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「それで、何をするの?」
寒いから早く中に入れてくれと春一に言われて、美海はようやく我に返った。二人が部屋の中に入ったところで、美海が早速尋ねた。
「妖怪を捕まえる」
「それ、本気?」
「うん。……まぁ、なかなか信用してもらえてないみたいだから、筋道を立てて説明するよ」
真面目な顔つきになった春一を見て、美海もつられて神妙な顔になって頷く。
「まず、俺は一つの仮説を立てた。種族の能力として、人の部屋で笑い声を響かせるというものはいない。ならば、何か理由があって笑っていることになる。妖怪にも心はあるからね。で、それは視認できないもの。さっき俺は部屋の中を見回したけど、それらしいものはいなかった。でも、この部屋からは妖気を感じる。だから、この部屋に妖怪はいる。ただ見えないだけだ。だけど、姿をずっと消せる妖怪もいない。だから、極めて小さい種族なんじゃないかと考えたんだ。妖怪って名はついてるけど、その実妖精みたいな姿かたちの奴もいる。体長は、俺が知っている範囲で最小は一センチにも満たないくらいのもいる。そこで、そいつを捕えて話を聞こうと思ったわけだ。その捕まえるのに適した道具が虫取り網と虫かごだったってだけで、決しておふざけとか、そういうんじゃないから、安心して」
美海は一つ頷いて、春一の次なる行動に注目した。すると彼は、鋭い目つきで辺りを見回している。そして、カーテンレールの裏を虫取り網の柄でつつく。そうすると、そこから小さい虫のようなものが飛び出した。注視していないとどこにいるかわからないほどの小ささだ。
「そこだっ!」
春一がエアコンのあたりを網で薙ぐ。そしてすぐに手首を返して網の出口を封じる。彼はそこから注意深く虫のようなものを出して、虫かごに入れた。美海がかごの中を見ると、体長五ミリを少し過ぎたくらいの小さな羽のついた妖怪がいた。
「よう。俺は妖万屋の四季春一。君は『チアー』だよな?」
春一が虫かごのガラス越しに話しかける。
「そうよ」
「チアーは歌が得意な妖精だろ?その歌で人々を励ますことからその名がついたと言われてる。なのに何で笑い声?」
「もしそれに理由があるとして、私がそれを正直に言ったらあなたはどうするつもり?」
「まぁ、それなりの措置は取らせてもらうよ。と言っても、基本的に暴力的なものではない、ということは伝えておくよ。君をこの世界から排斥するわけでもないし、無理やり追い出すわけでもない。とりあえず、理由次第だね。理由によっては、俺ができることがあるかもしれない」
「あるかしら」
「かもしれない。物事はいつだってあらゆる可能性に満ちているんだよ。絶対できるということもないが、絶対できないということもない。俺は断定的な言葉が嫌いなんだ」
そこまで言うと、チアーは虫かごの中を飛び回った。彼女なりに思索している様子である。
「……笑わない?」
「約束はできないが、笑わない確率が九割九分九厘九毛とだけは言っておこう」
チアーは再びかごの中を旋回した。くるりと回っては横に流れ、ガラスにぶつかりそうになるとまた回る。それを五回ほど繰り返した後、彼女は春一と正面から向かい合った。
「……いいわ。言いましょう。でも、これだけは約束して。それは私の話を馬鹿にしないこと」
「絶対的な約束はできないが……」
「女と約束のひとつもできないなんて、ジェントルじゃないんじゃない?」
チアーがにやりと笑うと、春一は両手を上げて二度頷いた。参ったという様子だ。
「わかった、わかった。よし、約束しよう。だから話してくれ」
春一が言うと、チアーは飛ぶのをやめて虫かごの底に座った。表情までは見えないが、声音が若干落ち着き、大切なことを話すということが伝わってくる。
「前に、この部屋に住んでいた人間がいたの」
チアーは、ゆっくりと話し始めた。過去の記憶を思い出しながらその一つ一つを確かめるように、言葉に出していく。
「最初は、軽いいたずらで、笑い声を響かせて驚かせていたの。でも、その人間は私を見つけてくれて、こう言ったの。『私を励ますために笑ってくれるの?』って。そこで、私は歌った。そしたらその子、すごい喜んでくれた。私の歌を気に入ってくれたみたい。それから、その子の前で歌うようになった。その子が仕事から帰ってくると、私は歌を歌ってその子を励ました。その子は、私を疎むことも蔑視することもなく、受け入れてくれた。……だけど」
そこで、彼女は言葉を区切った。まだ混乱している心の内を必死で落ち着かせているようでもあった。
「急に、いなくなったの。荷造りもしないままいなくなって、勿論私にも何も言わずに。荷物はそれから他の人たちが来て整理したけど……。それから、あの子とは会っていないし、何をしているかも知らない」
「成程ね」
「それで私、その子がいなくなった腹いせに、また人間を脅かすことにしたの。次の部屋に来たのがあなただったから……つい。ごめんなさい。あなたに何も非はないし、悪いのは全部私。子供の癇癪みたいなものよ。本当、申し訳ないわ」
急に話を振られた美海だが、彼女は怒ることもせず、「気にしないでください」と一言言った。
「そっか。じゃあ、話は解決だな。君は自分の非を認めているし、美海さんにも責める意思はない。双方の和解が成立した。ハッピーエンド」
春一がパンと柏手を一つ打って、その場の収束を宣言した。だが、チアーの声は浮かないままだ。
「そう……ね。でも、あの子の行方はわからないまま。今思えば名前も知らないのね。皮肉なもの。名前も知らないのに大切に思っていただなんて」
「名前なんて必要ない。名前なんて、自分が自分であるためのひとつの手段であり、他者が自分を認めるための手段だ。物事の円滑性を高めるために作り出されたと言っても過言じゃないほど、突き詰めていけば大したものじゃない。俺の主観だけどね。大切なのは、お互いに想う心。それさえあれば何とかなる。これは、経験的に」
「……あなたの、言う通りかもしれないわね」
クスリと笑うチアーに、春一は子供のように笑って、その場から立ち上がった。そして虫かごのふたを取る。
「狭い所に入れてごめんね。とりあえず俺は帰るよ。やることがあるんでね。まぁ、後は女二人水入らずで話し合ってよ。女のお喋りに男は不要。退散するよ」
そう言って、彼はさっさと部屋を出ていってしまった。




