少女、帰還 終
ウェンスはいつの間にか出されていたコーヒーをすすると、一息に言いきった。
「お前の身元を保証させてもらったのにはちょっとワケがあってな。しばらくは俺、または親父の命令に従ってもらう」
「つまりどういうこと」
尋ねれば、ウェンスはせっせと片付けた書類の山から、一枚の茶封筒を抜きとった。
それをテーブルの中央に差し出すと、あけてみろと促す。
嫌な予感しかしない。恐る恐る封筒の口を破れば、出てきたのは私の写真、個人情報もろもろが記入されたなにかの用紙がでてきた。
「――これはなんでしょうか」
さらっと目を通して、確認すればごまかすことなくウェンスは言い放った。
「お前の治安維持官就任証書。明日からはばっちり働いてもらうからな」
「はい?」
「働かざる者は食うべからず。この国で食べていくなら、働け」
ちょっと待て、そんな話聞いてないぞ。
(僕が応答したし、言ってないから知らないの決まってるじゃん)
今言うか。治安維持官ってなに。どんな仕事ですか。混乱でフリーズしたわたしにかまわず、ウェンスは話を続ける。
「こちらが提示する問題の解決に努めてほしい。ちなみに、治安維持官ってのは、お前だけの呼称だからな」
「わたしに拒否権は……」
かすかな希望にすがってみたが、きっぱり首を横に振られた。
「ないな。一度ここの住民登録が消されたお前を登録し直すのは、親父もけっこう苦労したらしいし。ごり押しで可決した、上からの当てつけってやつだな」
そんな苦労があったなんて、バレンシスさんありがとう。なんて思えるわけがない。あきらかに面倒そうなお仕事につかされてしまったようだ。
「どんな仕事なの、こう、命にかかわったりしないよね」
最低限のラインだけ確認したつもりなのに、ウェンスはにやっと笑った。
「普通に死ぬぞ。面倒事をおしつけるんだから」
「しね、この人でなし、冷血野郎!」
くる天パと続けようかと思ったが、今のウェンスはばっちりストレートだったので口をつぐむ。ありったけの恨みをこめてにらんで見ても、まったくこたえた様子はない。「じゃあよろしく頼むよ。仕事は明日からだからな」
有無を言わせず押し切られ、はぁ、とため息をついた。
(諦めれば? タダで入れるとはもとから思ってなかったんだし)
(元はあんたのせいだけど)(アハハ、褒めないでよ、ぼく照れちゃう)アハハハとムカつく笑い声が頭に響いた。
「これ、お前んちの鍵」
ぽいと投げられたそれをキャッチする。
「部屋は掃除して、使用人もつけておいた。詳しくはそいつから聞いてくれ」
「わかったわ」 ギュッと色あせた古い鍵をにぎりしめ、わたしは席を立った。
「もう行くのか」
「ええ。お邪魔したわね」
また明日、とかけられることばを背に、部屋をあとにする。
「見送らせていただきます」
姿を見なかったシュンランさんが、道を案内してくれたため、迷うことなく屋敷から出ることができた。
「お気をつけてお帰りください」
深々とお辞儀をしたシュンランさんに礼を言って、今度は自分の家に向かい歩を進める。
(これからどうなるんだろう、わたし)
意味もなくαに尋ねてみたが、なにが変わるわけでもない。
(なるようになるでしょ、ぼくがいるんだから)
その自信はどこから沸いて来るのやら。馬鹿馬鹿しいけれど、スッと胸が軽くなるのを感じた。
そう。なにかあればコイツにすべて押し付けてしまえばいい。(ねえ、いまとんでもないこと考えなかった?)
(べっつにぃ)
ふんふんと鼻歌を歌いはじめたわたしに、αは興味をなくしたらしく、別の話題をだしてきた。
(しっかし、あの人もすごいね。どんなストレートパーマあてたんだろう)
(ストレートってことは、ウェンス?)
確かにストレートヘアだったけれど、そこのどこに感心するのやら。首を傾げてみせると、αはしばらくなにも答えなかった。
(おーい、どうかした? 黙ってるなんて気持ち悪いんだけど)
(……ちゃんと聞こえてるよ)
げんなりした声色でαが答えた。(本当に、『彼』だと思ってたの)
(彼ってだれ)
はぁ、とため息をつかれた気がした。
(本当に君はひよこちゃんなんだから。いいよ。そういうことにしといてあげる。今のところはね)
まったく意味のわからないことを言うαに腹がたつ。
(ちゃんと教えなさいよ)
(だーめ。これくらい自分で気づいてくれなきゃ。ほら、我が家についたみたいだよ)
そこで会話は打ち切りになった。そのあともαはなにやらブツブツ言っていたが、我が家の広さへの驚きで、まったく気にも留めていなかった。
〜〜〜〜
紙束やら本やらが山積みになった書斎に、扉を開く音が響いた。
「ただいま」 少年はそれだけ言うと、倒れ込むようにソファに座る。
「お帰り、ウェンス。サイカとのお茶はどうだったんだい」
書類とにらめっこしていた彼は、顔を上げて生意気に育った我が子を迎えた。「どうもなにも、やけに甘ったるい菓子ばっか食わされて死ぬかと思った。なにも言ってないのに、オーレだけは飲むなって言うし」
はあ、といかにも苦労してきましたというふうに話してみせた少年は、まともに彼を直視して顔をしかめた。
「親父、なんでストレートパーマなんてあててんの?
「えへへ、ウェンスとおそろい。わたしは童顔だから、お前とそっくりだろ」
今回ばかりは彼も、いっこうに老いる気配のない、自分の容姿に感嘆したものだ。しかし、素直じゃない息子のこと。褒めてもらえるなどとは最初から思っていない。
「いつもはくるくるぱーのくせに。似合わねえ」
予想通りズバズバと本音を言ってくる息子に内心傷ついたが、いつものことだと彼は持ち直した。
「わたしの頭なんてどうでもいいんだよ。それより、キルシアちゃんがうちに来たんだ」
「キルシアって誰」
その答えに、落胆はしたものの、彼は安心した。
「やっぱり覚えてないんだね。ところで」
一度言葉を切って、彼は息子の目を見据えた。自分より少しだけ深い藍色の瞳。
「治安維持官監視員、やらない?」
は、と間抜けな声を発した我が子は、生意気で、でも彼にとってとても大事な存在なのだった。
少女、帰還 終
やっと前置きが終わったかんじです。