七両目のリンゴ
「だから、真由ちゃんはカワイイんだってっ。自信持ちなよ! 司もそう思うよねっ?」
そんなに大きな声で言わないで……。
私は顔を伏せ、できる限り猫背になってみた。首に巻いたマフラーを鼻の下まで引っ張り上げて。
でも白いマフラーじゃ逆効果。リンゴみたいに赤く染まったこの顔が、余計目立ってしまうだけ。
結局マフラーを解いた私は、その眩しい白を見つめて溜息を一つ零した。
後悔したって仕方ない。これは自分で決めて買ったモノだから。
私には似合わない、ふわふわ綿帽子みたいなマフラー。少しでも“雪ちゃんっぽく”なりたくて選んだ……。
「ねえ、司ってばっ!」
「……ああ、うん、そうかもな」
雪ちゃんにしつこく促された司君が、曖昧に頷く。
私の方には、一切目を向けずに。
「ちょっと司、この際だから言わせてもらうけどねぇ」
「アホ、お前は黙ってろ」
司君は、雪ちゃんのおでこにコツンと拳骨を落とす。「痛っ!」と大げさに騒ぐ雪ちゃんを、他の乗客が気にし始めている。『見ろよ、あそこに可愛い子がいる』なんて、ヒソヒソ声が輪唱する。
揺れる電車の音よりも、うんと小さな声を拾ってしまう私の耳は、いわゆる“地獄耳”だ。その話をしたとき、雪ちゃんは「地獄耳じゃなくて、うさぎ耳だね!」と笑ってくれた。でも、どう見たって雪ちゃんの方がうさぎさんだと思う。
雪ちゃんは、私の理想をギュッと集めたような女の子。背が小さくて、目がクリッと大きくて、肌は雪みたいに白くて、栗色の猫っ毛は柔らかで。真っ黒ストレートヘアで淡白な顔立ちの私が日本人形なら、雪ちゃんは西洋のお人形。セーラー服の赤いリボンが良く似合う、パーフェクトな美少女。その上明るくて優しくて、皆の人気者。
そんな雪ちゃんと仲良くなれるなんて、夢みたいで……。
なのに今はちょっとだけ、辛い。
*
あれは忘れもしない、入学式の日の放課後。
内気な私にはその日友達ができず、一人寂しく帰り支度をしていた。「誰か話しかけてくれないかな」なんて他力本願な期待が、作業の手をいつもよりスローにさせる。
神様は、ささやかすぎる私の願いを叶えてくれた。
突然教卓の前に立った雪ちゃんが、クラスメイト全員に向かって凛とした口調で問いかけた。
「アタシんちって春咲町なんだけど、誰か同じ方向のひと居ない?」
春咲町といえば、私が乗る電車の終着駅だ。うちの最寄駅はもっと手前だし、途中から各駅停車に乗り変えなきゃいけないけれど、急行で二十分くらいは重なる……。
「うち田舎だし、通学時間長くて退屈なの。同じ電車だったら一緒に帰ろうよ!」
その提案に皆色めき立った。遠巻きに見ていた雪ちゃんと、正々堂々お近づきになれるチャンス。
もちろん私も例外じゃなくて。
気付いたら、蚊の鳴くような声が唇から零れて、ふわんと雪ちゃんへ飛んでいた。
「あの、途中までで良かったら……」
「やった、女の子が居た! 確か伊藤真由ちゃんだよね? よろしくっ」
私の元へ駆け寄ってきた雪ちゃんが、有無を言わさず強引に握手してきた。大きな瞳を煌めかせながら、屈託なく笑いかけてくる。つられて笑みを返したとき……敏感な耳が、ハスキーな低い声をキャッチした。
「おーい、帰ろうぜ」
声の主は、一人の見知らぬ男子だった。教室のドアに手をかけ、中を覗きこんでいる。
身長百七十センチの私より、さらに頭一つ分くらい背が高い。少し長めの前髪と、冷たそうな切れ長の瞳……その目が、私の方を見てふっと優しげに細められた。
正確には、私の正面に立つとびきり可愛い女の子を見て。
雪ちゃんは、私を捕まえていた手をするりと解くと、彼に手招きした。
「ねえ司っ! 旅の道連れ見つけちゃった! 真由ちゃんだよっ」
「あー、キャンキャンうるせえっ」
教室の入り口から、長いリーチでほんの数歩。近づいてきた彼が、至近距離から私を見下ろしてくる。
「ふーん。道連れ、ねぇ」
男子とろくに会話をしたことが無い私に、容赦なく浴びせられる彼の鋭い視線。逃げたいのに、足がすくんで動けない。地面にポタリと落ちるリンゴみたいに、心ごと彼に引き寄せられてしまう。
「マユって、どんな字書くんだ?」
「お父さんみたい……」
「――はぁっ?」
うっかり呟いた私の声を、雪ちゃんも彼も聞き逃さなかった。次の瞬間「確かに司オッサン臭いしっ」と爆笑する雪ちゃん。平謝りの私。
本当は「うちのお父さんみたいに背が高いね」って言いたかった。
少女漫画に良くある、向かい合った男女の告白シーン。女の子の方がアゴを少し上げて上目遣いになるその姿勢は、身長がコンプレックスの私にとって憧れのシチュエーションで。
そんなひとに初めて出会ったから、驚いたの。
……なんてこと、知らない男の子に言えるはずがなくて。
上手く言葉が出ずに赤くなるばかりの私に、彼は「もういいよ」と苦笑し、大きな手で頭をポンと叩いてくれた。
その心地良い重さを感じながら、私は思った。
ああ、このひとが雪ちゃんの彼氏だったらどうしよう、って。
*
幼なじみの雪ちゃんと司君、そして私。
三人で帰るようになってから、初めての冬がやってきた。
ときめく春、うちとけた夏、穏やかな秋。各駅停車のように、ゆっくりと芽吹き、枝葉が伸び、色づいてきた私の初恋。
なのに、冬が来ても花開く気配は無く……むしろ、蕾のまましおれそうな予感。
「――だいたい司は昔っからさぁ」
「雪っ、それ以上言うならその口縫うぞ」
「へー、やれるもんならやってみなっ」
ファイティングポーズを取る雪ちゃんを前に、司君はうっと呻いて後ずさる。こう見えて雪ちゃんの特技は空手だから、人は見かけによらないと思う。普段はコワモテな司君も、バトルモードの雪ちゃんには敵わない。まるでうさぎにあしらわれる大型犬だ。
こうしてじゃれ合う二人を、ずっと微笑ましく見守ってきたのに、今の私は卑屈な気持ちにしかなれない。手にした白いマフラーを持て余しながら、私は窓の向こうに流れる景色を見やった。
「お似合い、かぁ……」
二人には聴こえない、微かな呟きを落とす。
数日前、いつものように教室を出る私たちに向かって放たれた、誰かの囁き声。それは私にしかキャッチできないくらい密やかで……小さな棘を含んでいた。
『雪と司君ってホントお似合い。伊藤さん、良く邪魔できるよね』
それからずっと、胸が苦しくて。
以前、思い切って雪ちゃんに尋ねたときは「違うよ、うちらは単なる腐れ縁!」と笑い飛ばしていた。それでも周囲から“お似合い”と噂されていることは、本人たちも自覚しているらしい。入学当初は火消しに躍起になっていたけれど、最近は諦めてしまったようだ。
でも、噂したくなる皆の気持ちも分かる。間近で見ている私には、二人が長年紡いできた心の絆が痛いほど伝わるから。
それが、運命の赤い糸のように思えて……どんどん胸が苦しくなっていく。
いっそ、二人が本当に付き合ってしまえばいいのに。
私はさりげなく、別の電車に乗り代えてあげるから。
各駅停車に乗って、一人で帰るから……。
「どしたの? 真由ちゃん。ぼーっとしちゃって」
雪ちゃんの声で、私は夢から覚めたように瞬きする。電車の速度は緩やかになり、窓の外には見慣れた乗り換え駅の看板。
それでもぼんやりしたままの私に、司君が珍しく早口で声をかけてきた。
「真由、降りるんだろ? 早く行けよ」
厚手のダッフルコート越し、背中を押してくれた優しい手のひら。
触れてもらえたことが嬉しくて、でもそれ以上に悲しくて……私はさよならも言わずに、開いたドアから飛び出した。
――そうだよね。邪魔者は、早く消えなきゃね。
勝手に潤んでくる視界。それをごまかすようにホームを走り出した私のローファーが、改札前で急ブレーキをかけた。
首筋を撫で、長い黒髪を舞い上げる冷たい北風。
「マフラー、忘れた……」
とっさに横を向くと、急行は発車寸前。
私はもう一度、その電車に飛び乗った。
*
本当はずっと、こうしたかった。
私が先に降りた後、二人がどんな風に過ごしているのか見てみたかった。
もしかしたら普段とは別人みたいに、甘い声で囁き合っているのかも……。
二人が居るのは八両目。ドクドクと激しく自己主張する胸を抑えながら、私は車両を繋ぐ重いドアを開けて進む。その度に、ギイギイと悲鳴に似た轟音が鳴る。いつもなら耐え切れず耳を塞いでしまうところなのに、今は気にならない。
それくらい、私のアンテナはまだ見ぬ“恋人同士”の二人に向けられていた。
ついに、最後のドア。
この扉を開けたら、全てが終わる。
土壇場で吹きつける、冷たい臆病風。私は腰をかがめ、分厚いガラス窓の向こうをそっと盗み見た。
二人は、ドアを隔てたすぐ傍に居た。
ネガティブ過ぎる私の予想は外れ、二人は相変わらず楽しそうにじゃれ合っている。思わず胸を撫で下ろしかけたとき、微かな違和感を覚えた。私はもう一度、曇りガラスの向こうに目を凝らした。
「あれ……?」
ガタンゴトンと電車がバックミュージックを奏でる中、古い無声映画のようにコミカルなやりとりをする二人。くるくる立ち位置を変える雪ちゃんと、必死の形相で手を伸ばす司君。
雪ちゃんが背中に隠しているのは、ふわふわの白い塊。あれはどう見ても、私のマフラーだ。
――いったい何をしてるの?
好奇心が、少しの勇気へと変わった。
震える指先に力を込め、ドアをスライドさせる。ほんの数センチの隙間でも、私の耳には充分。
聴こえてきた会話は……。
「――雪! 返せよ!」
「やーだよっ。ヘタレな司なんかに、コレはあげないっ」
「俺が拾ったんだぞ!」
「ハイハイ、真由ちゃんがコレ落としたのに気付いて、わざと言わなかったんだよね? そんなことを“キッカケ”にしようなんてヘタレ過ぎ」
「お前、俺の味方じゃなかったのかよ!」
「残念でした。真由ちゃんのマネージャーには、いろんな人から依頼が来るんですっ。これはバスケ部の田中君に売……っと何でもなーい」
「てめっ、売り飛ばす気か!」
「真由ちゃんのリップ痕付きマフラー、いくらになるかな……なんてねっ」
「ぜってー許さねぇ!」
身体から一気に力が抜け、重たいドアは緩やかに閉ざされる。私の心には、先程聴こえた会話がぐるぐる回る。
マフラー売るって、何……?
その前に、司君がすごく怒ってて……。
えっとえっと……。
真っ赤になった私を、ぐらぐら揺らす急行電車。
通り過ぎるグレーの街も、緑の山並みも、その向こうに広がる茜空も……各駅停車に慣れた私には、全てが速すぎて眩暈がしそう。
――でも、降りちゃうなんてもったいないよね?
その日私は、七両目の乗客となった。
終着駅のホームで開く……私の恋の花。
↓解説&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。
2009年12月、ケータイ小説系サイト『ジョルダン・読者の広場』に投稿した作品です。(嬉しいことにニ位という結果になりました。ありがとうございます!)ジョルダンだけに、お題は『電車』。いつもお題への切り込みが弱くなってしまうのですが、この作品では(直接的にも、比喩としても)満遍なく使い倒したつもりです。なおかつ、ケータイ小説ということで、古典的な少女漫画っぽい作品を目指しました。(自分が考えるケータイ小説系=描写はライトで平易、モノローグ、体言止め、改行多め。当然糖度も高め!)あと今回は初チャレンジとして、内気なモジモジ系キャラを主人公に設定。自分が共感しにくいキャラを動かしてみて、あらためて小説の難しさを知ることに。orz さらに力を入れたのはタイトル! 最初に思いついたのは『各駅停車の恋』ってかなり直球……いつもはそのまんまなのですが、今回はタイトルにも比喩をw