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湯ノ川

救出された勇は傷を癒すために湯ノ川へと。

和やかな時を過ごした勇と土方達新選組の面々。だが暗雲は去らない。

 気がかりなことは残っている。

 だが。時は流れをとめない。やがて戦が始まる。

土方が自分の足の古傷を理由に数日間湯ノ川へ湯治に行く事を決めてきた。

 湯ノ川は、今、旧幕府軍の療養所になっているから何ら問題はない。

 もっともそれは表の理由で、実際は勇の傷の治療が目的だった。

 ようやく起きあがれるようにはなったものの、あばら骨の怪我はなかなか治らない。打撲も後を引き、少し無理をするとすぐ寝付いてしまう。少しでも、と土方が考えたのだ。

 さて、連れて行くのに、野村と自分だけではあまりに目立つ。そこで、

「怪我のある奴で付いて来てぇやつがいるなら来ていいぞ。ただし、湯治だから酒、肴、女は無しだからな」

と、新撰組の連中に声を掛けたものだからあっという間に、十二、三人近く集まってしまった。守衛新撰組だった連中も土方付きだということでしっかり来るつもりでいるらしい。市村達小姓も来る気である。

「まずかったかな。へたに目立つか」

「いいんじゃないですか。それに皆、副長といたいんですよ。わかってください」

 野村は笑った。

 勇は病み上がりの体だ。

 長い距離は歩けない。

 そこで湯治に行くため持っていく食品などを積んだ荷車に紛れるように乗せて連れていく。荷車に同乗させたとはいえ箱館から湯ノ川までの距離はさすがに堪えたらしい。宿に着くや横にさせ眠らせることにした。

 部屋は、土方、野村、島田、勇で一部屋になっている。市村達は隣の部屋だ。宿は隊士達だけで満室になっている。

「おい、湯に行くがどうする」

 野村が眠っていた勇に声を掛けた。勇は目をこすりながら起きあがる。

 お風呂は大好きだ。

「行く」

 土方達は一足先に部屋を出たらしい。 

 しかし、勇は知らなかった。知ってたらもう少し考えたかもしれない。

風呂にはいると、湯殿は思う以上に暗い。

 考えてみればそうだ。

 電気があるわけでもなく、照明といえば行灯か蝋燭なのだから。明かり取りの窓からの光も当てにはならない。第一、寒さを防ぐことを考えれば窓は閉められている。

 その、あまりの暗さと陰気さと、湯気とで周りがよく見えない場所よりは……。

「露天風呂だ」

 浴場の外へ出る戸を開けた勇は歓声を上げた。

 やっぱり温泉は露天風呂だよねと、といそいそと外へ踏み出す。

 雪が積もっているが、風呂に浸かってしまえば寒くない。

 石組みのかなり広い湯である。いや、広すぎないか?と思うべき疑問も持たずに湯に浸かる。とろりとした透明な湯だ。腕に付いた湯を舌で舐めてみる。

 しょっぱい。

 みると女の人はだれも入っていない。というか、今この宿は新撰組がほぼ貸し切り状態だというから女性がいないのもしょうがないか、と思い直し、思い切り体を伸ばす。

 空からさらさらと粉雪が舞い落ちてくる。 湯が熱いので顔にかかる雪が気持ちいい。

 嬉しくなってつい歌ってしまう。サザンを口ずさんでいるとふいにざばりと水音がした。

 なにげなく音のした方に目をやって驚いた。思わず悲鳴を上げる。

 市村が立っている。彼も驚いたのか立ちすくんだままだ。

「こ……この、助平っ」

 勇は胸を隠しながら立ち上がり手ぬぐいをとると投げつけようと構えた。が、

「どうしたっ」

 市村の後から野村と島田があわてて現れた。

「え?」

 勇の投げた手ぬぐいに直撃された市村は湯の中にひっくり返り、勇は悲鳴を上げながら湯の中へしゃがみこんだ。

「何で?何で野村さん達がいるの」

「何でってこの湯、俺らのところと同じなんだが」

「なんだなんだ?うるせぇな」

 頭をかきながら土方が現れる。

「何を騒いでんだ?」

「ひっ土方さんまで」

「んぁ?」

 土方は怪訝そうだ。

「湯なんざこんなもんだろうが。」

 混浴だったとは勇は知らなかったのだ。

 内湯はともかく外湯である露天風呂までは男女分かれていない。

 なんだどうしたという声と共に隊士達が現れ、あっという間にあたりは裸の男達で満ちた。

 勇は風呂の角で男たちに背を向けて小さく身をすくめた。

……いたたまれない。

 出るに出られず、首まで浸かった勇は下を向いているしかない。

 ちらりと肩越しに目を上げると土方達が談笑している。

 石組みに腰掛けたり、もたれたりしている者を見て、

……確かにみんな立派な体してるよなぁ。引き締まってて、筋肉もしっかり付いてて。

 戦いで重い刀を振り回し、重い銃を撃っているのだ。鍛えられた体をしているのは道理だ。細身だといわれる土方だとて勇から見れば十分がっしりしている。肩や胸の筋肉など無駄がなく付いている。

……それに引き替えあたしは。

 二の腕を掴む。何て頼りないんだろう。それに。

 自分のどう転んでも絶対に大きいとは言えない胸を見てさらに落ち込んだ。

 バスケの相方の容子はDカップだったし、対戦相手にはもっとナイスバディな連中もいる。

「水戸高の芹沢のFカップみたいにでかくなくてもいいから、せめてCは欲しいよなぁ」

思わず呟く。

 脳裏にはダイナマイトセクシーという表現がぴったりするライバルの水戸高校の芹沢の高笑いがよみがえっていた。

 自分の周りにはなぜかスタイルのいいやつばかりである。その中にあって勇はひときわ子供だった。スタイルは悪くない。が、すべてにおいて小さく華奢だった。

 いつも容子にはまな板だのミニトマトだのとからかわれていたのでちょっとしたコンプレックスだ。

 かろうじてのBカップというのは。

「隙間のあるブラだよねー」

と、ケラケラ笑いながら言う容子。

 反論できないのが……情けない。

 水着を着たら、小学生と間違えられて事務所に連れていかれたことがある。迷子?と言われたあのときの情けなさ。  

 バスケの試合では「日野の双璧」と言われ誰知らぬものはない。

 しかし、実物を見ると皆驚くのだ

 思っていた以上の……何というかかわいらしさに。

 何せバスケのユニフォームは思いの外胸が目立つのだ。

 女子高生と言うより……子供に見られる。

……いかん、落ち込んできた。それに、のぼせそうだ。出よう。

 胸を腕で隠すとなるべく腰を落としたまま移動する。

 しかし失念していたことがある。

温泉というのは滑りやすい。しかもこの湯ノ川の湯はとろりとしている。

 えっと思う間もなく足が滑った。

「きゃ」

 悲鳴を上げる間もなく水音を立てて湯の中へとひっくり返った。口の中に湯が流れ込む。胸が痛くて手が後に回せない。底に手が付かない。

 まずい。溺れる。

 そう思ったとき腕を掴んで引っ張り上げてくれた誰かがいる。

「おい、大丈夫か」

 野村の声だ。ひっくり返った勇を見てあわてて側に来てくれたのだろう。

 咳き込んでて返事が出来ない。喘ぐようにして息をついたとき、腕を掴んで覗き込む野村の顔が視界のはしに見えた。だがそれ以上に目に入ってきたものがあって、

「いゃぁぁぁ」

 勇は叫ぶと野村を振りきって湯から出ていった。

 半泣きの表情で内湯の扉に隠れると

「野村さんのバカッ」

と怒鳴って勢いよく閉める。

「な、何なんだよ」

 呆然とする野村に、

「おい、下見ろ、下。えらく元気じゃねぇか」

 離れたところから土方が言った。

「そりゃぁびっくりしますよねぇ」

 島田も同意する。

 野村は視線を落とす。湯ノ川の湯は透明なのだ。はっきり目に入る股間の……。

「あ、これは…」

 野村は自身の姿に言葉をなくした。

「見慣れねぇもンだからなぁ。びっくりしただろうな。」

 くっくっと土方が笑う。

「嫁入り前に見ちまったんじゃあな」

「なら俺が嫁にもらいます」

 野村は土方に向かって声を掛けた。

 ずるいぞ、それなら俺がと声があちこちからあがる。

 あたりはどっと笑いに包まれた。

 湯殿から出た勇は廊下で思わずしゃがみ込む。

 気分が悪い。のぼせたのかもしれない。

「おい、どうしたんだ勇」

 男湯から出てきた市村が声をかけてきた。「のぼせちゃったみたい。大丈夫、ちょっと休めば……」

 言いかけてる途中でいきなり抱き上げられた。

「ちょっ、何を」

「いいからじっとしてろよ。落っことすじゃないか」

 前を向いたままむっとした顔で言う。

「ごめん。迷惑……かけてるね」

「別にいい」

 抱き上げられたまま部屋へと向かう。 

いつの間にか市村の身長は勇を超していた。声もずっと低く変わってきている。

 ここには本当はトシと来るつもりだったんだと思い出した勇は市村へ問いかける。

「ねぇ、聞いていいかな」

「なんだよ」

「市村君に、許嫁がいるとして、その子から二人で旅に行こうって誘われたら……どうする?」

「俺にはいないぜ」

「だから、もしもだって」

「二人だけで旅?うーん俺なら断るかな」

「何で?その子のこと嫌いじゃなくても?」

「好きでもだよ。どうしてってお前、好きな子と二人きりだぜ。妙な気分になったら俺自分を押さえられる自信なんてないし、勢いに任せてしまって傷つけてしまうのも怖いし。大切に思ってるンならなおさらな。逆に嫌いなんて言葉を言われるために誘われたんならと考えると怖くていけねぇ。もし言われたら絶対立ち直れねぇし。どっちに転んでも怖いんだ。何かと理由を付けて逃げちまうな、俺は」

「そんなもんなの?」

「男ってさ、好きな子の前じゃ臆病なんだよ。もっとも、土方先生みたいな大人の男なら平気だろうけど。何があっても受け止められるだけ大きくなれば違うだろうが、俺にゃまだ無理だな」

 勇は黙ってしまった。

 もしかして、トシが断ったのは自分のことを大事に思ってくれてたからなのかもしれない。そう思った。

「トシに……悪いことしちゃったな……」

 勇はうつむくと小さく呟いた。

謝りたい、と思った。

「なぁ、勇」

 ふいに声をかけられて顔を上げる。

「俺、さ。勇のこと好きだから」

「ありがとね。あたしも市村君のこと好きだよ」

「ほんとか」

「ほんとにいつもよくしてくれて感謝してる」 なんか言ってる意味が微妙に違うぞ、と市村は思う。

「あたし迷惑ばっかかけてんのに、優しいよね」

「いや、それって……」

「あたし新撰組のみんな大好きだよ」

「……それって、違うから」

 いきなり不機嫌になった市村は、

「ついたぜ」

 そう言うと勇を下ろして自分の部屋へと歩いていく。

「?」

 置き去りにされた勇がわけが分からず呆然としているといきなり後から笑い声が聞こえた。

「市村の奴も馬鹿な奴だな。そんな言い方すりゃ、こいつの性格じゃこうなることわかんなかったのか?」

「無理ですよ。副長」

 あわてて振り向くとそこには土方と野村が立っている。二人とも腹を押さえ苦しそうだ。

「こんなってどういう意味で」

 困惑する勇に、

「市村の奴も……、惚れてるって言やぁよかったのによ」

「ええっ」

「やっぱり気がついてませんでしたね」

「だな」

「あ、あたし謝ってきます」勇の言葉に

「やめとけよ」と、野村が言う。

「でも、やっぱり言ってくる。傷つけちゃったかも」

 勇は市村の部屋へとむかう。

 市村は一人座っている。

「市村君」

 勇の声に振り向く。

「なんだよ」

 不機嫌そうな声だ。

「あの、さ。ごめん」

 勇は頭を下げた。

「気持ち嬉しい。だけど、あたし、まだ許嫁のこと忘れられないんだ。帰る方法なんてわかんないのに、今でも時々もしかしたらって思ってる。馬鹿だよね……あたしってさ」

「勇……」

 勇らは、顔を上げた勇が少し寂しげな表情を浮かべているのに気がつくと、

「いいんだ。俺こそごめんな」

ふっと顔がゆるんだ。

「でも、言ったのほんとだから。まぁ気長に考えてくれよ」

「う……ん」

「なぁ、頼みあんだけど」

「何?」

「俺のことさ……鉄、って呼んでくんないかな」

「なんで」

「お前……その許嫁のことトシって呼んでるだろ?俺のこと市村君って呼んでくれてるの嬉しいけどさ、なんか距離がある感じがしてな」

「わかった。今は無理だけど、あたしがあの時代のことに踏ん切りがつけられたときに市村君のこと鉄って呼ぶよ」

「ああ、約束だぜ」

 二人は小指を絡ませて約束した。

 

……寝汗かいちゃった。

 夜中に小さく声を上げて勇は起きあがる。

 大鳥たちに囲まれたあのときを夢に見たのだ。

……気持ち悪い。

 胸元に手の、唇のふれた感触が甦る。

 汗も、あの記憶もすべて流してしまいたい。

 横で眠る野村達を起こさないよう静かに床を離れ部屋を出る。

 外は雪もやみ、雲が切れているらしい。障子越しに月の光で微かだが足下が見える。

 浴場にたどり着いた勇は寒いだろうが薄暗い内湯より月明かりの下の露天にはいることを選んだ。

 人気のない湯舟に、流れ込む湯の音だけが響く。

「誰だ」

 ふいに声がかけられた。

 驚いて声のする方へ顔を向ける。

 月明かりに人影が見えた。

「すいません、五月蠅くしませんから」

 あわてて声を返した。

「ん?その声、勇か?」

 人影が月光の下に移動する。

 土方だった。

「何でここにいる。一人じゃ、あぶねぇぞ」

「と、歳三さん。あ、やな夢見て汗かいちゃったから」

 勇は土方と距離をとる。湯船の反対側へと移動した。後は木立が茂っているので影になるから見られないと踏んだのだが、

「こっちに来な。あんまり離れてっと熊が来るぜ」

 土方に脅かされた勇はあわててそばに寄った。

「冗談だ。まあこっちに来な」

 くすりと笑った土方が手招きをする。

「隊士連中と入るのも賑やかでいいが、静かにはいるのも悪くねぇ」

 二人は少し離れて並んだ。青白い月明かりで思いの外明るく見える。

 月の光に浮かび上がる土方歳三の端正な横顔に思わず見とれてしまう。

 しばらく話すことばもなく、流れ落ちる湯の音だけが響く。

「俺は近藤さんを切り捨てたわけじゃねぇ」

 ふいに土方が言った。

「見殺しになんぞできるか……」

「知ってますよ、歳三さんがおじいちゃんのために走り回ってくれたことは」

「でも、助けられなかった。俺の読みが甘かったんだ。腹を切らせることも出来ずみすみす死なせちまった。すまねぇ」

 土方が頭を下げた。

「何で謝るんです?誰も歳三さんのこと恨んじゃいません。あたしも、きっとおじいちゃんもね」

「近藤さんも?なぜそう思う」

「歳三さんの気持ち、絶対おじいちゃん分かってましたって。おじいちゃん、なによりも歳三さんには死んで欲しくなかったんだと思うな。だから流山で出頭したんですよ。きっと最後の瞬間まで歳三さんには感謝こそすれ恨んじゃいませんでしたよ。あたし、請け合います」

「そうか?」

「はい」

「……」

「歳三さんのこと心配はしたかもしれないけどね。無茶しないかって」

「そうか……」

 しばらく沈黙が流れた。

「いい月だな」

「はい」

 ふと横を見ると、土方が顔を上げている。 しかし月を見ているわけではなかった。

 端正な顔の、その閉じられた瞼からひとすじ流れ落ちるものがある。

 青白い月の光に光ったそれを見て、勇は初めて男の人の涙が美しいと思った。


 湯治のおかげか勇の怪我は随分良くなった。

 そうなるとじっとしていられないのが性分だ。

 こっそり布団から出ると屯所内の掃除でもしようかと箒を持った。さて、と思ったとき後から声がかけられる。

「誰が起きて良いと言った」

 振り向くとじっと島田魁が見ている。

「だって体がなまってしまいそうで」

「怪我人は寝ているのが仕事」

 そう言いきると箒を取り上げ、抱きかかえられて部屋まで連れていかれた。

「あまり聞き分けがないと土方副長に言うからな」

「すいません……」

と、頭を下げた。  

島田が出かけたことを確認すると、今度は水場の手伝いをしようと部屋を抜け出した。が、

「誰の許可で起きている」

と、相馬に見つかった。

「迷惑だ」

 相馬はじろりと睨んで言い切ると、腕を掴んで部屋へと連れ戻される。 

「土方先生に報告しておく」

 相馬はそう宣告して出ていった。

 今度は辺りをうかがい誰も古参隊士がいないことを確認して部屋を出る。

 洗濯物でもと、たらいを用意し汚れ物を集めてきていたとき。

「何してやがんだ」

 今度は野村である。ため息が出る。

「洗濯ぐらいいいじゃないですか」

 半泣きで文句を言いかけたとき、

「ばかやろう。年頃の娘が男の褌なんかを洗うんじゃねぇ」

「洗濯物なら同じでしょう?」

「俺が嫌なんだよ」

 怒鳴り返され、今度は襟を持って引っ張られた。

「さぁ、寝ろ」

 野村は勇が横になるまでじっと見ている。 勇としては大人しく横になるしかない。

 布団を掛けると野村が刀を抜いて腰を下ろした。

「まったく」

 そう言って頭に手をやったときだ。ふと手を止めると部屋から出ていく。刀が置いてあるからすぐ戻るつもりだとわかる。

 野村が戻ってきたとき手に濡れ手ぬぐいを持っていた。

「また熱が出てるぞ」

 額に置かれるとひやりと気持ちがいい。

 勇はこうなったら諦めて目を閉じた。

……明日こそ何か出来るといいな。

 そう思った。

 が、次の日。

「誰も出かけない……」

 昨日の自分の行動が拙かったのか、古参隊士連中が出かけない。

 少し部屋から顔を出すと、誰か彼かと出会ってしまう。

 かろうじて、通りかかった平隊士に拝み倒して紙と筆をもらうのが精一杯だった。

 中島登が勇の部屋の前を通りかかったときだった。

「?」

 監視のため少し開かれた戸の間から、部屋の中をうかがうと、えらく難しげな顔をして勇が机に向かって書き物をしている。

 そのうちにやにやと笑いだし、お終いにはくすくすと笑っている。

 気になったのでそっと中に入り覗き込んだ。 

「これは……土方副長かい?」

 思わず声をかけてしまった。

 いきなり声をかけられてびっくりしたのか大きく目を見開いた勇が顔を上げる。

「わかります?」

「わかるとも。雰囲気が出てるよ。いやいやよく似ている」

 紙に書かれているのは土方の似顔絵。イラストと言っていい。腕を組み、眉間に縦じわを刻んだ不機嫌そうな顔で立っている絵だ。 ご丁寧にその横に『気苦労の多い鬼の副長』とコメントを書き『てめぇ、何してやがる』とよく言う言葉を吹き出しで書き込んである。

「そうですか?」

 そう言われると勇も嬉しくなってしまう。 何もできない鬱憤がたまっていたのも手伝って次々と似顔絵を描き出した。

 野村利三郎、相馬主計、島田魁……中島も描いて見せた。

 その各々が特徴をつかまえていて誰なのか一目でわかる。その一人一人にコメントと口癖を書いていっている。

 中島もそれを見ると笑ってしまう。 

 特に野村の『副長一番俺は二番』「俺も行きます、土方副長っ」の書き込みには中島も声を出して大笑いしてしまった。

 二人して笑っていたので気がつかなかった。開いた戸から入ってきた人がいたのを。

「何笑っていやがる」

 その声にあわてて顔を上げる。

 そこに立っていたのは……

 土方歳三その人だった。

「ひっ土方さん」

 驚いた声を上げた勇を無視して土方は周りに散らばる紙を拾い上げた。

「あっそれは……」  

 うろたえる勇をよそに描かれているものに目を落とす。

「こいつは……俺か?」

「う……」

 勇は上目遣いで顔色をうかがう。

「没収だ」

 そう言うと土方は部屋を出ていった。

 土方が部屋を出ていったのを確認すると中島が勇の耳元で囁いた。

「俺に絵の手ほどきをしてくれないかな」

「いいですよ。喜んで」

 勇はにっこりと笑った。

 一方、隊士達の似顔絵を手に部屋を出た土方である。

 絵をめくりながら廊下を歩く。

 思わず感心するほどよく描けている。特徴をつかまえていて誰か一目瞭然だ。横に書かれている言葉に思わず口元がゆるむ。

「土方先生、何をご覧になって笑っておいでるんですか」

 そんな土方を見て市村が声をかけてきた。「何でもねぇよ」

と、突っぱねるが描かれているものに目を止めた市村が、

「あ、この絵土方先生ですね。あはは、よく似てるなぁ」

「似てるか?」

「似てますよ。他にもあるんですか?見せてください」

「笑いごとじゃねぇぞ。お前のもあるんだ」

「私の?」

手渡された紙を手にするとまじまじと眺める。

「これ……私ですか。似てますか?」

 市村が真顔で尋ねるので土方は思わず吹き出した。

「どうしました副長」

 声をかけてきたのは野村である。

「あ、野村先生。これ、俺に似てますか」

「ん?」

 覗き込んだ野村が市村が手にするものを覗き込んだ。

「お前の似顔絵か」

「……」

 市村の手から紙の束をとるとぺらぺらとめくる。

 次の瞬間、大笑いした。

「こいつぁけっさくだ。よく似てる。誰だ描いたの」

「勇だ。お前のもあるぞ」

との土方の言葉に、 

「何っ。……ほんとだ……何ぃ?『副長一番俺は二番』だと」

いつの間にか周りを他の隊士が囲んでいて、似顔絵が描かれている紙は手から手へと渡っていく。

「俺はこんな風に見えるのですか」

 固い声で言ったのは相馬で、思わず笑ってしまったのは島田で……。各自が思い思いの反応をしている。

「まったくしょうのねぇことをやりやがる」

 苦笑しながら土方は呟いた。

 勇の描いた似顔絵は隊士達の和やかな笑いを生み出していた。

 しかし、そんな穏やかな日もいきなり断ち切られた。

 日が傾きかけた頃称名寺へと訪ねてきた人物がいる。

「客が来ている。お前が対応するんだ。意味はわかるな」

 硬い表情で土方が勇に告げた。

 たずねてきたのは大鳥と川村。伝習隊の隊士を数人供に連れている。 

「そっ、それは……勇には酷じゃありませんか」

 市村があわてて土方に問いかける。

「わかってる。だがやってもらわなきゃならねぇ」

「わかりました。私お会いします」

「勇ッ」

「市村君、ありがとね。でもこれはあたしがしなきゃ駄目なんだ。大鳥さん達は病気のあたしのお見舞いに来てくれたんだから」

 勇が大鳥たちに拉致されたという事実は抹殺されていた。勇がここ暫く五稜郭に行っていないのは風邪をこじらせたからだということにされている。

「あたしは怪我をしてはいない。そういうことなんだ」

「しかし……」市村が苦い顔をする。

「仕方ねぇんだ。今、軍を割るわけにはいかねぇ。新撰組と伝習隊の間に諍いがあるわけにはいかねぇんだ」

 土方が言いきる。

「勇もわかっているのさ」

 勇の寝ている部屋へと大鳥たちが入ってくる。身を起こした勇が丁寧に挨拶をする。

「元気そうだね」

 大鳥の言葉に、

「ありがとうございます。ご心配かけまして」

 勇が柔らかく微笑んで言葉を返した。

「風邪をこじらせたって?僕の家は医者でね。脈みていいかい」

 勇は黙って手を差し出す。

 大鳥がその手をとると脈を診るように握った。手を握ったまま反対の手で勇の顎のあたりに触れる。

「腫れてはいないね」

 ニヤリと笑う。

「腫れは引いたの?」

「いいえ、おたふく風邪ではなかったので」

 そのやりとりを隣の部屋で聞いていた野村は拳を握りしめていた。土方に隣の部屋にいるよう命じられていたのだ。もしその場にいたならきっと大鳥を殴ってしまっていただろう。

 言葉少なにやりとりをする勇の心中を思うとたまらなかった。

 やがて大鳥は立ち上がった。

「さて、長居も何だしこれで失礼するとしよう。君が一日でも早く五稜郭に来れることを楽しみにしているよ」

 勇の顔を覗き込むようにしながら、なんとも言えない笑みを浮かべて大鳥が言った。

 一瞬、勇の顔におびえが走る。

「これからどちらに?」

 土方が言葉をかけた。

「武蔵楼で宴席があるのさ。ああ、土方君は酒の席が苦手だったね」

 宴席に殆どでてこない土方に皮肉を込めた言葉をかけたが、それに気にするでもなく、

「五稜郭が空きますね。では、私がこの後向かいましょう。おい、市村。今日は五稜郭に詰めるぞ」  

と、土方が言った。

 大鳥を見送る時、土方が出かける支度を済ませて一緒に出てくる。山門をくぐる際、野村利三郎の側により小声で何かを言った。

 土方は大鳥たちと特に言葉を交わすでもないが共に箱館の町を進む。

「ここで失礼する」

 大鳥が声をかけると、土方が軽く頭を下げて挨拶をした。

 騎馬は二手に分かれ、一方は箱館の町の中へと向かい、他方は五稜郭へと向かうため一本木関門へと向きを変えた。

「土方先生、いいんですか。私たちが屯所を離れても」

 暫くすると市村が土方に声をかけてきた。

「何か気になるのか」

「大鳥さん達が町中にいるんですよ。屯所の近くに。伝習隊の隊士を連れて。危なくないんですか」

「大丈夫さ。仕込みはしておいた」

「?」

「大鳥さんはな、危険なことはしない人さ。罠がしかけられてると思えば絶対飛び込まねぇ」

「でも、罠なんて仕掛けて無いじゃないですか」

「実際に仕掛けて無くてもいいのさ。相手が罠があると思いこめば、罠があることが事実になる」

 にやりと笑いながら土方が言った。

 市村がはっとその時思い至った。出がけに土方が野村に小声で声をかけたことを。実際は、後を頼むとしか言っていなかったのだがそれが大鳥に仕掛けた罠だったのだと。

「自分で考え自分で答えを出すんだ。思いこみも含めてな。だから今日は大鳥さん達は仕掛けちゃこねぇさ。だから屯所の心配はいらねぇよ」

 市村は土方の考えにただ感心するだけだった。そして、屯所が平穏であるならそれが一番だと思った。

 しかし、

 夜もまだ浅い頃、勇の悲鳴が屯所に響いた。 隣の部屋で休んでいた野村が刀を手に勇のいる部屋に飛び込む。すぐ後を追って島田や相馬達が駆け込んできた。

 その時、彼らが目にしたのは布団の上で両腕で胸を抱え込むようにして蹲っている勇の姿。

「おい、どうした?」

 野村が肩に手をかけた瞬間、勇が跳びあがるように後ずさる。

「?」

 思いがけない態度にその場にいた者たちが呆然とした。

「どうしたんだよ」

 野村が声を荒げて肩を掴んだときだった。 気がついた。

 勇が小声で呟いている言葉に。

「い……や。嫌。触らないで。やだ……」

 胸を抱きしめ、呟きながら野村の方を見る。 しかしその目は焦点を結んではいない。

 野村の後ろを見つめている。ここにないものを見ている目だった。

「おいっ、しっかりしろ。勇ッ」

 両肩を掴み強く揺する。瞳に光がゆっくりと戻ってきた。

「あ……」

「俺がわかるか?」

「の……むら……さん」

 勇の声にその場にいた一同が、ほうっとため息をついた。

「ごめんなさい。あたし……」      

 気がつくと肩が小さく震えている。

 唇も震えが止まらない。それほどに怖い思いをしたのだとわかる。  

「大丈夫。もう大丈夫だから……」

 そういうが、指先が震えているのを必死に握りしめて言うせりふじゃないだろうと野村は思った。

「ちょっと怖い夢見ただけだから……心配しないで。ごめんね脅かして」

そう言いながら両の目からはぽろぽろと涙がこぼれていた。

 思い当たる節は一つだけ。

 勇は大鳥達と会うことで拉致されたあの日のことを思い出してしまったのだ。

 あの時の恐怖と痛みを。

 野村はじっと見つめていたが、そっと抱き寄せると自分の腕の中に納める。

 相馬達が立っている方へ目を向けると小さく頷いた。

「では、あとは任せる」

 そう言うと相馬達は部屋から出ていった。 震えている勇を見ていると、ざっくりと裂けた心からしたたり落ちる赤い血が見えるようだ。

「ようやくふさがりかけた傷口を小柄でえぐるようなことをしたんだぜ、土方副長……」 やむおえないこととはいえ、あまりに酷な決断をした土方にくってかかりたい気持ちがわき上がる。

 その夜、勇は眠ることはなかった。

 そして、ことはそれだけではすまなかった。

その夜以降、勇は眠ろうとはしなくなった。

 眠ることを恐れていると言った方がいいかもしれない。うとうとしてもすぐに飛び起きる。そんなことが続いていた。

 三日経ったとき、野村が勇の変化に気がついた。

「おい、寝てねぇんじゃないか?」

 精彩のかけた顔をしている勇をつかまえて問いただす。その時は、勇はぼんやりと笑ってうやむやにしてしまった。

 五日経ったときには、島田や中島が気がついた。筆を手にしているときに一瞬居眠りをしてしまうのを何度か見たからだった。

 その時はまだ笑い話ですんだ。

 だが七日経った頃には、立っているときにさえ瞬間的に眠ってしまうことがおきるようになった。

 そして、勇は境内に出ようと階段を降りているときに眠ってしまったのだ。

 安富が隊士を連れて巡察に出かけようとしたとき、階段で頭から血を流して倒れている勇を見つけて、ことは笑い話ではすまなくなった。

「寝てねぇ?」

 土方が怪訝そうな声をあげた。

「たぶん。そうでなければ説明つきません」 相馬が固い声で言った。

「勇が居眠りなどしているのは今まで見たことがなかったのですが、ここ数日あまりに頻繁です」

「何でだ」

「わかりませんが……」

「で、勇は」

「高松先生の所へ運びました」

 その時ざわざわと人の声がして、襖が開かれた。

 頭に包帯を巻いた勇が入ってくる。包帯にうっすらにじむ血の色。

「怪我の具合はどうだった」

 それに目を止めると土方が声をかける。

「凌雲先生に傷跡の所はハゲになるぞって怒られました」

 やんわりと笑いながら答える。

「まったく……」

 呆れたように土方がため息をついた。すっと手を伸ばし頭の包帯に触れる。

「娘が体に傷なんか付けるんじゃねぇや」

 その時勇がはにかんだような表情を浮かべたのを、付き添っていた野村は苦い思いで見つめていた。

「すぐに休め。いいな」

 勇にそう言うと土方は野村へと向き直る。

 勇はそれを見るとそっと部屋を出た。眠る気はない。隊士溜まりに行くと繕い物がないか平隊士に声をかけた。頼まれたものを一つ縫い終わったとき、

「何やってるんだ。休めといわれただろうが」

 声をかけてきたのは野村だった。

 えっと思って振り返ろうとするより早く体を抱きあげられた。

「あっあのっ。野村さん下ろして。歩けるし」「駄目だ」

 むっとした表情のまま勇の休んでいる部屋へと向かう。

「お前が寝ようとしないのは……夢を見るからか?」

 いきなり図星を指されて勇は顔を背けた。「あの時の……夢か」

 野村がため息をついた。

 勇は部屋に戻ると大人しく布団に横になった。 

「?」

 野村が腰から刀を外すと枕元に置くのを不思議な顔で見つめていたが、布団をまくって入ってきたのを見ると、あわてて跳ね起きて布団から出ようとした。しかし、腕を掴まれて引き戻される。次の瞬間には野村の腕の中にしっかりと抱きしめられていた。

「あのっ、野村さん。これって拙いと思うんだけどっ。いったい何をしようとっ」

「添い寝だが。何か不都合でもあるのかよ」

「そい……。だってっ。大体、男女七歳にして席を同じくせずっていうのが」

「いつも一緒にいるだろが」

「いや、布団の中で一緒って言うのは……あたしだって十七なんだしっ」

「だからなんだ」

「あたしだって年頃なんだもの。大人なんだし」

「怖い夢見るのが嫌だって寝ねぇのがガキじゃなくて何なんだよ」

「いや……でも……そうじゃなくてっ」

 野村はそこで大きくため息をついた。

「つよがんのもいい加減にしな。辛いときは頼れって言っただろうが。俺らはお前のそんな姿は見たくねぇんだって。それに……」

 ふいに自分の胸元に押しつけていた勇の顔を覗き込む。

「いや、いい。ともかく寝ろ。怖い夢見て泣く子供には添い寝してやンのが大人なら当然だろうが」

「大人って……」

「もしあの夢を見たなら、俺が夢の中でも助け出してやるよ。だから心配すんな」

「……」

 勇はもう何も言えなかった。もがくのもやめた。涙が出そうになるのを歯を食いしばって耐える。

「何力んでんだか……」

 そう言うとあやすように勇の背中をぽんぽんと叩き続ける。その単調で規則的なリズムにやがて緊張は解けてゆき瞼が重くなっていく。

「野村先生、どこです。野村先生」

 市村が探しているらしい声がする。

 やがて、開いていた襖から顔がのぞいた。

「あ、いたいた。野村先生……ってなにしてんですかっ」 

 野村は口に指を当て静かにするように示した。

「勇の奴がようやく寝たんだ。起こすんじゃねぇよ」

 小声で返事をする。

 市村が覗き込むと、目を閉じている勇が見えた。その寝顔に一瞬見とれる。

「何してるんです」

「添い寝だよ。見てわかんねぇかよ」

「ぐ……。土方先生がお呼びです。早く来てください」

「わかった。おい、市村。ここで勇の手ぇ握ってろ」

「何でですかっ」

「うなされだしたら背中叩いてやれ。ガキあやす方法わかるだろ。絶対勇を起こすなよ」

 そう言い置くと部屋を出ていく。

 後に残された市村は暫く躊躇った後手を握る。

……柔らかいな。小さくて華奢な手だ。

 思わず表情がゆるむ自分には気がつかなかった。


「ご用でしょうか副長」

「ああ、野村か。さっさと座れ」

 野村が座ると土方は目を走らせた。

「これで全員揃ったみたいだな。実は江戸に残した間者から連絡が入った。アメリカがストンウォールジャクソン号を東京政府側に引き渡すことを決めたらしい。いよいよって事だな」

「戦闘が始まるということですか」

 相馬の問いに、

「まぁ、そういうこった。冬ももうずぐ終わる。どのみち戦闘は再開されるさ。それが少し早くなったって事だ。それで……」 

 土方は口の端だけで笑った。

「何の音だ?」

 いち早くそれに気がついたのは島田魁だった。その場の一同が声を潜めたが、野村がはっとした表情を見せるとあわてて立ち上がると部屋を出ていく。それにつられるようにその場にいた者たちが後を追った。

 そして目に入ったものは、うなされて叫びながらもがいている勇を抱え、ひたすらうろたえている市村の姿だった。

「あ、野村先生。どうしたらいいんでしょうか」

「ちっ」

 野村が舌打ちをして前に出ようとしたとき、それより早く土方が一歩前に出ていた。「お前には荷がかちすぎていたか」

 そう言うと市村の腕の中から勇を抱き上げてその頭を自分の胸元に寄せた。そしてその耳元で、

「大丈夫だ」

と、一言だけ囁いた。

 すると今までもがいていた勇の体からすうと力が抜け、穏やかな顔へと変わる。

「こいつには酷なことをさせたからな……その所為か」

 少し辛そうな表情に、全てをわかっていたのだと気がついた。

……やはり、かなわねぇ。

 野村はそう思っていた。 


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