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四季文房具店。またの名を妖万屋。
日本の真ん中ほどに位置する県の西部地域。そこには数珠市という一つの小さい行政地区があった。そこに、四季文房具店は存在した。
店は古く寂れており、申し訳程度にかかっている小さな看板がその存在を認める唯一の物証だ。中には小銭で買える鉛筆や消しゴムなどの文房具から、福沢諭吉が複数人要るほどの万年筆まで、幅広く取り揃えられていた。果たしてこの古びた文房具店にモンブランやウォーターマンの万年筆やボールペンを買いに来る客がいるかは甚だ疑問だが、揃えてあるということはそのような客もいるということだろう。
入って右奥にはパーティションで仕切られた応接間と見られる一角があった。そこにはソファとテーブルが置かれており、テーブルの上には心理学関係の論文が散乱していた。
真正面から左手にかけてはカウンターがあり、その奥には机と一脚の椅子が置かれていた。そして何故か肉まんが売られている。
一番奥手には、二階へと続く階段があった。文房具店の二階は居住スペースであり、そこにはこの文房具店の副店主、四季春一と、店主である夏輝が住んでいた。
文房具店の店主は夏輝になっているが、それはあくまで経営責任者としてであり、この家は本来四季家のものだ。夏輝はそこに居候の形を取っている。
それには訳がある。この四季文房具店の裏の顔、妖万屋においては、春一が店主で、夏輝は助手だからである。元々妖万屋をやっていた春一が夏輝を誘い、今の形態になった。夏輝にしてみれば春一は妖万屋の師匠であり、尊敬すべき人だ。その証拠に彼は春一にいつも敬語で話す。
春一は最初の頃こそ敬語を嫌がっていたものの、今ではすっかり慣れたらしく、軽く付き合っている。しかし本心では夏輝を家族のように思っており、春一にとってはなくてはならない存在だった。
そんな四季文房具店の二階で、昼の食事をしていた春一が、鍋をつつきながら言った。
「旅行しよう」
元の予定から行けば、今日の昼食はパスタだった。いつも土曜日の昼にはパスタを食べる。春一の好物なので、彼の大学が休みになる土曜日にはいつもパスタだった。しかし、今日の午前中に、急に春一が「鍋が食べたい」と言い出したので、急遽予定を変更してトマト鍋をすることにした。
今年の寒さは、例年を越えて遥かに冷え込みが厳しかった。夏が猛烈な暑さを振るった代わりだろうか、まだ十一月だというのに吐く息は白く、手はかじかむ。比較的温暖な気候で、雪など滅多に降らない数珠市だが、今年は「地球温暖化」などという言葉とは無縁の冬がやってきた。
夏輝は春一の顔を正面から見た。
春一は、やる気のない垂れた目、立てた茶髪の左サイドに銀色のメッシュを三本入れている。服装は至って不良的で、左耳に二つ付けているピアスから、一言でいえば不良だった。本人は決して認めないが。
対する夏輝は艶やかな黒髪に美麗な顔立ち、少し日本人離れしているその顔は、女性の注目を浴びることは間違いなかった。服装も清楚で、どこにも悪い点がない。百八十七センチの長身の割に細い指は、一種の可憐ささえ与える。春一よりも七歳年上の彼は、弟を見守るような目線で春一を見て、そして小さく溜息を吐き出した。
「乗り気じゃねーな。行こうぜ。猿と温泉つかりゃあ、体もあったまるだろ」
「……何故猿と一緒に入浴することが前提なんですか?」
「いやそこはやっぱ、日本人の発想、みたいな」
夏輝は再び嘆息した。春一が無茶なことを言い出すのはしょっちゅうだが、旅行となるとすぐ行動に移すのは難しい。
「誰が、何をしに、いつ、どこへ、何故、どうやって行くんです?」
「お前はニュースキャスターを育てればいいと思うよ」
「冗談でなく」
「そだね~。俺でしょ、夏でしょ、後はジョーと琉妃香も誘う?」
「そうですね」
丈と琉妃香というのは、春一の幼馴染のことだ。
「心を休めにいこう。たまには休息も必要だ。いつがいいかな?来週末?」
「急すぎです」
「お前さ、思い立ったが吉日って言葉知ってる?この俺が今日行こうと言い出さないだけでも素晴らしいと思うんだけど」
「……確かに」
そこで素直に納得できてしまえる自分が不思議だ。
「どこいこっか?温泉があるとこ。休みを満喫するために。俺の車で行こう」
春一の車というのは、マツダRX-7サバンナ、白いFCである。
「よし、決定!」
一人で勝手に盛り上がっている春一だが、彼は今言ったことを現実にしてしまうから恐ろしい。その行動力には目をみはる。
かくして、四季家一行の旅行は決定された。