懺悔せよ!
〈懺悔せよ!〉
僕の住む町には、小さな教会がある。
無彩色を基調とした外観は荘厳な趣を纏い、そこへ向かう歩幅を縮ませる。
一般市民には縁遠いはずだったそこへ、さして信心深いわけでもない僕がすこぶる緊張しながらも訪れたことには“ある事情”があった。
「……よし」
躊躇していても状況は変わらない。決意ならば自宅でとっくに済ませたはずだ。
息を呑み、僕は教会の扉にゆっくりと手をかけた。
「うわ……」
内装もやはり格調高い雰囲気だ。駄々広い大聖堂に列を成す椅子や奥の祭壇はイメージの教会とほぼ一致する。ここがどんな宗教を掲げているのかすら知らないが。
気圧されてしばし身体が硬直するが、すぐに平静を取り戻す。目的を忘れてはならない。
見たところここは無人のようだ。困った。関係者がいなければ身動きが取れないではないか。
どうすべきか思案し、葛藤し、緊張からか及び腰で周囲の様子を視線で探る。
「お」
すると、なんということだ。奇跡的に、扉の脇に看板が立ち、行くべき場所への案内が標されていた。
“懺悔室”
それこそまるで神様の思し召しのような偶然に足取りは軽くなり、僕は吸い寄せられるように扉を潜り抜けた。
懺悔室とは、名称の通り罪を犯した者が神様からの赦免を得るため、自らの悪事を神様との仲介人である司祭に告白する場のことだ。まあ、訪れる人間は実際に神を信仰しているというより、懺悔することで自分の贖罪の念を宥めようというのが大概だろうが。
かく言う僕もまたそのひとりだ。己の愚行を悔い、胸を圧迫する罪悪感を消すためにここへ来た。
中は狭い空間だった。薄暗く、背丈の高い人ならば頭をぶつけそうなくらい天井が低い。おまけに正面の壁は左右と比べて頼りない気もする。なにやら不安感をそそられる場所だ。……勝手に入り込んでよかったのだろうか?
またも心の片隅に戸惑いが生まれる。こんな弱気では駄目だ。
一度落ち着くため深呼吸をしようと、息をすっと吸い込んだ瞬間だった。
「へい、お待ち」
どこからか板前のような台詞が聞こえてきたのは!
「ぶふっ――⁉」
思わず咳き込む。
僕の存在に負けず劣らず――いや、明らかに僕以上に教会に似つかわしくない飄々とした、それも気怠げな声音。その出所を、つい首を振って探してしまう。この懺悔室に、ふたりの人間が入るスペースなどないというのに。
「なにしている。話を聞いてやるんだから、早くしろ。仕事とはいえ俺も暇じゃないんだ」
続けられた声は薄い壁の向こうからだった。
なるほど、個人情報の保護とかで、罪人との間に仕切り板が設置されているのだろう。
しかしこの懺悔室で「話を聞いてやる」とは、まさか……
「し、神父さんですか……?」
「いかにも。さあ、とっとと懺悔して帰れ。で、なに?」
ずいぶんと横柄な神父だ。発言から面倒臭いという内心が透けて見えるではないか。
一瞬、彼に罪を告白するべきか悩む。第一印象で彼が信用に足る人物だとは到底思えない。
とはいえ一度は決意を固めた身、ここで回れ右をするのは僕の僅かばかりの矜持に反する。それに、自分が赦しを乞う相手は神父ではなく、神様なのだ。
「では、お願いします。僕は小守子と言います」
正直に名乗り、直後脳裏を後悔がよぎる。
せっかく個人を特定されないために仕切りがあるのに、自分から名乗ってしまったら無意味ではないか。そもそも自己紹介など懺悔には不必要だろうに。ああ、駄目だ。雑念ばかりが思考を埋める。
ええい、さっさと言ってしまえば楽になるはずだ!
どこか自暴自棄に、僕は自らの罪を声高に暴露した。
「僕は、姉のパンツを盗みました!」
「……」
「…………」
「………………」
刹那、静まり返る空間。
それは僕にとっては永遠とも思える息苦しい時間で――
「ヒくわー」
それが神の代弁者の台詞か!
「さっきからアンタなんなんだよ! 神父の癖に、懺悔に来た人間に対して『ヒくわ』はないだろ! 優しい言葉が欲しかったのになんで傷ついてんだ僕は! もう泣きたい!」
「いや、享受できないレベルの気色悪さなんだよ。天に召します我らが神もそんな近親相姦じみた犯罪は管轄外だ。去ね、死ね、穢らわしい」
「酷ぇ‼」
この神父の毒舌も大概だが、しかし内容はまさに図星一直線なので反論できない。とりあえず修道者が近親相姦とか死ねとか言うな。
「……ここを訪ねた僕が馬鹿でした。もう帰ります」
「まあ待て。ときに、おまえの姉は美人か?」
滅法落ち込んで立ち去りかける僕の丸まった背中に、神父が問いを投げる。
無視するという選択肢もあったかもしれない。けれどお察しの通り、僕は実姉が大好きだ。不本意ながら、性的な意味も含めて。
ならば、問われれば語りたくなる。自慢したくもなる。
僕は暗澹とした気分から一転、瞳の奥を輝かせて仕切りに張りついた。
「まあ、血の繋がった弟ですら魅了されるくらいには美人ですよ。あれはもう天使ですね、天使。いや、女神です。……って教会でそんな発言許されるの――」
「そして、その姉の下着を盗んだ、と」
「――まあ、出来心で」
「ふむ……」
神父は熟慮するように唸り、それきり沈黙してしまった。
怪訝に思い幾度か呼んでみるが、返事はない。
「あれ……?」
二・三分ほど経過しただろうか、そろそろ不思議を越えて不審だ。眉根を寄せたその瞬間、
「――なんだあぁぁぁぁ⁉」
目の前の仕切りが粉砕された。
安っぽい木材の破片を撒き散らして突貫してきたのは、大柄な男性。容貌も凶悪で、はち切れんばかりの神父服が死ぬほど不似合いだ。
ん? 神父服……?
「あ、アンタ、神父さん⁉」
驚嘆混じりの問いに答えはない。神父らしき男は機敏な動きで僕の背後に回り込み、両手首を固めることで自由を封じてきた。
「ちょ……、なにを……!」
突然の緊急事態に焦る視界の横に、男がにょきりと顔を出す。
至極邪悪な笑みを浮かべて。
「盗んだ姉のパンツを寄越せ」
「はぁ?」
声音は完全にさっきまで会話していた神父と一致。尊大な口調もそのまま。
間違いない、彼はあの神父だ。
「聞こえなかったのか、小守子? 早く例のブツを寄越すんだ」
「なに言ってんだアンタ……仮にも聖職者だろうが!」
「黙れ。今すぐ窃盗罪でしょっぴいてもいいんだぞ」
「だあぁぁ待った! ちょい待った!」
こんなの脅迫じゃないか!
とはいえ逆らうのは無謀だ。事実が公表され、あまつさえ逮捕沙汰にまで発展しようものなら、社会的抹殺は必至。下着泥棒と近親相姦の烙印が身を灼くこととなる。
「……改めて聞きますけど、神父さんの要求は?」
「もちろんパンツと、そうだな……、姉の写真だ。やはり容姿がわからんと」
「なにに使う気ですか」
「私用だ」
極悪な笑顔を携える神父。非常に詳しく聞きたくない。そっちの方こそヒくわ。
なんとしても現状を打破しなくては。愛する姉をこんな俗人の毒牙に曝すわけにはいかない。もちろん、実弟の食指はノーカンだ。
「参考までに、神父さんはどんな女性が好みなんですか?」
「む? まず体型はやはり熟してないとな。肉付きのいい女性以外に魅力など感じぬわ。ぬはははは」
「あー……でも、姉さんはロリ系ですよ?」
「なぬっ⁉」
「今だ!」
落胆に一瞬緩んだ手首の拘束から必死にもがいて自由を得る。ちなみに、さっきの問答はすべて方便だ。姉は大人な女性でナイスバディなのだ。誤解のなきよう!
「しまった!」
始終不敵な表情を崩さなかった神父が初めて焦燥し、瞠目する。
それを横目に確認し、僕はまっすぐ教会の出入口へ疾駆した。ひとまず戦略的撤退だ。時期を見てこっちから通報してやる。
「シスター! 犯罪者だ、逃がすな!」
「誰が犯罪者か!」
売り言葉に買い言葉、そしてそれが油断と失態を生んだ。
神父が呼びかけたシスターは外部にいたのだ。開け放たれ日が差し込む扉の前に、黒衣の女性が立ち塞がっていた。逆光でその風貌は窺えない。
しかし僕も既に膂力が全開だ、急ブレーキも間に合わない。
正面衝突を覚悟して僕はまぶたを固く閉じ――
「え?」
――ようとして、むしろ仰天に眼を見開いた。
神父の手先かと思われた彼女は僕の横を特急で通過し、教会の内部へと駆けていったのだ。
理解が追いつかず、機械のように首を反転させる。
するとそこには、項垂れた神父へと拳骨を食らわすさっきの女性らしき背中があった。は? なに?
「このクソ神父! いい年してそんなチンピラみたいな真似はやめなさい! ただの変態じゃない!」
「いや、だって男は欲望に忠実でしかるべき――」
「口答えしない!」
再度、脳天に拳をかます。神父は、ぐえと蛙のような断末魔を残して崩れ落ちた。気絶してしまったのか、なんて威力だ。
そしてシスターもまたその場に膝を下ろし、神父の介抱を始めた。僕はただ茫然と見ているしかできない。
それにしても、修道服の上からでも体型に張りがある女性だ。それが彼女の若さを証明している。いや、別にいやらしい目で見てはいないが。マジで。
「あの」
「――え? あ、はい」
観察に集中していたせいか、少しの間、呼ばれたことに気づかなかった。シスターは屈んだままで言葉を続ける。
「途中から話は聞いていました。この神父が無礼を働いて申しわけありません」
「あ、僕は別に――」
「それと懺悔についてですが、教会は罪を裁くことは致しません。ただ悔い、改心してくだされば、それでよいのです。どうか下着はお姉さまに返して差し上げてください」
「もちろんです!」
教会を訪れてようやくまともな会話をすることができた。安堵した反面、異性に犯行を知られてしまった羞恥心で頬が熱くなる。
「それはよかった。罪を捨て肉体と精神を清めたあなたに、神のご加護があらんことを」
神父を聖堂の椅子に座らせ、彼女は僕に向き直り両手を顔の前で合わせた。祈りの姿勢だ。僕も猿真似をする。
やがて互いに腕を下げ、視線が交錯し――
「「え――?」」
……あの。
……紹介させて頂きます。
……僕の……姉です。
「こ、小守子くん⁉」
「ねねね姉さん⁉」
ふたり揃って驚愕に声を張る。
なんで姉さんがシスターを? いや、そんなことはどうだっていい。
危機だ。神父の強襲なんて比較にならない、人類の存亡を賭けたアレコレとかの次元の窮地だ。背水の陣どころじゃない、もうとっくに川に真っ逆さまだ。
だって僕の罪、それは――
「……そういえば小守子くん、さっき、面白いことを言ってたねぇ」
「え、なに? 知らない知らない」
「あたしの下着がどうとか」
「知らない知らない知らない」
「へー、ごまかすんだ」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
姉の不自然に引き攣った笑顔が迫る。僕の頬も引き攣る。失禁しかける。限界値を振り切った恐怖に意識が朦朧とする。
霞がかった脳内で、僕はくだらない、本当に本当にくだらない結論を見つけ出した。
――シスターって……姉だけに?
平和な町に、凄惨な悲鳴が木霊した――
読んで頂きありがとうございます!
小守子くんとは気が合いそうです。嘘です。
拙作の投稿時期は年末、2011年に読んでくださった方、よいお年を!
余談として、姉をお持ちの読者さま方に質問なのですが――
――姉のパンツ盗んだことってありますか?