちまうなんて。おい、今の内にさっさと縫っちまえ」

 急いで医師が傷を縫う。

「おいら達が傷を負うのは納得済みだ。武士だから覚悟もしてる。だが、この子は……」

 伊庭は勇の髪を何度も撫でながら痛ましげに見つめた。

 やがて勇はさらしの巻かれた体を傍らに横にされ、静かに目を閉じた姿を、伊庭八郎はその端正な顔でじっと見つめ続けていた。



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