開戦前夜
いよいよ新政府軍の攻撃が始まる。土方は勇を戦場から遠ざけようとするが勇は断固拒否する。やむなく箱館病院へとその身柄を託すのだった。
土方のもとにもたらされた知らせは、早馬ですぐ五稜郭へと知らされた。
土方は新撰組に厳重警戒を命じると五稜郭へと向かう。
町に新政府の侵攻近し、の情報を知らせ町の人々のための避難所が箱館山につくられた。
勇は、新撰組の屯所が市中見回り体勢から戦時体制に変わったのを見ると、万屋へと足を向けた。
自分のできることは、無いのがわかった以上邪魔はできない。
「私の警護は不要です。島田さん、市村君は屯所にいるべきでしょう。万屋まではすぐだから一人で戻ります」
「外に出ないように頼む」
「はい、土方さんをお願いします」
島田は山門まで見送りに来てくれた。
称名寺の中は慌ただしい物音に満ちている。
……いよいよ戦いが始まるんだ。何人もの人が死んでしまう戦いが……。誰も死んで欲しくないのに。
勇は唇を噛みしめながら万屋へと帰った。
その頃、五稜郭で土方が桑名藩の酒井孫八郎と話していた。
「いよいよ東京政府が侵攻を開始するようです」
「そうですか。いよいよ」
「定敬様には一刻も早く蝦夷から出られるべきでしょう」
土方の言葉に酒井は頷いた。
「後は我々の仕事だ。定敬様が関わることはない。責任などは我らがとればいいことです」
「土方殿……貴殿はそこまで」
「容保様には並々ならぬご恩があります故」
桑名藩の酒井と土方とは何度も会っている。蝦夷共和国にいる容保の弟、藩主松平定敬に新政府への恭順をするよう説得するためだ。
「ただ……一つお願いできますなら」
「土方殿の頼みとあらば、何なりと」
「大変私のことなのですが」
酒井と会うとき、万屋が多かった。ゆえに酒井は勇とも何度もあっている。
「酒井殿。もし、できますなら私の元におります近藤の身を頼めますでしようか」
「近藤君か。なかなかに聡明で、まれにみる美姫ですな」
「このままここに置いておけば戦に巻き込まれるは必至。私はそれがいたたまれぬのです」
「よろしい。確かに承りましょう。しかし、土方殿がそこまで気にかけられるとは」
土方はふと躊躇う表情を見せた。
「あれは、私の盟友、近藤の血筋なのです。あれに何かあったら私は近藤に会わせる顔がない」
「なるほど、近藤殿の……。それほどの者であれば定敬様の元へ嫁しても遜色なかろうと思われますな」
「頼めますか」
酒井は頷いた。
「何でです。何であたしが酒井様の元に行かなきゃならないんですか」
翌日、万屋に戻った土方に勇はくってかかった。
「ここはこれから戦場になるんだ。俺も前線に出る。女のお前を置いておけるわけはねぇ。桑名の殿様は俺が何としてでも説得する。お前は、彼らと桑名に行くんだ」
「嫌です」
「勇ッ」
「あたしが邪魔ならそう言えばいいでしょう」
そう言い捨てると勇は部屋から飛び出していった。
……邪魔なわけねぇだろうが。
土方は部屋の中立ちすくんでいた。
しかし追いかける余裕はない。
新撰組は箱館の町、つまり箱館山、弁天台場、寒川などを警戒する任についた。
土方はそれを指示すると、五稜郭までを何度も往復する。
配置は次々と進み、土方が軍服などをとりに万屋に再び顔を出したときに、勇はいなかった。
日が暮れても勇は戻らなかった。
さすがに心配になった土方が、提灯を手に外へ出る。
勇の行きそうな心当たりといえば……。
港へと足を向けた。
夕闇のかすかな紫色の光の中。もやいを繋ぐ石に腰を下ろして海をじっと見ている小さな後ろ姿がある。
「帰るぞ。冷えてきた」
その背中に声をかける。だが、振り向くことなく微かな声が返ってくる。
「あたしは……この時代には何も持たないんだよ……。思い出も、過去も、親兄弟も。あたしとこの時代を繋いでるものは無いんだ。微かな絆は……歳三さん、あなただけなんだよ。なのに何でそれさえ切ろうとするの。あたしはこの時代の人間じゃない。ここにいるはずのない人間なんだ。もし、歳三さんがあたしの存在が邪魔なら、今ここで斬り捨ててよ。その方がずっといいよ。知らない時の中に一人きりでいるより、消えてしまったほうがいい」
最後の言葉は叫びに近い。泣いているのがわかる。
「孤独の中に一人でいろと?誰一人知る人のいない中で生きてろって言うのっ」
振り向いた勇の目からはぽろぽろと涙がこぼれている。
「あたしは……強くないよ」
そう言うとふわりと土方へと飛びつき、その首に腕を回す。そして……
「!」
土方が目をむいたのも無理はない。
勇はその唇を触れさせる。
頬に触れるものは、冷えきっていたのか冷たい唇だ。
そして胸元にしがみつくとただ泣いた。
そのふるえる肩を見て気がついた。しっかりした物言いや振る舞いで大人のように思っていたが、まだ十七の娘。自分たちの時代に生きている娘なら嫁いでもおかしくない年頃だが、勇はどう見ても子供なのだ。
土方はため息を付くとその背に手を回して抱きしめた。あやすように頭を撫でる。
「悪かった。お前の気持ちを考えてなかったな。ただ、これだけは憶えといてくれ。俺はお前を死なせたくはねぇんだよ」
結局、勇は頑として酒井孫八郎のもとへ行くこと、つまりは桑名行きを拒み、土方はそれを諦めるしかなかった。
酒井はとても惜しがったが、勇の意志が固いことから彼も諦めるしかなかった。
「惜しいな。定敬様にはよき嫁と思うたのだが」
何度も土方を訪ねていた酒井は、勇に好意を抱いていたのだった。
戦が始まると万屋に置いてもおけない。戦時体制の新撰組屯所となる称名寺にも置いてはおけない。思い悩んだ結果。
勇は箱館病院、高松凌雲の元へと託されることになった。
高松と面識があり、そこなら大鳥も手は出せない。勇なら高松の手伝いをすることぐらいできるだろう。
「これなら文句あるまい」
鼻を鳴らして土方が言う。
「別に、あたし、二股に行ってもいいんだけど」
「ばかやろう。前線に女を連れて行けるかよ」
呆れられるとこつんと頭を叩かれたのだった。
その夜。
「今日は八日、か。明日、東京政府は乙部に上陸する。ずっと前に榎本さんに言ったけど……憶えててくれたかな」
万屋で過ごす最後の夜になる。勇は土方の布団の中で土方の肩口に頭を寄せていた。
「さあ……な」
土方は天井を見つめたままだ。
「寒くねぇか?」
「ううん。ちっさいころに戻っちゃったな、ッて思ってね」
勇はくすくすと笑う。
「小さい?」
「と言っても、あたし結構大きくなるまで一人で寝たこと無かったの。小学五年だから十二歳ぐらいまで誰かが添い寝してくれてた。あたしと誰が寝るかでいつも大もめでね。出かけるときも必ず誰かが付いてきた。それがうっとおしかったり、過保護で息苦しいと思ったこともあったんだよ」
「……」
「でも、今わかる。みんな心配だったんだ。不安だったんだ。だから、みんなで必死になって……あたしを守ろうとしてたんだ。あたしが……死なないように。事故や事件に巻き込まれないようにと。病気にならないように、死の手から守ろうとしてたんだ。だから今あたしは生きてる」
土方は目だけで勇の方を見た。
「あたしは……守られてばかりだ」
「それがいけないことか? 何かを守りたいってのは……守るものがあるってのは幸せなことさ」
土方は、確かに勇を、この少女を亡くすというのは恐怖だったのだろうと感じた。だからこそ自分も隊士達も必死になったのだ。そう思わせてしまうものを確かに勇は持っている。
「明日は、箱館病院に行くんだ。早く寝ろ。俺は明後日二股へ出陣する」
「二股か……。風邪なんかひかないでくださいね。まだ寒いんだから」
「心配性だな」
「む……」
一瞬勇は口をとがらしたが何も言えず、代わりに胸元に顔をうずめる。
二股攻防戦は歳三の戦歴の中でも特に激戦で知られることになる。本当は側で手助けをしたいが、自分にそんな力がないのを知っているから足手まといにはなれない。それに、その戦いで歳三の身の上に心配することはなかったはずだった。
……だから、今は……このまま。
勇は目を閉じる。
やがて寝息が聞こえてきた。
安心したような表情で胸に頭を預けている勇を見つめて、
……俺はこの戦が終わる頃には散る身だ。だからこいつを抱くこたぁできねぇ。
そう思う。
……たとえ、どんなに愛しく思ってもな。
土方は勇に布団を掛け直すと目を閉じた。
「確かに近藤君の身柄は預かった」
箱館病院の院長高松凌雲は快く引き受けた。
「勇君は手先も器用だし聡明だ。何かと手伝ってくれると助かるな」
「よろしくお願いします」
勇がぺこりと頭を下げる。土方が深々と頭を下げた。
「役に立たないかもしれませんがよろしくお願いします。なるべくおじゃまにならないようにしますから」
「いやいや、君が利発なことは知ってるからな。期待してるぜ」
にこにこと凌雲が答えた。勇とは何かと縁があるのでよく知っている。良い意味でも困った意味でも。
「それじゃ俺はこれで行くからな」
土方が立ち上がると勇が送りに出た。病院玄関を出ると馬にまたがる。
「二股は負けないんです。無茶しないでください」
「ああ、だがお前に言われるとはな」
くすりと笑うと馬の腹を蹴る。勇も馬について門柱の所まで歩いた。
「あの……歳三さん」
ふと、思い詰めたような瞳で土方をじっと見あげる。
「……どうした」
暫く見下ろしていた土方だったが、物言いたげにじっと見つめている勇を見ると馬から下りた。
「どうした」
怪訝そうに問いかけた土方の胸に、勇は飛び込むと背中に手を回しぎゅっとしがみついた。
「!」
「少しだけ……もう少しの間でいいんです。待っててください。もう少しだけあたしが大人になるのを待って……。その時には、あたしはきっと全てを受け入れることができると思うから……」
土方が息をのむのがわかった。ややあってため息のような音がした。
「あわてる必要はねぇ。ゆっくり大人になりゃいいんだ」
そう言うと、わしわしと頭をなぜてくれる。
「おっと、忘れるところだった」
土方が胸のポケットに手を入れた。
中から二葉の小さな……カードを出した。
「ほれ。先だって撮ったホトガラだ」
写真である。箱館政府の男達と撮った集合写真と、土方のポートレイト。
「あ、写真。そうだ。写真皆さんに届けないといけないんだった」
土方がうろたえたように言う勇を見てくっくっと笑いながら言う。
「そいつは不要だ。連中、ホトガラってのはちょっと前までは一枚しかできなかったんだって? とにかく自分が手にしたくて、翌日には自分に売れと詰めかけてたそうだ。これは鶏卵紙って紙に焼かれたもので複製ができるんだと。全員次の日の夕方には持ってったそうだ。お前の花嫁姿のホトガラまで持ってった奴もいる。しっかしまぁ、あの主人も食えねぇ奴だな。いつの間に俺の笑った顔を撮りやがった」
苦笑する土方に、勇は写真に目を落とす。
穏やかに笑みを浮かべている土方の写真。
「うれしい」
勇は写真を胸に抱いた。
「これでちっとはさみしくねぇだろ」
「うん。ありがとう」
「他の写真は俺が引き取った。市村にも渡してある。気にかける必要はねぇからここで大人しくしてろよ」
「はい」
「たく、星の奴やらブリュネやらお前の白無垢のホトガラをどんな顔して持ってったんだか……」
「え?」
「市村とのホトガラ。市村の所を消して持ってったんだとさ。中島さんまで。まったくここにゃ笑える奴らが揃ってやがる」
笑う土方に勇もつられて笑う。
「じゃ、俺はこれで行くから」
抱いていた腕をほどくと土方は黙ったまま再び馬にまたがる。勇を見下ろし、ふっ、と笑うと馬を駆けさせて走り去った。
勇は、その姿が見えなくなるまでその場所に立っていた。
「いいのかい。泣くなら今だけだぜ」
病院内に戻ってきた勇に凌雲が少しためらいがちに声をかける。どうも窓から見ていたらしい。
「いえ、いいんです」
勇は答えると、写真の入っている胸ポケットのあたりを押さえた。
「そうかね」
勇がふんわりと笑みを浮かべ凌雲を見る。
「勇君、じゃあ手伝ってもらおうか」
「はいっ」
勇は答えると凌雲の後をついて歩き出した。




