少女、魔女と対話する
気持ち悪い。
本能でそう感じ、とっさに差し出された手を振り払った。
パシッと乾いた音が響く。サイカは一瞬驚いたように目を大きくしたが、すぐもとの表情に戻り、少し離れた場所に降り立った。
「そんなに警戒しなくても、あたしは敵じゃないのに」
(魔女、きみは信用がないからね)
サイカは肩を竦めた。
「本当よ。あたしはキルシアちゃんの味方」
彼女が一歩近づき、わたしはさがる。
(なにが目的だ。からかいに来たんだったら、強制送還させてもらうが)
だんだん剣呑な雰囲気を表し始めるαに、不安が過ぎった。
こんなのに任せてはおけない。さらに悪化させる一方じゃないかと思うのだが、眼前の力の塊とも言える彼女に、すっかり足はすくんでしまっていた。
「あたしはただ、あいさつに来ただけ。αサマが余計な挑発するから、キルシアちゃん怖がってるじゃない」
わたしの思考を読んだのか、それとも外から見てわかるほど動揺しているのか。認めたくないが後者だろう。
(キルシア、落ち着いて。あれなんてぼくにかかればなんともないから)
安心させようとかけてくれている声も、右から左。まったく頭に入らない。
(キルシア、『魅力』されないで)
必死の叫びも、どこか遠い、壁の向こうのことに感じた。
「信用されてないのはどっちかしら?」 クスクスと笑う声が聞こえ、そっと髪を指で弄ばれた。フワッと意識が浮いた。αと替わるとき、沈む感覚とは反対の浮遊感。
(こっち、離れないでキルシア、ぼくを見て!)
意識の海の底から、必死になってわたしを引きずりこもうとするα。
(どうして、邪魔するの)
(キルシア……サイカ、なんのつもりだい)
サイカの紫の瞳が妖しく輝いた。
「少し、話しをするだけ」
その瞬間、αの重りが外れ、わたしは軽く抱きしめられた感触に身をゆだねた。
気がつけば、そこは爽やかな森の中だった。
日の光が葉の間から差し込み、鳥の声も聞こえてくる。 ここはどこだろう? 手をついて立ち上がると、不意に背後から声をかけられた。
「いらっしゃい、キルシアちゃん。乱暴な真似をしちゃってごめんね」
驚いて振り返れば、すこし開けた空間があり、ミニテーブルが不自然に置かれていた。さらに言うと、サイカがそこで優雅に椅子に腰掛けてお茶を飲んでいる。
「どうしてここに、ここはどこなの?!」
αに呼びかけるが、応答はなく、不安になる。
「ここはあたしの『ナカ』よ。キルシアちゃんの体じゃないから、αサマもいない」
カップを啜り、サイカは人差し指を一回転させた。
すると、もう一つ椅子が現る。ミニテーブルは大きくなるだけでなく、金糸で刺繍の施された真っ白なテーブルクロスが、ふわりとその上にかかった。
その光景を見て、口をあけてポカンとしていたわたしに、サイカが言った。
「さ、時間はあまりないけれど、座ってちょうだい」
すこし躊躇っていれば、サイカの指先一つで引き寄せられ、強引に座らされてしまった。
「紅茶? コーヒー? それともコレ?」
持っていたカップの中身を見せつけ、彼女は笑った。わたしはまったく笑えない。
カップはコーヒーに似た汁で満たされているが、甘ったるい臭いからして違うものなのだろう。
「オーレでお願いします」 あんなもの飲んでたまるか。わたしの注文に、彼女はぷうっと頬を膨らませた。
「なんでオーレなんか飲むの? 別に構わないけど、あたしにはよくわかんない」
そう言いながらも、パチンと指を鳴らし、よく冷えたオーレのグラスを用意してくれた。ご丁寧にストローつきで。
指を鳴らすだけという魔法は初めてだが、恐る恐る飲んでみても、それは紛れも無いオーレだった。
「魂の部屋では、個々の想像や記憶が簡単に実体化するの。まあくわしくはαサマにでも聞けばいいよ」
聞いてもいないのに、すらすらと話すサイカ。思考を読まれるのは気持ち悪いと思ったけれど、実は逆に会話がスムーズになって便利なのかもしれない。「必要以上には読まないよ? ねえ、そろそろ緊張も解けてきたし、本題に入っていい?」
わたしが頷くと、サイカはカップを置いた。
「さっきは怖がらせちゃってゴメン。あたしαサマのこと嫌いだから」
それはさっきの会話でよく分かった。αのほうも、相当悪く思っているのだろう。
「でも、キルシアちゃんは好きだから心配しないでね」
「それはどうしてなの?」
少なくとも初対面なはずなのに、どうして好いているというのか。尋ねると、サイカは当然といったふうに切り返した。
「キルシアちゃんは、あたしの娘みたいなものだもん」 娘……ついていけない。普通初対面でそこまでいうか。相手はわたしのことを知ってるかもしれないけれど、わたしはまったく知らないのだから、異常としか言えない。
やっぱりこの人ヤバい。その思考を読んだのか、サイカは慌てて訂正する。
「あたし、キルシアちゃんが小さいころに会ったことがあるの。だから、ね?」 胡散臭いがそういうことにしておこう。外見はわたしと変わらないのに、いくつなんだろうと考えたのは秘密だ。
「あたしが、キルシアちゃんの味方で、とっても愛してるってこと、分かってくれたかな」
「まあ、いちおー」
オーレを口に含んで飲み込んだ。
「あたし、キルシアちゃんのことすっごく愛しちゃってるの。だから、大っ嫌いなαサマと一緒っていうのが我慢ならないのよねー」
「愛しちゃってるは言いすぎじゃ?」
サイカは首をふる。
「そうでもないって。だってキルシアちゃんはαサマの『正体』知らないでしょ?」
その言葉に心が揺れた。
「サイカ、さんは、αのことを知ってる?」
「もちろん、知ってて嫌ってる。それを踏まえて、キルシアちゃんはアレと分離するべきだと思うんだ」
分離、そんなこと、
「出来るの?」
「キルシアちゃんが望むなら。あたしはそのために、こうやって二人っきりで話がしたかったんだから」
アレがいたら、必死で止めるから。とサイカは憎々しげに笑った。
「いきなり自分の中に入ってきて、体は勝手に動かす。自分のことはなんにも喋らないくせに、あなたのことをよく知ってる。不気味でしょ、アレのほうが。よっぽどあたしより気持ち悪いじゃない」
最後のほうは口調が荒く、圧倒されっぱなしで、瞬きしかできなかった。
「お、落ち着いて……」
ふう、ふう、と息を吐いているサイカに言うと、彼女はカップの中身を喉に流し込んだ。
「心配してくれてありがとう、キルシアちゃん。もう大丈夫」
突然現れたにこやかな笑みに、不安を隠せない。サイカは言った。
「あたしなら、アレを引き離せる。キルシアちゃんが許可さえくれれば」 だから、と続けた直後、ぐにゃりと視界、いや景色が歪んだ。
「つっ」
体に力が入らなくなり、倒れる寸前でどうにか机にもたれかかって堪えた。なんなんだ今のは。
上体を起こそうとしたものの、今度は地震のように揺れだし、それは叶わない。
カチャカチャとテーブルの上のカップたちが音をたて、ぐわんぐわんと脳が揺れた。そんな中で、なんの影響も受けていないのに、どこかむすっとして空を見上げるサイカがいた。
「早い」
呟きにつられてわたしも見上げたが、とくに変わりないように思う。
「無理矢理にもほどがあるでしょ」
ただし、彼女にはなにか別のものが見えているようだった。




