3-7
後日、春一は再び美海の家を訪れた。チャイムを押して少しすると、美海が出てきた。春一はまたケーキの箱を美海に差し出した。
「いつもありがとう」
「花束の方がよかった?」
二人はひとしきり笑って、美海は彼を家の中へと招き入れた。部屋に入ると、チアーが部屋の中を飛び回っていた。
「やあ。元気?」
「何が『やあ。元気?』よ。女の子の部屋にずかずか入ってきて、デリカシーがないのね」
相変わらず辛口のチアーだが、春一はそれを笑って受け流した。
「男って生き物はね、基本的にデリカシーがないものなんだよ。これは、統計的にね」
「何のデータよ」
「俺の人生統計データ」
「私が人間だったら、あなたのこときっと引っ叩いてるわ」
「そりゃ光栄だね」
そんなやり取りをしていると、美海がくすくすと笑いながら部屋に入ってきた。カップを二つ持っている。
「ありがとう。いただきます」
春一はカップを受け取って、早速口をつけた。そのカップをテーブルに置くと、咳払いを一つして本題に入った。
「さて、今日来たのは他でもない。チアー、君に報せがあってね。この部屋に前住んでいた人間のことを、調べたんだ。厳密に言えば、俺が贔屓にしてる情報屋に調べてもらった。そしたらね、調べがついたよ」
「本当!?」
今まで素知らぬ顔で飛び回っていたチアーだが、その話を聞くや否や、飛ぶのをやめてテーブルに着地した。顔は見えずとも早く続きを話せとオーラが言っている。
「その子はね、美海さんがここに来る二カ月前に……事故に遭ってた。ちょうどこのアパートに帰る途中だったらしい。信号無視の車に轢かれたんだ。命に別状はなかったが、重傷だった。その時彼女は引っ越しを考えていたこともあって、荷物は彼女の家族によってすぐにまとめられ、動けない彼女の代わりに両親が手続きを済ませたそうだ。だから彼女はこの部屋に来ることなく、引っ越したんだ」
「……今は、元気なの?」
心配そうに聞くチアーに、春一はにっこり笑って頷いた。
「ああ。彼女、幼稚園の先生なんだけどね、仕事も復帰して、今は元気にやってる。実は、この間会ってきたんだ。君が心配していたと伝えにね。そしたら彼女、君のことを今でも気にかけていた。お別れも言えずに出てきたもんだから、悪いと思って自責の念に駆られてた。でも今はもう美海さんが住んでいるし、まさか『妖怪に会わせてください』って訪ねるわけにもいかないしね。だから、何も言えずにいたらしい。まぁ、とにかく彼女も君に会いたがってたよ」
「良かった……」
チアーが心から喜ぶ声で小さく言った。積もり積もっていた黒い塵が、すっと晴れたのだろう。
「ところで、君らはどうなの?」
春一が話題を変えて、美海とチアーを見る。すると、美海が微笑みながらチアーを見た。
「理由がわかったから、安心したんです。チアーは出ていくって言ったんだけど、私がそれを止めたの」
「へぇ?」
「これからは、私のために歌ってくれないかってお願いしたの。ほら私、一人暮らし始めたばかりで寂しいから、チアーに励ましてもらおうと思って。だから私達、もうすっかり仲良くなっちゃって。今じゃルームシェアしてる友達みたい」
笑いながら言う美海に、春一も笑って頷いた。
「そっか。良かった。じゃあ、俺の役目はここで終わり。あ、これは俺からの……っていうか、情報屋からのプレゼント。あの子が働いてる幼稚園の名前と地図、書いてあるから。後は君らのお好きにどーぞ」
春一は美海に一枚の紙を渡して、そこから立ち上がった。自分の出番は終わったと言わんばかりに、悠然と立ち去る。
「あ、万屋!」
「ん?」
チアーに呼び止められて、春一は振り返った。すると、チアーが飛んできて春一の眼前で止まった。
「あの……あり、がとう」
極々小さな声で言われた礼の言葉をしっかりと聞き取った春一は、満足そうに頷いて彼女に背を向けた。
「鉛筆消しゴム万年筆から肉まんまで、ご用命は四季文房具店まで。店員一同心よりお待ち申し上げております」




